誤算
俺達は信忠さんの那古野城を翌朝に出た。
そして、本来の目的だった三河の地へその日の夕方には着くことができた。
尾張が現代で言う愛知県の左側ってことをどこかで聞いた気がする。そうすると三河は愛知県の右側か?
「やはり忠勝も連れてくるべきだったのでしょうか」
家康さんが呟く。まあ母国?だからかな、と思いつつも理由を聞いたら特に無いです、と微笑まれた。家康さんは何を考えてるのか分からねぇ。
「そういえば……半蔵の姿もありませんね」
「うーん……この辺で合流すると伝えたのですが……」
家康さんは辺りを見渡す。俺も同じように辺りを見回すが気配も姿も見当たらない。忍者だから隠してるんだろうけどさ。
すると、目の前の草むらからガサガサと乾いた音がして、何かが勢いよく姿を表した。
それは、草と泥にまみれた半蔵だった。
「半蔵?遅かったな、何かあったのか?」
俺が声をかけると半蔵は凄い形相で顔を上げた。その顔には焦りとか怒りとか混じってて複雑だった。
「悪い……今すぐ三河から出てくれ‼︎」
俺と家康さんは顔を見合わせた。
家康さんはすぐに半蔵の方を見て怪訝な顔をして聞いた。
「半蔵、どうしたのです?何があったのか言いなさい」
半蔵は睨むように家康さんを見た。
「とにかくまずいんだって!あの糞女……‼︎」
そこまで言って半蔵は口を噤んだ。
「クソ女って……?」
俺が聞くと半蔵は舌打ちした。よく分からなくなって思わず家康さんを見たら、家康さんの顔は蒼白になっていた。
「まさか……」
それだけ呟いて無言になってしまった。
「い……家康さん?」
おそるおそる俺が呼んでも返事はない。また半蔵を見るとこっちはこっちで何かまずいことをしたような顔をしてる。
俺はだんだん訳が分からなくなってきた。
突然、家康さんは力無く膝からどさりと崩れ落ちた。
「家康さん⁉︎おい、どうしたんだよ‼︎」
俺は咄嗟にその肩を受け止めて少し揺らす。でもそのままだ。返事も何もない、まるで魂が抜けたようになってしまった。
「どういうことだよ……‼︎」
「そのままよ」
突然初めて聞く女の声が辺りに響く。でもその凛とした声は聞いただけで気の強そうな女だと分かる。
「まずい‼︎おい、逃げるぞ‼︎」
半蔵が正気を取り戻したのか、未だに力の無い家康さんを担ごうとする。
しかし、目の前に女が現れて俺達は通路を塞がれた。
色素の薄い長い髪はポニーテールにしてある。その色は家康さんの髪色とよく似ていた。
女は切れ長の目でこちらを睨みつけつつ、微笑んだ。
「あまりにも遅いからこちらから来てやったわ」
女が一歩こちらに近づく。俺と半蔵は身構える。
「私を一人にするなんていい度胸ね、元康」
元康?もしかしてまさか……家康さんのことか?
「この糞女……今更何しに来やがった‼︎」
半蔵が暴言を吐くと女はその切れ長の瞳で睨んできた。
「伊賀衆の鬼半蔵ね……あんまりキャンキャン騒がないでくれるかしら」
「んだとこの糞女‼︎」
えっと、状況が俺だけ飲み込めない。
家康さんの頬から汗が一滴、滴る。汗が地に落ちた途端、その唇がニッと上がり、その目には光がいつも以上にギラギラと輝いていた。
「待っていましたよ……瀬名」
ちょっと……よくわかんねーけど、とりあえずいつもより家康さんが悪く見える。
俺と半蔵は顔を見合わせ、その女を見た。
その女も、家康さんと同じように笑っていた。
「信長の長男……信忠殿には無事会えたようだから、こちらからはいちいち説明しないわよ。私を密通者として殺害したなんて馬鹿なハッタリまでかましてお願いを聞いてあげたんだから、感謝以上の事をしてもらわなくちゃ」
「ありがとう、瀬名。礼は必ず」
え??何……もう俺も半蔵もさっぱりだし、半蔵なんかさっきまで何か怒ってなのがもう何もかも台無しだし家康さんピンピンしてるし……??
そこで家康さんからようやく、俺達に説明してくれた。
「こちらは私の正室、瀬名。私は瀬名に鬼術の研究をさせていたのです」
鬼術の、研究……⁉︎
「ざっと20年……退屈で、有意義な研究の月日だったわ」
瀬名姫は得意そうに笑った。半蔵も一言も聞いてなかったらしく、ちょっと悔しそうに舌打ちした。
「それと、貴方名義であの家にも何通か文を送っておいたものに返事も来てるわ……詳しくは、居城で、ね」




