第二十一話:気になるものは気になります
カード所持の追跡者、二名に追われて冬治は逃げていたはずだった。逃げるため、自転車に跨り、逃亡したはずの冬治の目の前に追跡者二名の背中が見える。
相手の背中が見えるときは、追い抜かれたときか、相手の背中に追いついたときだ。一体何が起こったのか、そういう時は知っている人物を探すはずだ。例えば、犬の名前を知っているのは飼育者である。その飼育者に聞けば、犬の名前は一発で分かる。
たまに、必要以上の情報を教えてくれる人もいるが是非遠慮したいところだ。大抵の場合、長い自慢話が始まる。
「これは一体どういうことでしょうか」
冬治は後ろに乗っている少女に話しかけた。
「さぁ? わかるのはこれで作った乗り物は早いって事だけ」
これ、と言ったときに自転車の姿は無く、三輪車になっていた。何の変哲も無いピンクの三輪車であるが、そこらの自動車より速度が出そうだ。
「あの」
「これでも充分、あの二人よりは早いと思う」
「す、すげぇ」
「ま、このことよりも……」
少女は立ち上がり、冬治を見た。どこか興味をそそられたところがあるらしい。
「話、聞かせてもらおうかな。何であの二人に追いかけられているのか、洗いざらい全部ね」
「いいよ、どうせカードを持っているんだから何かしらの話はしたかったんだ」
遠くから冬治の名前を呼んでいる。冬治は軽く、ため息ついた。
「ここだといつか、ばれちゃうかも。それでいい?」
「だったら、いい場所がある」
そして連れてこられたのが自転車少女の家だった。確かに、あの二人が一軒ずつチャイムを押して夢川冬治君はいませんかというはずも無い。
「入って」
「いいの?」
「別に、誰かが居るわけでもないし」
あらまぁ、それって私とあなた、二人っきりと言うことじゃあないのといったくだらないことを考える暇も無く、冬治はリビングへとお邪魔する。これが恋人一歩寸前の関係なら何か進展していたかもしれない。
「どうぞ」
「あ、どうも……」
出されたお茶を一口含む。
「ごめん、毒入れちゃった」
「ぶほっ、げほ、げほっ、ど、毒ぅ?」
お茶を吐き出し、冬治は口をぬぐう。目の前の人物は口だけで笑っていた。
「嘘、冗談」
「……何なんだ、一体」
改めて喉を潤し、冬治はどこから話そうかと考えた。
「あのさ、普通……毒なんていれるわけないよ」
「まぁ、そうだけどさ」
考えをまとめる時間をくれたのだろうか。話を振ってくれた相手に冬治は付き合うことにした。
「カード絡みだとちょっとね。騙されたことがあるからさ」
黒い鳴子がにやっと心の中に浮かんで消えた。
「ふーん? 騙されるってさ、他者と関わるから騙されるんでしょ」
「そらまぁ、そうだね」
ぼっちは騙されない。それまでに他人に騙され続けて人間不信に陥った結果のひとりぼっちなら尚更だろう。大抵、そういうぼっちは心の隙間があるのでちょっとでも油断すると騙しやすい部類の人間になるので要注意だ。
「今の、四月一日を繰り返す日々でも悪くないと思う」
「俺も最初の頃はどうでもよかったけど、今は違うかな」
一度目を閉じ、これまであった出来事や、出会った人たちのことを思い出す。
「みんなと出会って、もうちょっと話がしてみたいとも思ったし、出来れば、日々をすごしてみたい。俺は交換生制度だから一緒に居られる時間、短いけどね。感謝していることもある。ほかの皆に聞いたことは無いけど、君みたいに別に四月一日の繰り返しでもいいって人はいるかもね。だけどさ、中には四月二日を生きたいって生徒もいるよ。とりあえず今は、明日に行けるよう、努力しているつもり」
「そういうのってさ恥ずかしくないの?」
「恥ずかしいけど、他の人は知らない俺の決意というか、考えを聞いてもらおうかなと」
自分の言葉を口にするのは恥ずかしいものである。ただ、鳴子はそれを口にし、実行に移していた。裏で動いていたこともあるだろうが、その考えに皆が賛同していた節もある。
カードについての考えもまとまったところで、冬治は咳払いをした。
「こほん、えーと、ね、まずは俺からカードのことを話すね」
「須藤木葉」
「え?」
「わたしの名前。名乗りもしないで話し始めるの?」
出鼻をくじかれる形で、二人のコミュニケーションは再開された。
「ごめん、名乗らなくて。俺は夢川冬治だよ。」
夕方、会ったでしょと言うニュアンスをこめてみたが相手はピンと来てなかった。
「変な名前」
うわ、ひでぇ、木葉って名前も大概だろうに。そう思ったりする。さすがに口からその言葉は出なかった。言ったら間違いなく、怒るだろう。そして、そこで出て行けというコンボを喰らっておしまいだ。
「何? 名前が変だって言いたいの?」
冬治の微かな表情を察して、木葉の眉根が動いた。言わなくて良かったと冷や汗が伝う。
「あ、いや、そういうわけじゃなくて」
「じゃあ、何?」
「えーと、えっとねぇ、珍しい名前だなぁって」
「つまり、珍妙だと?」
そこまでは思ってない。冬治は言葉を飲み込み、笑った。
「俺の名前よりは変じゃないかな」
別に相手を持ち上げるだけがよいとは限らない。自分が下れば相手は上がるのだ。
「何、その不幸自慢」
そして、日本人というのはやたらと不幸を自慢するときがある。それが癇に障ったらしい。
「ごめん、まぁ、世の中にはもっと変な名前の人も居るから」
あれが駄目なら次はそれを。この世に飛び散る変な名前の人を無差別に攻撃することにした。
「それ、その人たちに失礼だと思うけど?」
そして、この方法は正論を叩きつけられると非常に弱い。
「ごめんなさい」
「ん」
それで満足したのか、表情はまた無表情に近くなった。
終わりよければ、全てよしである。まだ、始まってもいないのだが。
「どこまで話したっけ?」
「まだ何も話してもらってない」
「ああ、そうだった」
適当に話して帰宅するつもりだったのにこれは中々手を焼くかもしれないぞ。
冬治は心の中でコミュ障とうまく話せる本を探してみることにした。
「俺があの二人に追いかけられていたのはね。多分、カードのことを黙っていたからだよ」
まずはこの話だろう。木葉も知りたがっていたはずの話題だ。
「名前のさ、由来って何?」
サッカーをするつもりで校庭に出たらマウンドに立ってピッチャーになっていた。そんな気分になった。
「え? 名前?」
「冬を治める、そう書いて冬治でしょう?」
「うん、まぁ。そうだね」
テーブルの上をなぞる人差し指の動きに冬治もつられ、見えない文字に首を立てに振った。
「名前の由来ねぇ……さっき言ったとおり、冬を治めるって意味だと思うよ」
「冬を治めるってよく意味が分からないんだけれど」
つまり、冬将軍のことだろうか。あれは逆に寒気を連れてくる気がしてならない。
「だねぇだねぇのそらそうだぁ」
「ん?」
「いや、なんでもない。えっと、俺もよく分からないかな。親に聞こうにも忙しくてさ、あまり親子のふれあいないし、名前に興味を持つことが無かったからね。名前の由来なんて聞いたこと無いよ」
名前に劣等感を抱く人も少しはいるだろう。そういう人は大抵、名前の意味も聞いている。
「誕生日、いつ?」
「十二月二十二日」
「まんま?」
「は? 何が?」
それっきり黙りこんだ木葉を見て、冬治は話を先に進めていいと理解する。ようやく、話せそうだ。
「それで、カードの……」
「静かにしていて。今、考えているから」
「え、何を?」
今夜の献立だろうか。
「名前の由来」
誰の? と聞こうとしてやめる。恐らく、冬治の名前の由来だ。
「わかった。待っておくよ」
待つこと約十分、その間冬治は遠慮なく目の前の木葉を凝視させもらった。小柄で童顔、一見するとおとなしそうな印象を受けるが我が強い。どうでもいいことだが、じゃんけんでは後出しをして勝ちを取りに来そうだ。
また、思慮深いところがあり、考え事をしているときの表情は引き締まっていて大人びていた。
「わかった」
木葉は静かに呟いた。
「それで、何がわかったって?」
「分からないと言うことが、わかった」
あ、そうなの。
冬治は話をどこまでしていたのか、どのように伝えるのが一番か考える。使える時間は充分あったのに、木葉を見ていたら終わってしまった。無駄な時間である。
「俺が審判のラッパをね……」
「あのさ」
冬治はジト目で木葉を見た。いい加減、被せるような話し方に辟易する。
「何だね」
「これって何?」
「これ?」
指差す先には冷えたお茶の入った湯飲みが置いてある。量販品の湯飲みは蓮根の絵柄がひとつ付けられていた。悪くは無いデザインだが、それまでだ。
「湯のみ?」
「そう、それ。名前の由来って何で湯のみ?」
「湯を飲むからって湯飲みなんじゃないの」
そんなことはどうだっていいだろう、冬治は面倒くさそうに答える。ぶっちゃけ、軽く疲れていた。
「で、誰が湯飲みって名前を付けたの?」
「さぁ? わからないよ。誰かがつけたんじゃないの」
いつ頃から湯飲みがあるのか。これから湯飲みの歴史を調べるとでも言うのだろうか……それは実に時間が掛かりそうな話でもある。
「そう、そこ。簡単な話、冬治の名前の由来を知るには名前を付けた人に会いに行けばいい」
「会いに行くって……え、ちょっと。今からいくつもり?」
話は終わった。やることやるぞと廊下に自転車を出す。
「運転して」
「え」
「場所、わからないから」
「俺も詳しくわかってないんだけど」
なんだかんだ言いつつ、冬治は自転車に跨る。
「よいしょっと」
木葉が荷台に乗り込み、冬治のお腹に手を回した。背中に言葉にしがたい柔らかいものが押し当てられる。
「意外と着やせするタイプなのね」
「何か言った?」
「最高の乗り心地だといったんです。いやぁ、素晴らしいサドルだ。幸せになれるね」
「胸が大きいって聞こえた」
「そうは言ってない」
静かであった廊下に一台のママチャリと二人のうるさい人物。二秒後、人間二人とママチャリ一台が消失した。
「ここ?」
「さぁ? 父ちゃんのところへとんでけぇって願っただけだよ」
そして二人がやってきたのは四方を森に囲まれた小さな広場である。近くには緑色のテントと火を焚いた痕跡が見つかった。
「ん? お、冬治か。どうした」
散弾銃を手にしたスーツ姿の男性がテントから顔を出す。ものすごく、異質だった。
「父ちゃん、何でこんな森の中に居るのさ」
もっとほかに突っ込むところはありそうだったが、冬治はとりあえずそういった。反抗期になると父と母の対応に疲れるのだ。
「違うでしょう」
木葉は冬治にそういうと一歩前に出て頭を下げた。
「須藤木葉です」
「ははぁ、これはどうもご丁寧に。冬治の父の、夢川史峰です」
史峰も頭を下げ、冬治はため息をついた。散弾銃のトリガーにはしっかり指がかけられている。
「母ちゃ……」
は、どこに言ったのかと聞くよりも大きな声で木葉が問いかける。
「あの、息子さんの名前の由来を教えて欲しいのですが」
敬語、使えるんだぁ……てっきり、敬語を使わない類の人間かと冬治は思っていた。
「ん? そんなことか」
「そんなことってな、父ちゃん……」
息子の人生を左右しかねない事だろうと非難がましく睨んでみる。しかし、相手に効果は薄そうだった。
「春に生まれたら春喜、夏に生まれたら夏帆、秋に生まれたら秋弘、冬に生まれたら冬彦って決めていたんだよ」
「おい、今、冬彦って言ったぞ。それと、夏帆って女の子じゃないか」
「おばか、股座に息子がいれば男なんだよ」
確かに、父ちゃんの言うとおりであった。
「でなぁ、十二月二十二日か、二十一日に生まれたら冬至ってつけようと思ってたんだ」
「やっぱり、冬至のほうかぁ」
一人納得して決着となった名前に、冬治は胸をなでおろした。
「まぁ、普通だったらそうだけれどな、冬を治める、で、冬治って言うんだよ」
「え?」
「さ、意味も分かったし帰ろうか」
したり顔で語り始める親父の口を塞いで冬治は自転車に跨る。荷台に木葉が乗り、冬治とくっつくとやたらとうなずいていた。
「いいもんだな、うらやましい。どうだ、乗せ心地って奴は」
「うっせ」
ママチャリに跨り、女の子に引っ付かれていては格好もつかない。中指を立てて見せたが効果は無い。
「じゃあ、失礼します」
「はいはい、気をつけて」
散弾銃を片手に手を振る親父に冬治はため息をついてペダルを踏み込むのであった。相変わらず、父親のことが理解できなかった。
「しかし、アルケミストのタロットカード……戦車か。本当、凄いもんだな」
親父の言葉は冬治たちの耳に届いていなかった。
「到着って本当に一瞬で移動できるとかおかしいよ」
「そういうもの。割り切らないといけないこと」
木葉の家に戻ってきた二人はさっさとテーブルに着いた。
「満足したか」
「した。じゃあ、タロットカードの話を」
「そうだな……どこから話せばいいのやら」
何だかもう、今日は疲れてしまった。
「ところで」
「はい?」
「何で、お父さんはあんな場所にスーツでショットガンを所持していたの?」
冬治が理由をでっち上げたのは言うまでもない。




