第二十九話:油を一滴こぼしてしまったら
天羽から世界のカードをもらった冬治は助言どおりに近くの廊下をなめるようにしてカードを探していた。
「カードォ、カードォ、カードはどこだぁあ……」
這いつくばったままの体勢で天井へと移動できれば何かしらの妖怪として生きていけるだろう。蜘蛛男も真っ青である。ネーミング的にヤモリ男辺りが妥当だろうか。
「ないなぁ、ないなぁ……あった」
四つんばい妖怪ないなぁがカードを見つけるまで十数分かかった。ちなみに、カードをもらった場所から歩いて二分の場所にナイフを突き立てられたカードがあったりする。遠くの校舎からは何か大捕物でもやっているのか誰かの走る音が響いてきていた。
喧騒を気にすることなく、冬治はナイフに手を伸ばした。カードに突き立てられたナイフはいくら引っ張っても抜けず、ただの代物ではないことを匂わせる。端的に言うのなら、この世界にあってはいけないものだ。司会のどこに入っても、思わず目を見張ってしまうもの……自分の机の椅子が便器(水洗じゃないほう)に代わっていたぐらいのインパクトがあった。
もっとも、それを見つけるのに数十分冬治は掛かってしまっているのだが。
「死神のナイフか。てっきり、鎌でも突き立てられているもんだと思ったがね」
冬治は世界のカードを死神へと変化させ、そのナイフを抜き取った。久しく見ていなかった髑髏の絵はすぐさま世界のそれへと変わり、しばしの再開はすぐさま終わった。
「んぁ?」
審判のカードを手にした冬治の目の前に、しりもちをついてスカートの中身を全開にさせている女子生徒が現れる。
何だか見てはいけないものだとわかっていても、すごく見てみたい気にさせる。幸か不幸か、冬治の左隣だったので真正面から出なければ覗けそうにない。
「立てる?」
まぁ、パンツなんて自分のでよければいくらでも見られるからなとわけのわからない納得をして、冬治は審判所持者に手を差し伸べた。
審判所持者を立ち上がらせてすぐ、冬治はこれまでそうしてきたとおり、自己紹介から始めることにした。
内気系、不思議系、つんつん系、化け物系……比較的まともな性格の人物は少なく、冬治としては目の前の人物が普通であることを祈ってみた。
「俺の名前は夢川冬治。二年G組だよ」
「私はねどこさきお。寝る場所って字で寝床、さきおは先生って字ね」
変わった名前であった。そして、十中八九、この手の名前の人は名前のことを聞いたり訊ねたりすると不機嫌になるものだ。
触らぬ神に、祟りなし。仲良くなれば気兼ねなく聞ける日もやってくるだろう。そうでなくても名前の意味には少々お疲れ気味なのだ。意味を聞いて面倒なことになるのは体験済みだ。
冬治は早速カードの話をすることにした。
「これ、君のカードだろ」
カードを手渡し、冬治は訊ねた。
「それ、誰からもらったものかな?」
「うん、そうだけど?」
「誰からって答えられる?」
「御柱って人からかな。話したことはなかったけれど、多分間違えていないよ」
カードをばら撒いたのは天羽で間違いないようだ。冬治はそう結論付けると共に、自身に一枚のカードを渡してきた男子生徒会長のことを思い出す。
あの人は、一体何故、死神のカードを渡してきたのか。途中でもどこかで出てきた気はするものの、良く覚えていない。もうちょっとインパクトがあれば覚えていられただろうに。
「あの、ちょっといい?」
「あ、ごめん。ちょっと考え事をね。それで、何かな」
「一体、このカードは何? 渡されて二分後ぐらいに黒いもやもやに襲われたんだけど」
興味深そうな表情をしており、冬治に全ての回答を期待しているようでもあった。
「おそらく、それは死神だと思うよ」
「死神? なるほど、死の臭いがしてた」
死臭を感じるなんて動物だろうか。興味深い話ではあったが、今は利いている場合ではない。冬治は話を先に続けることにした。
「俺もね、カードを所持しているんだけれど、よくわかってないんだ」
「ふーん、これ、タロットカードだから全部で二十二枚か」
「らしいね。俺も最近知ったよ」
冬治の言葉に先生は首をすくめている。
「ちょっとはさ、調べたりしたほうがいいんじゃないかな」
「え、えっと、その通りだと思う」
「夢川君は二年生? 私は三年で、今年卒業だけれど……」
「え、先輩だったんですか」
慌てて敬語にすると苦笑される。
「敬語はいいよ。友達少ないから友達になってほしい。友達なら、上下なんて気にしないものだよ」
「そ、そう?」
「うん、そう。まさかこの年齢で不思議なことに巻き込まれるなんてね。驚いたよ、本当に」
先生はそういうと首をかしげた。
「夢川君もカードは御柱天羽さんにもらった?」
「えーと、まぁ。そうだね。俺は一枚、元の学園の生徒会長から死神のカードをもらって、その後おそらく、天羽先輩からもらったのかな」
そう伝えた後、カードについては特に話すこともなくなってしまう。冬治は自身の考えている事を告げることにした。
「あのさ、一旦カードを集めて天羽先輩に返そうと思うんだ。だから、俺が呼んだら集まって欲しいんだけど」
「うん、授業中で無ければ構わないよ。このカードを夢川君に渡せばいいんでしょ。でも、今渡しておけばいいんじゃないの?」
「ま、確かにそれが一番なんだろうけどね」
一つ懸念がある以上、なるべくカードは本来の所有者に所持して欲しいのだ。
「あのさ、カードをもらうときにそのカードは自分の心臓って事を聞かなかった?」
「ああ、言っていたかも」
「だからさ、あまり身体から距離を取らせると危ないかなぁと。そう思ってね」
「なるほどね」
「それにさ、一人に託しておいて持ち逃げしたり、誰かに取られたりしたらどうしようもないから天羽先輩に渡すときも全員で立ち会うのが一番だと思うんだ」
それまで決めていなかった事柄を口に出すたびに固まっていく。
「一度さ、そういうことも含めて他のカードの人と話し合ったほうがいいんじゃないかな。」
「そう、だね。寝床さんの言うとおりかも」
自分で何でもかんでも決めてしまえば後から反発されるのは必須である。決めていい世といわれて決めて、不平が出たことなんてつい最近のことである。
「そうそう、私も他のカードを持っている人に挨拶しようと思うから」
どこか大人びた印象を受ける先生を見て、芽衣子より年上に見えるかもしれないと思ってしまう。その考えは芽衣子に対して非常に失礼なことであった。この場に芽衣子がいれば、窓から捨てられていたかもしれない。
「じゃあ、案内します」
「うん、お願い」
そのとき、電源を切っていたはずの冬治の携帯電話が鳴り響いた。
「もしもし?」
「急いで逃げて! 死神がここに向かってるっ」
焦った運命の輪の声に、冬治は周囲を見渡した。そこに死神はいない。
「どこに逃げればいい?」
少し焦った冬治の声に、近くにいた先生が告げる。
「夢川君、前。そこから臭いがする」
「嘘」
目の前には確かにいないはずだった。いきなり現れた死神は冬治のポケットに素早く手を滑り込ませると世界のカードを引き出す。
「あっ」
冬治が何か言おうとした瞬間、死神は世界のカードを近くの壁にナイフで張り付けにするのだった。
誰にも止められる事は無かった。




