第9話 痛烈なスネの傷跡
「ああ、ちくしょう……またこの光景か!」
俺はその時、人生で初めての黒歴史の夢を見ていた。
「高橋君、あるプロジェクトに参加してほしいんだ!」
仕事に翻弄され続けて自信を持ち始めていたころ、社長に声を掛けられる。
連れていかれた先は、とあるナイトバーだった。
そこには『上級国民』と呼ばれる人々が集まっており、見覚えのある芸能人たちが酒を片手に騒ぎながら、お洒落なオッサンを囲んでいた。
「今回のクライアントだ……粗相はしないでくれよ!」
社長はそう呟くと、華やかな集団とは別の席へと向かう。
「彼はうちの出向だ……よろしく頼むよ、では」
そこには、むさ苦しい男たちが座っていて、非常に悩んでいる様子だった。
「参加してくれてありがとう。これが企画書だ」
テーブルの椅子に座ると、一人がパンフレットを俺に手渡す。
(サステナビリティな仮想現実の日常。リアルシティー)
開いてみると、華やかな芸能人たちがVRヘッドセットを被り、豪華なバーチャル空間で遊んでいる様子が描かれていた。
「これは……もう開発は始まっているのですか?」
「ああ、予定稼働日は過ぎている」
確かに、そこには去年の年が記載されていた。
「アプリ側は完成間近なのだが、サーバーが仕様変更に対応できなくて、バグだらけなんだ。だから、ネットワークに強いエンジニアを探している」
さらにページをめくると、バーチャルなモデルたちと共に、仮想通貨やFX、ファッションブランドの購入などができると書かれている。
「確かに、ネットワーク系は専門だが……ずいぶん壮大な計画だな」
「ああ、助かる。ネットコードを書いていた奴が蒸発して困ってるんだ。最低でも来月のイベントまでには稼働させないといけない!」
彼らは、みな深刻そうな表情を浮かべていた。
「君たち、そんな顔をしないで今日は飲もうじゃないか!」
俺は(大丈夫なのか?)と思いながらパンフレットを読んでいると、華やかな集団にいたオッサンが美人の女性を連れて現れて、俺たちを接待し始めた。
「君たちには期待しているよ! 私の初めての大型イベントだからね!」
後々聞いた話だが、彼は広告代理店の大物プロデューサーだった。
初めての経験でいい気分になった俺は、その日の夜から前任者の書いたプログラムを解読すると、完璧に動作するように改善していった。
何とか改善すると、クライアントはさらに仕様を追加してくる。だから、社長に頭を下げて人員を増やし続けて、対処していった。
追加された機能のために、モデルたちの3D撮影に付き合ったり、モーションキャプチャーの現場にも参加する。
こうして、アルファ版が完成してテストサーバーを稼働した。あとはバグ取りのために自分たちでヘッドセットを被って、デバッグを繰り返した。
「高橋君……どうやら上手くいってるみたいだね」
そんな時、俺は社長に声を掛けられた。
「はい、イベント用のプログラムも動いてますし、明日のリハーサルまでには何とかバグ抜きも終わるはずです」
「明日はプロデューサーも来るから、頑張っておくれ!」
最初は俺一人で始めたプロジェクトだったのだが、気が付くと全社員を動員するほどの大型案件に変わっている。
皆は全力で対応し続け、その時点で成功の見込みも立っていた。
前日のリハーサルでは、芸能人の代役がヘッドセットを装着して、仮想現実の空間で仮想通貨などの取引をこなしている。どうやら、問題なく動作していた。
「「よっしゃ!」」
「高橋さん、やりましたね!」
全てが完璧に機能したとき、俺たちは感動で胸がいっぱいになった。
あとは、徹夜してデバッグを続けて磨きをかければ完璧になる。そう感じていたのだが、そのあと、社長に呼ばれてプロデューサーに挨拶することになった。
「君たち、よくやったね、ありがとう! では、明日も頼むよ……ああ、そうだ。本番は私が用意した会社のサーバーで動かしてもらうからね。頑張って!」
彼は、にこやかに言い放つと、軽いステップで去っていった——
「はあ??????」
その時、全てにおいて訳が分からず、言葉が出なかった。
「社長、絶対に失敗します! 今まで通り、大手のサーバーを使いましょう!」
「コンピューターなんて、どれも同じだろ? 同じ機械なら全部同じに動くのは分かっている。君たちだって、いろいろなパソコンで作業しているじゃないか!」
何度も社長に進言したが、サーバーは契約済みで変更はできなかった。
「「「おい、サーバー係!!! 本当に大丈夫なのか!!!」」」
「いや、同じシステムで同じバージョンを用意するとは聞いていますが……」
そのあと、他社のエンジニアに散々追求される。だが、もう動作保証はできず、ただ祈ることしかできなかった。
そうして、当日の本番が始まった。
イベントが始まると、1万人の観客の前で芸能人がVRを操作する。だが、突如サーバーが停止して、全ての映像が途切れてしまった。
司会が、必死にアドリブで場を繋いでいる中、修復作業を続けていたのだが……結局、再稼働できたのは終了後でイベントは大失敗に終わった。
その大事件により、プロデューサーは激怒して会社は倒産。
俺は、入ってもいない芸能界から永久追放された。
*
ああ、分かっている。
これは俺の潜在意識が忠告をしているんだ。
どんなに完璧な準備を終えても、慢心してはいけない。必ず、予想もしない方角から『鶴の一声』という大誤算が発生する可能性がある。
**§**
明日は新月。
脱出に向けての準備は、全て終了している。
発光弾も爆弾も、十分な数を用意した。
“肉々団”たちの練度も仕上がり、戦争の準備は万全だった。
ハシゴのカラクリも、“建築班”によって完璧に仕上げられている。
すでに、やることもないので今夜は明日に向けての自由時間になっている。だから、俺たちは小屋で静かに食事をしていた。
今日も相変わらずのスライム料理が並び、デザートは俺と“料理班”で開発した生クリーム風のケーキだった。
「明日は出ていくんじゃぁぁろ? どうじゃ、一杯!」
「爺さんも知ってたか。そうだな、最後だから飲もうじゃないか!」
彼は今日のために、何本かの酒とつまみを用意していたらしく、みんなで“タコ壺”での最後の酒盛りを始めた。
俺は明日に響かないように飲む量を抑えていたが、三人は相変わらず酒豪で、並ぶ酒瓶は次々と空になっていった。
「なあ、爺さんは逃げる気はないのか?」
「ワシ? ああ、気にするなぁ。ワシは外では生きていけん!」
確かに彼は、毎日酒に明け暮れていて、それなりに幸せそうだった。
俺は酒盛りの途中で小屋を出ると、鉱山入り口前の排水溝で体と服を洗って、相変わらずパンツ一枚で散歩することにした。
しかし、“タコ壺”に来たとき、あれだけ大きかった腹は今でも変わらない。まあ、飯はそこそこ旨かったし、デザートはだいぶ美味しくなった。
もし人間界にたどり着いたら、スライムの菓子店でも開いてもいい。オークの国でも成功できるくらいには、自信がある。
中央広場に降りてきたが、今日は近衛兵の稽古はない。ただ、“楽器隊”が寂しい音色を奏でているだけで、辺りは静かだった。
もし明日脱出できれば、この“タコ壺”の夜も最後である。
だから俺は、遠くに座って最後まで聴いていた。
「よおぉぉぉ、兄ちゃん! 酒……飲まんのか?」
そのとき、なぜか爺さんが酒瓶を持って現れる。
「まあ、最後だから飲んでおくれよおぉぉぉ」
彼は隣に座ると、俺に器を渡して酒を注いだ。
「ワシはなぁ、この“タコ壺”が家なのじゃよおぉ。確かに自由はない。だが、ワシみたいなヨボヨボのじじいでも、生きている価値はあるのよぉ」
そして、自分の分も注いでグビグビと飲み始めた。
「じゃから、お前たちには出て行ってほしくはないのじゃが、長い間お前さんと過ごして、お前たちは外に出た方がいい……と思ったのじゃぁぁよ」
俺は酒をすすりながら、彼の意図に気づき始めた。
「爺さん……もしかして」
「そうじゃワシの名は『イエト』。鉱山の村で生まれた最古の住人じゃよ!」
その時、彼は声色を少しだけ変える。まさか、いつも隣で酔っ払って寝ていた爺さんが、『出口』への答えだったとは。
「まあ聞いてくれ。ワシは近衛兵が来た日に、彼らは危険だと思って一緒に過ごして監視しておったのじゃ……できれば、邪魔したかったのぉ」
そうか……彼は、この生活の継続を望んでいるのだ。だが、分かっている。俺たちは明日、爺さんたちの住む世界を壊すかもしれない。
「だがな、バーリア、タブラ、トルベには守るべき姫がいる。そしてタカハシ、コウヘイ。お前さんは“転生者”じゃ……お前はオークの世界を助けてやってくれ。だからワシは、“タコ壺”から出て行く手段を教えてやろうと思ったんじゃ……」
「爺さん……いいのか? オークの大半が消えてしまうんだぞ?」
「ああ、大丈夫じゃ。この鉱山はまだ価値がある。小屋が全部燃えても、また賑わっていくじゃろう。まあ、次の住人はゴブリンになるかもしれんがな……」
とはいっても、脱出するには全力で挑むしかできない。
「……ありがとう」
その時の俺は、それしか言葉が出なかった。
「ではいくぞ! 教えるには時間がかかる!」
彼は器に入っていた酒を一気に飲み干すと、立ち上がった。
*§*
その日の深夜。
「ボス……なんか、上部で変化がありますね」
「ああ、さんざん要求してた物資が、ようやく届いたな!」
その時、リフトに乗っていたガスターと部下のボーレは、ゆっくりと上昇していくと、門から巨大な木箱を運んでいる様子が見えた。
「ボス……追加の兵隊も来ておりやすね!」
「ああ、明日は必ず決行される。だから準備は万端にしておきたい」
二人が上部に着いて橋を渡っていると、門からはゴブリン兵の一団が現れる。
「ボス……これは何でやんすか?」
「人間が開発した兵器、『ゴーレム』ってやつだ!」
二人は、先ほど運ばれた木箱を開けていく様子を眺めていると、中から銀色の鉄の兵隊が姿を現していった。
それは、オークより巨大で、強靱な拳を構えている。
「さて、俺たちはこの箱を持って帰るぞ! 運べ、ゴブリンども!」
ガスターは別の木箱を指差すと、彼らに橋まで運ばせた。
「ボス、一つ質問ですがいいですか?」
「何だ?」
「ボスは明日、“建築班”のカラクリを使うのを知っているのに、なんで壊さないんですか? あれを壊しちゃえば、明日は何も起きないと思うんですが?」
「バカだなあ、事件が起こる前に対処してしまったら、俺たちの活動を認識しないだろ? まず大事件を起こさせてゴブリンどもを、どん底に落としてやる。そしてギリギリで救ってやるのが、策士ってやつだ!」
「さすがです、ボスはやはりボスだ!」
「ガハハハハ!! だから明日は暴れるぞ!!」
二人は大笑いしながら、自信満々に“タコ壺”のフチを歩いていった。