84.0 敗北と傷心
目蓋を開けると、霞みがかった視界に見慣れた天井が映る。頭が回らない。身体中が痛い。いったい俺に何が起こったのだろうか。
何気なく顔を横に向けるとボロボロになった霊夢が布団に寝かされていた。彼女の姿を瞬間、俺は今までのことを思い出す。どうやらあの後、俺は倒れてしまったみたいだ。
首だけで見回してみる。この質素な和室は……霊夢の部屋か。西日が障子を橙色に染めている。もう時刻は夕方だ。周りにはフランちゃん達はいない。帰ってしまったのだろうか。いや、それより……
「魔理沙……」
彼女から聞かないといけない。いったい何をしようとしているのか、なんで霊夢を倒す必要があったのか、そして最後に言った言葉の真意を……
俺は身体中に走る痛みを無視しながら、腕を突っ張って起きようとする。白い布団に血が落ちていくが、それも気にしていられない。口の端から機械が軋むような声が漏れるが、それでも構わない。今すぐ行かないと、手遅れになるような気がするんだ。だから……動け。
「……ホクトッ!?」
「何をやってるの!?」
その時、背後から悲鳴のような声が飛んできた。
歯を食いしばりながら振り向くとフランが慌てて駆け寄り小さな体で俺の肩を支えようとしてくれていた。
心配してくれているのがわかる。だがそれでも無理やり立ち上がろうとすると、背後からため息が聞こえる。そして瞬きした瞬間、先程の天井が目の前に広がっていた。
「あまり仕事を増やさないで頂戴」
呆れ顔の咲夜さんが俺の顔を覗き込みながら言う。時を止めて俺を布団に戻したのか。ご丁寧に止血に布団の交換までしてくれている。気持ちは嬉しいが……俺は咲夜さんの腕を掴む。
「行かせてください。魔理沙と話をしないと……」
「探しても見つからないと思うよ」
俺の言葉に咲夜さんでもフランちゃんでもなく、誰かが答える。首を動かして声の主を探ろうとするが、首が動かない。不意に薔薇の香りがする。
気付けば目の前に、逆さになったこいしの顔が息が掛かるほどの距離にあった。
「ちょ、近……」
「動いちゃダメ!」
さっきのところを見ていたのか、俺を動かさないように両手で俺の顔を挟んでがっちりホールドしていた。微かに鼻先同士がぶつかっている。動かないようにしているのはわかるけど、こんな顔を近付ける必要はないと思うんだが……!?
「何やってんだか」
と、また別の方から呆れたような声が聞こえる。この声……ぬえだったのか。俺はこいしの唇に触れないように気を付けながら姿の見えないぬえに話しかける。
「ぬえ、どういうことだ?」
「そのままの意味さ。追いかけていったけど痕跡一つ見つけられなかったよ」
俺の質問にぬえが疲れたような声で呟く。どうやら相当追いかけていたみたいだ。
俺はこいしの頭をポンポンと撫でてから顔をどけ、上半身を起こす。すると枕元に座った咲夜さんがスープを差し出してくれた。野菜やささみを細かくしてある。栄養価も高そうだし、何より食べやすいのは助かる。
フランちゃんとこいしちゃんが食べさせようとスプーンを奪い合っている間に、腕を組み障子の柱にもたれ掛るぬえに向き直る。ぬえはどうしてかモジモジとしながら、俺から視線を逸らしていた。よく分からないけどそれに構わず俺はぬえに尋ねる。
「魔理沙の家には?」
「面倒だけど行ったさ。もぬけの殻だったけどね」
「……そうか」
魔理沙の家にもいないとなったら、俺には探す当てがない。
それに話を聞いてくれるかも怪しいし、この状態で魔理沙と戦っても勝てる見込みはまったくないだろう。
……仕方ない、今大人しく治療に専念するしかないか。
「はーい、北斗あーん!」
「コイシ、次私なんだからね! 一回ずつ交代なんだから!」
俺はなすがままにフランちゃんとこいし、交互にスープを食べさせてもらいながら俺は思考を巡らせる。
ここ数ヶ月ほど、魔理沙は博麗神社にまったく顔を見せなかった。神社だけじゃない。パチュリーさんも姿を見ていないと言っていたし、同じ森に住むアリスさんも霖之助さんもそんなことをぼやいていた覚えがある。その空白の時間、魔理沙に一体何が起こったのだろうか。
……だめだ、手掛かりがなさすぎる。早いうち調べないといけない。何かが起こる前に探さないと……何か大変なことが起こるような気がした。
「ところで紅魔館のメイド、お前の時を止める奴って他人が真似できるものなのか?」
食事を終えたところでぬえが食器を片付けようとしていた咲夜に問いかける。その瞬間食後のゆったりとした空気が一気に張り詰めた。咲夜さんも一瞬だけ動きを止める。だがすぐに何事もなかったようにお盆を持って立ち上がった。
「さあ、少なくも私は知らないわ。そうでしょう、北斗?」
咲夜さんは俺に視線を向けながら言う。俺はその問いに頷きを返す。
確かに俺は咲夜さんの影響は受けられていない。そもそも咲夜さんの『時間を操る程度の能力』を俺が認識できないんだから影響を受けようがない。止める瞬間、その間の時間を体験できればもしかしたら出来るかもしれないが。だが今回はそれを論点にしたいわけじゃない。
「………………」
霊夢との戦いの最中、確かに魔理沙は瞬間移動をした。どうやってそんなことをしたのか、魔術でそんなことができるのか俺にはわからない。幻術の類なのか、霊夢のような瞬間移動なのか。それとも……咲夜さんのように時を止めたのか。
「ホクト……?」
気付けば俺に視線が集まっていた。フランちゃんとこいしの不安そうな視線に、俺は慌てて口を動かす。
「あ、あぁ! 俺は咲夜さんから影響を受けられないよ。ナイフ投げくらいなら真似かもしれないけど」
「ふふ、貴方なら影響受けなくてもそれなりに出来そうだけれどね……で、そこの妖怪、どうしてそんなことを突然聞くのかしら?」
咲夜さんはぬえを眼光鋭く睨む。
……普段は洒脱で世話好きな優しい人だけど、稀に抜き身の刃のようにギラギラとしている瞬間がある。そんな時、咲夜さんが吸血鬼レミリア・スカーレットの従者だと感じずにはいられない。だがそこは流石の大妖怪、ぬえはその視線に臆する様子もなく肩を竦めた。
「別に。興味本位さ」
「……そう」
短いやり取りのあと、心臓に悪い沈黙が流れる。しばらく傷に悪い雰囲気に耐えていると、隣の布団から聞こえた溜め息がその空気を破った。
「喧嘩なら他所でやりなさいよ。おちおち眠れやしないわ」
「霊夢!」
頭を抱えながら起き上がった霊夢に、フランちゃんが堪らず抱き付く。だがその瞬間、霊夢の顔が苦悶の色に染まる。身体中に包帯が撒かれているから察して相当重症のようだ。あの砲撃を直に喰らったのだ、無理もない。
心配になった俺は、フランちゃんを引き剥がそうとしている霊夢に尋ねる。
「……霊夢、起きて平気なのか?」
「あんな攻撃いつものことよ。大体アイツの攻撃は見た目ばっか派手で大したことないもの」
霊夢はぎこちない笑みを浮かべやけに明るい声音で言った。みんなはその様子にホッとしていたが……俺はその光景に、金槌で頭を殴られたようなショックを受けていた。
あの霊夢が虚勢を張っているのが、信じられなかった。
……これは俺が勝手に抱いているイメージでしかないが、霊夢は少なくとも自分に嘘を吐かないと思っていた。それなのに今は、ボロボロの自分を隠そうとしている。まるで羽を切り裂かれ今にも命尽きそうな蝶のように、弱々しく布団に座る姿はある意味で少女としての彼女、ありのままの霊夢なのかもしれない。
いや……考えてみれば無理もない、か。親友の魔理沙と本気で戦った挙句、魔理沙を止めることも、博麗の巫女として使命を全うすることも出来なかったのだから、辛いに決まっている。きっと身体以上に心への傷が深いのだろう。
「………………」
思わず布団の端を握り締める。俺は怒りを覚えていた。
魔理沙、お前は、本当に、何をしようとしているんだ。親友を、霊夢をこんな姿にしてまで何を望んでいるんだ。もしただの冗談だなんて言ったら……ぶん殴ってでも謝らせてやる。
「……北斗?」
と、つい考え過ぎて怖い顔をしてしまっていたようだ。気付けばこいしが揺れる瞳で俺を見つめていた。胸元の第三の瞳は閉じているが、彼女は心の揺れ動きに誰より聡い。それ故に自分が傷ついてしまうんだが……
もしかしたら……いや、きっと俺がやろうとしていることを気付いているのかもしれない。
「……しょうがないか」
俺は息を一つ吐いてから、こっそりとこいしを手招きする。するとこいしは小首を傾げながらも、自然な動きで俺との距離を縮め、顔を近付けてきた。その小さな耳に、俺はみんなに聞こえないように蚊の鳴くような声で囁く。
「今夜、夜にまた来てくれないか?」
俺がそういうと、こいしは何も言わずに身体を硬直させる。緊張が伝わったのかもしれない。どうしてか耳を真っ赤にして俯くが……ややしてから微かに頷いた。
「う、うん……いいよ。北斗なら」
こいしは俺と一切目を離さずに、部屋から飛び出していった。何か勘違いされてるような気がするけど、まあ、いいか。深く考えないことにして、俺は布団に身を預ける。
ふと俺は横になったまま咲夜さんの様子を伺う。いつも通りの凛とした表情に戻っていたが、その目の奥に何やら暗い光が灯っているように見えた。




