第七話:司祭と生徒会室
男子トイレの扉を開けて立っていたのは実に有名な人物であった。有名といっても、全国的に有名というわけではない。
彼女が有名なのはあくまで、この学園の生徒会長だからだ。学園の外で有名と言うわけではないので、学校関係者以外が知っていたとしたら日本全国学園生徒会長辞典を所持しているだろう。
毎年出続けている為、メジャーかと言われれば違う。一冊しか存在していないとても貴重な代物なのだ。
「それで、ここで何をしているの」
「ええと……」
端的に言うのなら、男子トイレで女子生徒を縛りあげた。誰が見ても、どう考えても冬治に非があるようにしか思えない。
事実を話し、信じてもらえるかどうか全く自信が無い。他人からそう言われても、適当な嘘、こいてんじゃないよっ。そういって怒鳴りつけただろう。
冬治はおとなしく罰を選ぶことにした。
これが刑死者の効果なのだろうかとため息をつく。
覚悟を決めた冬治の事を無視して、生徒会長は縛られた女子生徒の方を見ていた。
「早苗、何も男子トイレに入ることは無いでしょう」
きつい言葉か飛んでくる。冬治の予想は外れ、生徒会長の視線自体も奥に居る刑死者のカードを持つ生徒へ向けられたままだ。
「あ、あのぅ」
「ああ、ごめんなさい。別に、無視をしたわけではないから。早苗が変なことを頼んだのでしょう? 彼女、ちょっと変なところがありますからね」
敬語が混ざった少し変わった口調だった。ただ、そんな事よりも言いたいことは他にある。
ちょっと? いいや、かなり変でしょうという言葉を飲み込んで冬治は曖昧に微笑む。とりあえず、罰を受けることはなさそうだ。
怠惰に過ごす日常に、ここまで安堵することはそうはない。
「じゃあ、よろしくお願いしますね」
「え?」
安堵から呆けていた冬治に生徒会長は何かを言ったらしい。聞き直そうとしたところで声をかけられる。
「やめたほうがいいよ。あの子、話を聞いていないとなるとけっこう厳しいから」
早苗と呼ばれたぐるぐる巻きは冬治にそう言った。知り合いらしく、しかも結構仲がよさそうだ。そう言う人物からのアドバイスは素直に聞いておくに限る。
「わ、わかりました」
じゃあ、どうすればいいのか。わかったことはさっきの生徒会長が二度聞きしたら切れるということだけ。あと、目の前の人物の名前だ。
困った冬治に目の前の人物が手を差し伸べる。まぁ、ぐるぐる巻きにされているので実際に手を差し伸べられる場合でもないが。
「大丈夫、わたしが聞いておいたから」
「おお、本当ですかっ」
「うん、わたしを担いで、生徒会室までついてきてって」
「その格好のままで?」
「友達思いだからね」
どう見てもさらし者だ。どこら辺が友達思いなのか分からない。
「意味が分かりません」
「他人に見られるのって興奮しない?」
「しませんよ。ああ、もうっ」
よくは分からないが、指定されている。そして、生徒会長と少し距離が離れている以上……ぼさっとしておくわけにはいかない。
「縛られている上に、男子生徒に無様に担がれている感じ……最高の気分ね」
「俺は最低な気分ですっ」
昼休みということもあって、廊下には人通りが多い。罰ゲーム以外の何物でもなかった。これを楽しい、嬉しい、もっとしてほしい等と望む人種は単なる変態だ。
「俺は今、木材を運んでる。俺は今、木材を運んでる」
「こんなに柔らかい木材はないんじゃないの?」
「木材は話しかけない、木材は話しかけない」
奇異の視線を向けられながら、冬治はようやく生徒会長が待っている生徒会室までたどり着くことが出来た。時間の経過がものすごく長く、千里の道かと思えるほど距離があった。
「つ、疲れた」
意外と重いですねと呟いた冬治のわき腹にチェーンがぶつけられる。
「って、あれ? あんなにぐるぐる巻きにしていたのに、もう抜け出したんですか?」
「縄抜けもわたしの特技だから」
「じゃあ、別に俺が担ぐ必要は」
なかったでしょうに。冬治の言葉は扉の開く音でかき消される。
「お姉ちゃん達、中に入ったら?」
生徒会室から出てきたのは先ほどいなくなった昌だった。
「お姉ちゃん?」
そんなことよりも気になったのは昌がお姉ちゃんと呼んだ人物のことだ。
冬治は生徒会長のほうを見る。しかし、彼女は微笑んで冬治の隣に居る人物を見ていた。
「え、こっちの人が昌さんのお姉さん?」
「そうです。なんと、わたしが昌のお姉ちゃんだったわけですっ。早苗っていいまーす。冬治君、よろしくね」」
冬治の右手をしっかりつかみ、早苗は上下に振っていた。さっきの笑顔がぐっときたものだからぽかんとしていたものの、いい笑顔は長く続かなかった。
「相変わらず、迂闊ねぇ」
瞬く間に縄が早苗と冬治の腕を縛った。
「これはどういう……」
「ぷれい?」
「違います。どういうことですかっ」
「どういうことって、二人は赤い糸で縛られる運命」
糸じゃなくて、縄だし。
助けて欲しいと生徒会長を見る。しかし、既に中に入ってしまっていた。
「さぁさ、一名様ごあんなーい」
「ふぅ……」
これはまた、変な姉ちゃんに捕まったもんだとため息をつきながら冬治は生徒会長室へと連れ込まれる。
生徒会室の中は思ったよりも広かった。元は会議室を予定して作られていた場所を使用しているからだ。生徒会自体は全員で十名程度のため、部屋の半分程度しか使用しない。残りは立派なソファーに石のテーブルが置かれていて本来の会議室としての使用や、生徒指導室としても使用されるとのこと。また、机などを脇に移動させれば広いスペースにはやがわりである。
冬治は生徒会室側ではなく、三人がけのソファーの真ん中に座るよう促された。ソファーは学園長が知人からもらったものらしい。
「えーと」
両脇に昌と早苗が座り、がっちりと腕を組まれている。逃げようにも、逃げられない。
ただ、中々悪くない感触が腕に当たっており、ちょっとだけ恥ずかしくなる。気取られると離れられそうだったので、黙っておくことにした。
「わたしは正直な子が好きだなぁ」
にやっと早苗が笑う。この人、気づいてやがる……わざと当ててからかっていたのだ。
「すみません、逃げないので離れてください」
早苗の言葉に冬治はそう言う。二人はおとなしく従うのだった。
「それで、俺を生徒会室に連れてきてどうするつもりですか」
「その話は後で。まずは自己紹介です。私の名前は羽津鳴子、この学園の生徒会長をしています」
鳴子は自己紹介と共に、カードを冬治に見せた。
男性の絵とそれにへいこらしている者たちが描かれている。皇帝に描かれていた男性は威厳というものを感じられたが、こちらのカードにはまた別の印象を受けた。
「もう一枚の王様?」
「これは皇帝のカードではありませんよ」
そういえば皇帝のカードは慧がもっていたっけと昨日の事なのにもう忘れていたりする。
「司祭のカードです」
「司祭?」
日常生活とはとんと縁のなさそうな言葉である。ついでに言うのであれば、日本だとタロットカード自体も趣味や占い師でもなければ余り縁がなさそうだ。まだ司祭より子細のほうが漢字として使用されているだろう。
「冬治君はこのタロットカードの事をどう思っていますか?」
まるで読書感想を聞くような気安さがあった。詰問でもされるのかと思っていただけに少し拍子抜けではあった。隣に座っている早苗が冬治の立場だったのならきっと喜んでいたことだろう。
「どうって……凄いカード?」
売却額が凄い、効果が凄い、何だか良くわからないけれど、凄い。この三つが冬治の率直な意見だった。
「学園生活には全く必要の無いものだと思います。このようなものに現を抜かしているよりも、健全な学園生活を送るべきでしょう。一部の生徒は、カードの効果を使用して私の言葉を聴いてくれないのです」
ふぅと、鳴子はため息をついた。
「危険性も孕んでいるでしょう」
「危険性?」
「はい。特殊な能力を使えるカード……無償で使用できるものでしょうか」
全く考えたことの無かった冬治はその言葉を頭の隅っこに残しておく。
「また、カードに依存してしまう可能性だってあります」
隣の早苗が何者かに縛られていた。
「なるほど」
早苗はともかくとして、千が率先して他人に不幸をばら撒いたり、昌が飛んで誰かに無差別キックをかましているシーンが浮かんだ。まぁ、依存というよりも大暴れである。
「私が、冬治君に望むことはそう多くありません。他のカードを集め、まとめて所有者に返すということだけです」
両脇の二人もうんうんとうなずいていた。
「無理強いをするわけではないので個別に動いていただいても問題ないのです。もし、冬治さんが私達とともにカードを集める気になったら手伝ってください」
にこりと笑われ、冬治は少し考える。
腹に一物抱えてそうな感じではあるものの、言っていることは正しそうだ。相手を騙す基本的なことだと友人から聞いた。そりゃあ、陰謀渦巻く会社勤めだとか値上がりする前の土地売買についての話じゃないのである。相手はまだ、二十歳以下なのだ。無論、冬治も同じ条件だが。
考え込んだ冬治を見て鳴子は更に言葉を続ける。相手を説得する上で一番大変なのはあと一押しというところと友人が言っていた。
「わたしたちは、これが一番だという考えで行動していますからね。もっと、いい方法があるのならば、そちらへ移行してもいいでしょう」
「なるほど」
「急ぎはしませんから、手伝ってもいいと思えたときに手を貸してくださいね:
「わかりました。考えておきます」
言いたいことを言って満足したのか、鳴子は微笑んだ。ただまぁ、どこか嘘くさい感じがするのは仕方の無いことだろうか。
残ると面倒なことになりそうだったので、退出することにした。
「同じ月日の繰り返し、これは実におかしなことです。そうでしょう?」
部屋から出ようとした際、鳴子が冬治に投げかける。
「確かに、俺もそう思います」
「気をつけてくださいね。カードの価値、効果の独占……カードを奪われないように」
悪魔と、塔のカードの持ち主が頭に浮かんで消えていった。
羽津鳴子、昌、早苗と別れた冬治は渡り廊下へと続く場所で一人の女子生徒とすれ違う。
「あ、深弥美ちゃん」
「……冬治?」
少し影のありそうな少女、冬治の親戚らしい黒葛原深弥美が歩いて居るところだった。ここ最近言われたことだったが、どことなく見たことがあるので親戚なのだろう。親戚なんて、そんな曖昧な存在だ。遠ければ遠いほど、なおさらである。小学生の教師だった人物が実は遠い親戚だったと知ったときは非常に驚いたと語る人もいる(要らない実話)。
「……これから、一週間冬治はこの学園の生徒?」
「え、あ、あー、うん」
最近出会う人物がカードの所持者だったので、つい、警戒をしてしまう。
「……まだ、初日だけれど慣れた?」
その言葉に違和感を覚える。カードを持っていない人間の感覚としてはそうなのだろう。
「そこそこ、なれたかな。友達も出来たし、知り合いも増えたよ」
電話番号を交換し、仲良くした相手もいる。変態にも出会えたし、空も飛んだ。元の学園に戻って周りに話しても信じてくれる人はおそらくいない。
「……そっか、よかった」
もう、既に二日は経っているんだけれど。目の前の人物に、真実を言っても信じてもらえないのだろう。他の生徒で疑問を抱いた人はいないようだ。今日も全く同じ時間帯で、自己紹介も何度か体験している。
「……一週間、短いね」
「だね、本当、そう思うよ」
これが、普通の人の反応なのだと冬治は懐かしそうに微笑む。一週間は七日から形成されている。そして、冬治たちが経験しているのは四月一日だ。分割されたのか、分身したのか、はたまたトラックみたいに周っているだけなのかは定かではない。
思ったよりも、交換生制度は長引きそうであった。
少しの間世間話をして、冬治はそろそろ切り上げることにした。お昼ごはんを食べていないことを思い出したのだ。
「じゃあ、俺はあっちだから」
深弥美がやってきた方へと歩き出す。しかし、冬治の袖を引く者が居た。
当然、この場にいたのは二人し甲斐ない。冬治でなければ、深弥美だ。見えない誰かがいれば話は別だが。
「……まだ、話そう」
「あ、悪いけれど俺さ、お昼がまだなんだ」
「……この学園の裏メニューを御馳走する」
「ええっ、いいの?」
「……たまには、いい」
こうして、冬治は深弥美の腕にひかれて学食へと連れ去られるのであった。ちなみに、裏メニューは羊の肉を使用したものだった。