第十六話:BとJの柱
教師である芽衣子から新たなカードの情報を得た。地下書庫にカードを所持する人がいるかもしれないというのだ。まず間違いなく、カードを所持する相手は本が好きなのだろう。生徒会長である羽津鳴子は何かしらの目的のため、カードを集め裏返しにしていた。つまり、そういう人間の可能性も無きにしも非ず。一人で向かうのは無謀に思えたが、なんとかなるだろうと楽観視していたりする。
芽衣子と一緒にいけばいいのに、冬治は一人、地下書庫へと向かう。地下書庫へと通じる道は図書館内にあるらしいので、まずは図書館へ行く必要がある。
「あ、いたいた」
「ありゃ、柴乃さん?」
職員室から図書館へと向かう道すがら柴乃が手を振りながら冬治のほうへと走ってくる。
「もう、放課後になったらぷいっといなくなっちゃうんだから」
「……何か約束とかしていたっけ」
放課後になってすぐ、職員室へと向かったのだ。約束なんてしていなかった気がする。
「してないけどさ。学園の中、初日じゃよくわかってないでしょ? 案内してあげようかと思って」
「あ、ああ、なるほどね」
ラッパを吹く前はカードのことで忙しかった。カードなんて関係なければそれはそれで楽しい毎日を送れていたようである。
「今日はもう遅いからさ、明日……四月二日にお願いしてもいいかな?」
「ん、了解。冬治君はもう帰るの?」
「ちょっと図書館に用事が……」
「今日、図書館貸し出しできないよ」
「ああ、いや、違うんだ。芽衣子先生から頼まれていてね」
「ふーん?」
どんなことを頼まれたのか、突っ込まれたらどうしよう。嘘で塗り固められていく友好関係が嫌になってきたりもする。
「そっか、頑張ってね」
「ありがと。じゃ、また明日」
「うん、さよなら」
柴乃と別れちょっとばかり夕焼けの廊下に佇む。
「ちょっと、もったいなかったか?」
放課後、学園内を安心してくれるなんて実に魅力的だった。四月二日がやってくるのはいつになることやら……やはり、非日常からの脱却を目指すしかない。もちろん、全てのカードを裏返すという方法は何だか違う気がしてならない。別の方法を探すべきだろう。
決意を新たに、冬治は人っ子一人いない廊下を歩くのだった。
冬治は知らないが、この学園の図書館にはある噂がある。
まだ、この校舎が建てられて間もない頃の話だ、オカルト関係、主に黒魔術と言った類の本がいくつか要望により取り入れられた。ふざけて借りる女子生徒のほかに、真摯にその道へと向かおうとする者、興味はあるものの馬鹿馬鹿しいと一笑する者、反応は様々だった。
オカルト熱も数ヶ月で冷め切り、読まれなくなった本は書庫で眠りに着いた。そういった類の本が探されるのは数年に一度になる。書庫に来る者だって一般の生徒は年に一回程度、オカルトの本が探される機会も蔵書確認のときぐらいだ。
それが起こったのは生徒も、教師も、司書も誰もが忘れてしまっていたある年のことだ。地下書庫にさまようとある人物の霊を復活させようとする事件が起こったらしい。
「うおっ」
図書館へやってきた冬治は隅っこで固まり震える肉塊を見て声をあげた。芽衣子から地下書庫には男子生徒の幽霊が出るぞと脅されていたからかもしれない。冷静に考えてみればまだ地下書庫ではなく、図書館の入り口付近なのだが。
「あ、あ、あわわわわっ」
その姿を見たことがある冬治は肉塊に話しかけた。周りに何かがいれば警戒していた。ただ、見える範囲では、誰もいない。見える人ならば面白いものが見えていたことだろう。
「もしかしなくても、興野か?」
「と、冬治先輩? 冬治先輩っ! 冬治先輩ぃぃぃぃっ!」
肉塊は頭を抱えながら冬治を見上げ、野生動物みたいな素早さで冬治の胸へと顔をうずめる。
「助かったぁっ」
「一体、何があったんだ」
化け狸、尾坂興野を抱きとめながら冬治はあたりを見渡す。先ほどと同じで、興野以外、誰もいない。物陰から満を持して誰かが出てくる気配もないし、何かが起こったような痕跡は見受けられなかった。
とりあえずここは安心だ。
安心だと思ったら自分の胸の中で震える後輩が気になってきた。興野の震えが収まる前に、冬治は押し付けられるやわらかい何かやら、首筋に当たる吐息に我慢しようとする。
葛藤するうちに悪魔と天使が生まれる。
「よっしゃ、そのまま押し倒すんだ。押し倒すとは行かないまでも、思いっきり抱きしめてやれ。なぁに、どうせ誰も見ていないんだ」
悪魔が冬治の耳元で騒ぎ立る。冬治は自身の良心に一縷の望みをかける。
「やめたまえ……やーれっ……彼女が嫌がるぞ……せめてパフパフぐらい……さぁ、手を離すんだ」
冬治が苦悩すること、数分。
「冬治先輩?」
「よしっ、やるか」
冬治は悪魔と天使に説得され、覚悟を決めた。夕暮れ時、誰も居ない図書館で後輩の女の子と二人きり……これはいけると何の根拠も無く呟いた。
「興野っ」
「は、はいっ?」
既に震えが止まっており、興野は顔を赤らめていた。冷静になって自分が抱きついていることに気づいたらしい。
大きく目を見開いた興野の瞳に映る自身の顔が映った。何だかそれが獣……いいや、ケダモノの目に見えて自己嫌悪し、冬治は現実に引き戻される。
「……俺から、離れるなよ。ちょっと見て周ろう」
「わ、わかりました」
冬治に引っ付くようにして興野は歩き始め、歩きにくいながらも何故だか頬が緩んでしまう。この程度なら、色々とセーフだ。何ら、問題は生じない。
「これが、身の丈にあった幸せってやつかね」
こっちの学園に来て良かった。交換生を実施してくれたどこかに居る誰かへ感謝を述べたくなる。さしあたり、この学園の生徒会の皆さんに心の中で手を合わせておいた。
一瞬にして幸せになった冬治は興野を引きつれ、図書館内を一周する。
おや、まだ逃げてなかったのかい。臆病な狸が人間を連れてきたところで結果は変わらないよ……そんな人物は現れなかった。
「特に、何も無かったな」
拍子抜けである。こっちの学園にやってきてから何かあるんじゃないかと思えば必ずあった。
「それで、興野は何で怯えていたんだ?」
「は、はいぃ。実はですね、冬治先輩がラッパを吹いてからこっち、信田さんと美穂ちゃんと私で話し合って調査と回収をしようと決めたんです」
「調査、回収?」
全く話が繋がらないように思えた。
「生徒会長が生徒を襲うという凶行に走りましたからね。また繰り返されると困るので、司祭のタロットカード、取ってきたんですよ」
「凶行って言うほどのことでもない気がするけど……ま、回収したのならいいか」
それを悪用したらどうなるのだろうかと興野を見る。しかし、目の前の人物が鳴子ほど上手くカードを使用できるとは思えない。
「いや、待てよ」
こういう少しとぼけている奴のほうが黒幕だったりする。
「な、何ですか?」
「なんでもないよ。で、回収したカードは?」
「盗られました」
「何だって?」
待て待て、これこそ興野の考えでわざと奪われた……。そこまで考え、冬治は相手を見やる。
「あの、どうかしました?」
駄目だ、こいつじゃ黒幕は勤まりそうに無い。冬治は一つ、ため息をつく。
「ちょっと頼りないな」
「うう、図書室でカードを持つ生徒を見かけたって美穂ちゃんが言ったから代わりに見に来たんです。だけど奇妙な腕が書庫から出てきてカードを奪われちゃったんですよっ。それで、怖くなっちゃって……思い出すだけでも、震えますっ。あ、でもでも、自分のカードは死守しましたよ!」
そういって制服の裏ポケットに入っているカードを冬治に見せた。
「どこに隠しているのかばらしちゃ駄目だろ。俺がそのカード、盗もうと思えばいつでも盗めるぞ」
「あ、そうでした」
本当、残念な狸だと冬治はため息をつく。
ため息をついたせいで余計、疲れた気がした。
「で、どうする? もう暗いけど?」
「書庫に素早く入って、せめて司祭のタロットを奪還したいです」
奪われたことに関して責任があるのか、それとも司祭のカードに未練があるのかはわからない。狸がやる気を出しているのは確かだ。
「頑張りますっ」
「そうかい、じゃあ、手伝うよ」
興野を伴い、書庫へと向かう。狸は鉢巻をしてやる気ありますよとアピールしている。
「あけるぞ? 準備はいいか」
「は、はいっ」
立派な錠前が似合いそうな趣の扉である。しかし、拍子抜けするほど簡単に開いてしまった。
「ここが書庫?」
スイッチを探し、部屋の電気をつける。明るいと言うよりもおどろおどろしい程度の灯りしか付かなかった。地下書庫と聞いていたのに、一階部分に造られている。
「地下書庫って聞いていたんだけどな」
「私もあまり来たことがないんですけど。地下もあるそうですよ」
「へぇ、なるほどな」
広さは図書室の約半分と言ったところだろう。興野を連れて書庫を一周してみる。何かがあると言うわけでもない。書架には本が詰まっているだけだ。
「何もいないな」
「そう、ですね」
冬治と興野は互いに顔を見やり、普段よりも数倍小さい声で話し始める。誰もいないが、誰かに見られている気がする。
「帰るか。カードが見つからないんじゃ、仕方ないよな?」
「そうですね、そうしましょうか」
賛成多数で、可決しましたと冬治は呟いて出口へと向かう。まぁ、また今度地下書庫にやってきたとき、確認するだけでいいだろう。そんな簡単なことを考えていたりする。
「いるよ」
不意に聞こえてきた声に興野は驚き、興野は慌てて冬治に引っ付いた。
「だ、誰かいるのか」
冬治の声に反応は無く、興野は腰が抜けたのか冬治にぶら下がったままだ。
「っかしーな、誰も居ない。うん、帰るか」
「ち、地下のほうから声がしましたぁ」
さっさと逃げ帰ろうとした冬治に興野が答えたため、内心ため息をつく。
「耳、いいんだな」
恨みがましい声になったかもしれないな、そう思ったが怖いものは怖い。ホラー物だと基本、勇敢な奴からやられるものだ。
「が、頑張りましょうよ」
冬治の手を握ってくれた興野の手は温かい。臆病な狸に励まされるとは、焼きが回ったものだとため息をつく。
「……そうだな、せっかくここまで来たんだから頑張るか」
女子生徒が居る手前、尻尾を丸めて逃げ出すわけにも行かなくなった。冬治は慎重に階段踊り場へと続く扉を開く。お化けや幽霊の類ではなく、カードが関係している。そう思えば、怖くはない。
「広いな」
階段の横幅は四人が同時に下りても余裕が出来るゆったり設計。重たい辞書を多数運ばなくてはいけない時の為に、扉近くには昇降機まで設置されている。人は入っちゃ駄目だよと昇降機には書かれているが、馬鹿な生徒は入りそうだった。
地下に何かがいるのを感じる。冬治は一旦足を止めた。
「興野、本当についてくる気か?」
「えっと……」
「怖いのなら、ああ、いや、危ない気がするのならここで待機しておいたほうがいい」
「わ、私は……」
興野はしばらく悩んでいたが、決心したようだ。これまで情けないところしか見たことの無い冬治は決意の固さに少し驚いてしまう。
「で、どうする?」
「ここに残りますっ」
冬治は一人空しく書庫地下一階へ続く扉を開けるのだった。
「ここが地下書庫か」
中は洋風だった。床はマルーン色の絨毯が引いてある。地上一階の書庫よりも書架が大きく、天井まで引っ付いている。
部屋に変わったところはない。ただ、部屋の奥に少なく見積もっても非日常が居座っていた。
「ありゃ間違いなく学園の備品じゃないよな」
アルファベットの二番目、十番目が描かれた柱に腰掛け、分厚すぎるハードカバーを手にした少女がいた。そしてその後ろには天井ぎりぎりのでかい化け物が鎮座している。
「ぁぁぁぁぁぁ」
化け物は女性を思わせるような見た目をしていた。豊かな乳房、引き締まっていながら柔らかそうな腰つきをしている。下半身は肉が削がれて背骨が垂れ下がっており、血が滴っていた。また、両腕は二の腕から下が無かった。迷子になった両腕が何を思ったのか両目に突き刺さってカタツムリに寄生するあれのように元気に動いていた。
奇妙で、性的で、非常にグロテスクだった。気持ち悪くて見られないが、つい見てしまう矛盾した存在だ。
「ねぇ」
女子生徒がその気だったのならば、冬治は既に終わっていただろう。
「な、何?」
黒髪を長く伸ばした少女だった。若干暗そうな女子生徒だが、美人である。そんな陰有美人に声を掛けられ、冬治は少しだけ、彼女に近づいた。
「神様って、居ると思う?」
少女の後ろでボードが持ち上がると文字が浮かび上がった。
「どうも、邪神です。名前はまだありません」
呻き続けており、声は発していない。お前、もうちょっと尊大な話し方したほうがいいぞと言いたくなった。
「で、どうなの?」
「え? 神様がいるのか、居ないのかだよね。えっと、いないんじゃないかな」
ボードに、書き殴った様な文字が浮かび上がる。まさかのコミュニケーション取りたがりである。
「無視すんなおらあっ」
同時に、女子生徒の背後に居る邪神(自称)が活発化していくようだ。
「あのさ、君もタロットカードのどれかをもらったんだろう?」
長くこの場にいると、背後の化け物に何かされそうだ。脳内会議で満場一致のカード奪取後、お外にダッシュが決まった。
「カードをもっているかどうか、それは教えられない」
背後のボードには、この子は女教皇と書かれた文字が浮かび上がる。
「えっと、女教皇?」
「あら、正解……もしかしなくても知ってた?」
そういって司祭のタロットカードを女子生徒は取り出して冬治に見せた。
「それ、司祭のカード」
「神様ってさ、思念顕現体なのかな。同じ神を祈っていても、人によって脳内で想像、ううん、創造している神様って違うよね」
少女の手元にある本が勝手に開いた。そして、ページが自動的にめくられていく。すると、後ろに居る邪神の姿が消え、そこには新たに男性の下半身が現れた。股間部から屈強な男性の上半身が生えており、顎鬚をなでている。
「司祭のカードは、わたしの持っている女教皇より凄いものを生み出せる。でもね、それには想像力が必要だから、単体だと意味をなさない。人を操るって事は危険を皆で感じ、考えを一つにまとめる必要がある。そうして生み出されたものは凄い。人間は群れる人間だからね。でも、女教皇に信者は要らない。この本に見えるものを生み出せるから」
冬治のほうへとページを向けた。そこには何も描かれていない。異様なほど、真っ白なページが広がっているだけだった。
「何が見える?」
「何も。白紙だよ」
またもやボードに文字が記入された。
「わしだ、わしの絵が描かれている」
そんな卑猥なものは見えんよと冬治は首を振った。
「神様ってさ、居るとしたら……さっき、居ないって言ったよね?」
「まぁ、うん。言ったよ」
「居るとしたら、どんな感じかな」
少なくとも、少女の背後に出てきた見た目じゃないのは確かだ。冬治はそう考えながら返答を口にする。
「人に似ているんじゃないかな」
「だよね。わたしは、間違っていないよね」
私は正しいのだという雰囲気が漂い始める。
「さっき、神様は居ないって言ったよね」
同じことの確認だった。かわっていることは彼女の声が無機質になったことだ。
「あ、ああ、言ったよ」
冬治が肯定すると同時に女子生徒の足元へ光が集まる。暗がりだった部屋は一瞬にして明るくなった。細部まで完全に見ることが出来、異様なほどの輝きを放っている。
「神様は居るとしたら、人に似ているとも言った。言ったよね?」
「確かに言った」
壁に映る少女の影が人ではない何かへと変貌した。神様がいるとしたらそんな見た目をしているのだろうか。だとしたら、かなりのグロテスクだ。化け物以外の何者でもなかった。
「じゃあさ、居ないのなら、人に似ているのなら別にわたしが神様になっても、いいよね」
神様になりたいのならさっさと宣言すればいいだろうと思う反面、これ以上、肯定するのは非常にまずいのは間違いない。いけにえという言葉が頭にちらつく。
先ほどまで、冬治が立っていたはずの足場は既に崩壊していた。闇に浮かぶ一枚の板に二人は乗っている。
辺りにはふざけた姿をした生物や、人間の部位を掛け合わせた気持ちの悪い物体が動いており異界へと誘われていた。
これ以上の肯定は自身の破滅に繋がっている。
「いや、駄目だろ」
「どうして? 居ないのなら、言ったもの勝ちでしょう」
冬治の目の前を、人差し指で形成された蠍が右から左へと動いていく。何だかそれが自身の成れの果てに思えてならなかった。
「そうだな、その通りだよ。でもさ、俺の知り合いで自称、神様が居るんだ」
「え? 嘘」
嘘である。ここで嘘だとばれれば冬治もこのふざけた世界の住人になるだろう。うそだとばれないように平常心でいるように努める。
「嘘なものか。今から五分以内に連れてきてやるよ」
「わかった」
冬治は一旦書庫地下一階から階段踊り場へと戻る。
「あ、あの、冬治先輩……なんだか凄く、嫌な感じがしたんですよ」
「話は後だ。今日からお前さんが神様だ」
「え? ええっ?」
何が起こっているのかよくわかっていない興野を引っ張り、冬治は女子生徒の前へと連れてくる。
「こいつが神様だ」
「その割にはぞんざいな扱い」
しょうがないじゃない、神様じゃないんだもの。自ら計画をご破算させる理由も無いので冬治は適当な嘘をでっち上げた。最近、嘘をついてばっかりである。
「ぞんざいな扱いは、俺が先輩だからな。興野、耳と尻尾を見せてやりなさい」
「ええっ、ここでですか?」
この世の終わりがやってきた……そんな表情をしている。
「ああ、当然だ。やらないと鍋にする」
「な、鍋って……わかりました、やりますよ」
興野は震えながらもこげ茶色の耳と尻尾を見せる。見せて、冬治はこれじゃあ、神様と名乗らせるのは無理っぽいなとあきらめた。どうせなら、柚子先輩を呼ぶべきだったとため息をつく。あっちなら見事にやってのけるだろう。
「わっ、凄いっ。神様だっ」
しかし、冬治の予想に反して女子生徒は驚き、腰掛けている柱から落ちそうになった。
「もし、君に興野と同じ真似ができると言うのなら、神様と認めてやってもいい」
「出来ない」
即答に冬治はうなずく。狸じゃなければ出来そうになかった。おそらく、神様だって出来たとしてもやらないだろう。
「で、だ。そのカードをこっちに渡してくれないか」
強引過ぎるうえ、素直に渡してくれそうに無いが当たって砕けろ状態である。
「いいけど、条件がある」
「なんだい」
「そっちの」
そういって尾っぽとフサ耳を出している興野を指差す。
「神様をこっちに寄越して欲しい。そうしたら、二枚とも渡す」
先ほどまで死んだような目をしていたのに、彼女は非常に生き生きとした瞳をしていた。かわいい。そんなことを思っている場合じゃないのに、ついそう思ってしまった。
輝く瞳は興野をとらえて放さない。本能的に何かを察したのか、指名された興野は戦慄し、さっさと冬治の背中に隠れていた。
「ちなみに、興野を手に入れてどうするつもりだ」
「ばらばらにする」
気づけば彼女の手には成人男性よりちょっと小さい鋏が握られている。刃には血が付いており、一体何を切ったのだろうと想像を掻き立てられる代物だ。
「それは駄目だ」
「何故、神様なら別に……」
「興野は俺がめちゃくちゃにする予定だから、譲れない」
「ええっ」
驚く興野を無視して冬治は相手の出方を見る。
「じゃあ、カードは渡せない。帰って」
カードは女子生徒の懐に隠され、それを見て興野が呟く。
「せめて、司祭のカードを……」
「欲しいの? 交渉、決裂したから渡さない。もしくは、力尽くで取り上げる?」
瞬く間に冬治と興野の前に汚らしい赤ん坊の人形に出鱈目な大きさのこぶしを持つ化け物が現れた。
「狸のお嬢さん、また会いましたね。僕、フィリップです」
ボードには恐らく名前が浮かび上がった。子供が見たら一発でなきそうな見た目の癖に、礼儀正しいらしい。
「で、どうするよ興野」
「あうあうあうあうあう」
何を言っているのか分からないが、撤退したいのは震える身体でよくわかった。
「今日は帰るよ。それでさ、名前を教えて欲しい」
「浅生理穂」
名前は普通だと冬治は考える。
「俺は夢川冬治だ。」
「別に、名前なんて教えてくれなくてもいい。さよなら」
ばたん、そんな音が聞こえると目の前には図書室の扉があった。いつの間にか図書室前の廊下に二人して立っていたのだ。
「え、え、一体何が?」
「浅生のところにはまた来よう。今のままだと二人ともばらばらにされそうだ」
冬治は首をすくめると興野の手を引いてその場を離れる。変に再挑戦なんてしたら行方不明になりそうだ。
「そういえばさ、俺、興野のスマホ持ったままなんだけど」
「あ、そういえば……今から取りに行ってもいいですか?」
「ああ、いいよ。だけどな、いいのか? 一人暮らしの男子生徒の部屋に夜来ちゃってよ」
冬治が冗談交じりにそういうと興野は頬を朱に染めた。
「その、大丈夫です。夕飯ぐらい、作れますよ?」
「そっちじゃねぇよ」
「そっちじゃない?」
顎に手を当て考える姿はまぁまぁ可愛い。
「あ、じゃあ、食器を全然洗っていないのなら洗って欲しいとか、掃除洗濯して欲しいとか、そういった家庭的なことですか。家庭的なものに飢えているんですね」
「おい、その微笑ましいものを見るような目つきをやめろ」
「いいんです。私に任せておいてくださいっ」
そうか、じゃあ今日は狸鍋食って、狸の毛皮で眠るかな。冬治は言おうとしたが、口を噤むことにするのだった。司祭のカードは取り返せなかったが、次、頑張ればいいのである。




