第三十八話:明日の話をすると俺が笑う
最後の夜、というのもおかしな話である。いうなれば、決戦前夜か。
冬治は考え付いたある作戦を明日、実行することにしていた。この事は誰にも話していない。
どこで隆康が話を聞いているのか分からないためだ。それに、やること自体は簡単で他人の手助けは必要なかった。
冬治がある作戦を思いついた……というよりも、地価書庫で手に入れた冊子に書かれていた事の実践だ。その場の流れで持ち帰った冊子にはタロットカードのことが記載されてあったのだ。ダウジングは眉唾な本よりもはるかに役に立ちそうな冊子を見つけてくれたのである。
ページをめくった冬治の目に飛び込んできたのはコルクと書かれた文字と、どこか狂った人間が書いたような妄想の数々。
岩に命を宿らせて作った岩鬼の話や、何も無い所で良くこける男の話、一枚の絵に一人の男が描かれた話といった具合だった。
その他、面白い事象や発明品、不思議な話が沢山あった。この本自体がコルクと言う人物の発明品との事で、いくら書きこんでもかさばらない冊子だそうだ。
タロットカードのことについては最後から数ページの所に書かれてあった。カードの解説書とは違い、こちらにはカード一種類ずつの説明等は記載されていない。
「このカードは世界と神を同一視し、作られたものである。人やもの、土地が世界を作り上げたのか、それとも世界が人やものを作り上げたのか。それを見極めるために世界のカード一枚と、世界のカード以外の二十一枚で一つのセットである。始めるにはカードを誰かに引かせればよい。(以下略)」
他の発明品や話が妄想だとしても、絵柄や状況は今の状況に当てはまる気がしてならない。この冊子に載っているタロットカードのことを冬治は信用した。
始め方が書いているのであれば、終わり方も書いてある。
それを実行させるのだ。
「さて、明日に備えて早く寝るか」
隆康がどのタイミングで襲ってくるかは不明であった。ただ、冬治が起床して、襲ってくるという感じもする。
「でも、夜九時は早いよな」
今時の小学生はまだ起きているだろう。まだ若い両親が夜中仲良くやれない。そういえば子どもの頃に友達から良く聞くジョークを思い出したりする。
「確か、弟や妹が欲しいのなら早く寝なさいだったかな」
よく意味が分からなかった。成長すると言うのは世界を知ることなのか、今では良く分かる。子どもの頃が楽しかったのは分からないことをあれこれ想像していたからかもしれないな。
そんな風にぼさっとしているとチャイムが鳴った。
「こんな時間に誰だろう」
おや、誰か来た。こんな時間に誰だろう……そういって行方不明になった人間は和知れず。まさか自分がという気持ちで扉を開けるとこの世界とお別れかもしれない。
「や、元気?」
「早苗先輩」
同じアパートに住む(号室は不明だが)河北早苗が開けたドアから顔をのぞかせている。ジーパンにシャツと言うラフないで立ちで、つい、冬治は胸辺りに視線を向けてしまう。すぐさまそっぽを向いた。意外と、大きかった。
「どうかしたんですか」
ごまかすようにそう言って、出来るだけ下を見ないように気をつける。私服なんて見たこと無いもんだから、この状態で縛っちゃったら大変なことになる。
「何よぅ、用事がないと来ちゃいけないの? この前みたいな熱い縛りプレイのときみたいな」
「これまで来たことなんてないじゃないですか」
用事がないと来てはいけないのか。まぁ、なんというか永遠の命題だろう。誰々さんの顔を見るために来ましたといえば、解決しそうだが。
「本当、この部屋に来たことありましたっけ?」
「いいや、確かあった。あの時はわたしを足蹴にしていた気がする」
「そうでしたか? 良く覚えてないですね」
いつの話をしているのだろうか、この変態先輩は。
冬治は考え事を辞め、改めて早苗を見た。
「それで、本当は何をするために来たんですか。」
「きみの様子を見るためにね。立派な理由でしょ。あと、ほかに誰か来ていないかなってさ。どう? 誰か来た?」
「うーん、誰も来ていないですね」
今日がある意味、自由に振舞える最後の日だったのかもしれない。みんなでパーティーでも開けば良かったと考え、冬治は軽く笑う。それじゃ、最後の晩餐である。
「一人だとさ、寂しいよね。鳴子の手前、妹が居ないからって口にしなかったけど……私も昌がいるから。あの子、普段口うるさいから居ないとなおさら、静かだなって思っちゃう」
兄弟の話をしている人を見て、時たま羨ましいとかんじる事だってある。家に誰もいなければなおさらだ。
「俺は元から一人でしたけど、会えないみんなの事を考えると少しはさびしいです。鳴子先輩や、早苗先輩程ではないでしょうけど」
「そっかそっか。えっと、いい子いい子してあげようか?」
そんな年じゃ、ありませんよ。冬治が言うよりも先に、頭に手が載せられた。はねつけるわけにもいかないので、大人しく成すがままにしておいた。
「いい子いい子。どうせなら、胸で慰めてあげようか?」
「え、遠慮しておきます」
実に魅力的な提案だったが、冬治はどうにか理性を保つのであった。もうちょっとふざけあえるような仲だったのなら、それも悪くなかった。早苗にかわされて終わりだろうが。
「んー、じゃあ、軽く縛ってくれる?」
「はいはい、わかりま……縛るわけないですよ」
ロープを渡され、冬治は首をすくめる。
「今夜がさ、世界最後の夜かもしれないでしょ。あなたの痕、この身体に欲しい……」
「変に言っても駄目ですよ。何せ、早苗先輩は元の世界に戻れますからね」
冬治が言い切ると早苗は目を見開いた。
「へぇ、意外。そんなに自信あるんだ?」
「まぁ、見ていてくださいよ」
「少し前は結構落ち込んでいたのに?」
早苗の言葉に冬治は頭を軽く叩く。
「あれから色々とありましたからね。僕ってば皆に支えられているなぁと思った次第です、はい」
「嘘くさい」
「好きなように捉えてもらって結構ですよ」
「じゃあ、元の世界に戻れたら冬治君を縛っていい?」
「どうぞどうぞ」
「まさかの早苗エンドでも?」
「お好きなように」
ふんふん、わかったわかったと早苗は呟いてくるりと冬治に背中を見せた。
「じゃ、お楽しみは元の世界に戻ってからね」
「はいはい、おやすみなさい。あ、早苗先輩。明日は昼休みになったら皆を誘って校庭に集まっておいてください」
「んー、わかった」
早苗は片手を挙げて出て行った。
「一応、他の人にも言っておかないとな」
今からだとちょっと遅いかな。そう思ってリビングへ戻ると窓が開いていた。ついでに言うなら、寝室へと繋がる扉も開いている。
「マジかよ」
もしかして、期間前倒しで隆康が来ていたりするのか。抜き足で寝室へと向かおうとして、背後から奇襲を受ける。
「なっ」
「とった、あたしが悪者だったらどうするの」
「何だ、美穂かよ」
驚かせやがって。心の中で悪態をつき、冬治は背中に当たる膨らみに手を合わせておいた。
「……あのー」
「……何よ」
数分経っても美穂は離れようとしない。喉元にはしっかり爪がつきたてられているので動こうにも動けなかったりする。
「美穂さんや。解放してくれんか」
「離れたいのなら、あんたが勝手に動けばいいじゃない」
「喉元にさ、お前さんの立派な爪が準備されているぞ。これで動くとスプラッシュ……いや、スプラッタって奴になる」
「じゃあ、動かなければいいわ」
そうね、そうしようかしら。と言うわけにも行かない。背中には柔らかな何かがひっ付けられており、密着度は最高だった。さらに、美穂はお風呂上りなのか、とてもいい臭いがしているのだ。
頭のくらくらっとなる匂いで、狼になっちゃいそうな匂いである。
「おい、美穂」
「冬治、あんた、あたしのことどう思ってるの?」
被せるような美穂の言葉に冬治は黙り込んだ。
これはなにやら慎重に答えたほうがいいぞ。ただ、状況が状況である。まともな回答が出来るかは不明であった。
「俺は……」
「あたしは、悪くないって思ってる」
「え、誰のこと……ぎゃあっ」
突如、美穂は冬治の首筋に八重歯をつきたてた。
「元の世界に戻ったら、皆の前で聞くからね」
痛みでうずくまった冬治の耳に、美穂の言葉が投げかけられる。窓から一匹の猫が消え、リビングに血を流す男が残った。
「……ふぅ、色々と助かった気がする」
窓を閉めたタイミングで、チャイムが鳴った。人の気配を察したため、美穂は逃げたようだ。惜しいような、これで良かったような……どちらとも言えない複雑な気持ちで冬治はチャイムが鳴り続く玄関へと向かった。
「はーい」
間の抜けた声を出しながら冬治は扉を開ける。
「不審者だ」
開口、冬治は相手を見て率直な意見を述べた。かっとなりやすい相手だったのなら、玄関先で彼は終わりを迎えていた事だろう。
幸い、相手は落ち着いている人間であった。
「こんばんは」
不審者、木葉はその手にバールのようなものを握り締めていた。出で立ちは雨も降っていないのに合羽を着ている。その色は鮮やかな赤色だった。胸元にはサングラスが引っ掛けられており、顎にはマスクが下げられている。
「怪我、しているみたいだけどどうかしたの?」
「あ、ああ、これね。ちょっと吸血鬼に襲われちゃって」
「吸血鬼ねぇ、そんなの、いるわけないでしょ」
つれない木葉の言葉に冬治は首をすくめる。
「そうかも」
そんなのがいるわけはない。ただ、コルクと書かれた冊子には作ったと書いてあった。この世のどこかにいるのかもしれない。
「ま、いないよね、うん。いないいないばあ」
「はぁ? どうしたの? 頭もついでに打ったとか?」
冬治は適当にお茶を濁して改めて不審者を見た。
「で、そっちこそ鈍器を持ってきてどうかした? もしかしなくても、俺を仕留めに?」
「ううん、指示を求めに。明日、私はどうすればいいのかなって」
バールのようなものをぶんぶん振り回す。冗談抜きにやる気満々だった。一体、なにをやるのかはわからないが。
「戦車のカードで、後ろに回りこんでこれで一発」
戦車に狙われたら逃げ場所なんて、ないのだろう。背後からバールで終わりなのだ。
「元の世界に戻れても獄中じゃないの?」
返り血を浴びてもいいように真っ赤な合羽を着ているのか。どこか、納得してしまう。
「誰かが犠牲になって、皆が戻れるのなら安いもんだと思う。そう思わない?」
肯定してもらいたいのか、否定してもらいたいのか。冬治には分からなかった。
「さぁね、俺にはよく分からないよ。そういう犠牲はよくないよ。とりあえず、皆でどうにかしよう。隆康のことはどうでもいいけれど、お世話になるのは良くない」
「皆で、ねぇ。皆が好きね」
どこか覚めた視線を冬治に向けて、木葉は静かに息を吐き出した。
「ちょっとばかばかしい。孤独な私には皆は必要ないかな」
何かのジョークかと思えるような言い回しだった。窓際に座っている中学生が好きそうな言葉にも思えてくる。
「俺もたまにばかばかしいと思うけど、皆がいないと孤独は存在しないよ。木葉さんが孤独になれるよう、皆で頑張るんだ」
「それはどうも」
話はそれで終わった雰囲気があった。木葉はすぐに帰らず、いまだに冬治を見ていた。
「本当に、何か手伝えることはないの?」
「明日のことは明日のお昼休みに話す。場所は校庭だよ」
「わかった。それに従う」
バールのようなものを持って出て行こうとする。何処か疲れた背中は、一仕事終えた殺人鬼のようであった。
「孤独、ね。木葉さん、俺達って友達だよね」
「ううん」
ばっさりと切り捨てられたので冬治はちょっと、いやかなりショックだったりする。ハイタッチを求めた返しが馴れ馴れしいの一言でばっさり切り捨てられたときに似ていた。
冬治の落ち込んだ表情が見れて満足だったのか、木葉は軽く笑っていた。
「おそらく、親友。浅いけどね」
そういって扉は閉められた。扉が完全に閉まると、意外と心は軽かった。
「まだ、寝るのはやめておくか。誰かが来るかもしれないから」
当時の言葉と同時にチャイムがなった。
「ほらな。来るんだよねぇ、こういうときってさ」
部屋に誰かがいるわけでもない。冬治は扉を開けて訪問者を迎え入れる。
「こんばんは、冬治君」
「鳴子先輩、こんばんはっす」
鳴子の格好はいまだに制服で、鞄まで持っていた。
「あの、いままで学園に?」
「ええ、そうですよ。冬治さんは家にいたのですね。てっきり、どこかに行っているのかと思いました」
「まぁ、先ほどから来訪が続いていますし、明日はちょっとしたイベントがありますからね」
一体、学園で何をしていたのですかと言うタイミングを見失ってしまう。
「冬治君に一つだけ、聴いてもらいたいことがあります」
少しだけ疲れた表情で鳴子は冬治を見る。美人が疲れた表情も悪くないなと、惹かれるように冬治は鳴子を見て数秒後、ようやく首をかしげた。
「何ですか」
「元の世界に戻ることが出来たなら、音色ちゃんときちんと、接したいと思います」
羽津家の事情は知らないが、鳴子の目には決意があった。いつかどこかで見た決意。冬治は地下書庫へ向かう際に興野が見せてくれた目の色と同じ事に気づいて苦笑する。
「そうですか。じゃあ、そのときは三人でどこかに遊びに行きましょうか」
「それ、いいですね。そうしましょう」
話し終えて、鳴子は冬治に背中を見せた。
「明日、隆康さんという方に勝てると思いますか」
「……元の世界に戻るということが勝利だと定義するのなら、勝てますよ。相手は一人で、こっちは全部で七人もいます」
「そうですよね。元気、出ました。冬治君おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい」
締められた玄関の扉を凝視して、冬治は顎をなでる。まだあと一人か二人、誰かが来そうな雰囲気はあった。
十分後、誰も来なかったので寝室に戻ろうとするとチャイムが鳴った。
「はい」
「寝てる?」
「返事、しましたからおきてますっ」
玄関を開けると寝床先生が立っていた。
「夜分遅くに失礼」
いつものように無表情で世界は私に関係ありませんといった表情をしていた。
「あの?」
「何かあったときのために、冬治君に聞いてもらいたいことがあるから」
「はい」
何だか遺言みたいな事が続くなぁと少々、うんざりしてきていた。冬治も、実はお風呂に入るときはアヒル提督と一緒に入っているんですとカミングアウトしようかと考えてみたりする。
「聞いてもらいたいことは、二つ。一つ目は私の好きなもの」
意外とまともな事のようだ。いまさらそんな自己紹介的な内容を聞いても遅すぎるのではないだろうか。そう思いながら冬治は神妙にしておく。
「ベッドがすきなの」
「え、すみません。聞き逃したのでもう一度いいですか」
「ベッドが、好きなの」
「ベット……賭け事がすきと?」
「賭け事? まぁ、それも好きだけれど。ベッド。寝るところね」
しばらく冬治は考えて、いった。
「何で好きになったかと言うとね、ある日、考えたの。ベッドってさ夢と現の橋渡しをする場所じゃない。わかる? 人はベッドで寝るから、夢の国に……あ、もう一つの夢の国はお金を払えば行けるとても現実的なところだけどね、ベッドは……」
「ちょ、ちょっと待ってもらっていいですか?」
「何?」
少し変わったところがあると思っていたが、この人は心の中に独自の世界を持っているのだろう。誰だって持っているものの、先生のそれはぶっ飛んでいるように思えた。
「そのー、詳しく聞きたいところですが、元の世界に戻ってからでもいいでしょうか」
「うん、そうだね。続きを聞きたいのなら教えてあげるから」
聞かせてきたのはそっちなのに何だかえらそうな態度である。まぁ、先輩だから言わないが。
「それで、もう一つの聞いてもらいたいことって何でしょう」
今度は永遠、枕の話をし始めるのではないだろうか。皮膚にまとわりつく不安と怖れはそう簡単にはぬぐえそうにない。
「名前かな。先生ってふざけた……ふざけているかどうか、わからないけどね。満足の満という文字で、みちる。二つ名前があったほうが格好いいだろうって馬鹿な両親が付けてくれたの」
「それはまた、不思議な話ですね」
名前が二つだなんて、そうそういないだろう。
「私は変な話だと思うけれど、君がそう思うのならそうなんでしょう。今後は満って呼ぶのを許してあげるよ」
別にどっちでもいいです。正直にはいえない。相手が先輩のため、冬治は黙ってうなずいておいた。
満は腕時計で時刻を確認すると冬治を見た。どこか真剣な表情をしている。
「ど、どうかしたんですか?」
「思ったより時間が余ったかも。もったいないし、ベッドの話を……」
「でも、何で俺に?」
当然、聞き返す。
「一人ぐらいは知っておいて欲しいから。人間と言う生き物はね、秘密や悪事を誰かと共有したがるものだもん」
「そういうものですかね」
「そういうもの。明日から学園で見かけたらちゃんと満と呼ぶこと。そのぐらい、いいよね」
「まぁ、いいですけど。俺、交換生徒終わったら元の学園に戻りますよ」
すっかり忘れていたのか、満は静かになった。
「……ああ、そうだった。ちょっと、残念。またね」
「え、あ、はい」
それ以上先生は何も言わずに行ってしまう。少しだけ、ベッドの話を聞いてあげればよかったと後悔してしまう。
「さ、これで全員だろう。寝るか」
そろそろ寝るにはいい時刻だった。そう思った矢先に扉を叩かれる。誰かいたっけなと首を傾げつつ扉を開けようとすると勝手に開いた。
「あ、鍵がかかってない」
「何だ、怜奈か」
小谷松怜奈は冬治の顔を確認するとするりと中へと入り込む。
「普通、チャイムを鳴らすだろ」
「寝ているかと思って」
「だったら玄関を開けようとしないんじゃないのか。そこで回れ右だろ」
「一応、施錠の確認はしておかないと危険ですよ。事実、開いていましたし」
「俺が寝ていて、開いていたらどうするつもりだったんだよ。扉を閉めて帰ってくれるのか」
その場合、どうやって脱出するかと言う問題が発生する。密室に近い状態からの脱出となるだろう。
「そんなチャンス、見逃しませんよ。ベッドに入っていいことしちゃう」
「いいことねぇ、俺がお前を襲うかもしれないぞ」
「ちょっと、ほんのちょっとだけ怖いけど……冬治さんになら、いいよ」
照れた怜奈に冬治は親愛の情を持って接することにした。
「ぺっ」
「あ、ちょ、酷くない?」
「色々と段階をすっ飛ばしてる。大体だな、物事には順序がある。自動販売機、カップの奴ね。先にジュースが出てきて、後からカップが出てきたら残念だろ?」
「……つまり、先に子どもが出来て、付き合うって事ですね。いいじゃん、それ」
「よくないよ」
軽く壁をたたいて冬治はため息をついた。
「で、何をするためにここへ?」
「明日の緊張をほぐそうと思って。私、馬鹿ですから冬治君から一緒に頑張ろうと言われたらなんでも出来そうな気がするから」
冬治はしばらく考え込んで右手を出した。
「明日は俺の言うことを聞いて欲しい。一緒に、皆で元の世界に戻ろうな。なぁに、俺達の友情なら楽な事だよ」
「……何だか、うそ臭いですね」
「酷い話だ」
結局、冬治の右手に怜奈は自身の右手を重ねた。
「ここで何か一言」
「お前は絶対、俺が元の世界に戻してやる」
冬治の言葉に怜奈は少し黙り込んだ。
「そういうときって異世界からの帰還、大抵失敗しませんか」
「しないよ。そもそも、異世界なんかに行ったことはないからね」
「……まぁ、期待しないで明日を楽しみにしておきます」
おやすみなさい、そういっていなくなった怜奈を見送り、冬治はため息をついた。
「これが終わったら羽津学園だよな。ものすごく長い間こっちの学園にいた気がするけれどたった一週間だったなんて信じられない」
春の風が窓から入り、冬治の頬をなでた。
「来年のことを話したら鬼が笑うって言うけど、明日のことを話したら誰が笑うんだろう」
冬治の疑問はアパートの外にも漏れていたが、夜の空に広がって消えてしまった。
「みんな、ありがとう」
誰にも聞こえていないだろう言葉を冬治は呟いた。




