二つの日輪
「ほんっと、久し振りね蔵人佐元康!随分と大きくなったんじゃない?」
俺達を天守閣へ招いたのは、首を切られて死んだ筈の今川義元だった。オカマ口調なのが気になるけど……夢の中じゃ普通の喋り方じゃなかったか?
男が今川義元だと知った途端、徳川三傑と半蔵は家康さんを囲むように守る。それを見て義元は「可愛い子犬達ね」と笑うだけだった。随分余裕そうだ。
「ま、蔵人佐は置いといて……アタシの今の目的はお前よ、織田弾正忠信長!」
今川義元が手に持っていた扇をパチンと鳴らした瞬間、耳をつんざくような大きな音が広間全体に響き渡る。信長の火縄銃の音だ。信長は義元の眉間目掛けて鋭い眼光で睨みつけているが、銃弾は的には当たらず今川義元の頬を掠めて背後の掛け軸へ小さな穴を開けた。
「出会って早々に派手な挨拶ね、尾張のうつけ。ああ、今は第六天魔王波旬だったかしら?アンタも随分大きくなったこと!」
「……挑発には乗らん。何故ここにいる」
信長は義元とは正反対に静かで冷たく、怒りが現れていることが分かる。
「何故ってそれは、アタシも鬼の術とやらを使ってみたのよ。首が体から大分離れた時は本当死ぬかと思ったわ、本当」
そう言って義元は首を大半隠せる程の太いチョーカーのようなものを捲った。チョーカーの下には首の中央をぐるりと回る縫合痕。まだ完全に繋がっていないのか、赤黒い血が滲み出ていて、縫合痕も無理矢理繋げたように痛々しい。まるで現代のホラー映画のようにグロいものを間近で見たせいで俺も顔を歪めたが、江は特に悲鳴を上げて青くなった。その江の背後から急に影が飛び出してきたと思ったら、義元目掛けて赤い雷を走らせた万千代が刀を抜いていた。万千代は速く、名前を呼ぶ暇さえなく義元の首を狙って跳んだ。
「じゃあ、その首もう一度掻き切ってやるよ!!」
「万千代!」
家康さんが呼んだ時にはもう遅く、義元は後ろに飾ってあった刀を掴み鞘から抜かずに万千代の横腹をブンと音を立てながら殴り、彼女を払い落とした。万千代は数メートル先に飛ばされて痛みで咳き込んでいる。
尋常じゃない動体視力と判断力、瞬発力と女とはいえ人間を一人吹っ飛ばす筋力。桶狭間の戦いで呆気なく負けた軟弱な戦国武将だとずっとイメージしてたんだが……今川義元、こいつかなり強い!
「躾がなってないわね、蔵人佐。アタシはお前に躾の仕方をそんな乱暴にしろと教えた覚えは無いわよ」
義元は家康さんを扇で指す。徳川の家臣達は大分殺気立っている。今にも義元へ飛びかかりそうだ。一向に口を開こうとしない家康さんに痺れを切らしたのか、また扇を鳴らして義元は一歩、俺達へ歩み寄った。家康さんはそれに合わせて一歩退く。
「そういえば蔵人佐。桶狭間で咲いた曼珠沙華は綺麗だった?」
義元の言葉に、家康さんが目を見開いた。
「……どうして、それを」
家康さんが遂に口を開いた。その声は震えていて、驚愕を隠せない様子だ。それを見て義元は嬉しそうに口元を歪めて笑う。
「今川の奥義の特質は幻。アタシが生きている事を自分で手掛かり作ってるのにも気づかず五十年、曼珠沙華に惑わされてたのよ、お前。……まあアタシもお前に幻を見せてたんだけどね」
あの彼岸花は、義元が全て見せてたっていうのか!?奥義は消耗が激しいっていうのを以前聞いたけど、それを五十年間ずっと!どうしてそこまでして、家康さんに彼岸花を見せ続けていたんだ?
「何故か……知りたい顔ね。アタシはお前に戻ってきて欲しかったのよ、蔵人佐。アタシが実の息子のように……まではいかないけど。それでも大事に育ててあげたっていうのにその恩を忘れて置いて行くんだもの。アタシがそこのうつけの首を取ればお前は戻って来るでしょう?……お前が思っているよりも深刻なのよ、蔵人佐。お前が一人でどうにかできないところまで来てんのよ」
……最後の言葉は意味がわからなかった。義元と家康さんはお互い同じ何かを探り、何かを知っているのか?
そこで信長が遂に苛立ちを見せ始め、舌打ちをした。
「いい加減時間の無駄だ、今川治部大輔。今度こそ貴様を殺し地獄へ落とす」
信長が義元の心臓の位置へ銃口を向けた。その様子に予想通り、とほくそ笑む義元。
「考え方が短絡的な所、嫌いじゃないわよ。でもお前の思い通りには行かぬ、弾正忠信長。その時は道連れよ」
義元が言い終わる前に銃声がまた大きな音を立てて響き渡る。今度こそ義元の心臓を貫いたと思ったら、義元の姿は霧のように揺らぎ、弾は掛け軸にもう一つ穴を開ける。
「やはり貴様も幻か。そんな事だろうと思っていた」
「ふん、そう易々と実体を晒せるもんですか」
俺達が見ているこの今川義元も幻だっていうのか?でも、義元はさっき万千代を刀で殴り飛ばしたじゃねーか!
「その辺の雲のような弱っちい幻と一緒にされちゃ困るわよ。その気になれば物だって掴む事も出来るし、応用すればアンタ達にしたように人間を違う場所へ移動させる事も出来る」
そりゃもう、チートの域だ!それは幻とは言わねー!
「嗚呼でも、蔵人佐。お前が幼い頃に踏み潰した曼珠沙華は幻ではなかったわ」
そう言った義元の姿はだんだんと薄くなり、終いには消えた。頭を抱えた家康さんに小平太さんや忠勝が近寄る。ようやく歩く事が出来るようになった万千代も近寄ってきたが顔には悔しさと恨みが出ている。女だろうが手加減しないのな……オカマってそういうとこありそうだし。
結局義元から信長へ直接的な攻撃は無かった。宣戦布告だけして消えやがった……
それと、駿府城の城主は地下に気を失っているのが見つかった。今川の奥義で地下に追いやられたのではと俺達は考えた。この人も、とばっちりだよなあ。
「家康さん」
俯いたままだったので声をかけると笑顔を向けてくれたが、その笑顔はいつもよりも大分辛そうで無理矢理笑ってる印象を受けた。
「その……俺、頭悪いし何も分かってないっすけど……何か力になれそうな事があったら言ってください。家康さんにはずっとお世話になってるっていうか、だから」
「忝い、樹殿。でも大丈夫です。実は幻覚の出所が分かってすっきりしてるんです」
清々しました、と言ってさっきまでの辛そうな表情は一変して決意が固まったような、表情が引き締まった。他の徳川の人達も何となくホッとした表情に見える。
*
(敵わぬ。私の中にある二人の日輪には、今の私では勝てぬと漸く理解した。ここに来て私は漸く吹っ切れた。迷っていては陽光など掴むのも困難。
……太守様は何もかも御見通しか。ならば次こそ彼の御方は御自身で行動に移される筈。太守様が動くが先か、私が動くが先か……この際どっちでも良い、答えは決まった。
その時が来たのだ、と太守様はお教え下さったのだ。
違った道を行こうとする彼を、私は正さねばならない。二度も彼が私にしてくれたように。そしていつか私は、……いいえ、今度こそ私は。
この手で、彼を殺すのだ。)
*
俺達は安土へ、家康さんも大坂へ向かうとのことで途中まで一緒に行く事になった。道中岡崎と岐阜付近で休憩しながらということも決まった。
城主の有難い計らいで俺達安土組は三の丸の空いた屋敷に泊まり、家康さん達とは翌日昼に落ち合うと決めた。そして翌日の朝、荷物をまとめていると少女姿の犬千代が寄ってきた。その表情はいつもの明るさとは真逆で、何か重たいものを1人で抱えているような顔だ。
「犬千代?どうしたんだ、不味いものでも食べたのか?」
俺がちょっと冗談を言ってみたが、そんな状況では無さそうだ。深刻な悩みを抱えているらしい。
「……本当にどうしたんだ?」
俺がもう一度聞くと、首を勢いよく横に振って「やっぱり何でもない!」といつもの明るい笑顔になった。
俺は心配しながらも、顔を洗うため井戸へ向かったが、後ろから犬千代に止められた。騒ぎに気づいたのか顔を洗いにきたのか、蘭丸が犬千代の後ろに見えた。
「あのな、やっぱ俺、樹やみんなに謝らなくっちゃいけないんだ」
「……何を?みんなはともかく、俺は何もお前が謝らなきゃいけないようなことされた覚えは……」
「だめなんだ!俺、おれ……!」
振り絞るように犬千代が声を上げた途端、三の丸に銃声が轟いた。
その直後犬千代が口から血を小さく吐いて地面に倒れた。俺は何が起こったか分からず、そこに立ち尽くしたまま動けなくなってしまった。即座に蘭丸が駆けてきて犬千代に大声で声をかける。犬千代の胸全体が赤黒く染まっていて、血であるのに理解するのに時間がかかってしまった。心臓近くか肺を貫通しているらしく、出血は徐々に増量し地面に血溜まりを作っている。犬千代はそれでも鬼術のお陰なのか、苦しそうだが辛うじて息をしている。
俺がどうしたらいいか分からず、犬千代の名前を呼ぼうとした時それは遮られ、どこからか声が聞こえた。
「これまでの御苦労、誠に大義であった。前田又左衛門」
なんだ、いつも聞いてる声じゃないか。でもなんでそいつの声が聞こえたのかは全然わからない。信じられなかった。
「信長、」
犬千代を撃ったのは信長の火縄銃だった。
蘭丸も信じられないらしく、固まってしまっている。
銃声に反応して江や二の丸に泊まっていた徳川家の家臣の4人や、本丸にいたらしい家康さんも集まってきた。倒れてる犬千代と銃を持つ信長、固まっている俺達の姿で状況を理解したらしい。江は必死な表情をしながらも犬千代に駆け寄る。家康さんは半蔵に薬や包帯を持ってくるように指示しているのが聞こえた。
「七星殿、顔を洗って来た方がよろしいかと……」
小平太さんに言われて思わず顔を右手で触ると、右手の平へぬるりとした感触が伝わり、赤々とした血が目に入った瞬間、息が苦しくなった。
まさか、信長が犬千代を撃つなんて誰も思わない。犬千代は信長が大好きだったし、信長も犬千代を信頼していた。いつも安土で留守を頼むのは犬千代を信頼しているからだ。
「なんでだよ、信長!」
俺は信長がもう理解できなくなった。あいつが何を考えているのか、何を見据えているのか分からない。
気づいた時には悲鳴混じりに怒鳴っていた。
しかし信長は眉一つ動かさず、俺の目をじっと見つめている。
「……お前は何も知らなくてもいい、何もしなくても」
「前もそう言ってたじゃねーか!もう、お前が何をしたいのか俺は分かんねーよ……!」
俺がそう言った時、信長は初めて悲しそうな顔をした。悲しいというよりは、悲痛な、やってきたこと全て無駄になった、と言いたげな顔だ。
しかしその表情は一瞬で切り替わり、見たことないほどの鋭い眼光を放った。俺は信長と会ってそこで初めて、信長を怖いと言葉にして思ったし、背筋が凍った。
「時が来たのだ。もう其奴にも用はない。俺はやりたいこと為すべきことをする時が来た。唯それだけだ」
信長の言葉を聞いている最中に、外から大勢の足音が聞こえた。それは気のせいでは無かったようで、信長は俺達に背を向けて二の丸、本丸に続く門へと歩いていった。直後黒漆の鎧を着た兵が駿府城へなだれ込み、兵は信長に付いて本丸へ向かった。その兵の中に俺は白いマントを着た男を見た。フードで隠れて顔は見えなかったが。俺の隣で、家康さんが「これはまずい」と呟いたのが聞こえた。
以前見たマントを白いマントの男から受け取り、それを羽織って信長は歩みを進める。
「何をするつもりだ、てめえ!」
毛の生えた心臓持ちの万千代が怒鳴る。そこで信長が歩みを止め、冷たく言い放った。
「大坂で身罷られた前田権大納言殿の代わりに、大坂へ入り関白殿を補佐する。貴様等に伝えられるのはこれだけだ」
大坂……!?ついこの間、秀吉と会って酷い目に遭った矢先に……
俺は冷静になって、ようやく気づいた。もしかしてあの時拉致されたのも、信長は計算してたのかと。織田信長と豊臣秀吉が主従関係ってのは俺でも知ってる。信長と秀吉が、ずっと前からグルだったら……
「樹殿、貴殿はお江殿と蘭丸殿と共に前田殿を連れてお逃げなさい。場所は目処が立っていますから、この地図を頼りにそこへ」
本丸へ向かってしまった信長の姿が兵で見えなくなった後、俺の手に細く丸められた紙を握らせながら家康さんが早口で言った。家康さん達はどうするのか聞いたところ、
「私は慎重派なので、昨夜は二の丸に泊まったのです。荷物は今、手の空いた半蔵と平八郎が隙を見て。私達は彼らよりも早く大坂へ向かいます」
と言って優しく微笑んだ。
「家康さん、また会えますよね」
今生の別れのように感じ、俺が心配になって問うと家康さんは間髪入れずにええ、とだけ返事をして笑った。
蘭丸が犬千代を背負い、俺と江で荷物を持って後ろを振り向かずに走った。途中繋がれていた俺達の馬に乗って、地図を渡された俺を先頭に駿府城を去った。
まさかこんな事になるなんて、戦国時代に来てすぐは思わなかっただろう。
俺はただ何も考えないように、必死に馬にしがみつきながら目的地まで走るしかなかった。




