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戦國鬼神伝  作者: 淡路
道ノ巻
50/64

同時刻、那古野城下町

冬の空気が混じる涼しい風が道を掠めていく。

城下町に並ぶ店にも冬物が多くなっている。


「そこのお方、どちらの御姫様(おひぃさま)でございますか?よろしければ私共の店にどうぞ」


服屋の優しそうな高年の女がにこりと笑う。

その老婆の目の前には、柔らかな長い髪と長い睫毛の下には鋭い光を持つ瞳、薄紅をつけた唇と、整った顔立ちの女が笠を少し上げて立っている。

女は値の高そうな桔梗色の小袖に薄紅の羽織を着ている。

美しい女物の小袖には目もくれず、隣にあった男物を目にした途端、娘は小さく笑って開き呟いた。


「そこの翡翠色……綺麗ね、あの人にぴったりだわ」





「はぁー、だめか……」


ある店の前で溜め息をつく娘。艶やかな長い黒髪、薄紅、翡翠色の小袖。片手に笠を持ち、もう片手には銭が二枚。


「これじゃあ飯どころか団子一本買えるぐらいだぜ……」


その声はだんだん暗く……いや低くなっていき、男のものへと変わる。


「はぁ……あの狸が仕事増やしてきやがるせいでまともな飯も食えねぇじゃねぇか!!!!」


この娘は変装した徳川の伊賀忍者、服部半蔵であった。

半蔵は自分で大声を出してしまったことに気づき、すぐに口を塞いだ。周りに誰もいない事を確認し、そろそろと店の裏から出て行く。


「畜生……折角休みだってのにまともに食えねぇなんて……ふざけてやがる……」


小さく周りに聞こえない声で呟きながらふらふらとした足取りで町を歩いていく。

すると、大きな塊にぶつかる。

半蔵はついいつものように声を出そうとしたが堪えて見上げるといかにもカタギではない男だった。仮にも女装している半蔵は口の端しをひくりと上げて苦笑いをする。

その場を立とうとした途端、肩を力強く掴まれるがその手を振り払い来た方向へ全速力で走ろうとしたが小袖のせいで走ることすらままならない。

そして遂に、裾を踏んでしまい転ける。

半蔵は心の内で忍として恥ずかしいことをしたと思ったがそんな場合ではない。


「糞女‼︎兄貴に謝れ‼︎」


いつの間にか大男の仲間に囲まれていた。そのまた外回りには人だかりまでできている。

半蔵は遂に変装を解こうとしたが、目の前に影ができる。


笠を被ったいかにも位の高い女。桔梗色の小袖に薄紅色の羽織。

笠からはみ出る長く色素の薄い髪は冬の風に揺れている。


「今のうちにお逃げなさい」


少し低い凛とした声が耳に入る。

しかし今の言葉は忍である前に男である半蔵の自尊心が許さなかったらしい。

また女が話しかけてくる。


「聞こえなかったのかしら。変に自尊心があるのは昔から変わらないのだな」


半蔵は少しの間呆然とした。そして思い出したかのように徐々に顔が引きつる。


「それとも……そこから動かないということは妾を守ってくれるということ?」


女は笠を取りゆっくりと半蔵の方を振り返る。整った顔立ちに鋭い光を持った瞳。高い所で結い上げられた長い髪の毛先には癖があり、その髪色は半蔵の主の髪色に似ていた。


「まさか……あんた、」


半蔵が呟いた途端、女は唇の端を上げ満足そうに笑った。女は半蔵を知っているらしかった。


「久し振りね、服部半蔵……ところであの人はどこ?知っているんでしょう?」


その場に座り込んだ半蔵に近づき、女は強く言う。

しかし口を開こうとしない半蔵を見て険しい表情になる。

女は踵を返し、その場から去ろうとした。


「言う気が無いならいいわ。でも……いつか後悔させてやるのよ。あの人に……元康に‼︎」


半蔵はその名に目を見開いた。それは紛れもなく半蔵の主の名だった。


「またね、服部半蔵。駿河で待ってると伝えて」


女は半蔵に背を向けて北の方向へと歩いていってしまった。

いつの間にか、囲んでいた男達は生きる屍の様に女と同じ方向へとふらついた足取りで女についていく。


「築山……御前……」


半蔵は女の名を呟いた。

それは紛れもなく、今尾張の地にいる徳川家康の正室の名だった。


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