58.0 胎児の夢と日の当たる場所
「霊夢……それにチルノ、早苗!無事だったのか!」
俺は目の前に立つ霊夢、そして後ろのチルノと早苗をそれぞれ見遣る。いずれもボロボロといった有様だったが、大きな怪我はなさそうだ。よかった、安堵の思いが心を満たす。そんな俺の様子を見ていた霊夢はお祓い棒で肩を叩きながら溜息を吐く。
「無事じゃないわよ……早苗がパルスィのやつにいいように扱われたりして大変だったんだから」
「ちょ、霊夢さん!後で何でもお詫びする代わりにセンパイにだけは言わないって約束したじゃないですか!?」
霊夢の言葉に反応して早苗が大慌てで詰め寄ってくる。しかし霊夢はわざとらしくソッポを向きながら意地悪気な笑顔を浮かべていた。
「あれ、そんな約束したかしら?ま、別にいいじゃない。北斗もそんなことでいちいち嫌いにはならないでしょ?」
「え、うん……まぁ、事情は呑み込めないけど……とりあえずみんな大事がなくてよかったよ」
まあ、そこら辺の話は後で聞くとしよう。俺は咳払い一つ、気を取り直して怨霊の中に囚われたままのこいしを見据える。これだけ激しい戦闘をしているのに、まったく反応がみられない。ただ静かに生まれるのを待つ胎児のように身体を丸めているだけだ。
「……厄介なことになっているわね」
「あぁ……」
先程とは打って変わって真剣な霊夢の言葉に俺は頷く。怨霊群の動きを止めていた氷も徐々に解け始めている。幾許もなく動き始めるだろう。
だが、弾き飛ばされたフランちゃん達も大きなダメージもなく戦線に戻ってきた。俺と、ここまで付いて来てくれた六人、そしてさとりさん達三人の計十人が揃った。俺はみんなの方を向いて頭を下げる。
「俺があそこまで行きます。だから……全員で道を作ってください」
「……何か策でもあるのか?」
妹紅さんが冷静に聞いてくる。策、というほどのものではない。だが俺の持てる力をすべて出せば……なんかやれるという、根拠の薄い自信だけがあった。それに無言で頷きを返す。するとみんなは俺をジッと見つめて……
「不安ね」
「不安だな」
「ホクト、無理しないで……」
「死んじゃ嫌……」
「センパイじゃない方が色々いいんじゃ……」
「サイキョーのアタイの方が変わろうか?」
と、矢継ぎ早に言われてしまう。思わずがっくりと肩を落としてしまう。
「なんでこんなに信用ないんだ……」
そこまで言われるとさすがにショックだ……半ば本気で凹んでいると、霊夢に肩を思いっきり叩かれる。
「ま、不安だから本気で手伝ってあげるわ。ここまで来て何もしないってのも癪だし」
「霊夢……」
周りを見回すと、再度みんなが心強い笑みを浮かべてくれる。こんな状況なのに誰も彼も余裕綽々だ。まったく頼もしかった。
ちょっと忘れかけていたかもしれない。俺の力はどれも決して自分一人だけでは成り立たないものだ。まるでそのことをみんなが再認識させてくれたような気がした。
「……よろしく頼むよ」
俺はそう呟いてゆっくり前に向かって進んでいき、怨霊の攻撃範囲ギリギリまで近付いていく。並ぶようにさとりさんが飛んできて、俺の顔を覗き込んでくる。何かと思って顔を見返していると……何故か逆に顔を逸らされてしまう。そして取ってつけたように、俺に囁く。
「……こいしをお願いします」
「……?ええ、任せてください」
俺は首を傾げながらも頷きを返す。何とも釈然としない返しだけど……まあ、いいか。不思議なやり取りの合間に、怨霊群が氷を砕き始める。もうのんびり話している時間はないみたいだ。
「……行くぞ!」
俺は掛け声をあげてこいしに向かって駆ける。右手にはスペカ、左手にはお札を持って全速力で飛ぶ。思考はシンプルに、とにかくこいしの元へ辿り着くことだけに集中する。
それを待っていたように割れた氷の隙間から怨霊の触手が伸びてくる。迎撃しようとお札を構えようとするが……
「させません!」
「ってね!」
しかし、それより早く俺の背後から飛来した弾幕がそれらを消し飛ばした。振り返らなくてもわかる。みんなの弾幕だ。色形は様々だが、それらが俺の道を作ろうとしているのだと思ったら、胸が熱くなってくる。
怨霊は怒り狂ったように身体を分裂させて、そこからさらに弾幕を放ってくる。異形な姿とは不釣り合いのハート型の弾幕だ。まるで今まで溜めこんだ感情を吐き出しているかのような苛烈な火力に、俺はつい怯んで移動を止めてしまう。そんな立ち往生しかける俺を早苗とお燐が追い越して、怨霊群の前に仁王立ちする。
「『秘術「一子相伝の弾幕」』!」
「『呪精「ゾンビフェアリー」』!」
お燐の呼び出した顔色の悪い妖精が盾になる様に弾幕を喰らっては復活を繰り返してく。さらに取りこぼした弾幕も早苗の五芒星の光が防いでくれる。二人が同時に振り向き急かすように叫ぶ。
「センパイ、先に!」
「急ぎな!」
俺は無言で頷き返す。二人に応えるためにももっと速く飛ぶ……そのためにもスペカを掲げ、発動させる。
「『鬼化「スカーレット・ブラッド」』!」
俺は二人が攻撃を防いでくれている間に弾幕の薄い箇所を見つけ出し、吸血鬼の身体能力で瞬く間に通り抜けていく。しかし、それを見透かしていたように通り抜けた怨霊は俺の背後から新たな弾幕を放ってくる。
「なっ……これは……」
今まで放たれたハート形の弾幕を吸い込もうとするように弾幕が戻ってくる。ちょうど追い抜いた形だったため、目の前から躱しきれないほどの弾幕が迫ってきていた。これを凌ぐには一旦下がるか、それとも被弾覚悟の特攻をするかしかない。結局はタイムロスになりかねない……
「行くぞー!『氷符「アルティメットブリザード」』!」
選択を悩んでいる間に上の方からチルノの氷弾が飛び交い、ハート形の弾幕を凍らせていく。そして、俺のすぐ脇を物凄い熱量を持った巨大な高速弾が飛んでいく。
「うにゅー!『核熱「核反応制御不能ダイブ」』!」
いや、弾じゃない……これは翼を畳み亜音速で移動するお空本人だった。お空は自らを弾幕そのものにして、凍ったハート弾を薙ぎ払っていく。俺は本能のまま縦横無尽に動き回るお空にぶつからないよう気を付けながら、散っていく氷片の中を一気に飛び抜ける。
あの二人……能力的には正反対なのに妙に息が合ってるな。何かに似通ったところがあるのだろうか?そんな他愛もないことを一瞬考えてしまったためか、下から振り上げられる巨大な触手に気付けなかった。
「北斗、危ない!」
刀の中の火依に言われ、ようやく気付いた俺は身を捻じってそれを躱そうとするが……間に合わない!叩き飛ばされるの覚悟したその時。
「火依!『「フェニックス再誕」』!」
背後から妹紅さんのフェニックス型の炎弾が、俺目掛けて飛んでくる。一瞬面喰ってしまうが、避けようとする前に火依が刀から飛び出てくる。そして俺の目の前に躍り出て炎弾へと手を伸ばした。
「『盗火「プロメテウス・メテオ」』!」
火依はフェニックス弾をみるみる吸収し、手の中にさらに巨大な火球を作り出す。そして真下に迫る触手に思いっきり叩きつけた。
マグマより熱い風が頬を焼く。気弱な性格の火依が攻撃したとは思えない攻撃だ。妹紅さんの火力をさらに増幅しているのか。もう火依を弱い妖怪だなんて俺の口から言えないな。
「北斗!」
「行ってこい!お前の望むままに!」
妹紅さんと火依の声に背を押され、さらに前へ駆けていく。いくつもの弾幕を潜り抜け、ついにこいしを目前に捉えた。しかし、怨霊群はそれを察したようでこいしの身体をズブズブと塊の中へ引き摺り込んでいく。奪われないように守るつもりかよ!?
「こいし!」
俺は思わず手を伸ばし叫ぶが、それを遮る様に怨霊群の表面の顔から算段のような弾幕が放たれる。至近距離からの眩い攻撃に俺は思わず目を瞑ってしまう。
「「『禁忌「フォーオブアカインド」』」」
その時、フランちゃんとさとりさんの声が同時に耳に届く。片目を開けると、そこには四人に分身したフランちゃんとさとりさんの姿があった。二人の分身が視界を埋める光景は悪霊群にも引けも取らないほど異様なものだが。
「お株を取って悪いですが」
「能力のコピーは私の専売特許です」
「ただの幻惑、猿まねですけどね」
「さあ、こいしを!」
さとりさんはわざわざ各々の口で矢継ぎ早に言う。流石にこれは影響の力でもマネできる気がしないなぁ……したらまた変な異変起こしそうだし。
「ホクトお願い!」
「絶対助けないと許さないんだから!」
「死なないで……」
「まぁ適当にねー」
対して本場フランちゃんの方は分身は性格すらバラバラらしい。というか喜怒哀楽に分かれてる……
それはともかく合計8人の弾幕攻撃は敵の攻撃を相殺しきり、こいしへと至る道を穿っていた。まさに数の暴力だ。
「ありがとう……必ず!」
俺は短く言葉を返してから、迷わずそこへ飛び込んでいく。その瞬間、脳内が揺れるような感覚が思考を掻き乱してくる。ウザったいが、構わず前へ飛ぶ。
こいしまでもうすぐそこだ。だが怨霊は急速に回復をし始め、その身で行く手を埋めていく。同時に俺を質量で圧殺しようと両脇の壁を狭めてくる。その瞬間頭の中で、何かが弾けるような音がする。
「邪魔だって……」
俺はお札を手放し、両腕を交差させる。そして左手にレーヴァテインを右手にグングニルを生み出し、狭まってくる左右の怨霊の塊を押え付けた。
熱量が、閃光が、迸る。紅いエネルギーの具現に焼かれ、つんざく様な怨霊の悲鳴が洞の中に木霊する。だが、加減なんてできないしするつもりもない。
「言ってんだろおおぉぉっっ!!」
怒りの感情のまま吸血鬼の力で無理やり両手を振り払った。まるで十字架を描くように紅の剣と槍で目の前を切り裂く。閃光が駆け抜け、穿ち抉り、焼き尽くす。その向こう……斬撃の交差地点から、僅かに、自分を抱えるこいしの細い指が露わになる。
俺は両手の武器を左右の怨霊の壁に乱暴に突き刺して、両手でその小さな手を取る。
「私は……ずっと一人……」
指と指が触れた瞬間、本当に小さな小さな、どうして聞き取れたかわからないほどのか細いこいしの声が耳に届く。それは望みの言葉か、それとも孤独に震える助けの声だったかはわからない。けれど……叶えたいと、思った。
「この手は絶対に離さない」
俺は右手でこいしの手を握りながらで、左手で最後のスペカを発動させる。その瞬間、俺とこいしを中心に水晶玉のような球体が七つ浮かび上がり、周囲を回り始める。
幻想が触れれば悉く存在を否定される結界。それに触れた怨霊は為すすべなく、跡形もなく消滅していく。
苦悶の声を聞くたびに罪悪感が胸を過るが……無視してこいしの手を引っ張る。ようやく沈んでいた水底から救い上げた俺は、こいしを離さないように胸に抱き留める。
「こいし……こいし!」
呼びかけても返事はない。やはり意識はなかったようだ。身体は酷く冷たい。ずっとこの怨霊の自我に晒されていたのだろう。小さな身体でずっと怨嗟に耐えてきたのだろう。そう思うと右手に力が籠ってしまう。
とにかく脱出を試みようとするが……こいしを助けても怨霊群の回復力は残っているようで、再びこいしを取り込もうと魔の手を伸ばしてきていた。
「くそ……!」
せめてこいしだけでも……なんて悪い癖の思考に至りかけた所に、背に誰かの体重が掛かる。とても軽い。ちゃんと食べさせてるはずなのに羽根のように軽い身体だ。だが何度も俺を助けてくれた、とても頼もしい背中だ。背中合わせの状態でにどちらとともなく右手を掲げる。
「消え失せなさい。怨霊は夢の中へ……」
「帰れ!」
「『「夢想天生」』」
「『「夢葬回帰」』」
俺と霊夢の周りを八つの陰陽弾と七つの結界が縦横無尽に駆け巡る。灼熱の紅蓮にも勝るとも劣らないその光は怨霊の塊を跡形残らず掻き消していく。めくるめく光の嵐の中、俺の耳にまた声が響く。
『ヒトリハ……イヤダ……ソレダ……ダッ……』
こいしの声じゃない。妙にエコーの掛かった声だが、徐々に掠れていく。俺はそれに一言だけ呟きを返す。
「……消えろ」
それが引き金になって、怒り悲しみ憎しみの混じった絶叫が轟く。そして世界は白に染まった。
腕の中には確かなぬくもりが伝わっている。今はまだ瞳を閉じているけれど、俺の手のぬくもりもきっと届いているはずだ。孤独は痛みも苦しみもない。けれど……とても寒い場所だ。痛いのは嫌だろう、苦しいのは沢山だろう。わかるよ。
けれど、それでも……みんなは日の当たる場所に、温かい所にいる。だから、こっちへ……




