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1話

 八月に入ると、山の中とはいえ奥多摩も暑くなる。猛暑日を記録する日々が続き、あかしやではアイスティーが飛ぶように売れた。

 平日のとある日、小学生の男の子を連れた親子がやってきた。席に座ってメニューを開くと、楽しそうに話し出す。


「凄いお茶の数だな。選べないよ」

「奥多摩にこんないい店があったのね。もっと早く知りたかったわ」


 親がメニューを見ながら和やかに話す間、男の子は店内をぐるりと見回した。

 ケセランパサランを転がす管狐を見て、椅子の上で体をゆらゆら動かす。その視線の動きだけで、命にはわかってしまったから。微笑ましくてつい手を差し伸べたくなる。


「よかったら、こっちでお菓子選ぶ?」


 ガラスケースの中のお菓子を見せるように見せかけて、自分の手のひらに管狐を乗せた。男の子は目を輝かせて命の方へ近づく。


「うちの子がすいません」

「私も子供が好きなんで、いいんですよ。ゆっくりしてください」


 どうやら親達には、あやかしが見えてないらしい。ガラスケースの前までやってきた男の子に、命はこっそり囁く。


「この狐、見えるの?」

「……お姉さんも、見えるの?」

「うん。うちの子。触る?」

「いいの?」


 男の子は嬉しそうに管狐に触れた。まるで壊れ物のようにそっと触れて「ふわふわだ……」と目を輝かせる。

 男の子の親はこちらの様子に気付いてないように見えた。


「私は(みこと)って言うの。貴方は?」

「僕は、(かける)。四年生なんだ。こういうの、見える人、初めて会った」


 はにかむように微笑んだ翔が可愛くて、思わず頭を撫でたくなる。


「こういうのって……あやかしのこと?」

「あやかしって言うの?」

「私はそう呼んでるわ」


 翔はそっと管狐を床に下ろして、もじもじと身を揺らして問いかける。


「僕、あんまりお小遣い持ってないけど……また来ていい?」

「もちろん、いつでも遊びにきて」

「うんとね。ここはお茶の店で、お姉さん、あやかしに詳しいんだよね」

「もっと詳しいあやかしの先生もいるわ」

「じゃあ、今度、一緒にあやかしが喜ぶお茶を探して欲しいんだ」


 翔の顔が真剣で、とても冗談を言ってるようには見えなかった。

 あやかしが喜ぶお茶。それはどういう意味かと問いかけようとしたが、翔は親に呼ばれて席に戻ってしまった。

 注文を取りに行く永久の背を見守りつつ、ぽつりと呟く。


「……まいっか。また来てくれるんだし、その時に聞けば」


 おそらくあやかしが見えない親の前では言いづらいだろう。





 翔達が帰るのと入れ替わるように彰がやってきた。あまりの暑さに額から大粒の汗が流れている。


「暑い中、わざわざありがとうございます」

「いや、俺が来たくて来たから。命、何か茶を淹れてくれ」


 我が家のような気安さの彰に、永久は冷たい視線を浴びせる。


「また来たの? 暇なの?」

「ずいぶん扱いがぞんざいになってきたな」

「彰さん、ごめんなさい。どうぞこちらへ」


 命がカウンター席に案内すると、永久を無視して彰は席に座る。


「今、仕事が忙しい時期じゃないですか?」

「時間が空いたらまた来るって言っただろ。命も店も心配だしな」


 そう言いながら彰は店内を見回す。鉄爺や神棚の付喪神をチラ見し、ケセランパサランを転がす管狐に頷き、立ち上がってカウンターの中で洗い物をしている氷雨を観察し、最後に永久をじっと見る。


「……異常はないか」

「うちのあやかしは、みんな良い子達ですよ」

「命があやかしに警戒心がなさすぎるから、心配になるんだろう」

「それは僕もそう思う」


 永久までうんうん頷くので、命は小さくため息をつく。どうもこの二人はあやかしのことになると過保護だ。


「そんなに心配しなくても……」

「命は、あやかしに襲われたことはないのか?」

「襲われる?」


 彰の言葉に命は考え込む。氷雨と一緒に幽世かくりよに行った時は怖かったが、常世とこよで怖い思いをした覚えがない。


「ないですね。あやかしはみんな良い子ですから」

「それは僕が命さんを守ってるからだよ」

「……過保護すぎないか?」

「……あなたもそうでしょう?」


 彰と永久が目を合わせてため息をつきあう。


「命さんが出会ってないだけで、危ないあやかしはいっぱいいるんだからね」

「そうだ。俺もそれで昔は苦労した。守ってもらうばかりじゃなく、自分でも気をつけろ」


 二人にお説教されてるみたいで、命は居心地悪く肩をすくめた。

 忙しい中来てくれるなら、せめて労いのお茶を淹れたい。丁寧に茶を淹れて出すと、彰は茶を美味そうに飲んで、ぽつりと言葉を漏らした。


「美和子さんに会ってきた。店を始めたことも、引越ししたことも知らなかったみたいだな」


 命の手からポットが滑り落ちかけて、慌ててぎゅっと掴む。

 永久は不思議そうに問いかける。


「美和子さんって誰?」

「命の母親だ」


 彰の言葉を、命は他人事のように聞いた。最後に連絡を取ったのがいつかも思い出せない。

 彰は命をじっと見つめて、真面目な顔をした。


「おせっかいかもしれないが、住所は伝えておいた。親だから何かあったときのために、住所くらい知っておいた方がいいだろう。不味かったか?」

「いえ。それはいいです。ただ、連絡しそびれてただけなので」

「まだ、美和子さんを許せないのか」

「そういうわけではないんですけど……なんとなく会いたくないだけで」


 父がいなくなって、母と意見が合わなくなった。

 就職してすぐ家を出て、それ以来帰っていない。互いに連絡もしないし、会いに行こうともしない。

 強く嫌う気持ちはなくなったが、長いこと避け続けたせいで、今更何を話せばいいのかわからない。

 命の心情をどこまで察しているのかわからなかったが、彰は優しい声色で話しかける。


「どうしても上手くいかない親子もいる。親孝行しろと言う気はない。ただ、人はいつ、何があるかわからない。いつまでも親が生きてるとは限らないからな。会えなくなって後悔することがないように、一度話しておいた方がいいと思うぞ」

「……そうですね」


 彰の言うことはもっともだが、正論だ。母との関係から目を逸らし続けていた。今さら、なかなか重い腰は上がらない。彰は眉を顰めるだけで、それ以上追及しなかった。


「命。通販の売り上げ状況どうなってる?」

「あ、今ノートパソコン持ってきます」


 仕事の話を振ってくれて助かった。母の話をしたがらない命の気持ちを、彰は察したのだろう。

 永久が美和子の話をもっと聞きたそうにしていたが、命は見てみないフリをした。

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