3話
あかしやで待っていた永久がにこやかに出迎える。
「お帰りなさい」
「貴方は……店員さん?」
「はい。命さんに雇ってもらってます」
美和子があやかしを知ってるのかもわからないし、無給のあやかしだなどとは言えない。
命が何を入れようか考えながらキッチンに入ると、永久はお冷を出しながらメニューを渡した。
「……お茶に詳しくないから、よくわからないわ」
「何か食べたいものはありませんか」
「お茶一杯で結構よ」
注文を取れずに永久は困ったような顔をした後、ふと気づいたというように美和子の口元にあるマスクを見た。
「具合が悪いのですか?」
「これは予防。真夏でも感染症は流行っているから。患者さんに移したらいけないでしょう」
「患者さん?」
永久が戸惑っていると、命がキッチンから出てきて美和子の席まで歩く。
「お母さん、看護師を続けてるんだね」
「ここ数年は忙しくて、休む暇もなかったわ。だからこんな山の中に来るのは久しぶり。まるで旅行しているみたいね」
そう言ってガラス戸の向こう側にある山々を眺める。少しだけその目つきは和らいでいた。
「忙しい中来てくれてありがとう。お母さん。せっかく淹れるなら少しでも気に入ってもらえるお茶を出したいの。お茶の苦手な所だけでも、聞かせてくれない?」
「苦手な所……そうね。渋いのは嫌いよ」
「香りは?」
「甘い匂いは好きじゃないわね」
「ホットとアイス、どちらがいい?」
「冷たくない方がいいわね」
それ以上、手がかりはなさそうだった。
キッチンに戻って茶葉を保管する棚を眺める。どの茶葉にしようか迷っていた時、美和子が声を上げた。
「こんなの、とっていたの?」
そう言った美和子の視線の先には、命の父が書いた水彩画があった。
「良い絵だし、捨てるのももったいないから。この絵はどこの風景を描いたものかな?」
「……中国だって言ってたわね。昔旅行をしたって」
「そうなの? 初めて聞いた」
美和子と父の思い出を語れたのはどれくらいぶりだろう?
少しでも父の話ができて嬉しくて緊張が和らぐ。そこで閃いた。
手早くお茶を淹れて運ぶ。美和子の前にティーカップを置いて、ポットから茶を注いだ。
「キームン。中国の紅茶だよ」
「……キームン」
中国紅茶は渋みが少ないものが多い。キームンはスモーキーな香りが特徴で、その香りが嫌いでなければ、癖がなく飲みやすい味だ。
美和子はマスクをとって、カップに口付けた。
一口飲んで、驚いたように目を開く。
「……懐かしい、味がするわ」
「私も、少しだけ思い出したよ。私も子供の頃は渋いお茶が苦手で。初めて砂糖を入れずに飲めたお茶がキームンだった」
「そう、だったわね。この香りが美味しいなんて、ずいぶん渋い趣味の子供だと思ったわ」
自然と口元に笑みが溢れる。緊張が緩んだ所で、次に何を話そうか迷った時だった。
店の電話が鳴る。永久が電話に出ると、驚いた顔をした。
「牧野って人から電話。スマホに出てって言ってるよ」
「え……?」
接客中はマナーモードにしていたから気づいてなかったが、電話がかかってきていた。慌てて電話に出る。
『まだ、美和子さん、そこにいるのか?』
「はい、どうして知ってるんですか?」
『榊さんが連絡してくれた』
榊の気遣いに、貸しが増えてしまったなと思いつつ、心の中で頭を下げる。
『スピーカーにして、美和子さんにも聞こえるようにしてくれ。オンラインの売上の件。誤解を解きたい』
「わかりました」
スピーカーモードに切り替えると、彰は電話越しに説明を始めた。
KATURAGIはこの四月から、地方でのイベント出展を増やした。
オンラインショップで今まで買っていた地方の客が、イベントで買うようになった影響でオンラインの売り上げが落ちたらしい。
『宮本さんはイベント担当を外れてオンラインの数字だけ見てるから誤解したんだ。イベントとオンラインを合わせた会社全体の売り上げは、前年より黒字だ。だからあかしやのせいじゃない』
「そうなんですか……よかった」
『俺も社員への説明が不足してた。今度社内で情報を共有しておくよ。迷惑かけたな』
「迷惑だなんて。とんでもない。それよりも宮本さん大丈夫でしょうか?」
『有能な人だから、体調が復帰したらイベント担当に戻って欲しいくらいなんだが……こればかりは俺もどうにもできないからな』
そこで初めて美和子は口を挟む。
「その、宮本さんという人は会社にどういう病状だと報告してるのかしら?」
『インフルエンザの後遺症が残っているとは聞いていますが。具体的な症状は聞いてないですね。ただ、疲れやすいから、体力的に楽な仕事の方がいいとしか。フルタイムで出勤して、問題なさそうに見えるのですが……』
「何か、報告していない症状があるのかな……」
命がポツリと呟くと、美和子は『医師でないし、診療したわけでもない。あくまで一般論』という前提を置きながら、インフルエンザの後遺症でよくある症状を話す。
それを聞いて命は思いつく。
「……だから、ルフナと間違えてアッサムを入れても何も言わなかったんだ」
「どういうこと?」
永久が問いかけた時だった。店の外が急に慌ただしくなる。
榊と佐々木が戻ってきた。佐々木は血相を変えた様子で、榊が宥めているように見えた。
「宮本さん、ここに来てない?」
「どうしたの? 何かあったの?」
「私達、ヒノエサマの石の所に行ったの。宮本さんが石を写真に撮ってから触ったら、顔色が急に変わって。走ってどこかに行ってしまったの」
「行方不明ってこと?」
その場に緊張感が走った。もしも山道に迷い込んでしまえば遭難の可能性もある。急変の理由があやかしだったら、放ってはおけない。佐々木は涙目になりながら語る。
「宮本さん、病気がなかなか治らないって悩んでたのに。どうしよう、急に具合が悪くなったりしたら……」
『佐々木さん、落ち着いて』
「社長? え? 社長と電話してるの?」
戸惑う佐々木を宥めるように彰は説明する。
『もしかしたら電車に乗って先に帰ったかもしれない。宮本さんが家に帰ってないか見に行ってくれないか』
「でも、すぐに探さないと……」
『山の中に入ったとしたら、下手な捜索をすると二次遭難が起きてしまうかもしれない。捜索は地元の人に任せた方がいい』
「あたしが警察に事情を説明しておきますよ」
彰の言葉を補足するように榊が告げると、佐々木は少し落ち着いたように見えた。
「ありがとうございます。榊先生。佐々木さん。この辺りの捜索は私達に任せて、宮本さんの家の様子を見にいってもらえる?」
「……わ、わかった」
ふらふらとした足取りで駅へ向かうのを見送りながら、命はほうっとため息をついた。
「ありがとうございます。彰さん。佐々木さんを帰す口実をくれて」
『声だけでも動揺してるのがわかったからな。下手に捜索に関わらせない方がいいだろう。もしもあやかしが関わっているなら、なおさらだ』
「……あやかし?」
美和子が不思議そうに問いかけたので、慌てて命が声をかける。
「お母さん、あやかしが見えるの?」
「見えないわよ。でもお父さんに聞いてるわ。あの人『自分はあやかしが見える人間だ』って結婚する前に言ったもの。最初は信じられなかったけど、結婚相手が言うんだもの信じるしかないわよね」
そこで悲しげに眉根を寄せた。
「命が生まれた時、自分のようにあやかしが見える人間にならないほうがいいって。そう言ってたわ。でも、命は見える人間になってしまったのね」
「私は大丈夫だよ。助けてくれるあやかしがたくさんいるんだから」
「そのようだねぇ」
そう言いながら榊は庭を指差した。庭には氷雨、河童、与平、ゲコが並んでいた。その真ん中で鈴がなぜか自慢げに立っている。
「鈴に呼びに行かせたんだよ。あやかしが関わってるかもしれないんだったら、人間よりあやかしに探させた方が良さそうだと思ってね」
「さすが榊先生」
『俺も車を運転しながら電話してた。あかしやに向かってる所だ』
「彰さんがいた方が、宮本さんも落ち着くかもしれません」
「探しに行くのね? じゃあ、私はこの店で準備しておくわ」
そう言って美和子は立ち上がった。救急箱やタオルや氷の場所など矢継ぎ早に問いかける。
「発見しても怪我をしてるかもしれないし、そうじゃなくてもこの暑さだもの熱中症になる可能性もあるわ。重症ならすぐ病院に行ったほうがいいけれど、一次手当ならここでもできるから」
「ありがとう。お母さん」
「……帰ってきたら、もう少し話がしたいわ」
「私も」
命は頷いて、庭にいるあやかし達の元へ向かった。




