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4話

 あかしやに戻ると、すぐに命は焙烙ほうろくを取り出した。


「これで、翔君の作ったお茶を焙煎してほうじ茶を作ります」

「ほうじ茶? 僕飲んだことあるよ。これで作るの?」

「そう。一緒にやってみる?」

「うん!」


 翔は嬉しそうにキッチンに入ってくる。火の扱いは危ないので、命が隣に立って手伝いながら茶を炒る。

 焙烙ほうろくに茶葉を入れてコンロに乗せて火をかける。弱火でじっくり加熱すると、香ばしい香りが漂い始める。焙烙ほうろくの持ち手を布巾で包んで、命と翔はよく振って茶葉を混ぜる。


「はい、できあがり」

「もう、終わり? すごい簡単だね」


 できあがったほうじ茶を試し飲みしようと、お茶を淹れる間に命は解説する。


「元々ほうじ茶というのは、家庭で古くなったお茶を再生するために加熱したもので、売り物ではなかったの。そのほうじ茶が茶屋で売られるようになったきっかけが、関東大震災だったらしいわ」

「地震が、お茶に関係するの?」


 永久が不思議そうに問いかけると、命は嬉しそうに語り出す。


「関東大震災では大きな火災が発生して、都内のお茶の在庫がだいぶ焼けてしまったの。それでもお茶を飲みたい人はたくさんいたので。それを商機と見た関西の商人が関西中の倉庫に眠っていた茶葉をかき集めてほうじ茶にして、関東に運んで売ったのが始まりだとか」

「そうか……ほうじ茶にすれば、古い茶の劣化も気にならないしな」


 彰が感心したように頷いた。命は頷きながら永久に問いかける。


「永久が『茶を買いに行く人もいないわけじゃない』って言ってたから、震災の年に、街まで茶を買いに行った人がいたんじゃないかと思って。それがとうこさんだったのね」

「よく覚えてたね、命さん」

「……とうこ?」


 彰が初めて聞く名前に不思議そうな顔をしたので、この家で永久と一緒に住んでいた人間だと説明した。


「奥多摩からわざわざお茶を買いに行くなんて、とうこさんは、よっぽどのお茶好きなんでしょう」

「……まあ、そうだね」

「知ってたなら、早く教えてくれればよかったのに」

「忘れてたんだ。それに僕以外のあやかしにお茶をあげてたのは知らなかったし、どんなお茶か覚えてなかった」


 永久は曖昧に微笑んで首を横にふる。相変わらずとうこに纏わる話をしたがらないようだ。「まいっか」と呟いて、それ以上口にしなかった。

 お茶を淹れ終わると、命はみんなに振る舞った。


「いい香り!」

「そうね。ほうじ茶の香りがいいわよね。熱々のうちに保温ポットに入れてゲコさんに持って行ってあげましょう」


 命が準備を始めると、永久が隣にやってくる。


「……命さん。また大蝦蟇(おおがま)の所に行くなら、僕の側から離れないでね」

「いいけど……どうして?」

「『この辺りは危ない』って言ってたでしょう。何かあるかもしれない」

「そうね。奥多摩の山に近いから、野生動物が出没したりするのかしら?」

「動物ですめばいいけどね」


 永久は真剣な顔のまま、命の作業を見守った。



 命達は翔が作ったほうじ茶を持って、再度ゲコの元に向かった。


「ゲコ……来るなと言ったのに」

「今度こそ、ゲコちゃんが喜ぶお茶だよ」

「わしは翔が作ったお茶で、十分嬉し……」


 言いかけた所でゲコはパタリと動きを止める。命が保温ポットからマグカップにお茶を注いだ。その香りに惹かれるように目を向ける。


「その香りは……ゲコ」

「やっぱり、あたりね」


 命がマグカップを持たせると、翔はゲコの前に立った。


「はい、ゲコちゃん。これね、僕が火を入れたんだよ」

「翔が? 凄いな。どれどれ」


 長い舌でカップを絡め取り、己の口に熱々のほうじ茶を流し込む。命はやけどしないのかと気になったが、ゲコは嬉しげに舌を揺らした。


「美味い。そうだ。この香りだ。懐かしい、ゲコ」

「美味しい? よかった。ゲコちゃんの好きな味、見つけてあげられて」

「ありがと、ゲコ。わしのために、翔が頑張ってくれたのが、一番嬉しい」

「僕、引っ越しするから、その前に、どうしてもゲコちゃんを喜ばせてあげたくて」


 翔がポツポツと、引っ越しの事情を語り出すと、ゲコはうんうんと頷きながら聴いていた。


「引っ越しても、また会いに来るから!」

「それは辞めた方がいい」

「どうして?」

「大丈夫だ、ゲコ。わしのためにお茶を作るくらい、友達想いの翔なら、新しい街でも友達がすぐできる。だから安心しろ、ゲコ」


 友達と別れるのが寂しい。同じくらい、新しい土地で友達ができるのか、怖い。

 どちらもあるからこそ、翔はゲコの願いを叶えるのに必死だったのだろう。


「でも、僕はゲコちゃんを忘れないよ。引っ越しても、友達だから……」


 翔が言い募っていたその時、永久がとっさに命の腕を掴んで引き寄せた。それを見て彰は翔に駆け寄る。翔の足元にいつの間にか水たまりができて、それが動いたのだ。


「……田を返せ、田を返せ」

「……え?」


 何が起こったのか、翔にもわからないうちに、水たまりが大きくなった。地面が緩んで、土砂崩れのように足元が雪崩れ落ちていく。とっさに彰は翔の肩を掴んで引き寄せた。しかし、支えることもできずに、二人はそのまま斜面を転がり落ちていく。


「彰さん! 翔君!」

「待って、命さん!」


 永久は命の腕を掴んだまま、もう片方の手を大きく振った。手のひらから生み出された炎が、水溜まりの泥を焼く。

 すると泥の中から、人型の異形が這いずり出てきて悲鳴をあげた。


「ぎゃぁぁ!」

「な、なに? あれ?」

「泥田坊っていう田んぼのあやかしだよ」

「泥のあやかしなの? あ、そういえば……」


 命は翔が泥だらけになってやってきたのを思い出す。水たまりや田んぼに最近、よく落ちると言っていたのは、あやかしに襲われていたのかもしれない。


「でも、どうして……」

「たぶん、翔を恨んでる」


 その言葉で翔と彰の事を思い出し、命は慌てて声を上げた。


「彰さん! 翔君! 大丈夫!」

「こっちは無事だ!」


 崩れ落ちた斜面の下から、彰の声が聞こえた。無事だと聞いて命はホッと息を吐く。


「二人とも怪我はない。ただ、土砂崩れがひどくて、登れそうにない。下手に動くと下に落ちそうだ」

「じゃあ、救助隊を呼びましょう」

「……それまで持つといいんだが」


 彰の声に焦りの色が混じる。地盤が緩んで、いつ崩れ落ちてもおかしくないのだろう。命は少し悩んで永久に問いかける。


「ねえ、永久なら、狐の姿になってこの斜面を駆け降りて、二人を乗せて戻ってこられるんじゃない?」

「できるよ。でもやりたくない」

「どうして?」

「だって、また泥田坊が出てきて、命さんを襲うかもしれないのに、命さんの側を離れられないよ」

「……ゲコ。今、この場で泥田坊が襲ってきたら、わしが、その嬢ちゃんを助けよう」

「信用できないね。あの子が泥田坊に狙われてるとわかってて、助けられなかったんだから」

「それは、すまなかった、ゲコ。でも、翔の友達なら必ず守る」

「私のことより、二人を助けて。お願い」


 命が必死に頭を下げる。もちろん幼い翔は守らなければならない。

 でも、それだけが理由ではない。このまま斜面を滑り落ちたら、彰が死んでしまうかもしれない。想像しただけで命は目の前が真っ暗になった。


「お願い。大切な人なの」

「……命さん」


 永久は深くため息をついてから、狐の姿に転じた。ふわりと宙を跳び斜面に取り残された翔と彰の元へ赴く。

 命はその様子を見下ろしながら震えて待つ。斜面の下の方で崩れる音が聞こえてきた。


「みんな、大丈夫?」


 命が大声で問いかけると、崖の下から勢いよく永久が駆け上がってくる。その背には彰と翔がいた。


「翔君、彰さん! よかった、二人とも無事で……」


 涙目で命が近づくと、彰の腕に血が滲んでいるのに気づいた。


「彰さん、怪我してるわ」

「ああ、滑り落ちた時のかすり傷だ。大したことはない」

「泥だらけですね。かすり傷でも化膿するといけないもの。すぐに帰って消毒しましょう」

「慌てなくても、大丈夫だ」


 彰が命を落ち着かせるように頭を叩く。翔は命の服の裾を掴んだまま問いかける。


「ねえ、お姉さん。ゲコちゃんはどこにいるの?」


 命は驚いて振り向いた。すぐ隣にゲコはいる。


「……翔君。ゲコさんが見えないの?」

「うん。最近、時々見えないんだ。隠れん坊してるのかな?」


 不思議そうに翔が首を傾げると、ゲコがポツリと呟いた。


「ゲコ。わしと翔の縁が薄まっている。じきに翔にわしは見えなくなるんだから、よその土地に行ったら、もう戻ってくるなと伝えてくれ。また泥田坊が来るといけない」


 命は悲しそうに翔を見つめながら頷いた。

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