わたしのお隣さん
わたしはついこの間まで知らなかったんだけど、わたしの家の隣にはわたしと同い年の男の子が住んでるんだって。
その、確か江原っていう名前の人達は去年の4月ぐらいに引っ越して来たんだけど、その人達とは一度も会った事が無かったの。
お母さんの話だと、江原さんのお家は夫婦揃ってお仕事がとても忙しいらしくて。
引っ越して来たその日にちょっと挨拶した事があるぐらいで、後は全然会った事が無かったんだって。
で、今はその江原さんが引っ越して来た次の年の4月なんだけど。
そこで初めて、その男の子を見る事になったの。
じゃあ、そこからお話を始めるね。
その日は中学校で始業式があったんだけど、朝から結構強めの雨が降っていた。
2年のわたしのクラスに1人休んでる人が居たんだけど、先生でさえ気にしていないのか、その人の事については特に触れようともしなかった。
今日の学校は午前中だけで終わって。
家に帰ってお昼ご飯を食べた後はTVを観るぐらいしかする事が無い。
そうしてわたしが居間でTVを観ている所に、陽菜がいきなり話し掛けて来た。
あっ、陽菜っていうのはわたしの1つ下の妹で、1つしか違わないからか髪型を一緒にするとまるで双子みたいになるの。
ちなみにわたしはおさげみたいに下の方で髪を2ヶ所で結んでて、陽菜はどこも結ばずに下ろしてるけど、頭の上にカチューシャをしているの。
「ねえ、お姉ちゃん」
「ん、何?」
「今、江原さんって人が来てるんだけど、分かる?」
「江原さん? う~ん……知らない。お母さんに訊いてみようか。陽菜も行く?」
「うん」
何かわたし達の知らないお客さんが来てるみたいなので、わたしは陽菜と一緒にお母さんの所に訊きに行った。
今の時間は夕方の4時半ぐらいなんだけど、お母さんは台所に立ってお皿を洗ったり料理の下準備をしたりしてる。
まあ、だからこの時間のお客さんは大低わたし達が先に出るんだけど。
「お母さん」
「あら、2人揃ってどうしたの?」
台所での作業を中断してお母さんはこっちを向いた。
お母さんは髪が長くて、今は台所に居るから2回まとめ上げる変則的なポニーテールにしてるけど、下ろすとおへそぐらいの所まで来る。
後、近所で評判になる程若く見える。
お母さんは確か今35歳だったと思うんだけど、25歳ですって言っても疑われないぐらい。
逆に35歳の子持ちである事を疑われる事がある。
家事が凄く上手くて、とても優しくて、わたし達はそんなお母さんが大好きだ。
……あ、ごめんなさい。話を戻すね。
江原さんが来ている事を伝えなきゃ。
別に陽菜が言っても良かったんだけど、2人で来たなら姉のわたしから言った方がいいかなと思って、わたしから報告した。
「今お客さんが来てるの。江原さんって言うんだけど、知らない?」
「江原さん? ……え? 江原さんが来てるの? 分かった、私が出るわね」
お母さんはやっぱり江原さんの事を知ってるみたいだったけど、何故かちょっと不思議そうな顔をして、玄関に向かってった。
なんだろう? ちょっと気になる。
わたしが陽菜の顔を見ると、同じような事を考えていたみたいで目が合った。
そしてお互いに頷き合うと、わたし達も玄関へと向かう事にした。
「は~い! 江原さん、帰って――」
お母さんは特に迷いも無く玄関のドアを開けた。
そのドアの先に居たのは、お母さんの見た目と同じぐらいの歳に見える女の人と、わたし達と同じぐらいの歳の男の子だった。
「――どちら様?」
どうもお母さんが思っていた人じゃなかったみたいで、お母さんは不思議そうな顔をしていた。
そんなお母さんの様子に気付いたのか、女の人の方が話し始めた。
「私は、この子の家に住み込みで家庭教師をさせてもらっています、喜多川祐子といいます。それで、こちらが――」
「隣に住んでる江原琢斗です」
「ああ、キミが江原さんのトコの息子さんなのね。何度か見掛けた事はあったんだけど、キミがそうなんだ」
住み込みの家庭教師なんてのが居る事には驚いたけど、その子を見て、わたしは随分前に江原という名前を聞いた事があったのを思い出していた。
その江原琢斗くんは、短めの黒髪で左目の下にある泣きぼくろが印象的だった。
後は、何て言うんだろう。
自信がありそうな顔って言うのかな?
何の自信かは分からないんだけど。
そんな感じの雰囲気があって、ちょっとだけかっこいいと思った。
「……それで、今日は突然どうしたんですか?」
「実はその……私に料理を教えて欲しいんです」
「料理、ですか?」
「はい、理由は――」
「……まあ、こんな所で立ち話もなんですから、とりあえず中に入って下さい。中で話しましょう」
「はい、お邪魔します」
「……お邪魔します」
お母さんは手短に話を済ませると、2人を中へと招き入れた。
2人は結構緊張しているみたいで、おずおずと靴を脱ぎ始める。
その時、一瞬お母さんと目が合い、ちらりとわたしに目配せをすると、台所の方へと歩いて行く。
陽菜は目が合わなかったのか、そのままお母さんについて台所の方に歩いて行った。
わたしはその目配せの意味を正確に読み取れたかどうか少し自信が無かったけど、2人の方へと歩いて行って、お母さんの視線の先にあったスリッパを2足出した。
「はい、どうぞ使って下さい」
「あ、ありがとう。しっかりしてるのね」
「いえ、そんな、これぐらい……」
「急に押し掛けちゃったのにスリッパまで用意してもらっちゃって、ありがとう。え~と……や、弥生、だっけ」
「うん、どう致しまして、江原くん」
後から思うと、この時にもうちょっと違う事を言っていればこの後の話が違ったのかもしれないけれど、この時のわたしは全くそこまで頭が回らなかった。
何故彼がこの時、わたしの名字を言うのにちょっと緊張していた風だったのか。
この時にすぐわたしが理由に気付いて訂正していれば……ああ、ごめんなさい、話を戻すね。
わたしは2人の傘を傘立てにしまって、それから2人を居間へと案内して、ソファーに座ってもらった。
それからわたしは、お母さんの所へ手伝いに向かう。
ちなみに陽菜は既にそっちで手伝っている。
「あ、お母さん。わたしが持ってくから、陽菜と一緒に先に行ってて。もう居間に案内してあるから」
「あら、熱心ね。もしかしてアピール?」
「ち、違――もうっ、このぐらいいつもやってるでしょ?」
「え、何? お姉ちゃん、そうなの?」
「ひ、陽菜まで何言ってるの? じゃあいいわよ、陽菜が持って行きなさいよ」
「ごめんごめん。じゃあ先に行くね」
「ふふっ……慣れてると思うけど、気をつけてね。春菜」
「うん」
わたしが台所に到着する頃には既にお茶とお菓子の準備が整っていたので、陽菜とお母さんには先に居間に戻ってもらった。
わたしが1人でお茶とお菓子の乗ったお盆を持って居間に向かった。
……お客さんが来た時は本当にいつもわたしがお盆を持って行ってるってだけなんだからね。
別にアピールとかじゃないんだから。
居間に着くと、わたしはまずお茶を全員の前に置いた。
そして次にお菓子をテーブルの中央に置く。
それから、陽菜の横の席が空いていたので、そこに座る。
ちなみに左端がお母さんで真ん中が陽菜で右端がわたし、テーブルを挟んで左側に喜多川さんが座って、丁度わたしの向かいの席に琢斗くんが座っている。
「はい、どうぞ」
「わぁ、ありがとう。え~と……」
「弥生、って呼べばいいんじゃないの? 祐子さん」
「琢斗、何言ってんの? ここはその弥生さんの家なのよ?」
「? だったらいいんじゃないの?」
「いや、だから――」
琢斗くんと、琢斗くんから祐子さんって呼ばれた喜多川さんがイマイチピンと来ない会話をしていると、そのズレの原因を察したらしいお母さんが口を開いた。
「あら、まずは自己紹介から始めた方が良さそうですね」
「そうですね、恥ずかしい話ですけど」
「いえいえ、では私から。こちらの2人の母をしています、弥生智菜です。よろしくお願いしますね」
「わたしは弥生春菜です。中学2年生なので、江原くんと同い年のハズです。よろしくね」
「――あ、ああ、うん……」
ここまで言った所で、琢斗くんはようやく納得が行ったような声を出した。
この時は一体何に納得していたのか分からなかったんだけど、まだこの時にでもわたしが気付いていれば話は違ったのかもしれない。
琢斗くんは、どうやら“弥生”というのが名字じゃなくて名前だと思っていたらしいの。
……で、これは後で祐子さんから聞いた話なんだけど、琢斗くんは少し前にわたしを見た事があったらしいの。
まあ、家が近いんだから見かけた事ぐらいあっても当然よね。
それで、その時にわたしが友達から弥生って呼ばれてるのを聞いた事があって、そういう名前だと思っちゃったんだって。
……と、ごめんなさい。
話の途中だったわね。
次は、陽菜が自己紹介をする番。
「弥生陽菜です。お姉ちゃんの1つ下で、中学1年生です。祐子さんと琢斗さん、よろしくお願いします」
「ほへ?」
不意にわたしの口からすっごい変な声が出た。
い、いや、別に陽菜が琢斗くんを普通に名前で呼んだ事に驚いたとかそんなんじゃないんだけど……。
わたしがそんな反応をするとは誰も思ってなかったのか、みんなの視線がわたしに集中した。
「お姉ちゃん、どうしたの? 陽菜の自己紹介にどこか変な所でもあったとか?」
「え? う、ううん! べべっ、別に何でもないわよ?」
陽菜の質問にも冷静に答える事が出来ないでいるわたし。
わたしって今明らかにこのリビングで浮いているわよね。
そう思うだけで顔が熱くて、頬が赤くなって来てるのが分かる。
「………………」
わたしはもう何も言う事も、恥ずかしくて顔を上げてさえもいられなくて、俯いちゃう。
まだみんなの視線がわたしに集中しているような気がして、この時間が永遠に続くような気さえした。
「――え、え~と、それで、今日ここに来た理由なんですけど……っ!」
その時だった。
何か変な空気になっちゃったの感じたんだと思うんだけど、琢斗くんがこの変な空気を変えるかのように勢い良く声を出した。
これがわたしを助ける為だったんじゃないか、なんてのはわたしの考え過ぎなのかもしれないけど、この時は本当に助かったと思ったの。
流石に声に出してお礼を言う事は出来なかったけど、本当にありがとう。
勝手な思い込みだけど、凄く嬉しかった。
「え、ええ、そうね。それが本題でしたわね。……確か先程、料理を教えて欲しいと仰ってましたよね?」
「は、はい、そうです。それで、その理由なんですけど……」
琢斗くんのおかげで何とか話が本筋に戻った所で、お母さんと喜多川……祐子さんが話を再開した。
「まず、琢斗君のご両親が先々週お仕事で海外に行ってしまっていた事はご存知でしたか?」
「いいえ、出掛けた、という事は聞いていたんですけど、仕事で、しかも海外へ行かれたなんて事は全く……そうだったんですか?」
「ええ。それで、私は今までの1年間程は普通の家庭教師をしていたんですが、先々週から住み込みで教えて欲しいと琢斗君のご両親から頼まれまして。この10日間程は2人暮らしをしていたんですが、お恥ずかしながら私は今までろくに料理をした事が無かったもので……」
「ああ、それで今日、ウチへいらしたという訳ですね?」
「はい、そうです……とても厚かましいお願いだとは思いますが、どうか私に料理を教えて頂けないでしょうか、弥生さん?」
「……喜多川さん、1つ、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
「はい、何でしょう?」
「今日まではどのように過ごしていらっしゃったんですか?」
「え~と、最初は料理をしようとしたんですけど――」
お母さんの質問に対して、祐子さんは言葉を詰まらせた。
身体をもじもじとさせながら、少し顔が赤くなっている。
ちょっと恥ずかしがっているみたいだった。
「――僕が言えた義理じゃないんですけど、とても料理とは呼べないモノになっちゃって……」
「たっ、琢斗……っ!」
そこへ、琢斗くんが割り込んで続きを言っちゃった。
祐子さんは顔を真っ赤にしながら琢斗くんの方に振り向いて目を見開いている。
「真っ黒な卵焼きとか、胡椒と砂糖塗れの炒飯とか、塩コーヒーとか」
「うっ…………」
琢斗くんが挙げていく料理の数々を聞いて、祐子さんはがっくりとうなだれていた。
どんな料理だったのかを思い出しちゃったのかもしれない。
「そんな調子が3日続いたので、その後はコンビニの弁当だったりテイクアウトだったりで済ましてたんですけど、……やっぱり家で料理を食べた方が体にも経済的にもいいんで、料理を習った方がいいって話になって」
「――それで琢斗君との話し合いの結果、お隣りの弥生さんに料理を習おう、という話になったんです」
「成程……分かりました。そういう事でしたら、協力しましょう」
「「あ、ありがとうございます!」」
お母さんの返事に、2人の顔がぱあっと明るくなった。
まあ、お母さんなら絶対断らないだろうなって思ってたけど。
……とそこで、お母さんの雰囲気が少し変わり、少し厳しい目をして2人を見ている。
その目はわたし達を叱る時に見せる目に似ていたけど、そこまでキツイ雰囲気は感じない。
何を言うつもりなのかな、と思っているとお母さんが口を開いた。
「……ただし、1つだけ条件があります。私の事は智菜と呼んで下さい。私も、貴女達を名前で呼びますからね」
「え? そ、それだけですか? 授業料とか、食材費とかは……」
「ええ。お金なんてのは要りません。だって、今日から私達は友達なんですもの。まあ、食材を持参して来てくれるぐらいだったらありがたく受け取るわ」
「……はい、分かりました。智菜さん、よろしくお願いします」
「ええ、よろしく、祐子さん。それから、琢斗君も」
「はい、……智菜、さん」
「それと、春菜ちゃんと陽菜ちゃんもよろしくね」
「あ……は、る……弥生、と陽菜ちゃん、これからしばらく世話になると思うけど、よろしくな」
お母さんに言われて、琢斗くんは少し照れたようにお母さんを名前で呼んだ。
そしてその後、改めてわたしと陽菜にも声を掛けた。
……何でだろう、別に何も嫌な話をしている訳でもないのに、何か面白くなかった。
いえ、理由は分かってる。
だけど、ここで文句を挟むのは恥ずかしくて、とても出来なかった。
それから、急な話だったのでお母さんと祐子さんは2人で買い物に出掛けた。
帰って来たら早速お母さんは祐子さんに料理を教えながら晩御飯を作り、出来上がったそれをみんなで食べた。
2人が出掛けてる間もその後の食事中も、何となく恥ずかしくて琢斗くんとは喋れなかった。
陽菜も全然喋らなかったから、話題が見付からなかったんだと思う。
そして、結局琢斗くんとはそれ以上喋る事も無く、琢斗くんと祐子さんは帰って行った。
「はぁ~……何か、あんまり喋れなかったなぁ~」
「そうだね。祐子さんは料理の事でほとんどお母さんと喋ってたし、琢斗さんはあんまり喋ろうとしてなかったし」
「そうなのよね……折角隣に住んでるんだし、もう少し仲良くしたいな……」
「何、お姉ちゃん? 琢斗さんの事、そんなに気に入ったの?」
「もう、そんなんじゃないわよ。でも、……うん。ちょっと気になる、かな」
「わぁ~……陽菜はお姉ちゃんの事、応援するからね!」
わたしがちょっと正直な所を言った途端、陽菜ったら両手を合わせて表情を太陽みたいに明るくして応援宣言をして来た。
そんな陽菜の表情はとても無邪気で、本当に素直に応援しようとしてくれているのが分かった。
だけど――
「だから違うってば! もう……大体、陽菜だってあのシスコンの清水くん――」
「え!? ち、違っ、貴信くんはただ妹さんを大事にしてるだけで、シスコンなんかじゃ……」
「いや、いくら妹が女装を見たいって言ったからって、友達に女装させちゃうのはちょっと……」
「あ、あれは、自分が似合わないから仕方無くだって……」
陽菜にしつこくからかわれたので、わたしはちょっと反撃に出た。
陽菜は必死に清水くんの事をかばっている。
その様子があまりにも面白かったので、ちょっとスッキリした。
琢斗くんの事は確かに気になってるけど、気になるの意味が違う。
琢斗くん達が帰った直後にわたしは思い出したんだ。
わたしのクラスで休んでいた人の名前を。
確か、江原という名字だったハズ。
今まで同じ名字の人に会った事も無いし、まず間違い無いと思う。
でも、今日ウチに来た時は全然体調も悪く無さそうだったのに、何で休んだんだろう?
まあ、明日学校で会った時に訊けばいいかと思い、わたしはそれ以上琢斗くんの事を気にする事も無く眠りに就いた。
そして次の日。
天気は晴れ。
学校に着いたわたしは、全然想像していなかった展開に驚かされる事になる。
琢斗くんは学校に来なかった。
家はわたしの家から歩いて1分掛かるかどうかも分からないぐらい近かったハズだから、帰りに何かあったとはとても考えられない。
そこでわたしは、帰りのホームルームの直前のちょっとした時間に、近くの席の友達に訊いてみた。
「ねえ亜樹、今日も学校に来てないみたいだけど、江原くんってどんな人なのか知らない?」
「え? あたしは知らないなぁ~。あ、紗枝は確か去年同じクラスだったよね?」
「う、うん。確かに私は去年同じクラスだったけど……去年も5月の終わりぐらいまで休んでて、2月の途中からまた来なくなってたって事ぐらいしか知らない。理由を本人に訊いても家の事情だとか、そんな感じで適当にごまかされちゃうんだもの。まあ、それが謎なぐらいで、普段は勉強も出来るし結構面白い事も言うし、取っ付き易い人だと思う」
亜樹は地毛が亜麻色で、そんなに髪は長くないけどポニーテールが良く似合ってる女の子。
部活は陸上部で、走り高跳びのエース。
ついでに言うと、わたし達の中で背が1番高い。
紗枝は黒い髪を三つ編みにしていて、大人しい感じの女の子。
勉強が得意で、順位はいつも一桁を取っていたような気がする。
ちなみに、生徒会の会計さん。
「へぇ~……何よ弥生、気になるの?」
「え? だってわたし江原くんと会った事無いんだもん。そりゃ気になるわよ」
亜樹にツッコまれて、わたしは思わず尤もらしそうな嘘をついてしまった。
ちなみに、琢斗くんがわたしの名前を弥生だと思わせる原因を作ったのは亜樹だと思う。
紗枝はわたしの事を名前で呼ぶし、家もちょっと方向が違う。
亜樹はわたしの家のすぐ近くまで方向が同じだし、名前みたいな名字だからって弥生って呼んで来るのは亜樹ぐらいだし。
でも、去年琢斗くんと同じクラスだった紗枝ですら知らないのはいくらなんでもおかしいと思う。
昨日は琢斗くん、どう見ても普通だったのに……。
「お~い、弥生さんは居る~?」
その時、いきなり先生が教室に入って来るや否や、わたしの名字が呼ばれた。
わたしが返事をすると先生はくいくいと手招きしてきたので、わたしは何事かと思いながら先生の元へ向かう。
「何ですか、山村先生?」
「あ、弥生さん? 実は、これを持って行ってもらいたいの」
山村先生はそう言うと、わたしにプリントを何枚かまとめて渡して来た。
ちなみに名前は美紗じゃなくて智美だけど、担当科目は国語。
ちらっと中を見ると、今日配っていたプリントで間違い無かった。
という事は――
「これをね、今学校を休んでる江原君の家に届けてもらいたいの。学校に届けてる住所によると、弥生さんの家のすぐ近くだから、多分すぐ分かるわ」
やっぱり、そういう話だった。
わたしは丁度いいきっかけだと思い、先生にも琢斗くんについて訊いてみた。
「はい、分かりました。それはいいんですけど……あの、江原くんってどうして休んでるんですか?」
「彼には、特別な事情があるのよ」
「事情?」
「そうなの。それで、2月の中旬ぐらいからから5月の終わり頃までの約3ヶ月ぐらいの間、外に出られなくなっちゃうのよ」
「そ、そうなんですか……その事情って、一体何なんですか?」
「特別な事情よ」
「いや、訳分かんないんですけど」
「それじゃ、頼むわね」
先生が少しだけ教えてくれたけど、ますますよく分からなくなった。
何故詳しい事を言えないのかもよく分からなかったし、出て来れない期間が決まっている事も気になる。
ただ、これ以上訊いても教えてくれそうになかったので、わたしは大人しく引き下がる事にした。
席に戻った途端、わたしは2人から質問攻めを受ける。
「急に先生に呼び出されて……また何かしたの、弥生?」
「春菜ったら、今度は何したの?」
「いや、ちょっと待ってよ2人共! 何でわたしがあたかも問題児であるかのような言い方をするのよ?」
「「てへっ☆」」
「てへっ☆じゃないわよ!」
不思議なぐらい息が合っている2人にツッコミを入れるわたし。
一応断っておくけど、わたしは美術がちょっと苦手なぐらいで、別に先生から呼び出しを受けるような問題児でも何でもないんだから。
……そりゃ、たまに出来上がった作品の事について先生に呼び出される事はあるけど……。
ヘビを描いたのにウ●チですかって訊かれた時はショックだった。
……って、そうじゃなくて。
「もうっ……プリントを渡されたのよ」
「プリント?」
「うん。江原くんの家に届けてって」
「へぇ~……」
「そんなに近いの? 江原君の家って」
「うん、そうみたい」
亜樹が何か嫌な感じの笑顔を浮かべてたけど、紗枝はそれには乗らずに普通に返してくれてちょっとホッとした。
それでもまだ亜樹は何か言いたそうだったけど……。
「は~い、みんな~! 始めますよ~」
丁度いいタイミングで先生が入って来てくれたので、わたしはそれ以上追究される事も無く席に戻る事が出来た。
「――ねえ」
帰りのホームルームも終わって、わたしはすぐに教室を出て下駄箱に向かい、真っ直ぐに家に向かって歩き出した。
――ハズだったんだけど……。
「何で付いて来てんのよ? しかも紗枝まで! 紗枝の家はあっちでしょ!?」
「え~? 何でってそりゃ、弥生」
「そんな美味しそうなイベント、見逃す訳無いわよ」
「「ねぇ~☆」」
「………………」
くっ……何でこういう時だけやたら息が合うのかしらこいつら。
あ、ちなみに紗枝の家とウチとでは120°ぐらい方角が違う。
まあ、どっちの家も学校から歩いて5分ぐらいしか離れてないから、あんまり心配はしてないんだけど。
「……まあ、いいわ。紗枝、ちょっと帰りが遠くなるけど、気をつけてね」
「ええ、大丈夫よ、春菜」
でも、ここで断ったら怪しまれるだろうし、もっとからかって来る事は目に見えている。
だからわたしは、諦めて2人を連れて行く事にした。
やがて、目的地が見えて来る。
左手側にわたしの家があり、右手側の方に琢斗くんの家がある。
そう表現すると道路を挟んで左側と右側とに分かれちゃってるかのように誤解されそうだけど、そんな事は無い。
それだとお隣りさんじゃなくてお向かいさんになっちゃうしね。T字路の、つまり道の突き当たりに建っているの。
この辺りは家が密集した住宅街で、かなり入り組んでいる。
慣れてない人だと迷子になっちゃうかもしれないぐらい。
ちなみに亜樹の家は、そのT字路に差し掛かる十字路を真っ直ぐに進んで2分ぐらい歩いた所だから、亜樹もあまりこの辺は詳しくないハズ。
「ねえ弥生、江原ん家ってどこにあるのか知ってんの?」
「え? 先生はすぐ近くだって言ってたけど、――――っ!」
「ん? 春菜、どうかした?」
「う、ううん! 何でもない!」
「「??」」
2人はまた息ピッタリで首を傾げている。
わたしは直前になってようやく重大な事実に気が付いたのだった。
わたしと琢斗くんは昨日会っているんだという事に。
昨日会っているんだから、勿論琢斗くんはわたしの事を知っている。
だから当然、向こうはわたしの事を知った仲として挨拶して来る。
それじゃマズイ。
さっきわたしは2人に「江原くんと会った事無い」って嘘ついちゃってるんだから。
もし2人に嘘がバレたら、絶対に恋愛と結び付けてからかって来るに違いない。
――でも、どうしよう?
何とか事前に琢斗くんと口裏を合わせられれば1番いいんだけど、一緒に来てるんだからとても難しい。
一旦着替える為にウチに帰るって言って、電話で話すっていうはどうかな?
いや、ダメだ。
わたしだけ着替えて来るなんて不自然過ぎる。
それに、それだと琢斗くんに会う前におめかししてるみたいに受け取られるかもしれない。
でも、ウチから電話で話すっていうのは悪くない方法だと思う。後は一旦家に帰る最もらしい理由さえ考えれば――。
「――生?」
「………………」
「弥生ってば!」
「ふぇっ! な、ななっ、何?」
「何をぼけーっとしてんのよ? 江原ん家を早く探そうよ」
「ぁ――う、うん、そうだね」
考え事をしてるトコに、亜樹から突然声を掛けられたので変な声が出ちゃった。
亜樹は訝しげな視線をこっちに送りながら早く琢斗くんの家を探そうと催促してくる。
……うん? 探す……? これだ!
「そうだ、2人はわたしの家の前で待ってて! わたし、お母さんに江原くんの家の場所を知らないか訊いて来る!」
「え? ちょっ、弥生!?」
「春菜? いきなりどうしたの?」
名案を思い付いたら即実行。
わたしはそうやって言うと即座に家に向かって走り出した。
2人が呼び止めるような声が聞こえたけど、聞こえなかった事にした。
「ただいま~!」
「あら、おかえり、春菜」
「ねえお母さん、江原くん家の電話番号って分かる?」
「ええ、登録してあるけど……どうしたの?」
「うん、ちょっと話したい事があって。ありがとう」
わたしは家に帰るなりお母さんに琢斗くんの家の電話番号を訊いた。
どうやら既に家の電話機に番号を登録してあるらしい。
わたしはお母さんにお礼を言うと、早速琢斗くんの家に電話を掛けた。
「………………」
『――――はい、江原です』
「あっ、祐子さんですか? 弥生です」
『その声は、春菜ちゃんかな? どうしたの?』
「えっと、江原くん……じゃなくて、琢斗くんに代わって貰えますか?」
『ええ、いいわよ。ちょっと待っててね。琢斗~! 電話よ~!』
思えば、初めて声に出して「琢斗くん」って言ったような気がする。
人の家に電話する時は相手の下の名前を言うのが普通だと思うから「琢斗くん」って言ったけど……。
よくよく考えたら祐子さんと琢斗くんは名字が違うんだから、別に下の名前を言う必要は無かったよね。
そう思ったら、ちょっと恥ずかしい事をした気分になった。
いや、べっ、別に名前で呼んだぐらいで恥ずかしがらなくたっていいと思うんだけどね。
ほら、いつもと違う事をすると変な気分になるっていうか……ね?
『――――しもし? 弥生?』
「――! あっ、もしもし江原くん?」
『ああ。な、何か用か?』
「あのね、今からそっちに行くんだけど、わたしと初めて会った事にして欲しいの」
『え? 今から来る? なんで? それに、なんで初対面の振りなんて――』
「わたしと江原くん、同じクラスなのよ。それで今日、先生からプリントを渡されて、わたしが江原くん家に持って行く事になったの。それで――」
案の定琢斗くんから理由を訊かれたので、わたしは理由を答えた。
今から行く事になった理由、そして初対面の振りをして欲しい理由も言おうとしたんだけど……。
『――友達か誰かが一緒に来てるのか?』
「えっ……え? なんで?」
『そうだな、それなら納得だ。昨日会った、とか知られるとからかわれそうだしな、分かった。初対面の振り、やるぜ』
「あ、ありがとう……じゃあ今からそっちに行くから、切るね」
『分かった。じゃあな、弥生』
電話が切れてから、わたしはしばらく呆然としていた。
わたしが全部説明する前に琢斗くんは事情を察してくれて。
それが素直に凄いなと思って、わたしは少し興奮していた。
……あれ? でもよく考えてみたら、今電話で問い詰めても良かったわよね。
初対面じゃない事がバレちゃうって事に頭が一杯で気付かなかったな。
まあ、会って直接確かめればいっか。
「じゃあお母さん、琢斗くんにプリント届けに行って来るね」
「ええ、行ってらっしゃい春菜。ふふっ」
わたしは部屋にカバンを置いてプリントだけ持って来ると、お母さんにそう言って玄関に向かった。
お母さんは少し驚いたような顔をしていたけどすぐいつもの顔に戻って、笑って見送ってくれた。
わたしがその笑みの理由に気付いたのは、玄関で靴を履いた時。
お母さんの前で普通に「琢斗くん」と言ってしまった事に気付いて、わたしは気恥ずかしくなってしまう。
下駄箱の横に立て掛けられている鏡をふと覗くと、そこには案の定真っ赤になったわたしの顔があった。
結局わたしは、1分ぐらい玄関で深呼吸をしてから家を出る事になった。
「亜樹、紗枝、お待たせ」
「お~そ~い~!」
「春菜、お母さんに訊くだけにしては時間掛かったわね。何してたの?」
「いや別に、トイレ行ってただけよ。それより、江原くんの家はこっち」
外に出ると、2人が家の前で待っていてくれた。
不満そうに口を尖らせている亜樹と、少し心配していたような声で尋ねて来る紗枝。
わたしは玄関で落ち着こうとしていた間に用意していた答えを言って、琢斗くんのお家の方へ歩き出した。
「――って、近っ!」
「これなら訊きに行かずに探した方が早かったわね」
「そうだね、あははは……」
歩き出して1分もしない内にわたし達は琢斗くんの家の門の前に着いていた。
わたしは2人の当たり前なツッコミに苦笑しながらインターホンのボタンを押す。
しばらくすると、玄関の扉が開いた。
てっきりまずはインターホンの方に出ると思っていたのでちょっと驚いた。出て来たのは、祐子さん。
「は~い……あら、可愛い女の子が3人も。琢斗に会いに来てくれたの?」
「えっと、わたし達はクラスで貰ったプリントを届けに来ただけなんですけど」
わたしは祐子さんに簡単に用件を伝える。
後は少し上がらせてもらって琢斗くんと会っていけば2人も帰るだろうと思ってたんだけど。
「あの、お姉さんは江原くんのお姉さん、ですか? すっごく若いですけど……」
「あれ? 春菜ちゃんから聞いてない? 私はここで住み込みの家庭教師をしてる喜多川祐子って言うの。よろしくね」
「――――――!」
「へぇ~……春菜ちゃん、ねぇ……」
「後でじっくりと話を聞かせて貰う必要がありそうね、春菜ちゃん?」
「ぅ…………」
しまった、初対面じゃない人がもう1人居たんだった――!
うわぁ、しまったなぁ……琢斗くんと口裏を合わせるだけじゃ駄目だったなんて。
もう、本当は琢斗くんと面識があった事はバレバレになっちゃったわよね。
でももう遅い。
2人共大変素晴らしい笑顔でわたしを見つめていらっしゃる。
どうやら今すぐ問い詰める気は無いみたいだけど、明日は地獄になりそうな予感……。
ちなみに、わたしが明日の地獄を想像している間に亜樹と紗枝は自己紹介を済ませてたみたい。
祐子さんはわたし達を見渡しながらこんな提案をしてきた。
「それで、春菜ちゃんと……亜樹ちゃんと紗枝ちゃんだったわね。どうする? 琢斗に会って行く?」
「え、と――」
「「はい!」」
わたしが言葉に詰まってる間に2人に即答されてしまった。
やっぱり今日はプリント渡すだけで帰って、また別の日に訊こうかと思ったんだけど……くっ、2人がわたしを嫌らしい笑顔で見つめて来る……。
「ふふっ、じゃあどうぞ」
「「お邪魔しま~す」」
「ぁっ……──!」
そんなわたし達の状況を知ってか知らずか、祐子さんは笑顔でわたし達を迎え入れた。
亜樹と紗枝は声を揃えて家の中へと上がろうとするのを見て、わたしは思わず駆け足で割り込んだ。
理由なんてよく分からない。
ただ何となく、1番に入りたかったの。
「それで、祐子さん。江原くんの部屋は何階ですか?」
靴を脱いで廊下に上がった瞬間、わたしは振り返って祐子さんに琢斗くんの場所を訊いていた。
もうわたしと祐子さんに面識がある事は2人にバレてるんだから、喋り方も昨日と同じ調子だ。
「地下1階よ」
「はい、分かりました。……って、え?」
「ち、地下……?」
「私もそう聞こえたわ……」
「あはは……聞き間違いでも何でもなく、地下よ。下りるのよ。こっち」
全く予想してなかった階を言われて、目を白黒させるわたし達。
その様子を見て、祐子さんは笑いながらわたし達の先を歩いて地下への階段の所に案内してくれた。
廊下の突き当たりにある階段のすぐ左隣りにある扉を開けると、自動的に明かりが点いて地下への階段を照らし出す。
「おぉ~凄い……」
「今、自動で点いたわ……」
「祐子さん、今のは……?」
「ああ、動体センサーが付いててね。動くモノがあると勝手に点くのよ」
わたし達はそんな事にも感動しながら階段を下りると、また扉があった。
ここで、わたしの頭の中で疑問が湧き上がる。
この階段、どうして扉が付いてるんだろう?
それに、入口の扉は押して開けたのに、この扉は引いて開けるタイプみたい。
パッと見た所、扉を完全に開けて嵌めておく事が出来るスペースがあるみたいだけど……それはつまり、開けっ放しにしておく事も出来るって事よね。
……この時のわたしはそんな事を考えていて、何故、今はきちんと閉めているのかが気になったの。
現にさっき、わたし達が入った後わざわざ祐子さんが入口の扉を閉めていた。
勿論、単純に祐子さんがそういうのをきっちりとしたい人なだけなのかもしれない。
本当に、そんなに気にする事じゃないのかもしれない。
でも、どうしてもそんな疑問が頭から離れなかった。
「あっ、ちょっとゴメンね」
とその時、わたし達が出口の扉の前に差し掛かると、わたし達を呼び止めて霧状のスプレーを噴き掛けて来た。
この匂いは……ファブ●ーズかな?
勿論、いきなりスプレーを噴き掛けられて疑問に思わないハズが無く。
真っ先に口を開いたのは亜樹だった。
「何ですか? いきなり……」
「あはは……一応ね、ホコリとか飛ばないように、ね」
「まあまあ、それはいいから早く入りましょうよ、亜樹」
「……まあ、いっか。もういいですか?」
「ええ、大丈夫よ」
亜樹の質問に対する祐子さんの答えは明らかに歯切れが悪かった。
だけど紗枝はあまり気にしてないのか、その話をもうそこで終わらせて扉を開けようとする。
亜樹もただちょっと気になっただけだったのか、紗枝に賛同して扉に手を掛ける。
わたしは物凄く気になっていたんだけど、今それを問い詰めるのはあまり良くないような気がして何も言えなかった。
わたし達が扉の向こうへ移動すると、予想通り祐子さんが扉をきっちりと閉めた。
まあ、祐子さんが扉を開けて、わたし達が通り過ぎるのを待ってから閉めてるだけなんだから、ただ几帳面なだけなのかもしれないんだけど。
「うわぁ……広~い……」
「こんなにちゃんとした地下室なんて、初めて見たわ」
「上より広いんじゃないの、これ」
「ええ、庭の下まであるハズだから、1番広いわよ」
玄関から1番奥の扉に階段があって、途中で折り返してたから敷地を目一杯使える構造になってるハズ。
家の門から玄関までが10mぐらいあって、横幅が30mはあった気がするから、物凄く広い地下室になってると思う。
そんな事をわざわざ頭の中で確認したくなる程、とても広い地下室がわたし達の目の前にあった。
50型ぐらいの大きな液晶テレビに6人掛けぐらいのゆったりしたソファー、ビリヤードの台やダーツ。
他にもパソコンや電話があったりだとか、中型ぐらいの冷蔵庫や小さいキッチン、6人用の大きさの食卓なんかもあって。
後で聞いた話ではシャワールームやトイレやベッドなんかもあるみたい。
そして、そんな部屋の隅にあるパソコンの前に、琢斗くんは居た。
わたし達が来た事に気付いてたのか、立ち上がってこちらへゆっくりと歩いて来る。
……あ、このままじゃマズイ――!
さっきのやり取りで亜樹と紗枝には、わたしと琢斗くんが実は面識がある事がバレちゃってるハズ。
なのに、琢斗くんは初対面の振りをしてくれる事になってるから……最悪、さっき帰った時に琢斗くんの家に電話を掛けていた事がバレちゃう!
そうなったら、わたしは2人に――
「おう、長谷川さんじゃないか。そっちは確か……松下さんと、弥生さんだっけ」
「あら? 2人の事、知ってたの?」
「ああ、松下さんは去年何度か教室に来てただろ? その時に名札を見たんだよ。弥生さんは、帰りに松下さんと一緒に歩いてるのを見た事があってね」
――あれ?
その時、琢斗くんがちらりとこちらを見た。
話を合わせろって事かな、多分。
あ、一応補足しておくね。
長谷川っていうのが紗枝の名字で、松下っていうのが亜樹の名字なの。
「あ~……言われてみれば、わたしも江原くんの事見掛けた事あるかも。わたしはそこまで細かく見てないけど……」
「あたしは全然覚えてなかったな~」
「それで今日は? お見舞いに来た……って訳じゃなさそうだけど」
「あ、私が連れて来たんじゃないの。私はただの付き添い」
「えっと、わたしの家が江原くんの家の近くだったから、先生に頼まれてプリントを持って来たのよ。はい、これ」
「あ、どうも」
そこでわたしは、学校で貰って来たプリントを琢斗くんに渡した。
これでもう用事は終わり。
学校を休んでる事については、何か今は訊いちゃいけないような気がして訊けなかった。
「なあ、江原だっけ?」
「何? 松下さん」
「見た所ピンピンしてるけど、何で学校休んでんの?」
……と思ってたら亜樹が訊いちゃった。
まあ気になるのは当然だから、わたしも紗枝も自然と目が琢斗くんの方へと向く。
琢斗くんはというと、凄く自然な表情で、平然としていた。
わたし、てっきり琢斗くんは答えにくそうな顔をするのかと思ってたから、何だか意外だった。
それで、その口から出た言葉は――
「実は俺、株をやってるんだ」
「え……株?」
あまりにも突飛な話に、亜樹はびっくりしたような顔をして訊き直していた。
わたしもびっくりした。
株って、あの株よね?
ニュースとかでよく株価がどうとか言われてる奴。
わたしは詳しい事は全然分かんないけど。
やってるっていうのは、つまり株を買ってるって事かしら?
「そう、株。あの買ったり売ったりする。父さんから100万預かってて、それで株を売り買いしてるんだ」
「……それと学校休むのとどんな関係があるの?」
へえ、100万円も渡されて、それで株を買ってるんだ……よく分かんないけど、凄いなぁ……。
でも、それと学校休むのとどんな関係があるのか、わたし達の誰も理解出来てなさそうな顔をしていた。
それを代表して紗枝が琢斗くんにその疑問を投げ掛け、それに対して琢斗くんは特に慌てる事も無く答える。
「株ってさ、昼間しか売り買い出来ないんだよ。だから、株を売買する時は学校を休まなきゃならないんだ」
「「「へえ~……」」」
「それで先生と相談して、大体3ヶ月の間休ませてもらってるんだ」
「でも、よくそんな理由で休ませてもらえたわね?」
「きっちり勉強もしてるからな。その上、成績で上位を取り続ける事も条件付けられてる」
亜樹がまたツッコんだけど、琢斗くんはあっさりと答えた。
そして更に、琢斗くんはこう付け足した。
「でも、どれだけ理由を付けたってズル休みみたいなもんだろ? だから、先生からもあまりはっきりした事は言わないようにお願いしてるんだ」
琢斗くんのその言葉に、わたし達はただただ感心するしかなかった。
「ねえ……」
琢斗くんの家を出て、わたしの家に向かうまでの短い帰り道。
わたしは、紗枝と亜樹に話し掛けていた。
「さっきの江原くんの話って、本当なのかな?」
「なんだ、疑ってんのか?」
「ううん、そうじゃないの。疑ってるっていうか、何だか信じられなくて……」
亜樹に訊かれて、わたしは今思っている事を正直に話した。
別にわたしは、琢斗くんを疑ってる訳じゃない。
でも何だろう。
いまひとつ納得出来なかったっていうか、信じられないっていうか……。
「そうね……私も驚いた。けど、嘘ついてるようにも見えなかったわ」
「別にあたしは、嘘でも本当でもどっちでもいいからな~」
そんなわたしに応えてくれた2人の反応は、そもそもこれ以上気にするつもりは無い、というニュアンスの言葉だった。
そしてわざわざわたしの家の前まで来てくれた2人は、話もそこそこに切り上げ、それぞれのお家に帰って行った。
「あ、お姉ちゃんおかえり~」
「ただいま~、陽菜」
さっき一旦帰った時は居なかったんだけど、わたし達が琢斗くんのお家に行ってる間に帰って来たみたいだ。
そこで、早速わたしは陽菜にさっき琢斗くんの家で聞いた事を話してみる事にした。
「――って事なんだけど、陽菜はどう思う?」
「う~ん……琢斗さんも大変なんだなぁ~とは思ったけど、お姉ちゃんは何か違う事を思ったの?」
「うん、わたし自身何でか分かんないんだけど、どうも信じ切れなくて……」
「琢斗さんが嘘をついてるって事?」
「嘘をついてるとまでは思わないんだけど、まだ何か隠してるような気がするというか……」
「――つまり、お姉ちゃんはその理由じゃ納得出来ないんだ?」
「うん……」
そう答えながらわたしは、何故自分だけが納得行かないのかが分からなくて悩んでいた。
もしかすると、あの時の琢斗くんが全然動揺してなかったからなのかもしれない。
まるで、その質問が来るのを予想して答えを用意していたみたいで……それでどことなく胡散臭く感じちゃったのかも。
「まあ、考えててもしょうがないよ、お姉ちゃん。納得行かないなら琢斗さんに訊くしか無いと思う」
「そうだね……うん、聞いてくれてありがとね、陽菜」
「ううん、気にしないで」
陽菜の笑顔を見ていたら、何だか少し気持ちが楽になったような気がする。
……よし、今度琢斗くんに会ったら直接訊いてみよう。
わたしの胸の中のもやもやしたモノも、きっと無くなるよね。
その日の夜、お父さんが帰って来た。
お父さんは今日は珍しく、部屋に行かずに居間でTVを観ながらノートパソコンを触っていた。
わたしは特に深い意味は無かったんだけど、何をしているのか訊いてみた。
「お父さん、何してるの?」
「ああ、これかい? インターネットで株をやってるんだよ」
「え? お父さん、今なんて?」
お父さんの口から思いもよらない単語が出て来たので、わたしは思わず訊き直してしまった。
お父さんは、そんなわたしの態度は気にも留めずにわたしの疑問に答えてくれる。
「株だよ。まあ、まだ春菜の歳じゃ早いかな」
「え~と……それって昼間しか出来ないんじゃないの?」
「いや、そんな事は無いよ。確かに、実際に売り買いするのは昼間しか出来ないんだけど、夜の内にやれる事もあるんだ」
えっと、ここでお父さんが教えてくれた事をまとめると。
株は昼間しか出来ない訳じゃなくて、夜に売り買いする事も出来る。
ただ、夜に売り買いした時はその瞬間に売り買い出来る訳じゃなくて予約って形になるんだって。
それで、その予約の仕方にも色々あるらしいんだけど、流石に覚え切れそうになかったので止めといた。
ともかく、わたしは明日琢斗くんにもう1回会う決意をして、その夜は特に何もせずに寝た。
そして、次の日。
昨日の事を特に話題にする事も無く、わたし達は当たり障りの無い話題ばかりを話していた。
わたしは、昨夜お父さんから聞いた事を亜樹と紗枝には話さなかった。
しつこく琢斗くんの事を話題にすると、またからかわれそうな気がしたしね。
今日から部活や生徒会の活動が始まるので、わたしは1人で帰る事になる。
今日やろうとしている事を考えると、とても好都合だった。
あ、ちなみにわたしはバドミントン部に入っている。
ウチの部はあまり熱心じゃないのか、今日は休みだ。
「じゃあね、亜樹、紗枝」
「なんだ弥生、バドミントン部は休みか」
「チッ……帰りにじっくり訊くつもりだったのに……」
え? 今わたし舌打ちされた気がするんですけど、もしかして今の紗枝?
っていうかやっぱり覚えてたのね……。
「それじゃあねっ、また明日っ!」
「あっ、弥生!?」
「春菜、逃げたわね……」
わたしは全力で聞こえなかったふりをしてその場を後にした。
何か紗枝の口調がやたら怖かったのが印象に残ってる。
後が怖いような気もするけど、わたしはとりあえず今気になっている事を片付ける為に琢斗くんの家へと向かった。
『あれ? 春菜ちゃん?』
「祐子さんですか? ちょっと江原くんに話があって……」
『……ええ、分かったわ。今開けるからちょっと待ってて』
一旦帰ろうかとも思ったけど、わたしは真っ直ぐ琢斗くんの家に向かう事にした。
特に深い意味は無いんだけど。
早く問い詰めたかったのかな?
「は~い、どうぞ。今日は1人?」
「はい、ちょっと話があるだけなので」
「え? ちょっ、ちょっと春菜ちゃん待っ――」
扉が開き、わたしは家の中へ足を踏み入れる。
そしてわたしは、脇目も一切振らずに地下へと降りた。
するとそこには、まるでわたしを待っていたかのように琢斗くんがソファーに座っていた。
「春菜ちゃん、どうしたの? そんな勢い込んで……」
「――江原くん、学校を休んでる本当の理由を話してくれる? 株なんかじゃないんでしょ? 株は昼間じゃなくても出来るし、そもそも1年中売買出来るから3ヶ月も休む必要は無い。そうよね?」
「……まさか、こんな早くバレるとは思わなかったな」
「――――――!」
琢斗くんが思いの外あっさり認めた事に、わたしは少なからず驚いていた。
と同時に、ほんの少しだけ悲しかった。
まだ知り合って間もないけれど、嘘をつかれていた事が。
でも、これから琢斗くんが話してくれるであろう内容に少し期待もしちゃってた。
嘘をついてまで隠したい理由って何だろう?
そういう好奇心がわたしの中に膨らんでいた。
……それと、もしかしたら2人だけの秘密になるかも……なんてね。
祐子さん居るし、学校だって本当の理由を知ってるだろうし。
でも、クラスメイトで2人だけの秘密ってだけでもちょっとドキドキしちゃうな。
「――確かに、株が理由で学校を休んでるっていうのは嘘だ。まあ、株をやってるってのは本当の事なんだけど」
「……じゃあ、本当の理由は何なの?」
「それは――――」
そこで、初めて琢斗くんが続きを言うのを躊躇った。
やっぱり、余程言いたくない内容なのかな。
でも、好奇心がどんどん膨らんでいたわたしは、そんな琢斗くんには構わず身を乗り出して詰め寄った。
「どうして言えないの? わたし、別に誰かに言い触らそうって訳じゃないんだよ? ただ気になっただけで……」
「え、と……」
少し顔を赤らめて伏し目がちになる琢斗くん。
この時のわたしは好奇心の方が勝ってたので特に意識はしてなかったんだけど、後から思うと結構大胆な事をしていた気がして少し恥ずかしくなる。
しかも、あろう事かこの時のわたしは、更に琢斗くんに詰め寄った。
「ねえ、教えて? わたし、絶対に誰にも言わないから」
「ぁ、ぅ……ふ」
「ふ?」
「……ふぁ~っくしょいっ!」
「――――――!」
完全に俯いていた琢斗くんが急に顔を起こしたかと思うと、突然大きなくしゃみをした。
わたしは間一髪の所でそれを避け、すぐに切り替えて声をかけた。
「だ、大丈夫、江原くん?」
「あ~っくしょ! ふぁ~っくしょんっ! はぁ~っくしょいっ!」
「え? ちょっ、え、江原くん?」
「春菜ちゃん、そこから離れて!」
訳が分からず呆然としていると、祐子さんがこっちに来てわたしにそう言った。
わたしは訳が分からないまま立ち上がり、琢斗くんから距離を取る。
「ゴメン琢斗、今日は春菜ちゃんにファ●リーズ吹きかける間もなくこの部屋に入っちゃったから……」
「――くしょんっ! くしゅっ! ……はあ、はあ……」
「え? ど、どういう事なの……?」
祐子さんの言葉を聞き、わたしは独り呟きながら考える。
琢斗くんが苦しそうにくしゃみをしている原因がわたしで、そのわたしにファブリー●をしてないから琢斗くんがくしゃみをしている?
埃か何かに凄く敏感なのかな?
……ううん、それだと琢斗くんは1年中ずっと学校に来れないよね。
この時期だけ来れないっていうのと関係があるハズだから……あ、もしかして――
「――もしかして江原くんって、花粉症なの?」
「――――――! なっ、なななっ、何を言ってるのかな春菜君っ!?」
あ、めちゃくちゃ動揺してる。
琢斗くんがわたしを名前で呼んでくれたのは嬉しいけど、君付けって……。
でもわたしはそこで追及の手を緩めたりはせず、更に畳み掛けた。
「じゃあどうしてわたしが近付くとくしゃみが出るの? 埃が原因なら江原くんは1年中家に居なきゃいけないわよね?」
「うっ、そ、それは――」
「あっ、そうか。一昨日わたしの家に来れたのは雨が降ってたからだったんだ。雨なら花粉はほとんど飛んでないものね?」
「うぐっ――くっ……」
「それともさっきのくしゃみは偶然だとでも言うつもりかしら? だったらもう1回――」
「わ、ちょっ、ちょっと待った! ……そ、その通りです」
わたしの連続口撃で、琢斗くんは遂に本当の事を認めた。
両膝と両手を床に着けてうなだれる琢斗くん。
わたしはこの瞬間、勝利を確信した。
……いや、何に勝ったのかはさっぱり分かんないけど。
「春菜ちゃん、琢斗の花粉症はね――」
「はい、凄く酷いんですよね? 学校に来れないぐらい」
わたしがちょっと近付いただけでこれなんだから、学校になんて来たら1日中くしゃみ出ちゃうんじゃないかな。
「だったら、解ってくれるかな? なんで琢斗が言い出せなかったのか」
「はい、花粉症で学校休んでるなんて、恥ずかしくて言えないですよね」
花粉症で学校休む人なんて聞いた事無いし。
……でもちょっと安心した。
もっと重い病気だったらどうしようかと思ってたから。
いや、琢斗くんにとっては十分重いんだけどね。
――とまあそんな訳で、わたしの用事は済んだ。
なので、お家に帰ろうと回れ右をしたら、琢斗くんに呼び止められた。
「ま、待ってくれ弥生、頼むからこの事は誰にも言わないでくれ」
わたし、最初に誰にも言わないから教えてって言ったハズなんだけどな。
だから言い触らすつもりなんて元々無かったんだけど、そういう風に言われるとわたしの中で悪戯心が芽生えてくる。
「――さ~て、どうしよっかな~? わたし、嘘つかれちゃって傷付いちゃったからなぁ~♪」
「わ、悪かった、許してくれ」
「え~? 誠意が足りないなぁ~?」
「な、何でもするから! 頼むからみんなには言い触らさないでくれ!」
「何でもする? 本当に?」
「……あ、ああ、本当に何でもする。だから頼む、弥生!」
わたしとしては、本当にちょっとからかっただけのつもりだったんだけど、何でもするなんて言われちゃった。
ど、どうしようかな。
何でも、かあ……。
「じゃあ、分かった。誰にも言わない」
「あ、ありがとう弥生! ……それで、俺は何をすればいい?」
「そうね……今は思い付かないから、今度言うわ」
何でも、と言われて考えてみたけどいいのが中々思い付かなかったので、わたしはそう言ってその場を流す事にした。
すると、突然祐子さんがわたしに近付いて来て耳打ちしてきた。
「……春菜ちゃんの事を名前で呼んで、とは言わないの?」
「――――――! ゆ、祐子さんっ!」
それは完全に不意打ちで。
琢斗くんに何でも、と言われて真っ先に思い付いた事を言い当てられた動揺であたふたするわたし。
多分顔も真っ赤になってると思う。
「ど、どうしたんだ弥生?」
「えっ? あ、なっ、何でもないっ! き、気にしないで!」
「――うふふっ」
案の定琢斗くんに心配されて、わたしが慌ててごまかしている横で祐子さんが楽しそうに笑ってる。
新しい玩具を見付けた時のようなあの目……間違い無くわたしのこの微妙な気持ちを確信している目だ。
だって……琢斗くんに名前で呼んでもらっちゃったら、わ、わたしも琢斗くんを名前で呼ばないといけない気がするし。
それはまだ恥ずかしくて出来そうにないんだもん。
それから、わたしはよく琢斗くんの家に遊びに行くようになった。
反対に琢斗くんはあまりわたしの家に来てくれたりはしないんだけど、祐子さんが料理を習う時はわたしの家に来てくれる。
――と、わたしのお隣りさんとの関係はこんな感じ。
かなり長くなっちゃったけど、聞いてくれてありがとう。
……え? 結局わたしは琢斗くんに何をさせたかって?
それはね――
「江原くん、今日はありがとね。買い物に付き合ってもらっちゃって」
「気にしなくていいって。でも、こんなんで良かったのか? あの時の奴」
花粉も収まって来たとある雨の日。
わたしと琢斗くんは並んで傘を差し、買い物袋を提げて歩いていた。
ホントは陽菜と2人で行くハズだったんだけど、陽菜が少し風邪気味だった為、わたし1人で行く事になったの。
でも買う予定の物は2人じゃなきゃ持てないぐらいあって。
それで、急遽琢斗くんに手伝ってもらう事にしたんだ。
「うん。あれから1ヶ月半経つけど、結局全然思い付かなかったから。どうして?」
「い、いや、このぐらい別にその権利を行使されなくたって俺は――」
「え? 江原くん、今なんて?」
「あ、ああいや何でもない! 別に深い意味は無いんだ!」
ホントははっきり聞こえてたんだけど、その言葉が嬉しくて。
もう1回聞きたくて訊き直したんだけど、琢斗くんは慌ててごまかしちゃった。
でもやっぱり嬉しくて、わたしは自然とお礼の言葉を口にしていた。
「――ありがとう」
「ん? だから気にしなくていいって」
「ううん、これは違うの」
「え? どういう意味だよ、弥生」
「教えな~い♪」
今日は雨が降っているっていうのに、わたしは思わず小走りで駆け出していた。
跳ねた水が足に掛かって冷たかったけど、わたしの心はぽかぽかとして晴れやかな気持ちだった――。
この作品は、自身が二次創作で作ったオリキャラの日常部分を切り取って書いたモノになります。
もし某所で全く同じキャラを見掛ける事がありましてもご安心下さい。作者は同じです(笑)




