ロンドンの霧
「そうですか......。あいつがここに来ていたんですか......」
義経に連れられ、ある住宅に連れてこられた。以前、ここに伯爵が現れ、ある一室を一年間借りたい、しかも、自らの名前ではなく、沖田の名前で契約し、彼にここを使わせるように言ったらしい。
「と言うわけで、沖田くんはあと3ヶ月は家賃いいから。僕から言えることはそれだけ。細かいことは大家本人から聞くといいよ」
「はあ。って、なんであと3ヶ月なんですか!? 手紙が来たのが2ヶ月前ですよ!」
「うん、手紙が来たのと支払いは関係ないから」
はあとため息ついたと思ったとたん、
「あー!! そうだ!そんなことよりですよ!」
自分で振っといて、『そんなことより』と言うのはどういうことなのだろうかと義経は思ったのだが、彼が聞きたいことについての検討はおおよそ付いていたため、指摘は口に出さずにいた。
「あいつ! 伯爵は一体何者なんですか! いきなり日本からイギリスに呼び出して、その本人は出てこない! 一体彼は何者なんですか!?」
「まあ、落ち着いて。紅茶でも淹れ直そうか?」
義経は沖田を落ち着かせるように温かい紅茶を淹れた。
「実際のところ、僕も詳しいことは分からないんだ。以前に彼がここに来る前から名だけは何度か聞いたことはあるが、噂だけが独り歩きするような人物だ」
沖田自身、伯爵のことをよく知っているわけではない。だが、まさか現地でも知る者は少なく、その存在自体があやふやだだということに頭を抱えた。
「ここでは『ホムンクルス』と呼ばれるような肉のついたからくり人形を作っているだとか、それほど高くない金属から金などの価値の高い金属に変えるだとか不可思議な実験をしているとか。今はこのロンドンのどこかに住んでいるらしい」
「どこかって! どこなんですか!?」
「分かっていたら苦労はしていないよ。僕だって彼に聞きたいことは山ほどあるからね」
すこし落ち込んだ顔を見せ、何か遠くを見つめているような表情を浮かべた。まるで歴戦の友を看取るかのような目を。が――。
「ただいま!今日の夕飯は―、って、その人は?」
扉を開けたのは20代半ばの女性。そのとたん、さっきまでの空気、義経の顔がどこかへ吹き飛んだ。
「おかえり。この人が前に話した人だよ。名は『沖田総司』、極東の国『日本』の出身だ」
「は、はじめまして。沖田総司と申します。しばらくお世話になり――」
「はじめましてー!私はここの大家のメアリー・ジェイン・ケリーです。じゃあ、今日は歓迎用の食事にするね」
勢いが強く、腰に差していた刀に思わず手を伸ばしてしまったが、なんとか押さえることが出来た。
「あ、それとあんまり夜にはうろうろしないようにね。なんかまだ殺人犯が逃走中らしいから」
「殺人犯......?」
義経は軽く返事をしたが、沖田は刀を力を込め握った。
(やっと、やっと本気で腕試しが出来る......)
(って、言っても、簡単に遭遇出来るものじゃないよなー)
深夜の街に沖田は来ていた。というのも、例の殺人犯と手合わせするためである。銃だろうが、剣だろうが関係ない。とにかく、永倉から選別に渡された刀、斉藤に不思議がられた身体能力の限界を知りたかった。
「あー!誰だ?さっきからチョロチョロ変な気配焚きあがって」
突如屋根上から降りてきた人影―。その姿は全身黒ずくめで黒いコートを着ており、顔は口元が微かに見える程度だった。しかし、沖田が手を刀を添えた瞬間発した言葉は沖田を動揺させた。
「なんだ、よく見れば沖田じゃねえか。かなり病弱だったからもう既に死んだものだと思っていたが、不思議なこともあるもんだな」
沖田の名を知っており、日本語を発している。しかも腰に挿されているものは日本刀。まさか同郷の者だとは思っておらず、即座に抜刀した刀の剣先が若干震えていた。
「そりゃ驚くよな? 名前も知らぬ相手から自分の名前を言われたら。俺の名前も明かしたいところだが、契約上簡単に足がつくようなマネは出来ないからな。明かしたいのなら、力尽くでもやることだな」
沖田はすぅと息を吸い、剣先の震えを止めた。
「ならば問う。先日起きた殺人事件の犯人は貴様か?」
少しの沈黙のあと、その男はフッと笑った。