5話
永久に翔を家まで送り届けるように頼んで、命は彰と一緒にあかしやに戻ってきた。
傷口を流水で洗ってから消毒する。
「滲みますか?」
「少しな。まあ、これくらいどうってことないだろ」
「ごめんなさい。私が彰さんを巻き込んだから」
「命が謝ることじゃないだろう。あの子のお茶作りに協力すると言ったのは俺だしな」
そう言いながら、彰は目を細めた。
「翔君は、子供の頃の命に似てたな」
「え? 私が?」
「ああ、好きな物に一生懸命になりすぎて、他の者が目に入っていない所とかな」
「そんなことない……はず、です」
いまだにお茶バカと言われるほどなので、否定しきれずに命は縮こまる。彰は面白そうに笑って答えた。
「まあ、あの子の最後の想い出を作ってあげられたんだ。よかったんじゃないか」
「そう、ですね。でも、最後、ゲコさんが見えてませんでしたよね」
「大人に近づくにつれ、あやかしが見えなくなる人がいる。そう、葛城さんが言ってたな」
懐かしそうに語る彰の言葉で思い出した。
楠原は子供の頃に氷雨と会ったが、再会してから見えなくなった。子供の頃しか見られない奇跡。そういう物なのかもしれない。
「……寂しいですね」
「ああ、そうだな。だが、あやかしが見えなくなれば、あやかしに襲われることもなくなる。翔君が新しい街で平和な暮らしができるのが一番だろう」
新しい土地で多くの友達ができたとしても、ゲコを忘れることはないんじゃないか。命はそう思いながら口をつぐんだ。
怪我の手当が終わると、もう夕暮れ時が近づいていた。
「明日も仕事があるから、今日はもう帰るな」
「すみません。貴重な休みにつきあわせてしまって」
「まあ、でも良い収穫もあったからな」
「収穫?」
命が問いかけると、彰は嬉しそうに笑った。
「泥田坊が出た時、最初に永久は命の腕を掴んだだろう。命を守るつもりなんだってわかったから、俺は翔君を助けにいけた。命が言うように『良いあやかし』だったんだな」
「それは……そうだけど。永久は私が無事なら他はどうでもいいって言うの……困ります」
「人間にもそういう奴はいるだろう。自分の大切な存在だけ幸せならそれでいいっていうのは。まあ、俺もそういうタイプだ」
「そうなんですか? 彰さんはとても面倒見が良くて、全然そういうタイプに見えませんけど」
「しがらみの多い人間より、あやかしの方が割り切りがいいのかもしれないな」
彰が苦笑いを浮かべて玄関に向かうと、永久が帰ってきた。
「命さん、無事だった!」
「私は大丈夫よ。翔君は?」
「家まで送り届けてきたから大丈夫。その途中で見かけた泥田坊も燃やしておいた」
「……燃やしたのね」
いつもなら、あやかしを燃やすと聴いたらダメと言っていたが、流石に今回のように人に害意を与えるあやかしまで、咎めることはできない。
「翔君が無事でよかったな。じゃあ、俺は帰るから。永久、命を頼んだ」
「頼まれなくても、命さんは僕が守るよ」
車に乗って帰っていく彰を軽く睨んでから、永久は興味を失ったように命に目を向ける。
大きく息を吐いて、命の肩に手を置く。
「命さんが無事でよかった」
「守ってくれてありがとう。でも、よくわからないの。どうして泥田坊は翔君を襲ったのかしら。ゲコさんは、『たぶん、翔を恨んでる』って言ってたけど」
「泥田坊は田畑を捨てた者を恨むあやかしだからね。翔君の両親は、わさび農家を辞めて街に働きに出るんだよね。それが泥田坊からしたら「田畑を捨てた」ことになったんじゃないかな」
「だって、それは、台風でわさび田に被害があったから、仕方なくでしょ」
「あやかしに理屈を説いても仕方ないよ」
「じゃあ、翔君の親御さん達も泥田坊に襲われてるの?」
「襲われないよ。だってあの人達にはあやかしを見る力がないから、泥田坊も何もできない。見えてしまうから、翔君は襲われる。だから見えなくなるのは良いことだ」
「……彰さんも同じことを言ってたわ」
もしかしたら彰も子供の頃、あやかしに酷い目に遭ったのだろうか。命の父と出会った時も、あやかしに困っていたと言っていたから。翔君へ優しかったのだろうか。
「命さんの周りには、今までは人間に甘いあやかししかいなかったけど、危ないあやかしもいるって、わかった?」
「うん……わかった。私が甘かったわ。今回は、助けてくれてありがとう。永久」
命の言葉に、永久はとびきりの笑顔で答えた。
「命さんのためなら、なんでもするよ。なんでもね」
「できれば、私のため以外でも、力を貸してくれると、嬉しいのだけど」
「うん。『命さんが大事なもの、僕も大事にするように頑張る』って約束したからね」
「そう、だったわね。彰さんを助けてくれてありがとう。もしも、あのまま、彰さんが死んでしまったら……」
転がり落ちて転落死する姿を思い浮かべてゾッとした。
そこで彰が言っていた事をちらりと思い出す。『人はいつ、何があるかわからない。いつまでも親が生きてるとは限らないからな』と彰は言っていた。
命の母もまた、命が知らないうちにどこかで事故に遭って死ぬ可能性もある。
その時、自分は後悔しないだろうか?
「お母さんに、会いに行こうかな……」
ポツリと呟いた命を、永久は何も言わずに見つめていた。




