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3話

 次の週。彰は檜原村の茶農家で茶葉を分けてもらい、車に乗せて奥多摩のあかしやにやってきた。


「彰さん、お疲れ様です」

「準備はできてるか?」

「はい。これ見てください」


 命が自慢げに見せたのは大きな鉄釜だった。この家の蔵に眠っていたのを発掘してきた。釜のあやかしでもある。

 彰は眉間に皺を寄せた。


「大丈夫なのか、これ?」

「無口なのか、全然喋らない子みたいで」

「……俺は道具だ。好きに使えばいい」


 釜のあやかしはそう言っただけで、それ以上何も言わなかった。名前はいらないというせいで、誰も名前を知らない。

 永久は囲炉裏の上から鉄瓶を下ろし、鉄釜を囲炉裏におく。鉄釜を撫でながら口を開いた。


「与平と同じで、使ってもらえるだけで嬉しいあやかしだから、良いんだよ」

「そういう物なのか……」


 彰は難しそうな顔をしたが、諦めたらしい。

 その時、翔があかしやにやってきて、うわぁと声を上げた。


「おっきな釜。これでお茶を作るの?」

「そうよ。今日は釜炒りで作るわ」


 緑茶は加熱して茶の葉の発酵を止める。

 蒸して加熱する深蒸しや浅蒸しの方が日本では多いが、九州の方では釜で炒って加熱する農家もある。

 彰が命に問いかける。


殺青さっせいは熱いだろう。俺がやろうか?」

「それは私がやります。軍手をすれば大丈夫ですから。翔君と一緒に揉捻じゅうねんを教えてあげてくれませんか? 揉捻は力がいるので、男の人の方が向いてます」

「……かふぇの従業員は、お茶の作り方も知らないといけないの?」


 命と彰が専門用語をまじえて打ち合わせを始めたので、呆れたように永久は口を挟む。


「知らなくても問題ないわよ。ただ、私はお茶が好きだから。九州の茶農家さんの所で釜炒り緑茶の製茶体験したことがあるの」

「その茶農家さんは俺の知り合いだったから一緒に行って俺もやった。うちの店でも製茶体験までやる従業員はほとんどいないな」

「そっか……知らなくても、大丈夫なんだ。でも知ってた方が、きっと良いよね」


 永久はほっとしたような顔をしながら、お茶の作り方を聞いてメモをとった。

 まず、釜で炒って茶葉に熱を加えて水分を減らす。これを殺青さっせいと呼ぶ。

 次に床に敷いたゴザの上で、強く揉む揉捻じゅうねんを行って葉の形を作っていく。

 最後の仕上げにまた熱を加えて乾燥させてお茶は出来上がる。


「永久には仕上げの乾燥を頼みたいの。茶葉を焦がさないように、熱を加えて水分を飛ばすの」

「焦がさないように温めるんだね。それなら僕が得意だよ」


 永久が嬉しそうに手のひらに青い炎を生み出すと、翔が「きれい」と感動したように見つめていた。


 役割分担を確認し合って製茶が始まった。

 命が鍋に茶葉を入れて火をつける。満遍なく火を入れるために、軍手をした手でまめにかき回す。焦がさないように、どれくらい火を入れるのか。そこが一番難しい。

 昔体験した記憶を頼りに、適度に加熱して水気を飛ばし、ゴザの上に茶葉を広げた。

 その続きは彰が引き継いだ。ゴザの上に広がった茶葉を、手のひらで上から押しつけて転がして見せる。


「ゴザの上でこうやって押しながら、転がすんだ」

「こう?」

「もっと力を入れていい。自分の体重を全部乗せるくらい、強く」

「こうかな?」


 彰に教えられながら、翔は一生懸命茶葉を揉む。最初は恐る恐るだったのが、慣れてくると表情がイキイキし出す。

 翔が思いっきり力を入れられるように、彰は体を支えながら手伝った。

 最後に茶葉は器に戻されて、永久に渡される。狐火で加熱して、燃やさないように一気に乾燥させた。


「これで、お茶できたの?」

「そうよ。翔君が作ったお茶よ」

「僕、飲みたい!」

「じゃあ、淹れてあげるわ」


 出来上がったばかりの茶葉を使って、命がお茶を淹れる。

 四人分茶碗を用意してお茶を注いだ。翔がそっと口をつけると、パッと顔が明るくなる。


「美味しいよ!」

「そうだな。初めてなのに、うまく行った」


 彰が翔の頭を撫でながら褒める。離れた所で永久がそっと声をかけた。


「……予想より美味しいけど、店で出す釜炒り緑茶の方が美味しいよ」

「それはそうよ。プロが作ったお茶とは比べ物にならないもの。でもいいの。翔君が作ったお茶なのが大事なんだから。まあ、あやかしが満足するのかわからないんだけど。カエルのあやかしなのよね」

「うん。でも、百年前か……」


 永久が難しい顔をしたので、何かあったのかと思ったが、何も言わなかったので、命は「まいっか」と呟いた。



 翔が作った茶葉でお茶を淹れて水筒に詰めて、大蝦蟇おおがまのゲコの元に向かう。

 奥多摩湖に近い多摩川の河川敷から、急な斜面を登った上にゲコは住んでいた。ゲコは2m近い大きさのカエルで、その大きさに驚いて命は固まった。


「ゲコちゃん!」

「ゲコ! 翔。また来たのか? そっちの人間と……あやかしもいるのか、ゲコ」

「初めまして、ゲコさんでいいのかしら?」

「ああ、初めまして、翔はわしをゲコと呼ぶが、好きに呼べばいい、ゲコ」


 挨拶代わりとばかりに、長い舌が伸びて命の頬を舐める。すぐに永久が割って入った。


「命さんに手を出したら燃やす」

「燃やしちゃダメ」


 命が怒ると、足元で翔も震えていた。「ゲコちゃんを燃やしちゃダメ」と涙目になっている。

 永久は渋々という様子で、命の隣に立った。


「ゲコちゃん。僕、お茶を作ったんだ。飲んでくれる?」

「翔がお茶を作ったのか? 凄いな。飲ませてくれ、ゲコ」


 ゲコは長い舌で器用に水筒の蓋を絡め取り、お茶を口に流し込んだ。


「ゲコ。美味い」

「本当? 昔、ゲコちゃんが飲んだお茶と同じくらい美味しい?」

「……んん。あれとは違う味だが、これもこれで美味しいぞ、ゲコ」

「違うんだ……」


 翔がしょんぼりし始めたので、命はなんとかしようと問いかける。


「どう違うのかしら?」

「う……ん。もう少し茶色くて、香ばしい香りがした気がする、ゲコ」

「……香ばしい。確か百年くらい前よね? 何度も飲んだのかしら?」

「いや、あれ一度きりだゲコ。確か、大きな地震があった年だ。都会では大きな火事があって大騒ぎしてたらしい、ゲコ」

「百年前で地震となると……関東大震災か?」


 彰がポツリと呟くと、命はあっと声を上げた。


「……わかったかも」


 命の言葉を聞いて、翔は寂しげな笑顔を浮かべた。


「僕の作ったお茶じゃなくても、ゲコちゃんが喜ぶならいいよ」

「ううん。翔君のお茶をもう少し手を加えたら、ゲコさんもきっと喜んでもらえるわ。一度店に戻りましょう」

「本当に!」


 翔が嬉しそうにはしゃぐと、彰は困惑したような顔をした。


「そのカエルが何のお茶を飲んだのか、わかったのか?」

「はい。たぶん、間違ってないと思います」

「命さんのお茶の師匠なのに、わからないの?」


 永久が真顔で問いかけると、彰は眉間に皺を寄せた。


「百年前のお茶事情なんて、茶を売るのに必要ではないからな。茶商じゃなくて、学者かオタクの領分だ」

「えへへ。商売と関係なく、お茶関係の話題は興味あると飛び込んじゃうので……本で調べたり、お茶を研究してる学者さんの講演会に参加したりするうちに、色々知識が増えるの」


 命が照れたように笑いつつ、翔と手を繋いで歩き出す。慌てたようにゲコが声を上げた。


「また、来るのか?」

「今日中にまた」

「そうか……」


 そこまで行って、ゲコはぐるりと全員の顔を見回した後、最後に永久の顔をじっと見た。


「ゲコ。お前と、昔会ったことがある。覚えてないか?」

「……覚えてないね。もしも会ってたとしてもそれが何?」

「お前、とうこと一緒に暮らしていたあやかしだろ?」

「とうこさんを知ってるんですか?」


 思わず命が乗り出すと、ゲコは嬉しそうに語る。


「ああ、想い出のお茶も、とうこがくれたお茶だ」

「永久、そうなの?」


 命が問いかけると、永久は顔を逸らして「覚えてない」と言った。


「人を大切にするあやかしなら、どうか翔を守ってほしい。この辺りは危ない。翔ももうわしに近づかない方がいい」

「やだ! 絶対に、ゲコちゃんに美味しいお茶を飲ませるんだ!」


 意気込む翔を見て、ゲコは小さく息を漏らした。

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