第7話 ああ、なんてこと
フレンがカフスレイヤ家の使用人として住むようになってから、一年が経過した。
わたし――マリエル・カフスレイヤの怪我によって騒然としていた館の中も、さすがに季節が一巡すれば、遠い出来事として、静かに記憶の中へと吸収されていった。
……いや、訂正。
元気になったわたしの名を、朝から晩まで誰かが呼んでいる。
カタリナの声が廊下に響く。
「マリエルお嬢様~! ケーキですよぉ! あとお勉強でーす」
お父様の低くよく通る声が重なる。
「マリエル! どこだ!? クッキーがあるぞ! まさかまた脱走しているわけではあるまいな!」
そして魔法の先生。
「お嬢様~。攻撃魔法の時間ですぞぉ。砂糖菓子もありますぞぉ」
フレンのお父様を助けに行ったあの日以来、ずっとこんな調子だ。
過保護にもほどがある。
わたしはもう十一歳。
立派なレディである。
そうそう簡単に問題なんて起こさない。
あとなぜ全員、お菓子で釣ろうとするのか。
いや、釣られるけど。
そして問題も起こしたんだけども。
話は数日後へと進む。
*
その日の朝は、お母様の寝室にいた。
カーテンのかかった薄暗い部屋。
豪勢な化粧台に使われた形跡は薄く、豪奢な椅子は昨日と同じ場所にある。
部屋の中心にベッドが一つ。そこにお母様は寝ていた。
表情はすっきりとはせず、うなされているようにも見える。
どちらにせよ夢の中で、わたしが入ってきたことには気が付かない。
名をカレン・カフスレイヤという。
長くウェーブのかかった赤い髪。
気の強そうな切れ長の目。
でも、誰かとお話しをされるときは、その目が半月となり、柔らかい声がでる。
一言で言って、優しさにあふれている。
不思議な感じ。わたしの外見なのに、聖母が宿っている。
遺伝子的には、わたしは、お母様の外見に、カフスレイヤ家の武人の魂が宿ってしまったのだろう。ついでにブラック企業のOLの魂も入っているけども。
お父様とお母様の出会いは数十年前にさかのぼるらしい。
酔ったお父様の言うなれそめを全面的に信じるならば、王都の学校に通っていたお父様が、パーティーで互いに一目ぼれ。そのまま学生結婚もかくやという勢いの恋愛を経て、結婚したという。
お母様は元貴族だ。先祖が、没落貴族というやつらしい。
元はカフスレイヤ家のように領地をもっていたとかなんとか。でもそれも二代前のことで、今ではどこかの小さな町で商売を営んでいるとかなんとか。
正直、ゲームには出てこないキャラなので、よくわからないのだ。
だって――お母様は死ぬ予定だから。
わたしは、事実を胸に、窓に近づき、カーテンに手をかけた。
「お母様。カーテンを開けますね」
起きているわけではないけど、声をかける。
ここ数年、お母様は明らかに体調を崩しやすくなっていた。
理由はわからない。
この世界には、原因を突き止めるという発想がほとんど存在しないからだ。
体温計すら存在しないのだ。
症状があり、対処する。それだけ。
薬草はあるが、抗菌薬はない。
無理なら聖女の治癒魔法を頼るが、制約がある。
教会所属の聖女には順番待ちが数か月単位で発生している。
各地域に点在する聖女に頼むにはお金がかかる。
精神魔法はあるけど、精神で病気はなおらない。
回復魔法はあるけれど、毒や麻痺の回復が主だ。
けれど――わたしは違う。
わたしの回復魔法だけは、違うのだ。
(お母様の体の中で、なにかが起きている……)
それだけは、確信に近い感覚としてあった。
これまでも、多少の体の弱さはあった。
でも、最近は熱が出る。
回復する。また崩す。
その繰り返しだ。
まるで、見えない何かと戦っているような。
けれど、見えないものは、理解できない。
理解できないものは、対処できない。
だから、わたしは、ベッドの脇に膝をつく。
寝たままのお母様を起こさないように。
きっとわたしが赤ん坊のころに、お母様がしてくれたように。
そっとその額に手を当てて、鍛え上げた三節を唱えた。
「深淵に至る灯は、我が身の寄る辺、深々の活力とならん――」
詠唱。詠唱。詠唱。
静かに。乱さず。魔法を流し込む。
お母様の体へ、点滴をするようだ。
押し付けるのではなく。
ねじ伏せるのでもなく。
流していく。
わたしの魔法は奇跡じゃない。
その人が本来持っている回復力を引き出すだけのものだ。
(だから……お母様が戦ってくれないと、意味がない)
呼吸を整える。
重ね掛け。
一点集中。
流れていく力を逃がさず、集める。
時間の感覚が薄れていく。
どれくらい経ったのか、わからない。
けれど――。
「……ん」
お母様のまぶたが、わずかに動いた。
顔色が、ほんの少しだけ戻る。
(……よかった)
胸の奥がほどける。
本来なら、数年で死んでしまうのだろう。
ゲームの中では、ほとんど語られない出来事。
けれど確実に存在する分岐だ。
そしてその死はマリエルという少女を、確実に歪ませたに違いない。
(でも……そんなの、認めるわけないでしょ……!)
――幼い頃のことがよみがえる。
夜更けに熱を出して泣き出したわたしの背を、朝まで撫で続けてくれた人だ。
苦い薬を嫌がると、高級な砂糖を少しだけ混ぜて「内緒よ」と笑った人だ。
失敗して叱られたあとでも、最後には必ず抱き寄せてくれた人だ。
こんなに優しい人を、守ってくれる人を、奪われていい理由なんて、どこにもない。
(だから、わたしが守る)
だって、わたしはもう悪役令嬢としての自覚がある。
だから、悪役令嬢になるためのイベントなんていらないんだ。
*
今回のお母様の状態は難しかった。
もしかしたら、今回の件でお母様の命は潰えていたのかもしれない。
それを救えたのなら、とても嬉しい。
――数日後。
けれど。
「……っ」
朝、ベッドから降りたわたしの視界が揺れる。
体が、重い。
ぐらついた体を支えきれずに、床に四肢をついてしまった。
なさけない。
「お嬢様!?」
いつもはふざけたカタリナの声が、緊張感を帯びている。
「――誰か! 誰かきてください! お嬢様をベッドに!」
「ちょっとカタリナ……あまり大げさにしないでいいから……みんな、慌てちゃって、花瓶でもわったら、申し訳ないわ……」
「ああ、お嬢様が周囲に気を使っている……! これは重症です……!」
「こいつ……」
でも言い返す気力もない
次第に周囲が騒がしくなる。
お父様が不在のときでよかった。お母様の体調が良くなったので、安心して外務に出られたのだ。
両脇を支えられ、半ば強制的にベッドへ運ばれる。
「大丈夫よ……ただの熱で――」
「ただの、ではありません!」とカタリナ。
ぴしゃりと反論は封じられた。
毛布をかけられ、完全に逃げ道を塞がれる。
「カレンさまのために頑張りましたね、お嬢様。カタリナは誇らしいです。それでこそ聖女様」
「だから聖女じゃないっていうの……」
ああ、覇気もでない……これは、無理だ。
抵抗できない。
「本日は絶対安静です」
カタリナが言い切る。
「……はいはい」
諦めて、目を閉じる。
体が熱い。
理解はしていた。
感染と魔力消耗。
どちらも、同時に来ている。
これが骨折とかなら、すぐに自己回復を始めるというのに。
(やっぱり……万能じゃないわね)
回復魔法を自分に使えば効率がいい――そう思っていた。
けれど、違った。
外傷ならともかく、体そのものが弱っている状態では、制御が効かない。頭がぼうっとして、その集中力が続かない。
それに魔法を使うための魔力も枯渇気味。
自己回復力を引き上げる以前に、土台が崩れている。
(……なるほど。これは、きつい。お母様はこういうときでも笑う時がある……素敵な人だな……)
思わず、笑いそうになる。
助ける側も、普通に倒れる。
当たり前のことを、今さら実感した。
そして母の強さも。
*
どれくらいの時間が経ったのかはしらないが、目は自然と開いた。
現状を理解できている。
大丈夫。
体調は悪いが、絶不調ではない。
「マリエル様、大丈夫ですか」
静かな声に視線を向けると――そこには、執事の服を身に着けたフレンがいた。
一年前と変わらない、整った顔立ち。
けれど、どこかが違う。
線は細いままなのに、芯が通っている。
目の奥に、わずかな強さがある。
少年から、少しだけ先へ進んだ感じだ。
彼は濡れ布を絞り、そっとわたしの額に乗せた。
「……冷たい」と呟く。
「よかったです」とフレンはほっとしたように微笑んだ。
(……かわいいわね。わたしが向けられていいモノじゃない気がするけど)
そんな感想が、自然に浮かぶ。
ヒロインに向けられるはずのものが、わたしに向かっている気まずさがあった。
ゲームの世界だとわかっているからこそ、メタ的な感情がふっと差し込まれる。
昔は、指示を待つばかりで、目を合わせることすら躊躇っていたのに。
今は違う。状況を見て、自分から手を動かし、相手の呼吸に合わせてくる。
小さな所作の一つひとつに、積み重ねた一年が滲んでいた。
起き上がろうとしたけど、やめた。
できそうだけど、いちいちフレンが慌てそうだし。
この子、気弱だと思ってたんだけど、意外と押しが強いというか。
そのくせに心配性だから、やたらと構ってくるのよね……。
いや、ありがたいんだけど、ちょっと大げさになってしまうときがあるから、今は静かに看病されておこう。
フレンが思い出したように言う。
「そういえば、カタリナさんが、魔力回復ポーションを扱っている行商の噂を聞いて、こちらに寄っていただくように調整しているみたいです」
フレンは少し誇らしげに言った。
「すごいですね、カタリナさん」
わたしは小さく息を吐く。
「……こんな辺境に、商団が来るわけないでしょ」
ゆっくりと、言葉を返す。
「たいした取引もできない土地に、わざわざ寄る理由がないもの。商人は慈善事業じゃないのよ」
この世界の商人は、剣を持たぬ戦士だ。
利益のない場所には、来ない。
それが前提だ。
「でも呼んでしまうんだから、カタリナさんは、すごいですよ」
フレンは迷いなく言った。
「……そうね。有能なのは認めるわ。本当に来るのなら、だけど」
否定はしない。
でも、どうやって交渉したのかしら。
この世界。
魔力を活用した通信機はあるけど、携帯通信機は高価だし。
いや、商団なら持ってるか……?
思考がまとまらない――そんな中、フレンは嬉しそうに言った。
「シャッソー領初の聖女さまですよ、ってお話されたみたいです!」
「……は?」
思考が、一瞬止まる。
フレンは気づかず続ける。
「なんたって、マリエル様は、シャッソー領初の聖女ですから! だから、きっと来てくれるって! そういうことを教えてくださいました! だからこれは、マリエル様のお力であるんです! すごい! マリエル様すごいです!」
ちょ。
フレンの目の中がぐるぐるしてる。
なにかに洗脳されているみたいだ。
なにかっていうか、わたしか……。
助けてからというものの、やけに尽くしてくる……。
いや、フレンだけじゃない。
周囲のみんなが、わたしの成長を喜んでいるようだった。
「カタリナ、ほんとに……」
聖女、聖女と持ち上げてくるのはいいとしても『本当に聖女なら』である。
わたしは聖女ではないのだ。
それどころか、将来、ヒロインとその相手を地獄に叩き落とす、悪役令嬢なのだ。
こんなふうに、愛にまみれた人生を過ごす立場ではないのだ。
「どうしてこうなったのかしら……」
わたしは、天井を見上げた。
答えは簡単に振ってくる。
――わたしのせいよね。
そう。
わたしのせいなのだ。
「わたしの、せい……?」
嫌な予感が広がっていく。
フレンを助けた。
お母様を助けた。
どちらも本当は存在しないキャラクターだ。
それを助けた結果――世界が、少しずつズレている。
(……ああ)
これ、たぶん。
「ああ、なんてこと……」
これも、あれも、それ、どれも、わたしのせいで、なにかがおこるならば――今だってそうなんじゃないだろうか?
部屋の外から、カタリナの大きな声が聞こえてきた。
「ゴーツクルト様一団がお見えになりましたぁ!」
ねえ、カタリナ、知ってる?
それ、あれだわ。
ヒロインの攻略対象のレイス・ゴーツクルトの商団よ。
「ああ……熱があがりそう……」
「ええ!? マリエルさま!? 大丈夫ですか!?」
慌てるフレンを無視して、わたしは天井を見上げるのだった。




