船出
旅路、それは悪夢の序章
――1888年10月初旬、ロンドンは恐怖に包まれていた。
ここ一ヶ月、市内にて連続殺人が起こっていた。ロンドン警視庁の捜索を掻い潜り、現在も逃走中との発表がなされ、売春婦を中心に犯行が行われていたが、夜の街へ足を重くするには充分であった。
その日はいつにも増して濃い霧が街を覆っていた。舗装された道に颯爽と草履が擦れる音が響く。このような夜に出歩くのは犯人かロンドン警視庁、または別の理由でその犯人を追うもの。足音の主、沖田総司は3つ目のものである。
しばらく街を徘徊してると、女性の悲鳴が聞こえた。すぐさまその声の方向へ足を走らせ、霧の中で女性を襲おうとする男性の背中が見えた。すぐさま腰に挿した刀を抜き、前一文字の斬を浴びせた。状況が飲み込め無いながらも、礼を言う中、沖田は険しい表情を浮べた。
(こいつ......、ではないな)
その男が手に持っているのは舶刀と呼ばれる剣だった。確認せずして斬ったがため人違いであった。しかし直後トドメと言わんばかりに胸へ刀を刺し、血を払った。そして鞘に収めるなり、冷徹な目で女性を睨み、すぐさま霧の中へと消えていった。
(今度こそ、今度こそ俺の手で引導を渡してやる。それこそがお前への返答だ)
時は遡り同年9月横浜港。
そこにイギリス行きの商船があった。乗組員達が忙しく貨物を船へ運んでいるなか、立ち話をする三人の男の姿があった。
中年の男性が二人に、青年が一人。傍から見れば親子に見えなくもない。
「まさかとは思ったが、本当に倫敦に行くのか? あんな不敬な手紙を寄こした野郎に会いに行くために?」
斉藤一、かつて新撰組にて三番隊隊長として名を馳せ、現在は警視庁に勤めている。
「まあまあ、落ち着け。沖田にも何か考えがあって行くのだろう、そう言わさんな」
もう一方の中年男性の名は永倉新八、元新撰組二番隊隊長であり、現在は一線から退いたものの、剣の道、趣味の妖刀収集は続けているようだ。蝦夷地もとい北海道に住を置き、今回たまたまここへ来たのだと言う。
斉藤は眉間にしわを寄せ、怪訝な表情を浮かべ、もう一方はその苛立ちをなだめるよう、柔らかい口運びを見せる。
「ああ、その差出人にはそれだけの恩、義理がある。『来い』と言われれば向かうさ」
そして青年の名は沖田総司、元新撰組一番隊隊長、そして新撰組最強と名高い剣士である。一時は刀を取ることを諦めるほど病に侵されたが、奇跡の復活を遂げた。
「ほれ見ろ! 沖田! そいつに一体なんの義理があるのかは知らんが、お前は昔から義理深過ぎるところがあると散々言われていたであろうに!」
斉藤が怒るのも無理は無い。沖田には前科がある。
「己が病床に倒れている最中、近藤が窮地に立たされていることを知って、救出に向かおうとしたことや、山南の時もだ! お前のそういうところは度をわきまえるよう、何度も、口癖になるぐらいいっているわい!」
「斉藤の言い分もそうだが、沖田がそれ相応の義理を感じているなら、それでよいではないか。何かは存じないが、その不敬な手紙とやらについては、向こうで一発殴らせてもらってはどうだ?まあ、私としては餞別の品代わりのようなものも渡せたからな。運がよかった」
そういうと永倉は高らかに笑い声を上げた。
「それは助かるが、廃刀令があっただろうに。斉藤も俺も刀は没収されたぞ。なんであんなものがあって、持ってこれたんだよ?」
「ん?ああ、買収した。それだけの話だ。だが、かつての盟友の旅立ちに送るなら一本や二本、譲ってやるさ。お守り程度に持っておけ」
かつてこれまでに物騒なお守りがあっただろうかと内心そう思いつつも、既にそのお守りとやらは船内の貨物に潜ませている。
「それにしても、お前は本当に奇妙だな。お前たちには久々に会うわけだが、斉藤は年相応に老けているが沖田、お前はまるで時が止まっているようにまるで変わっていない。うちの息子と大差ないよう見える」
永倉が指摘したように、永倉や斉藤は髭や顔の皮のたるみなど所々老いた部分が見受けられるが、沖田にはそれが一切無い。二人とのほとんど年齢に差が無い故に目立つものがある。
「永倉は久々に会ったからそれだけで済むかもしれんが、こいつは他にも妙なところがある。本来なら全治数ヶ月をおってもおかしくないような怪我をしても、数日後には完治していたり、最近は手合をする際、剣筋が異様に早い、重さが段違いになっているようにも感じる」
「単純に腕が鈍っているのだろうよ」
「そういうな。仮にそうだとしても『面子』というものがあろう。簡単に『腕が上がった』と言えばいいものを、それほど遠まわしに言う必要はなかろに」
「断じてそのようなものではない。あれは異常だ」
場の空気が少し重たく、静まったところへ、沖田のもとへ乗船するよう乗組員が促しをかけた。
「すまんな。これから船が出るとのことだ。しばしの別れになるよう、願ってくれ」
「ああ、俺らも早々にくたばらねえようにはする。そっちもヘマして死んだりするなよ」
沖田は出港した船の手すりにもたれ、水平線を眺めていると後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。
「ははっ! てっきりくたばったもんだと聞いていたもんだが、生きていたんだな。驚いた驚いた!」
「何を言うか。こっちのほうが驚いたに決まっている。俺自身が手を下し、完全に息の根を止めたもんだとばかり思っていたからな。お前に俺を斬る道理はあるが、今は勘弁してくれ」
声の主はかつての敵、坂本竜馬であった。20年経った現在でも坂本竜馬を暗殺した人物については議論がなされているが、その真相は沖田率いる新撰組の手の者による襲撃であった。
「安心しろ、こっちにはその気はねぇよ。商船の管理とともに今回はお前の送迎も含まれている。それに私情含めても斬ったりはしねぇよ。長い間、海や色んな街を見てきたら、そんな感情も消えていったさ」
安堵した表情を浮かべ、再び水平線へと目を移した。
「そうか......。それにしても不思議な感覚だな。かつて殺していたと思っていた敵と同じ船に乗り、あろう事かその敵が志していた異国へ行こう日が来るとは思ってもみなかった」
「ああ、まさか殺そうとした相手と同じ船に乗るとは俺だって思っても見なかったさ。さて、水に流したことだし、酒でも飲むか」
「そうだな。肴にお前の口から土佐弁が完全に消えた理由や今まで見てきた街の話をしてもらおうか?」
「それはいいが、二日で全ては無理だから、そこは勘弁してくれよ」
先ほどまで笑い飛ばしていた沖田の顔から、一気に血の気が引いたような表情が顕になった。
「ふつか......? いや、早過ぎないか?日本の端から端までの距離と比べても比にならないくらい距離があるだろ! それを二日って......」
「そこは気にするな。なんせ雇い主はあの伯爵だってこと忘れるな。あいつは何を考えているかわからん上に何をしていてもおかしくは無い」
伯爵、その正体について一体誰が知ろうものか?沖田はそんな考えを抱いたが、今はただ、ロンドンまでの時間を潰すことを考えてるようにしていた。
その答えは出ないのだから。




