73.0 里の守護者と緋想の剣
「北斗……どうするの?」
博麗神社の上空、そこから見える景色に火依が不安そうな目で尋ねてくる。当然だ、巨大で奇怪な姿のキメラが幻想郷中に蔓延っている光景は、薄ら寒い恐怖を覚えずにいられなかった。
どうする……?俺は火依に尋ねられた問いを自分自身からも投げかける。
……いや、迷うことなんてないじゃないか。このままジッと見ているなんてことできる訳がない。
「出来れば霊夢を探したいが……」
俺はさらに上空高く飛び上がって、キメラの動向を伺う。ここから見えるだけで人里には三体、紅魔館には二体、妖怪の山の方にも複数体向かっている。
紅魔館に関しては心配いらないだろう。あそこには実力者が揃っている。山の方へ向かっているキメラが多いのは気になるが……あそこも天狗達や早苗達がいる。しばらくは大丈夫だろう。
となると……俺は後ろに付いて来ていた火依へ振り向く。
「火依、人里へ行くぞ。守りも手薄いだろうし、死者が出る可能性だってある」
「う、うん……」
「……怖いなら刀の中に隠れてていいから」
「ううん……大丈夫、だよ。北斗にだけ任せたくないもの」
火依は俯いているが、表情からは強い意思が感じられる。思わずその頭を撫でた。柔らかな髪の感触に、俺の中の凝り固まっていた緊張も解けていく。本当に優しいな、火依は……彼女の為にも頑張らないといけないな。
「わかった、けど無理はしなくていいからな」
「うん」
俺と火依は互いに頷き合ってから、人里へ向かって全速力で飛んだ。
人里の入口布巾では既にキメラ達が戦闘を始めていた。何とかキメラを止めようと小柄な女性……慧音さんが弾幕を放っている。しかし、犬と爬虫類の首を一つずつ持つ四足歩行型と、翼と前足の生えた蛇型のキメラは弾幕を受けながらもなお里へ向かっていた。
そしてもう一体は魚に翼と足が生えたのが上空で、誰かとドックファイトを展開している。キメラの相手をしているのは……妹紅さんだ。
「くっ……人里には近付けさせないぞ!『大火「江戸のフラワー」』!」
「慧音、無茶するな!『藤原「滅罪寺院傷」』!」
空中でキメラと戦う妹紅さんが、里の入口で仁王立ちする慧音さんに向けて叫ぶ。妹紅さんは空中のキメラを抑えるのに必死で、慧音さんの方を援護できる余裕がないようだ。それなら……
「火依は妹紅さんを手伝ってくれ!」
「うん!」
俺は火依に指示してから、前方への移動ベクトルだけ働かせ、重力による急降下を利用して蛇のキメラに迫る。
まるでジェットコースターの最初の落下のように景色が流れる中、俺はスペルカードを振るう。
「『剣偽「紫桜閃々」』!」
放物線を描くような軌道から宙を蹴ってさらに加速し、すれ違いざまに刀を振り下ろす。
つんざく様な声で、キメラが喚く。翼の片割れを根本から断ち切られ、悶えている。
俺は地面に衝突しないように転がって、勢いを殺す。身体中に小石が刺さって痛いが、地面に衝突するより遥かにマシだ。
立ち上がって土埃を払っていると、慧音さんが駆け寄って来る。
「北斗!来てくれたか!」
「ええ、霊夢の代わりとしては足りないかもしれませんが……来ますよ!」
俺が叫ぶと同時に怒り狂った蛇型キメラが前足を叩き下ろしてくる。俺は指で五芒星を描き、中心にスペルカードを突きつける。
「『秘法口伝「五芒星結界」』!」
宣言を待たずに巨大な魔法陣が浮かび上がり、キメラの重量を受け止める。虚空に固定された結界と前足の蹄の衝突による激しい閃光が白昼を照らす。
だが、その光の奥からもう一体のキメラが突進してくるのが見えた。流石に二体の質量を押し留められない。咄嗟に背後に向けて声を振り絞る。
「慧音さん下がって!」
「あ、ああ!」
慧音さんがすぐさま距離を取ったのを見計らって結界を斜めにずらし、蹄をいなす。すると踏み外したキメラの前足がすぐそばでたたらを踏んだ。
地響きと砂埃が身体を叩くが、それに逆らう様に前へと飛ぶ。砂煙の晴れた先には双頭のキメラの牙が、迫ってきていた。
「近ッ!?」
思わず変な声を上げてしまう。だが、止まればそれこそ丸呑みにされる。俺は飛行速度を上げて噛み付こうとする二つの首の、その間の付け根に潜り込む。背後でキメラの頭同士がぶつかる。まるでカートゥーンアニメのようだ。まったく笑えないが!
飛行した勢いそのままに封魂刀を逆手持ちして、切っ先を首の付け根に突き立てる。刃は通るが分厚い筋肉に阻まれて深手にならない。
「かっ……たいッ!」
やはり妖怪と同じように物理的な攻撃には強いようだ。致命傷に至っていない。
もう一度否定結界を使うしかないか?だが俺の霊力では精々後二回ほどしか使えない。俺は振り払おうと暴れるキメラに刀を差したまま、安全地帯にしがみついて考える。ついでにお札を直接貼り付けダメージを与えておくことも忘れない。
「やっぱり、実力を測るには実戦を見るのが一番ね」
そんな時、聞いたことのある声と共に猛り狂い吠えていた双頭の片割れが突然静かになる。俺は刀を掴んだまま振り向いてみると、俺から見て左片側の頭の上に少女が青い髪を靡かせながら佇んでいた。
「見てられなくて来てやったわよ。有難く思いなさい」
「天子……!」
天子はまるで演舞の様に華麗な仕草でキメラの頭から剣を引き抜き、足元に向けて一閃する。するとキメラの左側の首が力なく項垂れた。
その首の重さに耐えきれなくなったのか、キメラの身体が斜めに崩れ始める。俺は急ぎ刀を引き抜き、急ぎキメラから離れる。
逃げるや否や、まるで怪獣映画のラストシーンのように双頭のキメラが倒れた。
無傷な方の首も白目を向いて泡を吐いている。どちらかが生きていればいい、というわけではなかったようだ。それにしても……
「強い……」
まったく深手を与えられなかったキメラを数回の斬撃だけで倒すだなんて……天子の実力か、それともあの剣に秘密があるのだろうか?まあ、真相は置いておくとして……
「助かったよ、天子」
俺は天子の隣まで飛んでいき、礼を言う。すると天子は長い髪を払って、鼻を鳴らしながらソッポを向く。
「退屈しのぎで来ただけよ……少し的外れだったけど」
そう言いながら天子は一枚のスペカを空に向かって突き上げる。瞬間、上空に巨大なしめ縄付きの岩が出現する。
「『要石「天地開闢プレス」』!」
スペルの発動と同時に指を真下に振り下ろす。すると要石は超高速で落下し、蛇型のキメラを押し潰した。
「まだまだ、『未来「高天原」』!」
そこに更に慧音さんの弾幕が追い打ちを掛ける。無数の攻撃を受けた蛇型は岩の下で動かなくなったのを見て、俺は刀をしまいながら安堵の息を吐いた。
「……ここは一段落着いたな」
「まったく、一瞬で終わってしまうだなんて……ああ、つまらない!」
対して天子はまるで遊んでもらえない子供のような愚痴をもらしている。それを半ば聞き流しながら、俺はゆっくりと地面に降り立つ。
ちょうど上空の妹紅さん、火依の二人も空のキメラを倒したようで、此方に向かって降りてきていた。俺が封魂刀の血を払っていると、慧音さんが歩いてくる。
「ありがとう。北斗に……天子、だったか?おかげで助かったよ」
「いえ、里に被害が出なくてよかったですよ」
「私は北斗の戦い目当てで来たから、里を助けたのはついでよ。恩を感じるのは自由だけどね!」
慧音さんの謝礼の言葉に、天子が満足げに胸を張っている。態度は大きいがそれに見合う活躍をしているから、何も言えない。天子が来てくれなければ、拙かったかもしれない。そんな戦いだった。俺からも改めて礼をしたいところだったが……
「天子、助けてもらったところを悪いんだけど、もう一つ頼まれてくれないか?」
「頼む?私に……?」
天子が眉をひそませながら顔を覗き込んでくる。整った綺麗な顔が近づいて来て、思わず身体を仰け反らせてしまう。
はっきり言ってしまえば天子は我儘な性格だ。そんな彼女を説得できるか不安だが……
「俺はこれから妖怪の山へ向かおうと思う。天狗達がいるし大丈夫だと思うんだが……心配だから様子を見に行こうと思ってる」
「妖怪の山へ……?」
慧音先生も一歩引いた場所で不審げな声を上げる。人里の人からしたら、不自然な行動かもしれないが……あそこのキメラの量は他より多かった。
天狗達に加えて、早苗や神奈子様、諏訪子様もいて万が一のことはないだろうが……それでも気になって仕方がない。せめて状況の確認だけでもしておきたかった。
「ふうん……それに付いて来てほしいと?いいわよ、暇だから」
「いや……天子は引き続き人里を守ってもらいたいんだ」
俺の言葉に天子は口をへの字にする。不機嫌が目に見て分かる仕草に思わず吹き出しそうになってしまう。そんな俺の表情を読み取られたのか、天子はますます顔を歪めた。
「イヤよ。ここで来るかどうかも分からない敵を待つなんて、退屈じゃない」
「……なら、以前天魔さんが言った通り付きっきりで、というわけにはいかないけど、地上を散策するときは俺をお供に使ってくれ。それで手を打ってくれないか?」
「そうきたか……中々したたかね」
天子は口の端を吊り上げてさらに顔を近づけてくる。だから近いって……!
下手に出たのが功を奏したのかどうか知らないが、しばらくして天子は自分の腰に手を当て緋色の剣を肩に担いで笑った。
「いいわ、北斗の要求を受け入れてあげる。このまま天界に帰る方がつまらないもの」
「ありがとう」
俺は頭を下げる。そしてすぐさま戻ってきた火依に目配せして、妖怪の山へ飛ぶ。
「あ、ちょっと!」
背後で天子が呼ぶ声がしたような気がするが、止まって話を聞く時間が惜しい。聞こえなかったことにしてそのまま全速力で飛翔した。




