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第十七話:迂回の必要性

 冬治がぼうっと興野の後姿を眺めている間に晩御飯が出来ていた。

「冬治先輩、出来ましたよ」

「ほぉ、上手いもんだな」

 出てきたのは白身魚のムニエルに野菜がごろごろ入ったコンソメスープ。どちらもおいしそうだった。

「じゃあ、頂きます」

「興野に感謝だな。いただきます」

 基本、一人で食事をとることが多い。誰かと一緒に晩御飯だなんて、久しぶりだった。

「うまいもんだな。意外だったよ」

 コンソメスープをすすりながら、冬治は向かいの興野に話しかける。

「意外って、酷いですね。私、こう見えてもお料理得意なんですよ」

「ああ、いや、そうじゃなくてだな。なんとなく、和食のイメージだったから洋食がでてくるなんてさ」

 特に鍋料理を連想してしまうのは何故だろう。

「勉強しましたから」

「へぇ、勉強ね」

「はい。何せ美穂ちゃんが……いや、なんでもないです」

 しまったこれは言っちゃいけないことだったと静かになる。

「と、ところで冬治先輩。冬治先輩のご両親は?」

「海外。駄目息子を食わせるために働いてくれているよ。興野の両親は?」

「山奥で暮らしています」

「やっぱり、狸か」

「まぁ、はい。狸というか化け狸です。あの、冬治先輩さえよければ里にご案内しましょうか? 助けてもらったお礼もありますし」

「助けた?」

「死神から助けてくれましたし、今日だって一人であのまま地下に向かっていたらどうなっていたことやら……」

「今日の晩飯でちゃらでいいよ。そんな立派なことはしてない」

 山奥に連れて行かれて冬治鍋にされるのがオチだろう。狸をなめてはいけないのである。

 化け狸、尾坂興野とそこそこ楽しい夕食を終え、冬治は彼女を途中まで見送ることにした。

「冬治先輩、お邪魔しました」

「ああ、気をつけて帰るんだぞ」

 曲がり角を曲がるまで手を振り、冬治はため息をつく。

「はぁ、特に何も無かったなぁ」

 別に、何かちょっと期待しているようなことも無く、かといってうまく会話が弾むことも無かった。図書室や書庫ではあれだけ体を引っ付けていたのに、冬治のことをまるで狼を見るような視線で見ていたのだ。それもこれも、つけていたテレビがいきなり流したドラマのコマーシャルのせいに違いない。

 二人きりだったためか、家族の話以降あまり会話は進んでいない。共通の話題も無いため、女学園で出会った人物について話をしていたら微妙に機嫌が悪くなって最終的には帰ってしまった。

「もしかしなくても俺って今人生の絶頂期に居るんだな」

 周りに女子生徒がたくさん居る。それこそ、知り合う人物新着十件分、全て女子ときた。それなりにあくが強かったり、どこかしらに問題を抱えている。しかし、オスかメスかで言われれば当然メスだ。

「これはもしかしたら……俺に春が訪れるかもしれないな」

 知り合いの顔を頭に浮かべていくものの、冬治はだんだん元気が無くなっていった。

「う、うーん。柴乃さん、はまぁ、普通だよな。やさしいし……えーと、次は千さんか。不幸そうで、やられる前にやるってタイプに見えた。彗は論外。そんで、昌さんは悪いと思ったら実力行使に出て、姉の早苗先輩は変態と。生徒会長の鳴子先輩は結果のためには手段を選ばず、御柱先輩は近寄りがたい雰囲気の持ち主、興野は臆病で狸、美穂は化け猫でつんつん、柚子先輩は狐で、これまた表と裏がありそうだ。芽衣子先生は手を出したらおまわりさんに手錠を掛けられそうだ。今日であった人は電波さんっぽかったし……それから」

 頭を掻きながら、冬治は夜空を見上げる。

「俺の春、無理と思います」

 そんなことを考えながら歩いていたからだろう。冬治は曲がり角からやってきた人間と正面衝突した。

「がっ」

「ひゃっ」

 冬治には曲がってきた人物のおでこが鼻に当たり、相手には冬治の胸が当たった。

「いててて……おわっ」

 鼻を押さえていた冬治はすぐさま胸倉をつかまれて持ち上げられていた。しかも、片手で、だ。六十四キロの自分が軽々と持ち上げられるなんてびっくりだと鼻の痛さも忘れて手足をばたつかせる。

「おい、お前っ。よくもおれにぶつかりやがったな」

「そ。そおりぃ」

「どこ見てほっつき歩いてやがんだよっ」

 前と後ろに揺さぶられ、冬治は小さいころの記憶を思い出した。デパートの屋上の小さな遊園地でぼろぼろの遊具の乗り心地がこんな感じだった。

 あのやっすい乗り物は今もあの場所でパイロットを微妙な気持ちにさせているだろうか。

「おら、人の話、聞いてるのかよっ」

「ひいっ」

 これは恋人がちゅうしちゃう距離だ、冬治がそう考える距離まで顔を近づけられ、にらまれる。薄暗く、よく分からない。このまま初ちっすが見ず知らずの相手に奪われるのはいやだ。

「お、おらって一人称?」

「いちにんしょうだぁ? 何の話だ」

「ぼく、とか私、とかそんなの」

 コミュニケーションを取ることをあきらめてはいけない。街中でゴリラに出会ったら諦めが必要だ。しかし、目の前の人物は人間である。たとえ、ゴリラ並みの力を持っていたとしても。

「おれの一人称なんてどうでもいい話だ。てめぇ、そんな話の前に謝れよ」

 そっちからぶつかってきたんじゃないか。

 理論的に考えて、君が悪いのは火を見るよりも明らかです。

 どちらも角の立つ選択肢で、あまり得策だとは思えない。それに、やましいことを考えながら歩いていたのも相まって冬治はすんなりと頭を下げた。

 残念ながら持ち上げられているので心の中で頭を下げておいた。

「ぶつかって悪かったよ」

 絶対この後でじゃあ、ジャンプしてみろよ。お? ちゃらんって音がしたよな。それ、出せや……こんな流れに繋がるよと考える。そうなったら街中でのリアルファイトだ。喧嘩に自信はあるものの、ゴリラを相手に勝てるかどうかは不明だ。

「ったっく、気をつけやがれ」

 どうにか解放され、冬治は揺さぶっていた相手の全長をようやく見ることが出来た。

 冬治が通っている女学園のブレザータイプの制服を着ている。二つの立派な膨らみが薄闇でも十分確認できた。

「え、女の子?」

「んだよ、それがどうした」

 もし、神様が居るのならさっきの時間に戻してくれないかなぁ、事故を装ってちゅうしても……。

 冬治の頭の中に、邪神様と文字の浮かび上がるボードが現れて、彼女作れチェリー野郎と文面で罵られる。

 じゃあ、せめて、せめて女子のすっぽんぽんをっ……と、邪神に願ってみた。しかし、事故ちゅう(事故を装ってちゅうしちゃう)よりもばかばかしくて首を振る。

「その願い、叶えて進ぜようぞ」

「え、マジで?」

「何だ、一人でぶつぶつ喋ってどうかしたのか?」

 冬治は首を振り、手を振ってなんでもないよとアピールする。

「ちょっと脳内で会議を」

「ったく、最近は変な奴らに絡まれると思ったが、あのカードの影響か」

「カード?」

 冬治はその言葉を聞き逃さなかった。少し浮ついていた心を入れ替えて、相手を見やる。

「ねぇ、カードって何か絵柄が描かれていて、少し不思議な感じがするやつかな」

「お前には関係ないだろ」

 そういって肩を怒らせながら去っていく。訊ね方が直球過ぎたようだ。やはり、配球を考えることは大切なのだと教訓になった。

 今日のところは仕方が無い、帰ろう。また歩いていて誰かにぶつかり、面倒ごとに巻き込まれるかもしれない。

「あ」

 回れ右の最中、視界に何かが入ってきた。

 さっきのゴリラみたいな人物が立っていた場所に一枚のカードが落ちていたのだ。気づけたのはラッキーだった。

「何のカードだろ」

 携帯電話の明かりで絵柄を確認してみる。一人の女性が椅子に腰掛けて、微笑んでいる。握ると優しい気持ちになれるものだった。タロットの一種なのは間違いないが、種類濱ではわからなかった。

「ともかく、労せずしてカードをゲットか。ついているな、俺ってば」

 一度ポケットに入れる。しかし、頭をかきむしってすぐさま取り出す。

「ねこばばしているみたいで気分悪いし、返すか。まだ遠くに行っていないだろ」

 女子生徒が向かった方向へと走り始める。

 あの曲がり角からはしばらく一直線だから追いつくはずだ。そう思った冬治の目の前に何かが飛び出してきた。

「だっ」

「ふにゃっ」

 またも鼻先に一撃を喰らった冬治はその後に持ち上げられる。

「てめぇっ」

「あ、さっきの」

 鼻面に当たった痛みをこらえて右手に持っていたカードを差し出す。

「これ、落としたよ」

「あ?」

 返事をするときも相手に威嚇してしまうらしい。ゴリラは温厚な動物だと聞いていたはずなんだが……かなり失礼なことを考えつつ、カードを手渡す。

「ふんっ、同じ奴に二度もぶつかるとはな」

「こりゃもう、運命だね」

 冬治が軽口を叩くと目を見開かれた。

「はぁっ? うんっめい、だぁっ?」

 イントネーション的にうん、で上がって、めいで下がり、だぁっが右手をグーにして天へと突き上げる感じである。今、左手にマイクを持っているのならぜひ試して欲しい。

「で、怪我はないかね?」

「何でてめぇがえらそうなんだよ」

 拳を握り締めている。これ以上ふざけたらパンチをプレゼントされそうだった。

「あ、ごめんよ。お怪我はありませんか?」

「ねぇよっ」

 吐き捨てるように冬治に伝えるとくるりと背中を見せる。

「あれ、どこかに行くの?」

「帰るだけだよっ」

 それだけ言って去っていく。

 名前でも聞いておけばよかったかと呟くが、すぐさま考え直した。

「ま、そのうち会えるだろ。カード所持者だし」

 アパートへと帰る道で、もう誰とも出会わなかった。追いかけられることも無い。

「お……」

 しかし、106号室の前には白い猫が横たわっていた。小学生のころ、見たことある猫の死体のように横になってコの形になっている。あの頃はかわいそうだと思って友達数人と一緒に人の畑に埋めてあげたものだ。

「いや、死んじゃいない。生きてる」

 あの時は冷たく、固い感触だった。あれが、初めての身近な死に他ならなかった。

 勝手に死んでいると思っていた猫の尻尾一本が動き、手足をばたつかせる。

「尻尾が、二本?」

 冬治が知る限り、尾っぽが二本ある猫なんて知らなかった。

「珍種か、新種か、絶滅種だな。うん、元気になったら売ろう」

 猫を大事そうに抱え、106号室の中へと入る。

 寝室のサイドテーブルの上に猫を置き、刺激を与えないよう持ち上げたりしてみる。まずは胴体をじっくり見つめていたものの、汚れている程度で、目立った外傷はないようだ。

 体を固く絞ったタオルで拭き、ブラシで解いてやる。

「あ、怪我してる」

 そこで冬治は猫が右手に切り傷をしているのに気づいた。水道水を容器に溜め、軽く拭いてから人間用の消毒液を持ってきた。

「……やめとこ。人間にあうものは絶対、猫にはあわないよな。チョコレートをあげると苦い思いをするって聞いたことあるし」

 怪我自体は対してひどいものではなかったため、腕に包帯を巻く。

「何で倒れていたんだろ」

 答えは出ない。獣医ならもっと詳しくわかっただろう。まさか手を怪我した程度で猫が気絶するとも思えない。

「人の家の前で寝ていたのかね」

 そのまま布団の上へと猫を乗せてみた。

「ちょっと、野良猫にとっては豪勢すぎる。俺で言うところの天蓋付属でベッドが回るみたいな?」

 端っこへと猫を追いやり、冬治も同じ布団へと入る。

 夕食をとって、風呂に入る。風呂から出て、適当にテレビを見た後、猫の入っている布団へと入り込んだ。

「おやすみー」

 猫の頭をなでてから冬治は眠りにつく。

 その日、冬治の夢は彼の人生の中で最高のものだった。女性の胸に顔をうずめ、すき放題やっている夢だった。

 恐らく、彼が何も呟かなければ目覚ましに邪魔されるまで夢を見続けることが可能だっただろう。そして、今後が大きく変わっていた。

「うへへ、興野ぉ」

「っつ!」

「おがっ」

 突如として、冬治の脳天へと何かが振り落とされた。その一撃の威力はすさまじく、冬治は夢の内容を忘れて起床する。

「な、なんだ? 何なんだ? 一体何が……」

 あたりを見渡し、おやと首をかしげる。

「美穂?」

「おはよう、冬治先輩」

 そこには不機嫌そうな猫又の美穂が上半身を起こしていた。白いブラウスの胸元を隠すようにしており、冬治はかわいいなぁと寝ぼけた状態で美穂を見る。

「あれ? 何で美穂がここに?」

「冬治先輩が連れ込んだんじゃないの」

 どこかそっぽを向くようにして言われ、冬治は目をぱちくりさせる。

「えと、俺が連れ込んだっていうより連れてきたのは……」

 興野だよと言おうとしてやめた。何だか、大変なことに成りそうだった。いや、今も十分大変なことになっているではないか。冬治はそこでようやく目を覚ました。

「俺が連れてきたのは白い猫だよ。そうだ、珍種なんだ。尾っぽが二本ある、珍しい猫なんだ」

 口調が必死だった。俺、UFO見たんだぜと小学生の頃言ったがそろってペテン師扱いを受けたものだ。

「こんな感じでしょ?」

 美穂は冬治に背中を見せる。お尻から白い尻尾が二本、生えていた。

「そうそう、そんな感じの猫。それで、猫、見なかった?」

 美穂はいるが、猫はいない。このまま美穂を見ているのも悪くは無いが、猫も探したいのだ。

「ここに居るじゃない」

「どこに」

「だから、それはあたし」

「あたし? ああ、阿多氏さんって名前の猫か……へぶっ」

 顔面に一発パンチを食らって冬治は倒れる。

「いてぇ」

「その猫は、あたしなの。あたし、一条美穂のもう一つの姿。猫又だし」

「はぁ? あのね、ベリーと言っても、ブルーベリーとストロベリーが全然違うように似ているかなぁと思っていても実際はかけ離れている存在ってあるんだよ」

 何とか立ち上がり、冬治はため息をつく。

「論より証拠だ。証拠を見せてくれ」

「目、瞑りなさい」

「はいはい」

 ま、適当なところで薄目を開けてやろうと冬治は考える。

「もし、見たら……」

「鶴になって飛んでいくと?」

「冬治汁にして、興野に食べてもらうから」

「それはかちかち山のほうだな」

 そして、興野は料理を作る側で後にウサギに沈められるって寸法か、かわいそうに。

 くだらないことを冬治が考えている間に、何も音がしなくなった。鶴恩の翁婆も何かくだらないことをして時間を潰していればよかったのである。

「にゃー」

「にゃー? もう目を開けていいのか?」

「にゃあ」

「にゃあじゃ、わかんねぇ」

 冬治が目を開くと一匹の猫がいた。昨日の猫だと分かったのは右前足に包帯がしてあるからだ。尾っぽも二本あって時折動かしている。

「おはよう、白猫の阿多氏さん。いてっ」

 猫パンチを食らった冬治は悪かったと手を合わせて猫の脇に手をいれ、持ち上げた。昨日よりも綺麗な毛並みをしていて、冬治はまじまじと一箇所を見つめていた。猫のほうも暴れることなく、冬治のことをじっと見ている。

「ああ、阿多氏さんはメスか。三点セットが付いてないや」

 美穂の反応は凄かった。両足で冬治の目に猫キックを食らわせ、顔面を遠慮なく引っかくのであった。

「ふーっ!」

「ぎゃあああっ」

 冬治の顔には正確無比の四角形が爪によりいくつも作り出され、顔を伏せている間に背中の上でジャンプされまくる。

 それから二十分後、朝食を作り終えた冬治と、不機嫌ここに極まりという表情の美穂がテーブルについて食事をとっている。

 さすがに、怒らせておくのもまずいので話してみることにした。仲直りは健全なコミュニケーションをすることから始まるのである。

「ところでさ、何で俺のアパートの前で倒れていたんだ」

 冬治の質問がさらにいらっとさせたのかねずみに止めをさす時の表情に変わった。

「いいじゃない、別に。来ちゃ駄目だったの?」

「そうじゃなくてだな。何で怪我をして倒れていたのかって事だよ。事故か? それとも、誰かにいじめられたのか」

 未だに美穂の表情は険しい。

「俺はね、お前のことが心配で言っているんだよ」

「ふん、どうだか。何だか狸くさいんだけど」

「狸? 気のせいじゃね」

 昨日、興野が来ていたからだよ。何故だか、そういってしまうと非常にまずい気がした。

「で、怪我した理由は何だよ。美穂には借りがあるから場合によっては手伝ってもいいぞ」

「借り?」

「そう、借りだ。屋上で鳴子先輩を抑えていてくれたからな」

「……カード」

「ん?」

「カードの所有者、見つけてね。単なる人間だった。だから、真正面から襲ったんだけど」

 そこで黙り込む。悔しそうに歯をがちがち鳴らしていた。

「返り討ちってわけか」

「うん」

 にわかに信じがたい言葉である。

 片手で冬治を持ち上げ、生徒会長からあっという間に死神と司祭のカードを手に入れてみせた。美穂が負けるとなるとあいても只者ではない。また化けなんとかの類かなぁと考えてみたりする。順番で言えば犬だろうか。

「カードの能力で負けていたのかも」

「相手のカードは?」

「裏側しか見え無かった」

 油断とはこのことである。相手が猫だからといって水の入ったペットボトルを置いても効果は無かったりするのだ。そして、保健所の名前を出したところで効果は無い。誰だってなめて掛かると痛い目は見るらしい。

「ふーむ。今、美穂が持っているのは死神と、星のカードだっけ」

「ううん、星一枚だけ。死神は消えちゃった」

「消えた、ね」

 そっちの話も詳しく聞きたかったが後回しだ。

「星はどんな効果があるんだ?」

 星のカードを取り出し、冬治に渡すと軽く笑う。

「他者に希望を与えるカード」

 そういえば月は相手に不安を与えるとかなんとか興野が言っていた気がする。

「真正面からカードを奪いに行くあたしにはあまり必要ないカードかな」

 どうせなら力のカードが良かったとため息をついた。

「力、ねぇ。十分あるじゃん。それにさ、何も力がすべてって訳でもないでしょ」

「そうだけど……」

 負けたときのことを思い出したようで、元気がない。第一印象がうざ……こほん、元気のいい子だと尚更だ。

「今日は美穂の手助けをするよ。それにさ、うまくいけば話し合いで解決できるかもしれない」

 気づけば冬治の口からそんな言葉が出ていた。

「話をして通じるような相手じゃないと思うけど」

「二人でやればなんとかなるさ」

 弱気なところも見せるんだなぁと思いつつ、冬治は朝食を終えるのだった。

 二人して106号室を出ると正義のカードを持っているはずの人物、昌と出会う。

「あ、えっと」

 昌は冬治を見た後、変な表情になった。

「どこかで、会ったことあります?」

 昌も冬治のことを覚えていないらしい。冬治は首をすくめておいた。

「さぁ、ちょっと分からないですね」

「あれ? そっちの人は一条さん?」

 一条とは入学式のときに出会っているとの事なので、知っているらしい。しかし、その目はどこか警戒しているようだった。

「どうも、小うるさい先輩。冬治先輩、もう行こっ」

 冬治の陰に隠れるようにして袖を引く。

「あ、うん。昌さんまたね」

 昌に手をふり、二人は歩き出す。

 しばらく歩いて冬治はため息をついた。

「どうせ同じ場所に行くんだから一緒に行った方がいいんじゃないの」

 こちらのカードを見せるなり、能力を見せたら記憶も戻りそうだ。昌の場合、これこれこういう事情があってと伝えれば手伝ってくれそうである。

「あの先輩、嫌い。嫌な相手と一緒に居るのって息つまるじゃん」

 それはそうだが、冬治としてはカードの事に関してちょっと探りを入れたかったりもする。たとえカードを見て記憶が戻らなくても、早苗の事について知る事が可能なはずだ。

 早苗と連絡を取ることが出来れば彼女の知り合いにカード所持者はいないかどうか調べることは広がるだろう。司祭のカードは地下書庫の浅生理穂が所持しているため、鳴子を警戒する必要は低い。理穂の身体能力はともかく、背後に控える邪神達は脅威だ。

「さっきの先輩と一緒に登校したいなら今からでも遅くないよ」

 そんな冬治の機敏を読んだわけでもないだろうが、美穂はぶっきらぼうにそういってそっぽをむいた。

 余計なことは考えないで、今日という日は美穂に捧げよう。冬治は心の中で苦笑しつつ、美穂に話しかける。

「今日は美穂を手伝うって言ったからな。まずはカードを持っているって人を見つけよう」

「そ、そう。あの先輩と一緒に行かなくていいんだ? じゃあ付いて来て」

 何か嬉しいことでもあったのか、美穂は冬治の腕を引いてさらに急ぐのだった。

「で、これは?」

「校門で時間ぎりぎりまで粘る。そうすれば、顔を見たときに分かるからね」

 どうよ、この立派な作戦は。自信満々の美穂と、不安を隠せない冬治はじろじろと他の生徒達に見られるのだった。一日挨拶大使というたすきを掛けていれば逆に溶け込めるのである。

「な、なぁ、何だか恥ずかしくないか?」

 それまで特別に目立ったことの無い冬治としては少し恥ずかしかった。あまり女子生徒に見られるのは気持ちいいものではない。男子が少ないだけましだった。

「何? 冬治先輩、朝、自分が何をしたか覚えてないの? 自分の胸に手を当てて思い出しなさいよ」

 じろりとにらみつけられ、冬治は自分の胸に手をあてて考える。傍から見ると祈りを捧げている崇高な人に見えた。通り過ぎる女子生徒の中には何故だか真似をして通り過ぎる人もいた。

「あ、そういえばなんだか柔らかいものに顔をうずめて、揉んでいる夢を見た。なんだかこう、やらしい感じの夢だった」

 あくまで見えるだけだ。もし、神様が居るのなら今の冬治を見て、彼は駄目だね。後四回ぐらい地獄に落ちて、心の汚れを取り除かないと天国行きは考えられないよと言っていたことだろう。

「うん、何だか夢じゃないように思えてならなかった。もうちょっとで思い出せ……ほぼっ」

「誰がそっちを思い出せって言ったのよっ」

 美穂にアイアンクローされ、持ち上げられる。一体、美穂のどこにそんな力があるのか……他の女子生徒は手品が始まったのかと足を止め初めていた。

「じゃ、じゃあ一体何のことを言っているんだよっ。いや、何のことを言っているんだい」

 さすがに怒った冬治は美穂に噛み付く。しかし、迫力的には美穂のほうが凄かった。

「あんたが、私の股座をまじまじ眺めて付いてないとかいったでしょっ」

「それは……つい、見るんだよ、確認しちゃうだろ?」

「興野とあたしを間違えるしっ、デリカシーないしっ、女なら誰でも、何でもいいわけ? この最低野郎っ」

 喋っているうちに熱くなったのか、美穂は冬治に強烈な張り手を繰り出して走っていってしまう。

「おほほほおっ、おほっ、つーっ、いてぇ」

 痛みで少しおかしくなった冬治は飛び跳ねたり、歯を食いしばったりして痛みに耐え、俺は出来る子と心を強く持つ。そんな冬治を女学園の生徒が遠巻きに見ていた。

 ただ一人を除いて。

「よお、何してんだ?」

「あいひゃひゃひゃっひゃ……え?」

 左頬を押さえながら声をかけてきた人物を見る。そこにはほんの少しだけ心配そうな表情をした少女が立っていた。

 顔より先に胸に目が行き、それが誰だったのか思い出した。ああ、昨日のゴリラみたいな力の人か。言いかけて冬治は言葉を飲み込む。

「昨日、会っただろ? もう忘れたのか」

 ここでうん、確かにあったねと肯定すれば自身がカードを持っていますと言っているようなものだろう。カードに関係の無いものたちは全く気づいていないのだ。

「そう、だね」

 一瞬躊躇したものの、素直にうなずいてみせる。

「そうか、お前もカード、持っているんだな?」

 嘘をつく理由も無かった。そもそも、頬が痛くてビックバン状態なのだから正常な判断が出来ない。

「うん、まぁね。持ってるよ」

「何枚だ」

「一枚だよ。ほら、これ」

 こりゃ、この場で取られるかもしれないと冬治は覚悟する。取られてしまった場合、どうなるかまだ分からない。それを試すいい機会かもしれなかった。

「じゃあ、これお前に渡す」

 カードを胸に押し付けられた。

「え?」

「三年B組、睦月薺。おれの名前だ」

「なずな先輩?」

「で、お前は?」

 年上だったのかと冬治は慌てて居住まいを正し、口調を改めた。

「こほん、大変失礼致しました。わたくし、羽津学園から交換生制度で四月一日よりお世話になっております夢……」

「お前、もうちょっと普通に話せないのか」

 普通じゃない感じの人に普通に話せといわれるのは非常に嫌である。

「あ、えっと、俺は二年G組の夢川冬治です」

「そうか、じゃあ、冬治。カードはお前に渡したから。昼休み、食堂に来い」

「はぁ、わかりました」

 カードに未練はないとばかりに、薺はそのまま行ってしまう。冬治はカードをポケットに入れると美穂や薺の後を追って校舎内へと入るのだった。

「……ちょっと目立ちすぎたかな」

 先ほどのやり取りを見ているものが居るかもしれない、そう思ってあたりを警戒しても、誰からも声は掛けられなかった。

 校舎で張り倒された人……そんな通り名をゲットしてしまった冬治は芽衣子に笑われ、柴乃に変な人と認識されたのであった。

 四月一日がもし、繰り返されなかったらどうしよう。しばらく考え、冬治は旅に出ようと決意する。

 そして、お昼休みがやってきた。

「夢川君」

「ん?」

 朝のホームルームで学級委員長に昇格した昌に声を掛けられる。

「何?」

「一条さん、来てるよ」

 昌は教室の前の扉を軽く見やる。確かに、そこには美穂がいた。

「え? ああ、教えてくれてありがとう」

 それだけで話が終わったものだと思ったらまだ昌は立っている。

「あのさ、あれから何かあった?」

「何かって?」

「ん、何だか一条さんの元気が無いようだから。それに、頬を叩かれたってきいたよ」

 この時点で隣の席である柴乃が聞き耳を立てている。本人は教科書を読んでいる振りをしているが、逆だった。

「……ちょっと喧嘩しちゃってね。今来ているのもその件だよ、うん。絶対にそうだね」

 これ以上、余計なことを聞かれるのは非常にまずいと冬治は逃げるように美穂の居る廊下へと向かう。

 興味深々なのは柴乃だけではないらしい。クラスの生徒達がこぞって廊下側に移動してきている。

「場所を変えようか」

「え」

「ほら、行くぞ」

 手をとって廊下を走る。話題性充分だったためか、渡り廊下まで逃げる羽目になった。

「で、美穂、どうかしたのか」

 人がいないことは確認したが、警戒は怠らない。

「謝ろうかとおもって。さすがに、ぶったのはやりすぎたかなって」

 ぶすっとした調子であるが、どこか気恥ずかしいのか顔を赤くしている。

「ごめん、冬治先輩」

「いいよ、俺も無神経だったから。それよりさ……」

 これから、ちょっとカードの持ち主と話をしてくるからと、言おうとした冬治の肩を誰かが叩いた。

「……はい?」

 一体誰が肩を叩いたのか、確認するために振り返る。

「よっ」

 振り返った﨑に薺が右手を上げていた。

「迷子になられても困るから、迎えに来てやったよ」

 後輩を気遣う先輩のようであった。意外と、話せるような仲になれば接しやすい人かもしれないなぁそんなことを冬治は考えていた。

「あんたっ」

 まぁ、あくまで信頼関係が築ければ、である。

「お前はっ」

  美穂と薺がお互いの顔を認識した瞬間、冬治を中心にして三歩ほど飛び退る。さっきまでのどこか甘酸っぱく、爽やかな雰囲気は吹き飛んで緊迫感が漂い始めた。

「冬治先輩、こいつと知り合いだったの?」

「え? あ、はぁ、まぁ」

 知らないって言ったらその時点で薺に蹴り飛ばされそうだった。

「冬治、あいつと知り合いなのかよ」

「まぁ、はぁ、そうですね」

 知らないって言ったらその場で股間のあれをああしてこうして大変なことになりそうだったので黙っておいた。おそらく、薺を敵に回した時はあれがなくなるか潰されて、女の子になっていることだろう。

 何だか、悪い方向へ向かいつつあるぞ。

 冬治の想像は既に当たっていた。美穂は相手の隙を完全にうかがっている状態だし、薺のほうは腕を鳴らしはじめている。

「あーこほん、一旦食堂へ。そこで話をします。今ここで争うと変な誤解を受けそうなのでっ」

 気づけば人が集まっていた。薺はそれなりに有名な人物らしく、にわか有名人の冬治と美穂よりも上のようだ。あの薺先輩が男を取り合っているなどと女子生徒は叫んでおり、少ない男子生徒たちは羨望の眼差しで冬治のことを見ていた。

 まぁ、立場が変われた全員遠慮するだろう。

「ね、お願い。一生のお願いだから!」

「わ、分かったわよ」

「ちっ、しょうがねぇ」

 冬治の思いがけない大声に二人は驚いたようで素直に従ってくれる。

 食堂へと場所を移したが、冬治たちの周りに人は座らなかった。食堂へとやってくる途中で、美穂はともかく、薺のうわさを聞いたのだ。どれもこれもが血なまぐさいもので、その中には腰を抜かして逃げ惑う男子生徒が居たりする。冬治は知らなかったが、どうやら羽津学園でも相当有名な人物らしい。

 遠巻きに生徒達が三人のことを見守っている。

「で、だ」

 冬治はお茶を飲んで問題の解決へと向かうことにする。

「美穂と薺先輩、二人はお知り合い?」

「カードを所持している不良」

「絡んできた町の不良」

 似たようなものだとため息をついた。美穂のほうは一度負けているので手を出さないのか、おとなしくしている。薺のほうも手を出さなければ襲うつもりは無いのか静かにしている。嵐の前の静けさとは、腹の探りあいのことかもしれない。

「薺先輩、カードの話を聞きたくありませんか」

 黙っていても、話は始まらない。どちらかに任せても結果は血を見るよりも明らかになるだろう。

「あまり興味ねぇなぁ」

 どうでもよさげに日替わりB定食の大盛りに挑んでいる。ちなみに、これは冬治のおごりだったりする。

「まぁ、そういわずに。カードを誰かから渡されましたよね」

「ああ、何組かは忘れたが、三年の奴だな。カードを引いて、説明していたよ。なんだったかな、確か……」

 しばらく考え、薺は首をすくめる。

「持ってりゃ女には絶対に負けないってよ」

「女には絶対に負けないか」

 男が襲ってきても迎撃しそうだ。彼女に勝つには男でも駄目、女でも駄目……つまり、おねぇになるしかない。

「あと、女帝って言ってたかな」

「女帝、ね」

 美穂が頭からつま先まで薺を見やる。

 女帝ってこんな感じなのだろうかと冬治も考えつつ、話を続ける。

「カードをもらったあと、変なことがおきませんでしたか」

「変なこと? ああ、そういえばもらって数秒後に黒いもやもやを体に引っ付けた変な奴に襲われたな。カードを持ったままだったから捨てたらカードを裏返されて……あとは、覚えてねぇ」

「なるほど」

 美穂がA定食をつつきながら納得していた。ちなみに、こちらも冬治の奢りである。

 どちらかにしか奢らなかったら絶対に角が立つという考えのへたれは素うどんをすすっている。胃が痛いときに良く注文していた。あと、お財布にもやさしい。

「薺先輩のカードが裏返されている間、ちょっとした事件が起こっていたんですよ。生徒会長の羽津鳴子先輩がまぁ、暴走と言うかなんというか、全てのカードを裏返そうとしていました」

「つまり、そいつがおれの自由を奪っていたと?」

 あの生徒会長め……薺の瞳が燃えていた。

「か、どうかは分かりませんけどね。実行犯は死神のカードを持った人です。それに、やり直した俺が言うのもなんですけど、世界のカードを裏返しても良かったような気がします」

「良くないことが起こりそうだけど」

「確かに」

 美穂の言葉に冬治も悩みながらうなずいた。結局、世界を裏返していれば何かしらの結末にはたどり着いていたのだ。

 ハッピーエンドなんて、主観的な話なのだ。誰かにとってはバッドエンドかもしれない。

「まぁ、それで全てのカードを集めてみようかと思いまして」

「何だ、つまりお前も生徒会長と同じことをしているのか」

 薺がそういうと冬治は首を振る。

「いえ、似ているようで違うことをしているつもりです。俺はまずカードの所有者を把握したいんですよ。全員ね」

「把握? 何でだ」

 薺の疑問に冬治は漠然としているものの、考えていることを伝える。

「把握して、全員で話し合いたいんです。どうすればいいのかと、このカードは一体何なのかを……」

「カードを持ってる奴は何人だよ」

「二十二人かな。カード自体は二十三枚あるみたいだけど」

 つんとした感じで美穂が言うと薺は鼻を鳴らすのだった。

「ま、いいさ。他のカードが集まったときにおれを呼べばいいだろう」

「まぁ、そうなんですけど。出来れば、情報を集めたり、非協力的なカード所有者が出てきたときに薺先輩にも説得してもらいたいんです」

「拳でか?」

「そうなるときもあるかもしれませんね。カードの能力に酔っている人がいるかもしれませんし」

 何のカードを所有しているのか分からない、女教師が頭に浮かんだが黙っておいた。あの人はたぶん、大丈夫だろう。

「冬治がそういうんじゃ仕方ないな。お前は、悪そうな奴じゃないから信用してやるよ」

「冗談でも嬉しいですけど」

「冗談じゃないさ。お前はそう言う奴だよ」

 軽く肩を叩かれて、冬治は嬉しくなった。

「ありがとうございます」

「……あ、あたしも信用しているし」

「美穂もありがとう」

 連絡先を交換し、薺を見送る。冬治は伸びてしまった残りのうどんをすすることにした。

「まずっ」

「学食だからそんなものでしょ。A定食はおいしかったけど」

 そして何より、他人の奢りだ。

 冬治より先に食べ終わっていた美穂は立ち上がり、食器を置きに行こうとする。そんな美穂を冬治は引き止めた。

「あ、ちょっと待ってくれよ」

「何で? あんまり目立ちたくないんだけど」

 遠巻きに見ている連中は相変わらずであった。

「あまり単独で動かないで誰かと行動しておいたほうがいい。俺じゃなくてもいいから。柚子先輩達と行動しろよ」

「わかった。でも、冬治先輩は?」

「俺は一人でも大丈夫だよ。ほら、男だし」

「性別、関係ないんじゃないの?」

「いいんだよ、俺は先輩だし。それに、やばいなって思ったときはちゃんと逃げるって判断できる。もしくは、誰かに助けを求めるからさ。なんだかんだで知り合いが増えたからな」

「あっそ」

 何だか冷たい態度に冬治は苦笑する。

「ま、助けを求めると言ったら美穂だろうけど。もしくは、柚子先輩だよ。俺がラッパを吹いていたときに残っていたのはその面子だけだったし。何より、頼りになりそうだ」

「ふ、ふーん、まぁ、頑張って助けには行くけどね。じゃ、また今度」

「ああ」

 冬治のほうはだらだらとうどんをすすり終え、トイレによってから教室へと戻るのだった。

「ん?」

 教室へと戻った冬治の机の中に、見慣れない封筒が入っていた。それには、いまどき珍しいハートマークのシールで封がされている。

 こんなことが初めてである冬治は誰かに助けを求めたかったが、誰にも助けを求めることなく、放課後まで悶々とした時間をすごし、そのときを迎えるのだった。


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