第二十七話:屋上の節制と書庫の女教皇
四月一日、変わらない春の陽気は羽津市一体を包み込んでいる。時折、桜の花が風に乗せられて旅を始めていた。
無論、風は羽津女学園とて例外ではないし、屋上ともなれば地上に比べて遮蔽物が少ない。というか、ほぼ無い。風を感じる場所としては、最適だろう。昼頃になれば昼食を食べに来た生徒によって賑やかになっている。写真を撮ろうとする者にとっても映えるはずだ。
あくまで和やかな雰囲気にマッチするだけであり、L字型の金属を用いて何かを探す場所としては最適とは思えなかった。
「っかしいなぁ」
そういいながら屋上の決して広くはない場所をうろつき始める不審者。とはいっても、一応、羽津女学園の制服は着ていた。
元来、冬治の性格は面倒ごとに巻き込まれたくないタイプではある。だからといって、しり込みをしている場合でもない。この機会を逃すと二度と会えないような気がしてならなかった。いわば、レア物だ。
「あのさ」
「ん」
冬治が話しかけるまで、気づかないほど熱中していたらしい。彼女の額に薄い汗が滲んでいる。
「何してるの」
「ん? 見て分からない? ダウジング」
ダウザーという言葉は百人中百人が知っていますと、彼女の目は語っていた。
「それはまた……」
そして、屋上の少女の視線の受取先は、ダウザーという言葉を知らない。
話をあわせるにしても、どのような言葉を返していいのかわからなかった。ダウジングは宇宙の神秘だねぇ、や、人の無限の可能性を信じているんだねとはまた違う気がしてならなかった。
薄っぺらいダウジングの知識を総動員して、冬治は結論を導き出した。
「で、何を探しているの?」
ダウジングが何かを探す際に行う行動のひとつであること以外、彼はダウジングのことを知らないのだ。
「カードをね、探してる」
「カード?」
冬治はいやな予感がした。
「そう、タロットカードなんだけど、一枚、うん百万円の超高価な代物。アルケミストって名乗っている人が作り上げたもので、不思議な能力があるとかなんとか。ま、特別な能力が使えるようになってもお金にならなきゃ意味ないけどね」
「そ、そうなんだ」
「何度か見かけたんだけどさ、特殊能力って凄いね。やっぱり、一般ピーポーだと太刀打ちできなかったよ。ま、あたしもカード持っているからそこらの人間と違うけどさ。どう? 凄いっしょ」
他の人とは違うんですと、胸をそらしていた。
「えーとさ、そのダウジングでカードって見つけられるの?」
そういえばダウジングで水脈を当てて見せると言う男の番組をテレビで見たのを思い出した。
「カードはともかく、水脈なら見つかるんじゃないの」
「いやいや、この道具は本物。何せ、節制のカードが変化した姿だから」
「へ、へぇ」
審判のカードや、戦車のカードも道具に変化していた。節制のカードも物に変化するカードらしい。
「それで、効果は?」
「探し物を見つけ出すよ。まぁ、カードだと、大体半径三十センチ内にあると反応するかな」
「……有効範囲、狭すぎない?」
「ほかのものだったら結構いけるみたいよ。まぁ、カードに対しては何か特殊な力が作用しちゃうんじゃないのかなぁ。もしくはほら、カード所持者が近くにいるとそっちに反応するかもしれないし。ただ、これは確実。君のような一般人にはほら、この通り、反応しな……」
冬治にくっつけるようにしてL字型を向ける。
突如として、金属は右手側、左手側に開いてしまった。
「だ、騙したねっ。カード所持者だったなんてっ」
素早く冬治から距離をとった節制所持者は自分が逃げ場のない(飛び降り可能な人物除く)場所に居ることを思い出した。
「まさか、入り口を押さえられるとはっ」
「別にそういうつもりじゃなかったんだけどね」
立ち位置は重要である。
「ところであんた、何のカード? 塔、星、正義、司祭、女教皇じゃないってのは確かだけど……」
「俺? 俺は恐らく愚者のカードだよ」
「すきありーっ」
冬治が自身のカードを取り出して見せると、彼に向かって猛然とダッシュし始めた。右手を伸ばしてカードを掠めようと試みる。
「おっと」
咄嗟に冬治はそれをかわし、足を引っ掛けた。彼にしては近年稀に見るいい動きだった。
「ひゃんっ」
いまどき珍しいポニーテールの娘っ子は両手を万歳したまま転んだ。写真の一枚でも撮りたい、見事なこけっぷりだった。
「お、カード」
転倒した女子生徒のポケットから一枚のカードが飛び出てきた。冬治はそれを拾い上げてこけて動かなくなった女子生徒に声をかける。
「このカード、節制のカードだよね」
「うう、あたしの完璧な計画がぁっ。あぁ、さよなら富豪、ただいま貧乏」
冬治の言葉なんて無視して、なき始めた。
「ひぐっ、ひぐっ……」
「どうせさ、嘘泣きでしょ」
演技が下手というわけではなかった。最近、心が荒むことがあったので若干疑り深い正確に鳴ったのだ。
「うぐっ……そ、そんなじゃ女の子にもてないぞ」
「嘘なきする女の子には興味がないんで」
「うう、悔しいっ、あっさりカードを盗られるなんてぇっ」
冬治は節制のカードを倒れこんでいる女子生徒の背中に乗せた。
「何か勘違いしているみたいだね。ほら、返すよ。君がカード所持者なら話があるんだ」
「ぐす、話を聞いたら何をくれるの」
世の中は見返りばかりで飢えてやがる。
見返りを求めない、ピュアな心の持ち主はどこかに居ないものだろうか。ため息を付きそうに成るのをこらえ、冬治はその場に座り込んだ。
「俺はさ、夢川冬治。今、二年。名前は?」
自己紹介を求めると、節制所持者はしばらく考え込んだ。
「教えてあげたら何くれる?」
「じゃあ、名無しななこさんでいいね。あ、勘違いしちゃったら困るけど、名無しなが苗字で、なこが名前ね」
どっかのレスラーみたいな紹介の仕方であった。
「ななこかぁ、いい名前だなぁ。あたしは武智硯。同じく二年。それで、何?」
これまで散々してきた話を冬治は始める。もちろん、カードをもらった経緯からだ。
「それで、司祭を持っていた人が死神を配下に入れたんだ。世界を裏返しにしようとしたんだけれどいいのかなぁっておもって俺が止めちゃった」
あの時、そのまま正義を裏返していればまた違った話になっていたのだろう。たまにあのまま伏せられていたほうが良かったのではないかと考え、それを否定することが続いていた。
冬治の心境なんて察するわけもない硯は微笑んだ。
「なるほど、恩人さんだったわけか。一応、礼を言っておくね。あたしも死神にやられたクチだから」
「今、その死神も探しているんだ。前回が結構大人数で向かってやられちゃったから前回よりも多い人数で向かっているよ」
本来なら司令塔を立てて、ことに当たったほうがいいのだろう。今回は各々に自由に動いてもらっているため、その辺りがちょっと不安ではある。
「それで、死神を捕まえてどうするの」
硯に言われて冬治は黙り込んだ。
「うんっと、特には考えていないかな。カードを集めると言うか、必要なときに集まってくれればそれでいいと思っているよ。よく分からないけど、とりあえずタロットカード所持者を全員集めれば何か起こるかもしれないから。死神を所持している人だって、話せば分かってもらえると思うんだ」
「駄目なときは?」
「カードでどうにかするよ」
死神に司祭のカードの効果が使用できるのは既に分かっている。協力を取り付けられなかったら司祭を遣えば言いだけの話だ。まぁ、残念なことに手元には無いが。
「わかった。協力してあげる。だけど、見返りはきっちりもらうよ。もちろん、もらうのは君のカードだから」
「いいよ、全部終わったら俺の持っている愚者のカード、あげる」
冬治の態度が意外なことだったらしい。硯は口をあけた。
「え、だって数百万もするんだよ?」
「らしいね」
「価値、分かって言ってる?」
「まぁね。分かっているつもりだよ」
こんな不思議な体験はもうこりごりだ。異界のものを所持しているだけで、日常と言うものは脆く崩れ去ることがある。
「そっか、じゃあ遠慮なく終わったらもらうからね。口約束でも、約束は約束だよ。もし嘘をついたら弄ばれたって言いふらすから」
「どうぞどうぞ」
もし、約束を違えたとしても、こちらの学園にいる期間は残り五日程度しかない。徹底的なアリバイを作るのは容易なことに思えた。暇そうな教師と行動を共にしていれば一切の問題がないだろう。
「んじゃ、審判のカードを探してもらおうかな」
「審判のカード?」
「俺が把握しているカードで残りは審判だけなんだ」
「え、嘘。じゃ、冬治君の知り合いをたどれば上手くいけばカード全部もらえるって事?」
それはないだろうと思いつつ、ほうっておくことにした。意外とあっさり片が付いたおかげで冬治も、もう少しがんばろうと言う気になったのだ。
残り一枚、全てを揃えて世界のカードのところへ向かえば、恐らく何かが変わる。
「あ、そうか。一緒に来てもらうには知っているだけじゃ駄目だな」
そこで、今だ協力を取り付けていないカードを思い出す。死神のカードを探しに向かった人物達のことを考えると、自分だけがこんなに簡単で良かったのかと思ってしまう。
「あのさ、悪いんだけど、これからちょっとついてきてよ」
「え、どこに? ホテル?」
「ホテルに入るところでカメラでも撮られそうだな。そんで、俺のことを強請ろうって魂胆かね? ん?」
「冗談だってば。それで、どこについていけばいいの?」
「図書室の書庫に」
「調べ物? 数百万もくれる人だから、手伝ってあげてもいいよ」
「そっか、お願いするよ」
さて、二人でどうにかなる相手だろうか。月の所持者、興野と一緒のときはあっさりと白旗を揚げた気がしないでもない。
屋上への扉を閉め、二人は授業中の廊下を静かに通って書庫へと向かう。幸か不幸か、必然か、図書室までの道のりは愚か、図書館から書庫までの入り口に人はいなかった。
麻生理穂がいるかどうか、普通に考えたら授業中なので居ないはずだ。が、しかし、彼女は地下書庫の一番奥に二本の柱をクロスさせて座っている。
「授業中なのにいるとは思わなかった。彼女、サボリって奴だね」
「それを言うならあたしたちのほうだよ。そもそも、向こうは小難しそうな本を読んで自主学習しているみたいだし」
硯の言葉を無視して冬治は軽く手を上げた。
「や、久しぶり」
「またきたの? それより、神様をくれる気になった?」
「ううん、それは出来ない。話し合いでどうにかしたいんでね」
冬治の後ろに居る硯は理穂の背後に居る腕の化け物を見て当然驚いていた。
「なに、あれ」
ボードが現れ、フィリップですと自己紹介をする。その光景に、またもや驚いてしまう。
「進化の一つの終着点。人の両腕を進化させた姿」
「不便そう」
フィリップのボードにはその通りですと浮かんでいる。
理穂は手元の本のページをめくった。
「そしてこれが、攻撃本能をむき出しにさせた姿」
背後に居る存在がゆがみ、消える。次に現れたのはスミロドンみたいな顔をした人と獣の中間のような変な奴だった。人のような腕をしているが、爪先、両腕は真っ赤に染まっている。
「サーベルタイガーってさ、何で絶滅したんだろ。脳みそがちいせぇから滅んじゃったのかなぁ」
冬治の質問に対し、硯は気が気でなかった。
「そ、そういうことを言っている場合じゃないと思うけど」
硯のほうは冬治の言葉にスミロドンが怒り狂うんじゃないかと気が気でない。言葉を理解するのは知能が必要である。
「かっこいいとさ、性能が低いなんてどっかのあれみたい」
スミロドンが威嚇するように鳴くだけで、書庫の誇りっぽい空気が振動した。
「ひゃああっ」
冬治の後ろに隠れた硯であったが、冬治はすぐさまその硯の後ろへと回りこむ。
「局地特化型っぽい奴ってさ、意外と汎用型に負けるよね」
「な、なにそれ、何が言いたいの?」
「だからさ、武智さんって汎用型ユニットっぽいからいけるよ……頑張って、君の望んでいるカードで左団扇の生活もすぐそこだよ」
「どうでもいいってば! 命あってのモノダネじゃんっ。あんなの相手なんてしていられないよっ」
「カードの力を使えばいいんじゃない?」
節制のカードってダウジングの道具に変身する効果しかないのだろうか。それだったらあまりにも悲しい話である。
「あのさ、節制ってほかに何か使えないかな」
「ど、どうだろう。こういう荒っぽい事なんて経験してないよ」
冬治たちがまごついている間にスミロドンみたいな奴の下にボードが現れる。
「マルカジリ」
「あれ、マルカジリって言うらしいよ。苗字? それとも下の名前かな。あ、マルカジ・リかもしれないねぇ」
「違うと思う。もっと現実を見ようよぉ」
「襲う。そっちの男は念入りに襲う」
穏やかではないマルカジリのボードの言葉に冬治は頬を叩いた。そして、真面目な表情をする。
「今、わかったよ」
「な、何が?」
硯は冬治のことより肉食獣のことばかり見ていた。
「話し合いだけじゃ駄目って時もあるってことをね」
「交渉の仕方がまずかったって考えないの?」
「俺の先輩に腕っ節こそ至上だって人がいるんだ」
「ねぇ、考え直そうよっ。どう考えても全滅フラグじゃん」
たった二人で全滅というのも寂しいものではある。
「わかった、もっと頑張ってみるよ」
話し合いを終え、胸の前でTの字を両手で作る。
「待った」
「どうせならタイムって言えばいいのに……ところで、待ったって通るの?」
「通る。待っておく」
「嘘、通るんだ……」
「ありがとうございます」
理穂の言葉に冬治は頭を下げ、携帯電話を取り出した。理穂のほうはどうでもよさげにまた本を読み始める。
「二人じゃ無理だ、応援を呼ぼう」
「えっと、いいのそれ」
「いい」
あっさりと許可が下りたところで冬治はタロットカード所持者で暇そうな人物を考える。ちょうど、午後一の授業が終わったところだった。
「あー、そうか。連絡しても来るとは限らないからなぁ……よし」
冬治は一人目に連絡し、次に二人目に連絡を入れた。二人とも、不思議がっていたがとりあえずすぐに行くとの事だった。
「よし、こんなものかな」
「どのぐらいで来てもらえるかな?」
理穂はカップラーメンが出来る時間を尋ねる程度の軽さで、視線を冬治へと向けた。
「五分以内だと思うよ。遅かったら先に始めておけばいいし……麻生さん、どうする?」
「じゃあ、待っておく」
「……何、この変な会話。ねぇ、ここにきてから何だかおかしいよ?」
硯の全うな意見に冬治は首をすくめた。
「何だかこの場所にいると変な感じになってねぇ。それが原因かも。俺と関係深い場所だったりして」
通ってもいない女学園の地価書庫が関係深い場所だなんて、学校関係者が聞いたら警備を見直すことだろう。警察が聞けば、もっと詳しく聞かせてもらおうかに発展すること間違いなしだ。
「ま、黙って待っておくのが吉だよ」
理穂は再度本に視線を落として静かになる。後ろのマルカジリもお預けを喰らったような犬みたいに微妙な顔をして待機している。
待機しているとはいえ、マルカジリはじっと冬治よりも硯のほうを見ていた。ボードには先ほどからどこからかじろうか、足から行こうか、頭からいこうかという物騒な言葉しか表示されない。
「奇襲っ、奇襲しよっ」
一分ほどで我慢できなくなった硯は書庫いっぱいに広がる声で冬治に提案するのだった。
「それはよくないよ。いいかい、俺達は待ってもらっている側なんだし、ほら、サーベルタイガーもちゃんと待ってくれているもの」
指差す先のマルカジリはおとなしくお座りしていた。ミュータントかクリーチャーの類の癖して、ボードには待機モードと書かれている。
無論、その待機モードの下には硯の食し方を坦々と表示させている。
「もう駄目、我慢できないっ。えーい、この化け物っ」
近くにあった辞書を放り投げるがマルカジリはあっさりとそれをよける。そして、一声嘶くと硯にその見事な牙を突き刺すため、飛び掛る。
ボードには焦らし勝ち一分二十秒と表示されていた。
「きゃあっ」
奇妙なことが起きた。
全ての本棚から(この区画だけで一万冊あるらしい)本が飛び出て羽ばたき始めたのだ。
そして、近くを飛んでいた辞書が一冊、マルカジリの口の中に自ら飛び込む。
それだけにとどまらず、腹部、両目、鼻、股間に辞書が突き刺さった。ご丁寧に、角の部分が目などに刺さっている。
天井近い本棚が倒れこみ、マルカジリは悲鳴をあげることなく下敷きにされた。倒れた本棚の上に本が積み重なり、最後に止めとまたもや本棚が倒れてしまう。
「げほ、げほっ、すげぇ埃だ。武智さん、今の何」
本が宙を舞ったことよりも誇りの亮に驚きながら傍らにいる硯へと疑問を投げかけた。
「さ、さぁ? たぶん、カードの力だとは思うけど」
「冬治ーっ」
「大丈夫っ?」
状況を飲み込めていない状態で、冬治が呼んだ増援の皇帝、彗と塔の千が地下書庫へとたどり着いた。
「冬治、怪我は?」
「俺は大丈夫。こっちの武智さんも大丈夫っぽい。でも……」
冬治の視線の先にはただの埃があるだけだ。一体何が起こったのか、他の本棚も倒れており、本がぶちまけられている。
積もった本は不安定な足場を形成していて、奥のほうは更に酷い状況としか思えなかった。
「一人、生き埋めになったかもしれない。あ、さっきのサーベルタイガーを含めると一匹と一人」
目の前にうずたかく詰まれる本と本棚の山。思ったよりも高く、もし崩れれば冬治たちも無事では済まされない。
「さ、サーベルタイガー? 何でそんなものが図書館に?」
彗の当然の疑問に冬治は首をかしげる。
「えーと、局地特化の進化の果てに……だったかな」
「冬治君、見ないうちにおかしくなった?」
「んー、どうだろ。そうかもしれない。あ、こんなところに千さんを呼ぶんじゃなかった」
冬治は首をすくめると千と彗をみて最後に硯を見た。
「来てもらって悪いんだけどさ、三人は書庫の入り口まで危ないから下がってて。俺さ、あの麻生さんを探してくるよ」
「一人で大丈夫? 僕もいこうか?」
彗の言葉に冬治は首を振る。
「ありがとう、でも、大丈夫、何とかなるなる」
本棚の山に足をかけ、這う様に進む。腰の砕けた四つんばいの格好で、無様だった。赤ちゃんだってまだ綺麗にはいはいできるだろう。
「生まれたての小鹿の構えぇぁぁっ、うおっち」
何度か滑りながらもようやく本の山を上りつめて冬治は本に埋もれている理穂を見つけた。
「あ、いた。おーい、麻生さんっ」
BとJの柱は見当たらず、理穂は倒れて動かない。冬治は近寄ると理穂を抱きかかえて頬を軽くはたいてみた。
「んっ……」
見た感じ、どこもぶつけたところはなさそうだった。あくまで、見た感じである。医者でもなんでもない冬治はよくわからなかった。
「ねぇ、大丈夫?」
「う、うん」
身体をゆっくりと起き上がり、何かが無いことに気づいたらしい。慌てて探し始めた。
「何をさがしてるのさ」
「女教皇」
「えと、カードのことだよね」
どこか必死な姿をしていた。
周囲には無いことを悟ったらしい。今度は冬治を軽くにらんだ。
「もしかしなくても、盗った?」
ここで手品よろしく女教皇を出していれば興奮した観客から襲われていたことだろう。残念なことに、冬治の手元に女教皇はなかった。
「盗るわけないよ。倒れてきた本棚の下敷きじゃないの?」
ある意味、自業自得のため(理穂は本を読んでいただけだが)仕方が無い。
「そんな……」
顔色が悪くなり、その手は強く握り締められている。冬治は慌てて口を開いた。
「だ、大丈夫。ちゃんと見つけてあげるから。うん、こっちの責任みたいなものだからさ」
あっさりと情に流されるあたり、時代が時代なら天下を取るところではないだろう。ころっと騙されて尻の毛まで抜かれて用済みである。
「本当? 探してくれるの?」
「うん、本当」
とりあえず勢いでうなずいておいた。この大量の本の中から見つけ出すのは非常に面倒くさいことになるだろう。一旦書庫の外に出たら教師の手によって封鎖されそうである。
「じゃあ、駄目だったら夢川の○○○をあけてさ、○○を引きずり出してそこに水銀流し込んでいい? いいよね?」
冗談だろうと冬治は理穂を見やる。彼女の目は本気っぽかった。本気っぽいだけのちょっとした茶目っ気かもしれないが、茶目っ気かどうかを確かめるほど自身の体は安くはない。
「あのさ、彗、千さん。ちょっと、タロットカードの女教皇を探すの手伝って欲しいんだけれど。あ、見える範囲でいいからね。奥まで行くと、危ないからね」
「カードの探し物? それなら節制を貸してあげる」
本の山の向こう側から手が出て、一枚のカードを落としていく。不思議なもので、冬治が触れればあっという間にL字型の道具となった。
「よしっ……自分の身体のためにも頑張るぞ」
約束した以上、見つけるしかない。○ばっかりの伏字バッドエンドを回避するにはもう女教皇のタロットカードを見つけるしか道はなかった。
「しかし、三十センチっていってもなぁ……」
理穂が倒れていた場所を中心にして本の床に這い蹲るようにしてダウジングの道具を向けるが全く反応はなかった。
「あと、十五分」
「えっ、時間制限ありなの?」
「うん」
どこから取り出したのだろうか。頭を固定するような道具と何かを切る、切り取るような道具が準備されていた。ついでに、ホームセンターに置かれているのこぎりが彼女の手には握られており、既に犠牲者がいるのか赤黒い液体が付着していた。
「それは誰の血……ごめん、なんでもない。カード、探すね」
「頑張って」
自分のために、頑張ります。僕はもうちょっと、自己中心的に生きようと思っています。
この地下書庫から抜け出たら大好きなオムライスを死ぬまで食べよう。冬治は再度這い蹲るのであった。
探し始めて十分後、徐々に冬治と理穂の距離が近くなっている。冬治はあせり始め、理穂は無表情に近かった顔が今では少し好奇心に期待を膨らませているようだ。
「頭の中を見てみたいって言葉がある」
「ああ、あるね」
返事はしても、L字型の道具を見るのは忘れない。屋上でダウジングしている彼女の気持ちがなんとなく、分かってきた。変な目で見て悪かったと謝ろうと考えていたりもする。
「頭の中、見てみたいと思わない?」
何故この子はいきなりこんな話をするのかしら。なんて、冬治が呆けたことを言うわけはなかった。冬治の頭のことを見ているのは明白だ。
「見なくていいと思うよ」
「何故?」
手を止めて、タイムアップになるのは非常に怖かった。手を動かし、口を動かしながら、頭を回転させる。
俺、勉強しているときより頭回しているんじゃね……人間誰しも、お尻に着火すれば通常の数倍は頑張れるものなのだ。最初から諦めるのも悲しいものだ。人とのコミュニケーションだって、最初が肝心だ。
「質問で返すのは悪いけどさ、人間に口があるのは何故だと思う?」
変な質問なのは重々承知だ。先ほどに比べれば幾分、マシな話ではある。
「経口摂取するため」
「それもある。いろいろな理由があって、口はついてる。だけどさ、俺は相手とコミュニケーションを取る為についているんだと思うよ。自分ひとりだったら言葉なんて要らない。相手の考えていることを知りたいから、話をする」
「話を?」
「そう、お互いの事をどう思っているのかとか、自分の気持ちを言葉に乗せるとかね。俺から見たら麻生さんは本が好きで、物静かなイメージだ。それでいて、ちょっと怖い」
冬治は少し、理穂に近づいて金属を握る。
「本がすき? それは、違う。本がすきというよりも、文を読むのがすき。人の考えていることを、知りたいから。それが漏れ出して集まった本を読んでいるだけ。別に、怖い人間というつもりはない」
怖い人間なんて色々と種類があるもんだ。自分に何らかの危害を与える人、理解に苦しむ行動をする人、まだ、他にも怖い人がいるかもしれない。理穂の場合はどちらも当てはまりそうだ。
「そんな感じで喋ってくれれば俺は麻生さんのことを誤解しないで済むかな」
「そう? 別に誤解されていても、いいかな」
「寂しくない?」
冬治の言葉に理穂は少しだけ、黙り込んだ。
「私が変なことを言うって、みんなが言うから」
その光景は容易に想像できた。
「そっか」
「うん、そう。あなただって、皆と同じ」
「見るだけじゃ、情報は少ないからね。話をしてくれなきゃ、理解は出来ないよ」
「話したら、もっと変人だと大体の人が思う」
冬治は首をすくめてみせた。
「本の中の皆は、そんな私でも優しかった」
「本の中の皆?」
「うん、女教皇の……」
必死でカードを探していた姿を思い出した。彼女にとっての友達なのだろうか。ただ、冷静に考えてみれば本の中の怪物のほうが理解しがたかった気もする。
「俺は君の理解者、友達にはなってあげられないかもしれない」
「……そう?」
「ああ、嘘はつきたくないからね。そんな俺でも、話を聞いて、上っ面だけでもうんうん頷くことは出来るよ。大人の対応って奴」
「何、それ」
少し嫌悪感が混じっていたりする。まぁ、普通の反応だ。さっき話した口の意義も余り意味が無い気がするし、頭の中をチェックされてもしょうがない。
「今日一日だけ話し合っても、お互いのことなんてわかりゃしないよ。俺だって父ちゃん母ちゃんのことがよくわかってないんだからね。理解は出来なくても、こういうひとなんだって納得は出来るはずさ。もうちょっと、仲良くなれたらね……っと、あった」
女教皇は司祭のカードと重なって本の下に伏せられていた。二枚のカードを拾い上げ、冬治は両方とも理穂へと手渡す。
「はい、これで俺は無罪放免ってことで……元からなにもやっちゃいないけどね」
「……ありがとう」
「お礼はいいよ。あ、でもさ、ちょっと俺に協力して欲しいんだけど駄目かな。司祭のカードもそのまま持っていいから、他のカードの所有者が分かり次第、集合して欲しいんだ」
「わかった……私のほうからも、いい?」
「ん?」
「たまには、ここに来て欲しい。話をしたいから」
「俺でよければ」
これで残るは死神と、審判だけだ。そう思っていた矢先、冬治の携帯電話が鳴り響くのであった。




