特別短編 ビターメモリーズ・白
この作品はホワイトデー特別短編で、『特別短編 ビターメモリーズ・黒』の後編になっています。
上記の話を読まない場合、わかりにくい点が多々でてくるのでご注意ください。
刺すような冷気もなりを潜め、程よい寒さが身体を引き締めてくれる。季節は冬と春に移り変わろうとしていた。造りも済ませた俺は朝から台所に入り浸っていた。湯煎で市販のチョコを溶かしていくと、カカオの匂いが辺りに充満した。
「はぁ……」
正直甘いものは好きじゃなかった。特にチョコレートは苦手だ。もらったら食べるが進んで買いしない、その程度には好き嫌いがあった。
ただどんな気持ちのものであれ、人に好意を向けられる嬉しいことだった。だから慣れない洋菓子作りだって頑張れる。むしろ楽しさすら覚えていた。
「北斗、何をしている?」
と、背後から落ち着き払った声とあからさまな殺気が飛んでくる。咄嗟に身を屈めるとつむじを掠めるように手刀が通り過ぎていく。振り向き際に裏拳を振るおうとするが、それは二の腕と肩を抑えられてしまう。初撃は躱せたが返しの一撃は完璧に防がれてしまった。俺は溜息を吐いて、身体の力を抜く。
「……はぁ、いいよ。どうせ何も言われなくても俺がやろうとしてたし」
首を捻り、恨めしさを込めた視線を向けるとそこには仏頂面した爺ちゃん……祖父の柳がいた。着流しに羽織を身に纏った浪人のような出で立ちだ。山奥で浮世離れして生活しているだけあって、格好も時代に流されていない。爺ちゃんは両手を下ろし、首を軽く鳴らした。
「不意打ちへの反応は悪くなくなったな。ただやっぱりお前は優し過ぎる。冷凍庫に鱒が入ってるから使え」
「はいよ……」
俺は爺ちゃんのアドバイスにヒラヒラと手を振って返す。どちらかが先に一撃与えた方が、晩飯を作る。これがこの家のルールだった。不意打ち騙し討ちOK、将棋囲碁テレビゲームでの勝負で決めるのも可。
まあ、言ってしまえばただのスキンシップだ。おかげで随分護身術が身に付いたし、料理も上手くなったが……
「で、何してる?」
「見たらわかるだろ? チョコ作ってる。バレンタインデーのお返し」
「そうか」
爺ちゃんは素っ気ない言葉を返すと、そそくさと居間に戻っていってしまった。あれでも本人はかなり喋った方なのだろう、その背は心なしか弾んでいた。
爺ちゃんは口下手な人間だった。冗談や笑い話はもってのほか、説明すらも最低限しか喋らない節があるので……きっと色んな人に誤解を受けてきたのだろう。その結果、こんな山奥で暮らすことになってしまった。
何でもできる器用な人だが……生き方だけは不器用だった。
「あんまり、俺が言えた口じゃないか」
あまり爺ちゃんを待たせる訳にもいかない。さっさと作ってしまおう。溶けたチョコをダマにならないようヘラで軽く混ぜていると……ふと今まで何で気付かなかったのか不思議なくらいの疑問が湧いた。
「……俺、誰にチョコを貰ったんだっけ?」
確かに誰かに貰ったはずなのに……その相手が思い出せない。ただクラスの中でも孤立していた俺が、誰から貰えるなんてことある訳がないんだが……
我ながら怖くなるな。脳に何かしら障害があるんじゃないかと自分の身体を疑ってしまうほどだ。
わからない。わからないが……不思議とやめようという気にはならなかった。応えないといけない。伝えないといけない。ただ誰かに背中を押されているような感覚に従って、慣れない洋菓子作りを続けていた。
結局その夜には不出来なチョコレートが完成していた。それをどうしたかは……覚えていない。覚えていないってことは、きっと誰の手にも届かなかったんだと思う。
「はい、火依。この前のお返し」
三月十四日の昼前。居間の炬燵に座り蜜柑を剥く火依の前に、リボンでラッピングされた包みを置く。中身は外の世界で有名になっているマンゴープリンだ。ホワイトデーを見越して藍さんに頼んで仕入れてもらっていた。藍さんいつもありがとうございます……後でお酒を送りますね。
プレゼントを貰った火依は蜜柑を手放し、大事そうに両手で握りしめる。そして藍色の羽をパタパタと動かしながら俺を見上げた。
「ん……ありがとう。霊夢には?」
「上げたよ。夕飯前に残しとくって」
「……もしかして、私と同じやつ?」
「いや……できるだけ一人ずつ考えて取り寄せたつもりだけど」
まあ、わざわざ咲夜さんに習ってまで手作りのチョコをくれた霊夢や火依に、出来合いのものを渡すのは心苦しかったが……不味いチョコよりはいいだろう。
だが火依は俺の答えに、なぜか首を捻ってから……溜息を吐いた。
「……次からは君の為だけに取り寄せたよ、って言うように。あと、霊夢にフォローも入れること!」
「は、はい」
ダメ出しされてしまった。確かにちょっと無神経な言い草だったかも。以後気をつけよう。
ありがたいことにいろんな人からバレンタインプレゼントを貰った。それもこれも文が幻想郷中にバレンタインを知らしめたせいなのだが……まあ、外の世界では疎遠だった行事をようやく楽しめた点は嬉しかったと言えるだろう。
「……外の世界」
「ん? 何か言った?」
「いや、何でもない……」
俺は首を横に振って誤魔化すと、クーラーボックスを肩に掛けて持ち上げる。中にはこの日のために用意した洋菓子類が、ドライアイスと共に入っていた。菓子を作るどころか、用意すら他人任せになってしまったんだ、せめて手渡しをしながらお礼を言いたいからな……
さて、ドライアイスの保つ時間を考慮したらもうすぐ出ないといけない。
「それじゃあみんなにも配ってくるから。昼飯は霊夢と済ませてくれ」
「カップラーメンは!?」
「……今日ぐらい、いいよ」
「やった!」
……ホワイトデーよりカップ麺の方が喜ばれている気がするが、気にしたら心がささくれるので考えないでおこう。
俺は一度中身を確認してから、博麗神社を飛び立つ。どこから行こうかなんて、特に考えていなかったが……最後に行く場所だけは、決まっていた。
「確かに送り届けました。それでは、これで」
「あっ、ちょっと待ってください!」
妖怪の山の上空。俺はさっさと帰ろうとする椛さんを慌てて呼び止める。幻想郷に来て幾分と時間が経ったが、相変わらず守矢神社に行くには椛さんの案内が必要だった。
椛さんは耳をピクピクと動かしながら不機嫌そうに振り向く。相変わらず俺のことをよく思ってないようだ……無理もないが。
俺はクーラーボックスから残り三つになった洋菓子の包みを一つ手に取り、椛さんに投げ渡す。すると椛さんは一瞬だけ面食らうが……見事に片手でキャッチした。
「……なんですかこれ?」
「いつもお世話になってるお礼です。四人分あるから文辺りと分けてください」
「適当ですね……あの黒いやつなら私は無理ですよ? 香りがキツすぎる」
「ただの砂糖菓子ですよ。つまらないものなんで変に勘繰らないで受け取ってくださいよ」
そう言うと椛さんはフン、と鼻を鳴らして俺に背を向ける。そして、右手と白いモフモフな尻尾を振ってから飛んで行ってしまう。あれが彼女なりの感謝の気持ちなのだろう。
「さて……」
俺は息を一つ吐いてから、ゆっくりと境内に降りていく。天中も過ぎて日差しが一番強い時間帯ではあったが、山頂に吹く風が身体を冷やしてくる。が、寒さとは別の震えが身体を襲っていた。
「はぁ、なんでこんな緊張するんだろう……」
俺は独り言を呟きながら、眼下に広がる境内の様子を伺う。が、誰もいない。勝手にウロチョロするわけにもいかないし……仕方がない、ちょっと恥ずかしいが叫んで呼ぶしかないだろう。
そう考えている合間に、神社から緑の髪の少女が飛び出てくる。いつも通りの巫女服を着た、高校時代の後輩……東風谷早苗だ。
「はぁ、はぁ……センパイ! よくいらっしゃいました!」
早苗は俺を見つけるやいなら、兎のように飛び跳ねながら手を振ってくる。その頬は僅かに上気していた。もしかしてを俺に気付いて走ってきたのか?よっぽどホワイトデーを楽しみにしていたのかもしれない。
「こんにちわ早苗。今日はその……」
「ホワイトデーですね! お返しですか!?」
「あぁ、そうだけど……」
足が地についた途端、早苗がググイと顔を近づけてくる。普段から距離感が近い早苗だが今日はいつにも増して近い気がする。まあ、早苗がくれたチョコは随分気合いが籠ったものだったし、それに比例してお返しに期待してるのだろう。
「えっと……はいこれ。出来合いで悪いんだけど……前に早苗が食べたがってたマカロンの詰め合わせ」
「ありがとうございます! おぼえていてくれたんですね!?」
早苗は嬉々として包みを受け取ると、幸せそうにそれを抱きしめた。俺はそれを眺めながらクーラーボックスの底に残った包みを取り出そうとする……が、指先が包装紙に触れた瞬間、微かな迷いが生まれてくる。
「センパイ? どうしたんですか突然黙り込んで。なんだか顔が強張ってますよ?」
「あ、いや……」
早苗に上目遣いで顔を覗き込まれ、慌てて言葉を濁す。最後に残ったチョコレート、これは早苗のために用意したものだった。
幻想郷で早苗に再会するまで……早苗のことを忘れていた。正確には神奈子様達の力で封印されていた、というのが正しいのだが……まあ、過ぎたことだし、早苗や神奈子様達にも事情があるだろうから深くは追求しない。
ただ封印がまだ作用しているのか、はたまた単に記憶が欠除しているのかはわからないが……未だに早苗との思い出には欠落があった。
バレンタインに早苗からチョコを貰ってから、ずっと考えていた。あの、誰に貰ったかわからないチョコレートは……早苗がくれたものなんじゃないかと。
「早苗……」
「……せ、センパイ?」
もしそうなら俺は……早苗に、伝えたいことがあった。応えたい、返したい想いがあった。あの時俺が受け取ったチョコレートが、早苗のものだったという確証なんてない。けど俺は……クーラーボックスから飾り気のない紙袋を取り出し、妙に緊張している早苗に突き付けた。
「えっ……センパイ、これって……」
「いや、その……なんていうか、今更だけどずっと前に貰った分を返そうと思って……」
「……ッ!」
俺が頭を書きながら呟くと、早苗が息が詰まったように身体を硬ばらせる。そして、そのまま俯いてしまった。
……まさか、見当違いだったのだろうか?そんな予感がして、血の気が引いていく。どう言い訳しようか考えようとしたその時、腕の中に早苗が飛び込んでくる。あまりに唐突だったので、クーラーボックスを落としてしまう。
「さ、早苗? その……さっきのは……」
「約束、覚えてくれてたんですね」
「……約束?」
「いいえ、何でもないです」
早苗は俺の問いに抱きついたまま首を振った。外套越しからでも伝わる柔らかな感触と、燃えるような感情の熱。そっと抱き返してやると……くぐもった泣き声が耳に届く。
さっきの問い、きっと早苗は気遣ってくれたんだろう。俺がまだ思い出せていないことに気付いて、誤魔化してくれた。
酷い先輩だよな……後輩を泣かせでばかりでこんな時に気の利いた一言も言えない。そして……約束一つ思い出せないなんて、な。俺はせめてもの償いの気持ちで、早苗の頭をそっと撫でてやった。
しばらく早苗の背中を撫でてやっていると、微かに溜息を吐いてから俺から離れる。そして両手に洋菓子の袋を握りしめたまま後ろで手を組むと、泣き腫らした顔でニッコリと笑った。
「やっぱりセンパイはセンパイですね! 私なんかじゃ予測できません」
「……悪い」
「そう思うんなら早く思い出してください。来年また貰ってあげますから」
甘いなぁ……こんな先輩にまだチャンスをくれるなんてな。そうだな、伝えたいことはまだ口に出せていない。だが、それを伝えるなら……早苗とした約束を思い出してからじゃないと筋が通らないだろう。
「あぁ、来年また……」
その時までに洋菓子の作り方を勉強しておこう。あんな不出来なチョコレートじゃあ、期待して待ってくれている後輩にもう訳がつかないからな。




