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第5話 無愛想武官もただの男

 正直言って、気持ちは相当参っている状態だった。


 これまで、生きることへの諦めの感情が強かった紅狼(こうろう)は身内以外に感情を露わにしたことがなかった。従姉妹の緑玲(りょくれい)やその夫で親友の関係でいる斗亜(とあ)は別格だが、それ以外の人間には当たり障りのない接触しかしてこなかったのだ。本当に、必要最低限だけ。


 だから、まともに女と恋情を交わしたことが無いに等しい。緑玲の従兄弟なので、男女反転なほど美しさが似通っているほどでも。呪いを受けた人間が、生涯の女を娶るなど考えようとしなかったのだ。



(否。恋花(れんか)のことをどこかで記憶していたから……誰にも靡かなかっただけだ)



 幼い頃から、純真無垢に接してくれた少女。紅狼を一番だとよく抱っことせがんできた無垢な幼子。だが、それが親愛以上の感情になるとは思わないでいた。玉蘭(ぎょくらん)に記憶を封印されず、九十九(つくも)の環境などが変わってなければ違う道筋もあっただろうが。あの事件と呪いがなければ、今の結びつきは存在しなかった。ある意味では、『僥倖』に近いと言っていい。


 だがしかし、肝心のその先の未来については不明確過ぎた。お互いの気持ちは真のモノではあっても、時の流れは思いのほか短かったせいで『加減』がよくわかっていないのだ。紅狼もだが、恋花本人も。


 斗亜の後押しのようなもので、紅狼も思うがままに動いたら逆効果となってしまい……とうとう、恋花を羞恥の爆発で怒らせてしまったのだ。滅多に激怒しない、あの控えめな性格の少女が。紅狼に対して初めて反論してきたのだ。



『紅狼様、私は道具ではありません!』



 感情の昂りをぶつけたせいで、彼女から平手打ちをされる始末。それほど紅狼の欲情が暴走しかけたのもあるが、恋花の感情がついていかなかったのもある。本心からではないにしても、何も経験がないのは彼女も同じだ。斗亜の後押しが思いのほか紅狼の内面を刺激し過ぎてしまい、愛おしい感情を口づけだけで済むはずがなく……幾らか触れただけで、ぶたれたのだ。


 恋花はすぐに反省していた顔になるものの、してしまったことと感情の制御が伴わずに、逃げてしまった。追いかけても、武人の紅狼の脚で追いつかない速さで後宮の踏み入れない区域まで行かれてしまったために断念した。


 それ以降、彼女に会えていない。会ってもらえないだろう、こんな浅ましい感情を抱えたままの男に。けれど、恋花への愛おしさは日に日に増していくばかりだ。斗亜の言葉はきっかけに過ぎない。ただ、紅狼自身も恋情に溺れた男だと自覚しただけだ。これほど、制御出来ない感情だとは思いもしなかったが。



(……女をここまで欲するとは、俺もただの男だったのだな)



 あくまで、恋花限定だが。斗亜が立場上妃を一人に出来ないのは仕方ないにしても、想いを向けているのは緑玲だけ。その想いの強さがようやく理解出来た。唯一と決めれば、感情など制御出来なくて当然。紅狼のような無愛想な男ですら、それが該当してしまったのだから。


 九十九の雷綺(らいき)にはため息を吐いても、ぎろりと睨まれるばかり。己の九十九でも、恋花の九十九である(りょう)と恋仲なので会えないのはこちらも同じ。出来るだけ、宿主と離れることが出来ぬ存在のために雷綺は相当拗ねている。九十九としては異例の恋路でも、二人は相思相愛なので紅狼らと同じ状態だ。違うのは、喧嘩をしてないだけだが。



『紅、私は大変怒り心頭だ』

「……わかってる。だが、謝罪しようにも」

『特権を使わないのが、今のお前らしいが……堂々と会いに行かないと大変なことになるぞ?』

「なに?」



 何を知っているのだと振り返れば、雷綺はさらに呆れ顔だった。



『知らないのか? お前が惹かれたように、玉蘭も孫と言うこともあって恋花の愛らしさは宮中でかなり広まっている。紅が相手でも、奪おうと言う愚か者は多いと聞くぞ』

「……それは、無視していたが」



 噂程度だと、跳ねのけてはいたが。この状況なのがもし広まれば、それは悪い方向へと傾く。恋花をどのような男にも渡すつもりはない。絶対にだ、と弱っていた心を奮い立たせた。


 今動かねば、雷綺の言っていたことが現実になってしまう。後悔はもう二度としたくないから、と休んでいた東屋から出ようとしたところ。


 何故か、執務をしているはずの親友がやけに不気味な笑顔を貼り付けて、入り口の前で仁王立ちしていた。



「紅、どーやら……お前は、恋情の手順を思いのほかすっ飛ばしてたようだなあ?」



 怒りを露わにせず、笑顔を貼り付けて不機嫌さを体現している。どうやら、調べたのか恋花に聞いたのか。紅狼の暴走の詳細を耳に入れたのだろう。叱られるのが先か、とここは諦めてついていくことにした。最上級に怒らせた斗亜の場合、紅狼でも折れないと解放してもらえないからだ。あちらは、時の皇帝であるからして。



「……ここは?」



 叱られると思って連れていかれたのは、後宮の入り口近くの空き部屋だった。てっきり、本人の私室で雷帝のような説教をされると覚悟していたのに、拍子抜けしたような返答をするも。


 斗亜は怒りを解いたのか、いつもの自信ありまくりな笑顔になっていた。



「入れ入れ。俺はすぐ出て行くし、雷綺も梁がすぐ来るから席を外せ」

「……まさか」



 この段取りの意図がわかり、声もかけずに扉を開ければ。


 部屋の中には、緑玲に髪をいじられて天女のように着飾っている愛おしい少女が朱色の顔でこちらを見ていたのだった。

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