第62話 皇帝としての
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「ちぃっ!? 術士が動いたか!!」
皇帝の斗亜は後宮に向かうべく急ごうとしたが、行く手を阻む黒い靄のせいで先に進めないでいた。
九十九の焔華の羽を散らばせて、目的の存在を探し当てようとしたところ、あちらが動いたのかこの靄が生じた。近臣らがすぐに駆けつけてくれたのだが、術が追いつかずに触れれば九十九ごと破裂して死に至る事態にまで起き出したのだ。
臣下の者らが無惨に殺される事には、対処しようにもそれぞれの九十九らに結界を強く張るように指示を出すしか出来なかった。その程度しか出来ないのが酷く悔やまれる。
それに、無事を確認したい愛妃の緑玲のところへ行こうにも、靄の濃度や臣下らの死屍累々とした現場では……皇帝としての采配をせねばならない。一個人の感情で動けないのが酷く歯痒い思いだ。
噂程度しか耳にしていなかったが、己の子を宿しているかもしれない愛する女を。第一に駆けつけたいのに、それが出来ない現状が辛い。彼女も強力な九十九を宿しているのだが、どこまでこの靄に対処出来るなど計りかねる。
死んでいないか。
腹の子どもは。
その思いが焦りを生じさせ、冷静な判断が出来ないでいた。皇帝とは言え、肩書きを除けばただの人間だ。皇族だろうが何も関係ない。早く駆けつけて、抱きしめて安心させてやりたい思いが強かった。
「主上!」
「せめて、城へ!」
「ここは危険です!!」
近臣らも対処してくれているが、半数は死に至っている。残りは九十九を使い何とか耐えている程度。斗亜自身も焔華の翼で対処しているため、似た状況だ。
「余は大丈夫だ! だが、お前たちも逃げろ!! 靄に触れるな!」
この広範囲に及ぶ靄を脱出する方法が、皆目検討がつかない。何も手段が浮かばないでいる。緑玲もだが、紅狼も無事か。幼馴染みであり、優秀な臣下であり、最高の友の彼にも死んでほしくない。彼の呪いを解き、斗亜のように最愛の者を得て欲しい願いを、絶対見つけてやりたい。その変化の兆しを見つけたばかりなのに、友として見届けてやれないのか。
「陛下!?」
あと少しで、焔華越しに靄が迫ってきたというところ。
いきなり、何か強い風が吹いて、靄が晴れたのだった。
「斗亜!!」
「主上、ご無事で!!」
聞きたかった声と、その傍らにいたのは彼が気にかけていた少女の恋花。九十九の梁が何故か麺麭を抱えてあちこちに投げていたのだが、それが当たると靄がたちどころに消えてしまった。
あまりの出来事に惚けてしまいそうだったが、紅狼らがこちらに来てくれたので気を引き締めた。
「……紅、恋花。何故ここへ? それにあれは?」
聞きたいことは山ほどあるが、まずそれを確認せねばならない。息を整えていた二人が到着してから聞けば、二人は最敬礼をする代わりに頷いた。
「理屈はわからないが、恋花の麺麭を投げれば浄化が可能になった」
「……最初はただ投げただけなのですが、繰り返し実行しても同じでした。ですから、梁にお願いしています」
「……そうか。恋花、緑玲のところへは?」
「行きました。最初は結界で対処されていましたが、麺麭を投げて靄は祓いました。また生じた場合の事も考えて、いくつかお渡ししてきました」
「……よくぞ。守ってくれた」
酷く安心することが出来た。妻が無事でいるのであれば、斗亜は皇帝として遠慮なく現状に立ち向かえる。おまけに、対処法まで舞い込んでくるとは予想外過ぎた。
恋花に今は肩を叩くことで礼を告げれば、恋花は慌てて最敬礼をとるのだった。
「い、いえ。お役に立ててよかったです」
「最善の方法だ。とりあえず、この胸糞悪い事態にしてくれた馬鹿術士か何かに、とびっきりの制裁をくだせねばな!」
焔華の名を強く呼び、恋花の麺麭をひとつ彼に吸収させてから……翼を広げて飛翔させ、また羽を城や後宮のあちこちに飛散させた。
そして、二つの能力の効果が出たのか。靄が一気に霧散したのだ。
明日から三話です




