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戦國鬼神伝  作者: 淡路
道ノ巻
59/64

足利二つ引両紋


「ご機嫌よう、魔王様」


俺達の目の前で整列した黒塗の鎧の兵士共の中から現れたのは、俺が以前家康さん達と会ったあの女。


「瀬名姫……?」


俺がその名を呼ぶと兵士と同じように黒い鎧を身に着けたその女はほくそ笑んだ。


「あら坊や。年の暮れ振りね。でも今は貴方に用は無いのよ」


そう言って瀬名姫は右手の籠手を外して手の甲を見せてきた。

そこにあったのは、黒丸の中に二の字、軍旗と同じものが描かれていた。


「何のつもりだ」


信長が瀬名姫を鋭く睨む。しかし瀬名姫は物ともせず、また笑った。

だが、すぐにその笑顔は消え、冷徹に俺達を見た。


「これもあの御方と元康殿のため。織田弾正忠信長……お前は我が軍と共に駿河へ来てもらう」


突然の危険すぎる誘いに、俺は言葉を失った。いや、もうこの場に入り込む隙は無いのかもしれない。

だって、この前岡崎へ行ったばかりじゃないか……!


「次郎三郎はどうした」


信長の真紅の瞳が、鋭い眼光を宿しながら瀬名姫を睨み続ける。一触触発な空気は、俺にも伝わってくる。

瀬名姫は動じないようだが、俺なら蛇どころかライオンに睨まれてる気分だ。


「ふふ……アンタのお望みの答えは駿河に来たら分かるわ」


誘い方がまた上手い。瀬名姫は不気味に笑って信長に一歩、一歩とゆっくり歩み寄る。

信長はたじろぎもせず、その場に踏み止まり、瀬名姫との距離が縮まる。信長の耳に瀬名姫が何か呟いたが、隣にいた俺でもその内容は聞こえない程にささやかな声だった。

しかし、その直後信長の表情が明らかに変わった。目を見開き、瀬名姫の言葉に何か……おそらく良からぬ事を方を思った感じだ。


「……お前は、どこまで知っているのだ」


信長の憤怒が混じった言葉に、瀬名姫は何も、と返し袖を口に当てて優雅に笑う。

その様子を見て、信長は舌打ちをした。


「是非もなし。だが、貴様らと共には行かん。俺は俺で供を連れて行く」


信長の強張った言葉を聞いて「あら、残念」とちっとも残念そうではない様子の瀬名姫。


「でも逃げられるとは思わないで、弾正忠信長。我が背後には太守様のご加護がいつでもある事を忘れないよう」

「ふん、誰が逃げるか」


まあ確かに、色々作戦を練って敵地に乗り込んだ方がマシか。でも少なくとも、あちら側にリスクがあるような条件をまさか意外とあっさり承諾するとは。余程自信があるってことかな。

瀬名姫は軍に合図を出し、兵はその合図で後ろを向いて進軍した。瀬名姫は一度こちらをちらりと振り返ったが、すぐに馬に乗って近侍を連れて兵達の中へ消えた。

ていうか、あんな大軍必要か?何もせずに帰ったけど……いや、何も無い方がいいんだが!

あの大軍は、力を見せつける意味での大軍だったのかな。


「些細な事で斯様に大軍を動かすとはな。築山殿はうつけか?」


信長もズバッと本当のこと言うよなあ……でもなんかしっくり来ないような気もするんだが……それは信長も同じらしい。

ただ話をするだけのために、あんな大軍を率いて敵地(まだ敵と決まった訳じゃないけど)に潜る程この時代の人はバカではないはずだ。


「まあ良い。次郎三郎の安否が分からぬうちは迅速に事を進め駿河へ向かう。……まあ、色んな意味で気は引けるが」


俺は良くわかんねーけど、信長は色々思う所があるようだ。……悪い意味で。


「そうだ、信長。瀬名姫に何言われてたんだ?」


俺は1番疑問に思っていたことを単刀直入に聞いた。信長も回りくどい言い方は嫌いだろうと思って。

だが、その答えは戻ってくることは無かった。

ただ一言、少し間を置いて、


「……お前は何もしなくていい」


と、だけ返ってきたのみだった。

その時は、また何か隠してる事でもあるのか、と釈然としないだけだったが後になってその言葉がおかしな事に気付いた。


信長は、()()()()()()()()と言った。普通なら、俺なら()()()()()()()()()と言う。だって、隠してる事を知られたくないんだろ?

やっぱり、最近の信長は何か変だ。


「城に帰る。駿河にはお前も連れて行く。……出発は明日の朝だ」


……やっぱり、唐突にすぎやしないか。




帰城し皆に事の一部始終を話すと、まず光秀さんが頭を抱えて大きな溜め息を吐いた。この人も苦労性だなあ……


「十兵衛、貴様に留守を任せる。ここしばらく猿共の動きは無いが、ここは大坂と目と鼻の先だ。犬千代の兵がまだ使える、それと鬼臣兵を置いていく」


「逆賊の某に人間の兵を使えと仰るのですか……」


「口を慎め、金柑頭。俺は貴様が使()()()と見越して言っておるのだ。できぬ、とは言わせん」


信長は手に持っていた扇子を肘置きにピシャリと音を立てて叩いた。光秀さんはその音で姿勢を正して信長に頭を下げた。どうやら癖のようだ。


「ご無礼を」


「もう良い、貴様はまだ死んでもらっては困る。必ずこの城を守れ」


「はっ、承知しておりまする」


この2人、本当に謎だよなあ……何で本当に、また主従関係組めるんだろ。

信長は時間が惜しいのか、光秀さんに返事もせずに次の言葉を紡いだ。


「犬千代、蘭丸、お江与、貴様らは俺と共に駿河へ向かう」


「え〜っ!殿と旅だあ!」


信長の言葉に、緊張感のある場の雰囲気とは正反対な、明らかに楽しそうな声。


「……又左衛門様、これは娯楽の為の旅では……」


蘭丸がストップをかけようたが、犬千代は止まらない。何でこんな雰囲気の中ポジティブなんだよ……鉄の心持ちだな……


「だって!との、ず〜〜〜〜っっと俺のこと留守番にするし!俺だってとのと一緒に西にお出かけしたかった〜〜!」


この前大坂へ行ったじゃねーか……キャンキャン高い声で騒ぐ姿はまさに子犬だ。

大坂の時に見た長身の美男子の面影は一切なし。駄々をこねる少女しか見えない。


「今回は早急に目的地へ向かわねばならん、お前の力がいるのだ、犬千代」


口の端を上げて笑う信長へ、目を輝かせる犬千代。ああ、なんかすごいスピードで振ってる尻尾が見えるような……


「又左殿の術の特性は早駆けでしたな。馬に使えば丁度良いかと」


ここで光秀さんが口を挟む。すると犬千代は唇を尖らせ、あからさまに不機嫌になる。


「えー、でも俺の力は自分用だぞ」


「まあ、覇術もどんな特性を持とうが結局は自己満足の術だ。早駆けを特性とするならば尚更だろうな」


「……どうするつもりだ?」


「そうさな……私の結束奥義でも使ってみれば他の対象にでも使う事が出来るやもしれぬ」


結束奥義?また新しい言葉が出てきたなあ……

俺が顔をしかめて腕を組んでいたのを見て、光秀さんが信長の方へ顔を上げる。


「殿、樹に説明するお時間を頂けませぬか」


「構わん。もう俺から言う事は何も無い、好きにしろ」


そう言って信長は肘置きに頬杖をついて瞼を閉じた。うたた寝でもするのか?人間らしいとこあるんだな。あーいや、人間……なのか?


「では樹……と、どうせ犬千代、お前も理解しておらんだろう。少し長くなる故、寝たら帰ってきた際に屋敷の廊下磨きだからな」


俺達が力の無い返事をすると、光秀さんは少し準備をすると言って立ち上がった。戸を開けた瞬間、巻物を持った黒髪美人が現れる。

誰だ?


「……おや、十兵衛殿」


黒髪美女が微笑むと、光秀さんは少し間を置いてその人の名を呼んだ。


「……これは、帰蝶様」


えーと……

俺が固まっていると、犬千代が小声で教えてくれた。案外、空気読めるんだな、犬千代。


「濃姫様だぞ」


「えっ」


あれ?前に会った時は前の信長みたいに銀髪で、もっと露出度高めで……

濃姫さんが俺を見て、考えていた事を知っているかのように微笑む。


「確かに、この姿はまだ十七、八の頃だな。どうやら上総介……、殿と同じくまた若返ったようだ」


話し方も明らかに違う⁉︎前の姿よりは何かやんちゃそうな……まさにうつけの奥さんって感じだ。

聞くと、濃姫さんの父親や兄弟につられて武芸を習ってたそうで。昔は信長や家臣達に紛れて鍛錬を積んでいたらしい……男勝りな人達、多いなあ……女らしいの、前に会った寧々さんぐらいなんじゃ……


「そうそう、何やら面白そうな話が聞こえたものでな。これをご所望なのだろう、十兵衛殿?」


「……かたじけのう存じます」


濃姫さんは手に持っていた巻物を釈然としていない顔つきの光秀さんに渡した。

犬千代に聞いたらこの2人、昔から顔見知りなんだそうだ。なんでも、従姉弟なんだとか。


「そうだ、私も十兵衛の有難いお話でも聞くとしよう。暇故な」


「勘弁してください、もう……」


どうやら、光秀さんは織田夫妻2人のどちらにも頭が上がらないらしい。こんな光秀さんは初めて見た気がして、思わず笑みが零れた。


「……こほん。話が逸れたな。ではまず、覇術の話からするとしよう」


「覇術……っていうのは確か、江与や家康さんが使ってた……」


「そうだな。覇術は、鬼のなり損ないが個々に持つ本来の鬼の奇怪な術の真似事のようなものだ。これは唐の思想である五行に沿って火、水、木、金、土の属性を一つ持つ。例えば江姫様の覇術である雷門は火雷から考えて火、次郎三郎殿は光だが……おそらく金に属すだろう」


ここで一旦、光秀さんの言葉が止まる。どうやら俺達3人が唖然としているのにようやく気づいてくれたようだ。犬千代に至ってはショートしている。


「す、少し早口であったな。少し休もう、白湯でも入れるか……」


光秀さんが腰を上げた時、また戸を開ける者が1人。

無愛想な顔つきをした蘭丸だ。手には信長を含めた人数分の少し大きめの湯呑み。


「信長様に茶の湯をご教授賜ろうと。……貴殿のためではないのでご安心を。お茶はもう暫しお待ちくだされ」


そう言って蘭丸はこっくりこっくりと首を動かしてうたた寝している信長の元へ。いつもの蘭丸とは大違いだ。なんかその、因縁を感じる……


「相当お蘭に嫌われておるな、十兵衛」


濃姫さんにズバッと言われて大きく溜息をつく光秀さん。苦労してんな、この人も……


「では改めて話を戻すとしよう。そうだな、簡単に覇術は個人が持つ技だと考えた方が分かりやすいだろう。対して結束奥義……普通は単純に奥義と呼ぶらしいが。これは多数が使える同じ属性の覇術、仕える主家が家臣に与える覇術と考えると良い。言わば御恩と奉公の関係に近いやもしれん」


うーん……と俺が唸ると、光秀さんは巻物を広げる。それは白紙で、光秀さんは袖から細長い形状の何かを出した。時代劇とかでよく見る煙管……よりは少し太い。

広げると、筆と墨が。どうやら持ち運び用の物らしい。少し感動した。光秀さんの持つ筆が、真っさらな紙に滑らかに図を描いていく。


「例えば、俺は織田家に仕える以前は足利……前将軍家に仕え、その前は斎藤家……そこにいる帰蝶様のご実家に仕えていた。よって俺には織田家、足利家、斎藤家の奥義を持っている事になる」


おう、と俺が頷くと光秀さんも俺が理解できた事が分かったのだろうか、頷いた。ちなみに他の2人と言えば、濃姫さんは蘭丸からお茶を貰っていて、犬千代はうたた寝している。


「覇術も、その結束奥義も複数持ってるのは珍しくないのか?」


家康さんがいくつも覇術を繰り出していた事を思い出して問うと、光秀さんは良い質問だと言うかのように大きく頷いた。


「覇術は複数持ちは存在する。しかし奥義は覇術も奥義も、どちらも持ち主の精神力と体力、そしてその力を使う能力が必要になる。つまり数が多ければ多いほど、使えば使うほどに持ち主の体を、精神を蝕む事となる」


光秀さんのその言葉は重く、俺の頭に残った。そしてここで濃姫さんが口を開いた。


「……しかし、この結束奥義は主が死ねば消滅し使う事ができなくなる。勿論、主家の頭が鬼術を使ってなければその主家の奥義は存在しない。我が父も断固として人間として生きる事を選び、人間として死んだ。それで良かったのだろう……きっと」


その話を聞いて、人間としての生を捨てて生き延びる事が正しく、幸せであるとは限らないことを悟った。

でも、ここにいる人達はきっと、何かを背負って人間を捨ててまで生きているんだろうと思う。


「……すまぬ、少し変な空気にしてしまったな!さて、続きでも聞こう!」


濃姫さんが乾いた笑い声を発すると、光秀さんもそれにつられて返事をする。


「ああ、……少し整理しよう。例として挙げた俺の奥義だが……斎藤家は鬼術自体を使っておらず、足利家も既に当主は身罷っているのだ。つまり今俺が持つ奥義は本来であれば一つなのだが」


「なのだが?」


俺が光秀さんの言葉を復唱した時、犬千代の鼻提灯が割れた。鼻提灯って本当にできるんだな。


「何故か、まだ足利家の奥義が残っておるのだ。……前将軍の嫡子がまだ存命である故に……かもしれぬ」


つまり、光秀さんは今奥義を二つ持ってるってことか。


「足利家の奥義は他人を寄せ付ける特性を持つ。この特性を応用すれば早駆けを馬に使う事ができるかもしれん」


成る程……とりあえず光秀さんのまだ残っている前の主の奥義と、犬千代の覇術を使えば早く着く可能性が出るってことか。


「言葉がおかしいが……奥義は本当に()()なのだ。消耗が激しい事もあり、更に足利家の奥義はおそらくこの一度きりだろう。最後にこのように他人に使う事ができることを光栄に思う」


そう言って光秀さんは微笑んだ。奥義の対象は5人だ。体に相当の負担がかかるだろう。なんだか申し訳なくなってしまう。


「留守は任せて、どうか無事に帰ってきてくれ」


「うむ、帰ってきたらお前と話がしたいぞ、七星樹」


光秀さんと濃姫さんが優しくて、確かにここは俺の本当の家ではないけど、やっぱりここに帰ってきたいと思ってしまう。

正月のように、いつかの祭の時のように、もっと笑いが絶えない時をこの人達と過ごしたいと思った。

信長は何もしなくていいなんて言ったが、俺だって何かできることがきっとある。この人達が笑い合えるまで、俺はそれを手伝いたい。

でもこの時の俺はまだ考えが甘かった。


そうだ、これはきっと、後悔だ。


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