第31話 揚げる麺麭
お待たせ致しましたー
準備が整えば、あとは揚げるだけである。
固い揚げ饅頭とは違い、ふんわりとした質感を壊さないように……そっと、熱した油鍋の中へ滑らせるようにして入れていく。
油に生地が触れた瞬間、生地にまとわせた麺麭の屑が爆ぜて泡を生み出す。音を弾け、次第に大きくしていく。とても心地の良い音だ。
「ほーん? 胡麻じゃないし、普通の粉でもない。こりゃ、何をまとわせたんだい?」
恋花が麺麭を揚げている横で、崔廉が極力邪魔をしないように問いかけてきた。菜箸を一本ずつ両手に持っている恋花は、彼女を見ずに答えようとする。焦げないように、この作業も目を離せないからだ。
「古くて固い麺麭を、砕いてすり潰して……胡麻のようにまとわせました。水でもいいですが、口当たりを考えると卵を一度合わせると美味しくなります」
「……なるほど。香ばしく仕上げるためか」
「……そのようなものです」
本当は、先見の中で作っていたものを再現しただけなので詳しい理由はよく分かってはいない。だが、一度作った時のあの美味しさを恋花は今でも覚えている。焼いた以上に香ばしくて食感も独特だが、病みつきになるそれを。
「……いい匂いだな?」
あと少しで出来上がるところに、少し久しい人物が厨房に入ってきた。武官の装束より簡易な装束を着ている隻眼の青年……紅狼だった。ほんのり頬があからんでいたのだが、夜明け前の肌寒さに当てられたのではないだろう。腰に佩いてある剣で素振りをしていたかもしれない。武に詳しくない人間でもそれくらいの予想はつく。その姿がまぶしく、恋花の胸の奥が少し温かくなった気がしたが、気にせずに挨拶をした。
「……おはようございます」
「早いな。緑玲に気に入られたとは聞いていたが」
情報が早い。直接聞いたか、女官らに聞いたかはわからないが人当たりの良い人間だろうから、知っていてもおかしくはない。
そう思っていると。
「いい匂いだな! 恋花のか?」
その後ろから出てきたのは、同じような軽装でいた皇帝こと斗亜だった。まさか、彼が紅狼と手合わせの相手をしていたのだろうか。驚いて、揚げている麺麭をひっくり返していく作業が一瞬遅れた。
最敬礼をしようにも作業の手を止められない。慌ててしまうと斗亜はこちらに来てすぐに、恋花にそのまま続けるように告げたのだ。
「……良いのですか?」
「緑玲の為だろう? であれば、余の妃の為だ。最高に良いものを作って欲しい。……しかし、それも麺麭なのか?」
「は、はい。ちょうど出来上がります」
梁が受け皿を用意してくれていたので、出来上がった麺麭を菜箸で慎重に乗せていく。カラッと仕上がったそれを、斗亜はすぐに食べたいのか顔が緩んでいた。そこを、紅狼が軽く小突いてたしなめる。
「恋花は緑玲付きの料理人だと、ついさっきお前も言ったではないか」
「……しかし、いい匂いだろう?」
「否定はしないが……あとで食べれるだろう。とりあえず、着替えに行くぞ」
と言いながら、紅狼は畏れ多い存在であるはずの斗亜の首根を掴み、ズルズルと引きずって出て行ってしまった。恋花がぽかんと口を開けてしまうが、しばらく端にいた林杏が彼らについて説明してくれた。
「主上と李様は幼馴染みなんすよ。公はともかく、普段はあんな感じなんす」
「……そうなんだ」
そんな彼が、何故祖母の玉蘭を尋ねてきたか未だにわかっていないが。とても人思いなのだと言うのは、少し嬉しかった。彼が居なければ、今の生活もなかったのだから。
とりあえず、出来上がった麺麭の味見を崔廉達にしてもらうために包丁で切り分けると、さらにサクサクした音がした。
次回はまた明日〜




