7話
皆が帰った後、店を閉めて夕食を食べる。いつもなら命と向かい合って座る永久だが、今日は床に寝そべっていた。
「ご飯食べなくてもいいの?」
「……今日はいらない」
大人しく座る永久が苦しんでるように見えて、命は何かしてあげたくなった。
「何か、私にできることはないかしら?」
「……ずっと命さんの側にいたい。側にいる間は、呪いと戦える。今晩乗り越えられたら、明日には良くなると思うから。ねえ、今日は命さんの部屋で寝てもいい?」
「え? 私の部屋で? それはちょっと困るかな……」
命がびっくりして身を引くと、永久は顔を上げて甘えるように身を寄せる。
「この家に最初に住んだ日。一緒の部屋で寝たよね」
「一緒の部屋でって……その姿で私の布団の隣で寝た時のこと?」
「そう。それでいいから」
ふさふさ毛並みの狐の姿は愛らしく。この姿でなら「まいっか」と思わなくもない。
「いいわよ」
「本当に? よかった」
「そんなに嬉しいの?」
「だって朝起きた時に命さんがいなくなっていたらって思うと、眠るのも怖いからね」
「そんなにヒノエサマの縁切りの呪いは凄いの」
「ねっとというものはよくわからないけれど。物凄くたくさんの人が《《ひのえさま》》には縁切りの力があると信じたんだよね。だからあの人に憑いた《《ひのえさま》》はとても強くなった。呪いに全ての力を注ぎ込んだのか、あの人から出ていく時、抜け殻みたいに弱くなってたけど」
永久が恐れるほどの呪い。その恐ろしさに命も震える。何か永久にしてあげられることはないか。色々考えて思いついた。
「ねえ。前に約束するのが怖いって言ったわよね。約束したから彰さんと一緒にいられなくなったって」
「うん」
「でも、約束って本来は守るためにするものよね。でも、ずっととか、絶対とか、そういう約束は、守れないこともあるから……」
永久のふさふさ毛並みの前足を撫でる。お手のように手をあげたので、肉球をぷにぷにしながら、小指を絡めるイメージで触れてみる。
「明日の約束をしましょう。明日の朝、永久の淹れてくれる紅茶を飲みたいわ」
「毎日、僕が朝ごはんにお茶を淹れてるよね」
「そうよ。いつも、とっても嬉しかったの。明日も飲みたいから、だから朝起きていなくなるなんてしないわ」
永久の手が迷うように震える。命を傷つけないように、そっと小指に触れた。
「わかった。約束しよう」
「これからも小さな約束を積み重ねていきましょう。そうしたら、きっとずっと一緒にいられるわ」
「そうだね」
永久は嬉しそうに、命の頬をべろりと舐めた。その感触のくすぐったさに思わず笑みが浮かぶ。
命の部屋で寝そべる永久の姿を見ながら、部屋の明かりを消す。カーテンも締め切ってるので薄暗い。布団に入ってから、そっと手を伸ばして永久の毛並みに触れた。
「……眠れそう?」
「どうかな」
「子守唄、歌ってあげるわ。お父さんが昔歌ってくれたの」
「命さんのお父さんの歌? 聞きたい。聞きたい!」
無邪気に喜ぶ声は子どものようで。命は微笑みながらうろ覚えの歌を歌う。
クーラーが効いた部屋に、ささやくような命の歌が響く。永久は命の手のひらに、そっと肉球を置いた。その暖かさを感じるうちに、命もトロトロと眠りの淵に落ちていった。
「おはよう、命さん」
「……おはよ、う?」
命が目を開けると、妖狐の姿の永久が命の顔を覗き込んでいる。起き抜けにイケメンのドアップを見て、悲鳴を上げかけてぐっと我慢した。
満面の笑顔で、狐耳がぴこぴこ揺れていて、昨日弱っていたのが嘘のようだ。
「もう呪いは大丈夫なの?」
「まだ残ってるけど、昨日よりずっといいよ。それより早く起きて。ご飯にしようよ。今日もお店を開けるんでしょう?」
「そうね。……一応」
「僕、お茶を淹れるよ。約束だからね」
「そう、だったわね。着替えるから、部屋を出ていって」
「うん。朝ご飯の準備をしておくね」
弾むような足取りで部屋を出ていく。その姿はいつも通りで、命はほっと胸を撫で下ろした。
朝ごはんを食べる時も、開店準備をする時も、永久はずっと妖狐の姿だった。
「人の姿には変身できないの?」
「う……ん。まだ疲れるからやりたくない、かな」
「じゃあ、お店の手伝いはお休みね」
「今日も、爺さんしか来ないんじゃない? 爺さんなら、この姿でも接客できるよ」
「それは……そうね」
もし、榊以外の客が来たら見えないが。平日なら、客が少ないから自分一人でもなんとかなりそうだ。
「まいっか。今日も、店を開けましょう」
いつもの時間に店を開けてゆっくり客を待つ。
永久の予想通り、午前中から榊がやってきた。
「おや、狐、ずいぶん元気そうじゃないか。呪いは大丈夫なのかい?」
「まあね。僕は強いしね」
昨日の夜の怯えぶりが嘘のように、榊の前では強気な永久を見て、命はこっそり笑った。
「……まあ、元気なのはいいことだ」
「もしかして、心配してきたの?」
「狐の心配なんかしてやしないよ。嬢ちゃん、いつも通り茶を用意してくれるかい?」
「はい。おまかせですね」
お茶を用意しながら、くすくすと笑ってしまった。口では心配していないと言いつつ、永久を心配して見にきたに違いない。素直じゃないところがらしい。
命が淹れた茶を飲みつつ、榊が口を開いた。
「昨日の夜、ヒノエサマの噂をもうちょっと調べたんだよ。どうやら最初の頃に誰かが飛縁魔と言い出して、それがいつの間にかヒノエサマになっていたようだね」
「……飛縁魔。女のあやかしだね」
「あやかしなの? 聞いたことないけど、有名なのかしら?」
「男をたぶらかす女の妖怪ですけどね。有名ってほどでもないが、最近ゲームの題材に使われたこともあるんですよ。それにちなんで誰かが名付けたのかもしれないね」
「ゲーム? 榊先生詳しいんですか?」
「まさか、あたしがゲームに詳しいわけないですよ。ただね、受容史って学問があってね。古い物語や伝説が、現代の日本人にどのように受け入れられているのかを調べる学問だよ。それが専門の学者は、新作ゲームに研究対象が出てきたら大騒ぎするからね。噂に聞いていたんですよ」
「……受容史。そんな学問もあるんですね」
命が感心すると、永久が真面目な顔で口を開いた。
「その受容史って、なんだかあやかしらしいね。あやかしはいつの時代も人が信じる形に合わせて変化していった。男をたぶらかす女の妖怪が、縁切りの神様になるのも、人がそう願ったからだよ」
「あの祠にいるのは飛縁魔だって誰かが最初に言い出した。それがSNSの伝言ゲームで名前がヒノエサマになって、縁切りのご利益まで増えていったんですね」
命が感心するように頷くと、榊は茶を啜ってから、じっと永久に問いかける。
「昔、あそこにいた神様は何だったんだい?」
「さあね。覚えてない。でも飛縁魔ではなかったよ。この辺りでそんなあやかしがいたなんて噂、聞いたこともなかったから」
「……そうかい。人の噂だけで本当に縁切りの呪いにまでなるってのは、恐ろしいもんだね」
しばらく店を開けていたが、昼を過ぎても榊以外誰も客が来ない。
できる仕事がなくなって暇だったので、命は「休業日」の看板を立ててしまった。
昨日は大忙しで疲れていたから、少し休むのも悪くない。
「榊先生の接客なら、永久に任せてもいいわよね。奥でオンライン販売の事務仕事をしてるので、何かあったら声かけてください」
そう言って命は事務所にしている部屋に行ってしまう。
榊と二人きりになると、永久が「秘密だよ」と言いながら話し始める。
「命さんの名前は、美和子と真から取ったんだよね」
「そうみたいだね」
「永久って名前は沓己がつけたんだよ。真の『と』と美和子の『わ』だ。まるで、二人の子どもみたいだよね。僕、命さんの兄妹かな? お兄ちゃん? 弟? どっちかな?」
「嬢ちゃんの父親になるんじゃなかったのかい?」
「命さんの家族なら、どんな形だって嬉しいんだ。受容史じゃないけれど、僕は命さんが願うなら、どんな関係にもなるんだ。できれば家族がいいけれど」
「嬢ちゃんが父親になってくれって言ったら父親になって、兄が欲しいって言ったら兄になるのかい?」
「そうだよ」
「恋人になってくれって言われたら?」
「恋人はよくわからないけれど、命さんが望むなら、頑張る」
「それは、頑張るものじゃないと思うけどねぇ」
榊は呆れたようにため息をついて苦笑いを浮かべた。そこで永久が真剣な顔になる。
「前に、爺さんが秘密は隠し通せって言ったけど、僕、沓己が命さんのお父さんだったって言うよ」
「どういう心境の変化だい? 言わないって言ってたのに」
「僕は、命さんのお父さんの問題は『過去』だと思ってたから。いずれ忘れてくれればいいなって思ってたんだ。でも、『今』もまだ残る問題だって知ったから」
命の父が見つからないせいで彰と命の関係も、命と母の関係も悪くなった。
最近、少しづつ変わってきたけれど、結局、『命の父はもう死んでいる』とわかるまで、完全に決着はつかないのだろう。
「言うのは怖いよ。何で黙ってたのって怒られるかもしれない。……僕のこと、嫌いになるかも、しれない」
「嬢ちゃんはそんな子には見えんがね」
「もしも、沓己の話をして、命さんが傷ついて、僕と話もしたくないってなった時……。僕の代わりに爺さんが、命さんの話を聞いてあげてよ」
「あたしが?」
「彰って人はやだし、他にいないから。榊さん、お願いします」
ぺこりと頭を下げられて、永久の姿に困惑する。
「そんな殊勝な態度を取られると、かえって気持ち悪いね。まったく……あたしもいつまで生きてるかわからないんだから、早く話しちまうんだね。永久」
文句を言いつつも、その声は弾んでいた。
永久が榊と呼ぶのも、榊が永久と呼ぶのも初めてだった。
そこへ命が帰ってくる。
「あれ? なんだか榊先生が嬉しそうですね。何かあったんですか?」
「何にもないよ。それより茶のおかわり」
「僕が淹れるよ。僕だって接客できるんだから」
「茶を選ぶのは嬢ちゃんの方が上手いからね。狐はまだまだだよ」
「爺さんに茶の味の違いなんてわかるの?」
「ちょっと喧嘩しない。二人分お茶を淹れるから。サービスでプリンもつけちゃう」
「わーい! 命さんのプリン!」
まるで何事もなかったかのように、いつものあかしやに戻っていく。
あかしやの夏はいろんな事件があって大忙しだった。深刻な悩みもあったけれど、嬉しい出来事もあった。
これからも色々ありつつ、あかしやの平和は続くのだろう。




