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戦國鬼神伝  作者: 淡路
道ノ巻
62/64

曼珠沙華の呪い


「竹千代。お前、兄はいるか?」


そういえば、幼い頃にそんな事も聞かれたような気がする。その直後に何故か理由は覚えていないが泣かされたのも覚えている。

思えば彼の方は乱暴で自由奔放ではあったがその行動の中には必ず理由があった。

山駆けに無理矢理連れて行かれた時に見つけた、育児放棄され瀕死だった鷹の雛を助けた時は「銭を使わずに鷹が飼える」なんて言っていた事もあった。

だから此度の戦だって彼の方は何かしでかすと思っていた。

尾張へ向かうことになったのは曼珠沙華が咲き始めた季節だった。今でもあの花の赤色は目の奥に焼き付いている。あの花が嫌いで、咲いた物を踏み潰したこともあった。曼珠沙華を見る度に己の運命を恨み、この世を呪った。何故私だけ、何故私なのだ。私が何をしたというのだ。この世は悪夢なのだ、きっと目が覚めれば、やり直せるのだろうか。父上に会いたい、母上に会いたい。母上、ははうえ……


「竹千代!」

「……きっぽうし、さま?」


目の前にいるのは数え十四の頃の信長様殿だ。生まれながらの城主とは思えぬ出で立ちは、幼い頃の私にとっては恨みを増幅させるものでしかない。きっとこの人は苦労というものを知らないのだ。恵まれているからこその『うつけ』なのだと。

しかし、そのうつけに腕を掴まれている。振り向くと土色に濁った川が目に入った。


「昨夜の大雨で増水している。屋敷を訪ねたらお前がいないと大騒ぎしていたから探したらここにいた」


考え直すとぞっとした。私は今、この川に身を投げるつもりだったのだろうか?体に力が入らなくなり地にへたり込んでしまった。吉法師さまはため息をついてくるりと後ろを向いてしまう。置いて行かれると思ったが吉法師さまは私に背を向けたまましゃがんだ。


「……どうせ腰が抜けて歩けないんだろう?屋敷までなら送ってやる」

「え、いや……城主さまにおぶってもらうなんて恐れ多いです!わたしみたいな小さい家の、しかも人質の……」


私がそう言うと吉法師さまは甲高い声で大笑いして、私の腕を掴んで引き寄せ無理矢理おぶった。吉法師さまが立ち上がると景色がぐんと高くなって少し怖かった。


「竹千代、お前面白いなあ!生意気な事を言いよる!そんなことは気にしなくていいんだ、俺達はまだ子供だからな!」


背中越しの明るい声に、さっきまで持っていた暗い気持ちがいつの間にかすっと消えていた。


「なあ竹千代、俺はな。身分がどうとかどうでも良いのだ。だってろくに走りもしない貴族なんぞより力持ちの百姓の方がよっぽど使えるではないか。身分なんかより団子の方が美味い!お前もそう思うだろう?」


なんで団子と身分を比べるんだろう……なんだか可笑しくて笑ってしまったら、彼は満足そうにまた笑った。


「竹千代、もし道に迷ったら俺に言え。その時は俺がお前の灯りとなり道となろう。きっと俺とお前が力を合わせれば尾張と三河どころか……ーーーーー」




「で……、伝令、伝令!桶狭間山にて布陣中の今川家本隊、壊滅!織田二千の兵に奇襲をかけられ、……太守様、討死とのこと!」


……嗚呼、彼の方は本当にやってくれる。

今日には今川本隊がここ大高城へ到着する筈だったのに。


「元康様、如何なされますか!このままではここも勢いに乗った織田軍に攻め落とされかねませぬ!」


信長様は天才だ。生まれた時から私とは違う何かを持っている、八百万の神に愛された方なのだ。本当に、何もかも、私のものを奪い去る……!

速まる息を整えて大樹寺へと撤退を決行する。雲は重たく、今川家と松平の、私の先行きを表しているかのように見えた。

途中、桶狭間山を越える時馬を止めた。既に織田は退去した後で、そこには無惨にも今川の兵の骸だけが何千も転がっていた。我が兵達も顔を歪めたり悲痛な表情を浮かべている。

しかし、少し離れた場所で今川家の者達が数人集まっているのが見えた。次の瞬間、心の臓が一段と大きく音を立てた。私は馬を降りて家臣達の言う事など聞く耳持たずに、ゆっくりそこへ目掛けて歩んで行く。


「義元様」


着いた時には、自分の頭は真っ白になっていた。胸白の鎧も錦の陣羽織も傷だらけで破れ、周りにだらしなく伸びる血の海と同化している。嗚呼、首が、無い。青白い首は血と、お互いを映えさせている。


「……次郎三郎様、私共は駿府まで太守様をお運び申し上げようかと。できれば道中、途中までお供にさせて頂きたく存じます」

「……我々は大樹寺へ撤退する途中でしたので、岡崎近くまででしたら助力できましょう」


私の代わりに家臣が答える。私は今川の兵の一人に義元様が討死した場所へ案内してもらった。

ひゅう、と情けない音を立てながら息を吸うと、目的地に今一番会いたくなかったその人がいた。


「き……貴様、がッ……!」


私を連れて来てくれた今川の兵は一瞬でその場に倒れ込み、眉間を貫かれ即死した。しゃがんでその様子を見ているとその人は私に近づき見下ろしてきたのだ。見上げなくても分かっている。きっと、心の中では私を嘲笑っているに違いないだろう、この織田信長という人は。

もう十余年は会っていないが癖のある長い黒髪や鋭い光を持つ瞳は変わらない。会った頃は女子に間違うほど華奢に見えたが黒で纏めた戦装束の上からでも鍛えた体は昔とは違う。

見上げた瞬間、地に流れる血が全て曼珠沙華に見えた。季節は違うのに、目に入る全てが曼珠沙華の赤で埋め尽くされた。


「……何故いるのですか」


勝ったとはいえ今川の生き残りや松平の兵もいるというのに、供を付けずにこの人は正真正銘のうつけらしい。


「ここにおったか、竹千代」

「……幼名はおやめ頂きたい。今の名は松平次郎三郎元康。もう尾張にいた頃の私ではない」


私はそっと腰の刀の柄に手をかけた。しかし私の威嚇に信長は全く動じず、しかも喉を鳴らして笑う。


「確かに。あの頃の生意気と陰湿さは変わらんな」

「貴様、今いる場所に誰がいるのか理解しているのか!私がその気になれば貴様を殺し、待たせてある織田を皆……!」


殺してやる、と言葉が出なかった。仇討ちなど何も生みはしない。それは私が一番分かっている。

信長は幼い頃見たあの満足そうな笑みを浮かべて、私を見た。その双眸に何もかも見透かされているようで、そこから動けなくなってしまった。


「まだ死ぬな、次郎三郎。言っただろう、俺はお前の灯りとなり道となると。そしてお前も、俺の灯りとなり道となるのだ。死ぬな、竹千代。俺はお前にまだあの時の礼をされてないぞ」


……なんて滅茶苦茶な。つい呆気に取られた。まだあの時の借りを返せと言うのか。それが、貴方が私を助けた理由なのか。

その人は言いたいことはそれだけだと、あの時のように背を向けて、次は助けぬとでも言うように、何も言わず去っていった。しばらく私はそこから動けず、ただ信長の背をずっと見ていた。気づけば雲が晴れ、頭上は日が差していた。

嗚呼そうか、あの人は日輪なのだ。全てを照らす日の光。眩しくて見えない、天照す日輪の光。

それはもう、勝てる訳がない……


彼の背が見えなくなった頃、発砲音を聞いたのか漸く我が兵達が駆けてきた。手を見ると、今川の兵が流した血に染まっていた。その骸には沢山の曼珠沙華が咲いていたが踏み潰さずに、馬に乗って目的地を目指した。数日経っても彼の言葉を忘れる事は出来なかったが、桶狭間の無念は私の心を曇らせるばかりだった。

必死の思いで大樹寺に無事撤退できたもののすぐに包囲された。日輪には勝てぬ。松平も私が継いだせいで不運だ、せめて御先祖に謝り腹を切った方が良い。花の幻も見ない、亡くなられた父上や太守様にお会いできる、うつけに会わずに済む……


あの人への借りはどうしようか。


何故、信長への借りなんぞ気にしているのか?仇に返す借りはない、無い筈なのだ。短刀を持った右手が固まった。するとそこで住職が私に駆け寄る。ここで死ぬのは如何か、と。

私は何を迷っているのか。どうして信長殿に借りをまた作ってしまったのに腹を切っている場合か?借りを多く作ればあの人の思うがままではないか。短刀を持った右手が固まったのは死ぬのに躊躇いがあるからだ。私はまだ死にたく無いのだ。

信長殿はやはり日輪だったか。私が死のうと考えた瞬間に割り込んでくる、なんて滅茶苦茶な、厄介な陽光か。

彼が私の日となり道となるのなら、私も負けじと灯りと道になろう。せめて松明の炎ぐらいに。

そうだな、いつか……彼が私にしてくれたように。彼が道に迷ったら、この手で正しく導きましょう。そしていつか私は、……



「樹!」


江の声に俺は目を覚ました。どうやら気を失っていたようだ。いつの間にか屋内にいて、俺が気を失っている間に櫓の中へ入ったらしい。見ていた夢は……家康さんの記憶なんだろうか。俺は家康さんはと辺りを見渡すと、すぐ目の前で倒れていた。


「大丈夫、眠ってらっしゃるだけよ」


俺が心配して駆け寄ると、江が教えてくれた。よかった、夢を見た後だと更に心配しちまうじゃねーか……

ていうか、きっとめちゃくちゃ疲れてたんだろうな。

瀬名姫の事を聞くと小平太さんが首を振った。そこで外を見てみると、俺達のいる櫓近くに不自然な砂の小山を見つけ、察した。聞くと瀬名姫が亡くなった後、ここへ来たという。

俺は壁にもたれていた信長を見た。昔っからこいつ何かしら持ってたんだなあ……信長の言葉で家康さんが救われたってことは自覚あるんだろうか。うーん、そこも計算してそう……


「城の中には入らないのか?」


俺が問うと「おめーは阿呆か?」と万千代がため息をつきながらも答えた。


「築山殿の残党がいるかも分かんねーのにそんな易々と行ける訳ねーだろ」


言い方は腹立つがごもっともだ。せめて家康さんが起きるまではここにいた方がいいだろうな。

しばらく沈黙が続く。沈黙を破ったのは犬千代で、信長の横でうつらうつらしていたが何か気配を感じたのか立ち上がり、槍を持って俺と同じく外を見た。


「……なんかへん」


犬千代がそれだけ言って顔をしかめる。その直後、ふっと薄暗い櫓は何故か明るくなり部屋も広くなった。瞬間移動じゃね?ここどこだよ?

家康さんがここで異変に気付いたらしく勢いよく起き上がった。


「ここは……まさか駿府城天守?」


今まで家康さんの護衛に徹していた忠勝が口を開いた。忠勝の言葉へ「御名答」という低い声と拍手が聞こえてきた。

この声、家康さんが出てきた俺の夢の中で聞いたあの声だ。家康さんは夢でこの声の持ち主の名前を言っていた。


「……て、天守、様……」


声を聞いた途端青ざめた家康さんは目を見開いて、その人一点を見つめている。存在してはいけない人がそこにいる事に現実を受け止めきれないようだ。

白い長髪と短い眉毛、上げた前髪と紫色の光を放つつり目が特徴的な背の高い物腰柔らかそうな男。

夢では見ること叶わなかった首から上がある、桶狭間の戦いで死んだ筈の今川義元だった。


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