第一部 3話 大体ハイデになる
昼過ぎ。
俺たちはハイデに辿り着いていた。
「やっと……着いた」
カイは、ぜーはー、と荒い息を吐きながら言った。
長剣を腰から外して、鞘の先を突いて体重を預けている。
「……なんだよ?」
「いや?」
眺めていると、カイはぎろりと俺を睨んだ。
慌てて俺は目を逸らす。
流石は元賢者。
杖の扱いが様になっている……とは言わない。
きっと喧嘩になる。
腕っぷしでは俺の勝ちだが、口喧嘩では敵わない。
衛兵もいるし、人目もある。
街の中では分が悪いと見た。
「思ってたより良いところだねっ」
「……ああ、そうだな」
アリアの言葉に頷いた。
屈託のない笑みをアリアは浮かべている。
確かにそうだ。
ひどい言われようだったから、どんな場所だろうと思っていたのだが。
王都ほどではないが裕福そうだし、石造りの家は立派なものが多かった。
高い城壁はあるが、検問はほとんど素通り。治安も悪くないのだと思う。
石畳もきちんと整備され、綺麗なものだ。
街自体もかなり広い。噂ほど悪い場所じゃないのか?
……まぁ、大貴族の一人娘の台詞ではない気はする。
聖女の頃と比べて、アリアの価値観も変わったなぁ。王都の貴族街にいたのに。
「カジノあるかな?」
シルがウキウキとした声で言った。
「……黙れ」
「なぁ? 生きるためにはソイツを売り払うしかないんじゃないか?」
「シルぅ……もうやめてよぉ……これ、どうやったら治るのぉ……?」
俺が吐き捨てる。カイは苦楽を共にした仲間との別れを惜しむ顔をしていた。アリアが元聖女として、回復士の限界に顔をくしゃくしゃと歪ませる。
「じょ、冗談よ! 冗談っ!」
シルは叫ぶが、誰も信用しなかっただろう。
精霊のイメージを悪用して、どれだけ騙されたことか。
ひとまず俺たちは冒険者ギルドを目指すことにする。
理由は簡単だ。宿代はおろか、飯代もない。
路銀はとうに尽きていた。食料も今朝で使い切った。
今日中に依頼をこなせなければ、夕飯抜きで野宿するしかない。
冒険者ギルドはすぐに見つかった。
かなり大きな建物だったが、この辺りは最初に通った道ほど整備はされていないらしい。平均的な街並みというところか。
「……?」
すぐ隣の建物の裏から声が聞こえた。
集会か何かだろうか? ま、良いか。
俺たちは冒険者ギルドに入る。中は――誰もいなかった。
冒険者の一人もいないし、受付にも人の姿はない。
「あの! 誰かいますか?」
「え!?」
がたん、という音。
しばらくドタバタと続き……受付に女の人が出てきた。
長身で綺麗なお姉さんだった。少し皺になった制服を隠しているのが分かる。
茶色の長髪をくしくしと撫でながら、澄んだ緑色をした左目は半開きだった。
……いや、絶対に寝てただろ。
「今日はどのようなご用件ですか?」
「えっと、この街に着いたばかりなんですけど……」
俺は周囲を見回した。
この規模の街で、ギルドに冒険者が一人もいないなんて初めて見た。
「ああ、この時間なら隣の酒場で飲んでますよ? 良いお天気だし、きっとバルコニーも開放してますね。あたしもそろそろ行こうかなって」
この街のイメージが覆る。思っていたよりも三倍は酷い。
真っ昼間から飲むな。天気が良いなら働け。……仕事中に行くな。
「…………」
俺たちは思わず絶句する。
人類のために働き続けた俺たちには存在しない概念だった。
「いいね! あたしも行って良い!? ……ぎゃっ」
「うるさい」
受付嬢へと飛んでいくシルを左手の甲でぺしりとはたく。
酒という単語を聞いただけでこの有様だ。昔は本当に立派だったのに。
「何するのよ!? 慰謝料を請求するわ!」
「えっと、ここは……そんなに平和なのか?」
シルの口癖に被せて訊いた。冒険者と言えば、街を魔物から守る役割がある。仕事がないということは、平和を意味している。
「んー、まぁそうですね。
あなたたちも街道を通って来たんじゃないですか?」
俺たちは顔を見合わせてから、頷く。
今まで旅をしてきた中でも、とびっきりに長い街道だった。
「なら、見ましたよね? 広大な牧草地と豊かな農地!
あの地域だけで王国全土の食料を半分近く供給してるんです」
「? あ、ああ。良く整備されてると思ったけど」
「そう。王国にとって、それほど重要な地域なんですよ。
……通称『王国の食糧庫』です。王国にとって、死守すべき地」
? 良く分からない。
王国にとって重要なら、狙われるのではないか?
「それと、ハイデの奥には山脈があります」
「ああ、『龍帝山脈』だろ」
世界一険しいと言われる山脈で、ハイデからも良く見える。ちょうど山脈が分岐している麓にハイデはあり、左右どちらも『龍帝山脈』に囲まれている。
本来であれば、これほど近くに山があれば、ハイデも標高が増すだろう。
だが『龍帝山脈』はあまりにも険しく、山というよりは壁や崖に近い。
「そう! つまりハイデは『龍帝山脈』に背中を守られている。で、正面には『王国の食糧庫』がある。当然、王国騎士団が常駐している。鉄壁ですね!」
受付嬢さんは、うんうんと頷いている。
「……壁に囲まれた状態で、騎士団の背中に隠れているから安全だと?」
「加えて、食料の心配もありませんよ」
なるほど。
すぐ目の前には『王国の食糧庫』か。
「ハイデはどういう形で王国を支えてるんだ?
えっと、役割というか……特産品とか、施設とか、技術とか」
そんな場所なら、さぞかし重要な役割があるのかもしれない。
あってほしい。許したいんだ。
「? 上手く伝わってませんでしたか?
ハイデは『王国の食糧庫』と『龍帝山脈』に支えられているんですよ」
……一方的な関係らしい。
「じゃあ、強い魔物が襲ってきたらどうするんだ?」
「あははっ! 来るわけないですよ! ここまで来たら王国も終わりです」
受付嬢さんはまた楽しそうに笑った。
その前に王国が食い止めるはずだと計算しているのだ。
「ハイデは『攻めるは難いが攻めては来ない。そもそも攻める価値もなし』って言われています。あ、後は素直に『穀潰し』とも。面白いですよね」
そうかぁ。防御固めて食料確保して、何もしてないのかぁ。
言い得て妙だなぁ。まさに食糧庫に潜むネズミ……いや、笑いごとではないが。
「それでも襲ってきたら?」
「うーん、あまり考えたことないですねぇ」
「ど、どうして?」
「だって、どうせ敵には勝てないし……あ、誰が囮になるかを決めますね」
「…………」
思った以上に意識が低い。
王都の腐りきった貴族だって、戦うフリくらいはするだろう。
「それに、この時期に強い魔物が出たら、勇者様とかじゃないと……」
「! ……ま、まぁ、それはそうかもなぁ」
俺たちは明らかにそわそわとする。その通り、魔族の軍勢はその勢力を縮小していた。中途半端に強い魔物が出るとは思えない……幹部クラスになるだろう。
俺たちのおかげで。
そう、俺たちのおかげだった。
「ははは……」
俺の顔はにやけていたし、カイはわざとらしく視線を逸らした。シルは羽がぴこぴこと動き、アリアが目を輝かせる。
「あ、でも勇者様たちがこんな場所に来るわけないですね……。
王都と比べてもクソ雑魚しか集まらない場所ですし……失礼」
受付嬢さんはぺろっと舌を出した。
俺たちは何とも言えずに俯いた。
「……とりあえず、今日中に達成出来そうな依頼はあるかな?」
本題に移ろう。
俺たちはこれから依頼を受けに来たんだ。
「ランクは?」
「……G級」
「へぇ……G級冒険者。駆け出し、ですか。うんうん」
「…………」
受付嬢さんは何度も頷いた。
いや「うんうん」じゃねーよ、納得するな。
「じゃ、掲示板から好きな依頼を受けてください。
近くの魔物を狩るなら、採取より数が少ないので今日中に出来ると思います」
受付嬢さんはぴっと俺たちの後ろを指さした。見れば、ランクごとに依頼が張り出されている。G級の依頼は全て張ってあるということだろう。
「? ランクの確認はしないのか?」
「え? あー、ありましたね……そんなの。ちぇっ」
この作業を忘れることってある? あと今、舌打ちしなかった?
俺たちは首を傾げながら、冒険者のライセンスを渡した。
受付嬢さんは、魔道具で一つずつ読み取っていく。
何度も見たが、俺たちの職業はちゃんと変わっていた。
「なんだ、やっぱりG級冒険者で合ってるじゃないですか」
俺が悪いような口ぶりだった。
「あの……」
「はい?」
依頼を選ぶ前に受付嬢さんに声を掛けた。
受付嬢さんが振り返る。いつの間にか、また奥に戻ろうとしていた。
「ここってどんな街ですか?」
「…………」
今まで勇者として各地を回った経験から聞いてみた。
実際の住民にこう訊くことで、街の本質を正しく理解できる。
「ん-、一言で表すのは難しいですねぇ」
「それは……良いところと悪いところを併せ持つ、とか?」
「いいえ。悪口を言えば大体ハイデのことになっちゃうんですよ」
「…………」
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