私のエッセイ~第百一弾:ボディビルダー列伝(1)~ アーノルド・シュワルツェネガー☆オーストリアの樫の木
(※) 冒頭部、映画「パンピング・アイアン」(=邦題「鋼鉄の男」)からの、ブツ切り動画や、例の「1980年ミスター・オリンピア」での、あの事件関連の動画を、いくつか、新たに紹介しておくわね。
1.『Pumping Iron Training Song Music Soundtrack』
→ UP主様は、「Arntor6」様。~ 古き良き時代の、カリフォルニア・ベニスでの「ゴールドジム」でのトレーニング風景なの。
2.『Ed Corney Squatting』
→ UP主様は、「gmalwv914」様。~ アーノルドとエド・コーニー(昔のアーノルドのトレーニング・パートナー)のスクワット・シーン。追い込み方が、ハンパないわよね! あの当時は、「やればやるほどよい」などという、いわゆる「量のトレーニング」が、幅をきかせていましたからね・・・。
3.『1975 オリンピア: ポンピング アイアン スキャンダル』
→ UP主様は、「Nick's Strength and Power」様。~ 白黒写真で見る、「1975年ミスター・オリンピア」での、重量級クラスでの、アーノルドとルーとセルジュの比較。やはり、この年のアーノルドのコンディションは、生涯最高でしたね。セルジュ・ヌブレの綺麗な「セパレーション」も、非常に印象的でした。腹筋・・・マジで綺麗!!
4.『Mike Godzer Royalty Edit』
→ UP主様は、「Kral mehdi bilgisiz madam seyis」様。~ 冒頭の白黒写真が、あとで述べる「1980年ミスター・オリンピア」のバックステージで、アーノルドがマイクを罵倒した直後に撮られた写真です。マイク・・・恨みのこもった、敵意むき出しのものすごい表情で、鏡に映った、背後のアーノルドを睨みつけてます。そのあとのポージングが、この日のマイクの、「生涯最高のコンディション」です!
5.『Mike Mentzer About Why He HATES Arnold Schwarzenegger』
→ UP主様は、「Bodybuilding Legends」様。~ ここでは、マイク・メンツァーが、なぜ、アーノルドを嫌うようになったかのいきさつが、ざっと語られていますね。その詳細は、後述しましたので、ここでは省略いたします。あきらかに、マイクのコンディションの方が、アーノルドよりいいですよね・・・。
6.『MIKE MENTZER: BEHIND THE SCENES OF THE 1980 MR OLYMPIA CONTEST』
→ UP主様は、「John Little」様。~ ここでも、例の「1980年ミスター・オリンピア」での「罵倒事件」について触れていますね。貴重な、メイク自身の「生前の肉声」でもって、この事件の詳細も語られております。アーノルドへの自身の思い、ジョー&ベン・ウィダーへの不信感、大会への出場をとりやめて引退した、悔しい無念の思いなどが、切々と語られています。これを聴くたび・・・私、マイクが可哀相で、今でも涙が出てきますね。この大会は、シドニーの「オペラハウス」で開催されたんですが・・・前述の写真の他にも、自分に「言いがかり」をつけてきたアーノルドに向かって人差し指でもって抗議するマイクの写真もありますね。壁に座った、フランク・ゼーンの姿も。なぜ、誰もアーノルドの「暴挙」を止められなかったんでしょうかね・・・?
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皆さん、こんばんは! いかがお過ごしでしょうか・・・?
今宵は、私の好きなボディビルダーの一人、「オーストリアン・オーク(= オーストリアの樫の木)」こと、アーノルド・シュワルツェネガー氏についてのエッセイをお届けします。
「シュワちゃん」として、すでに皆様にも、広く認知され、親しまれている彼でありますが・・・若い方も含め、その「ボディビルダー時代」を知る方は、もうあまりおられないことでしょう。
かく言う私自身もですね・・・彼を知ったのは、1986年公開のアメリカのアクション映画「ゴリラ」が最初でした。
実は、このときの彼(= 以下、「アーノルド」と記す。)はですね、現役のボディビルダーではなかったために、その筋肉も、全盛時代よりははるかに落ちてしまって、脂肪もかなり乗ってました。
のちに出演した、「コマンドー」「プレデター」「ターミネーター・シリーズ」でも、筋肉の「バルク(大きさ)」の衰えは・・・とても顕著で、映画だけでもって、彼の筋肉を見てキャーキャー騒いでいたのは、彼の「ビルダー時代」を知らない、「ノン・ボディビルファン」でした。
・・・と、ちょいと「上から目線」であえて書きましたが、実は、かく言う私自身、アーノルドの全盛時代の姿を知らなかったものですから、WOWWOWで彼のビルダー時代の映画を初めて観たときには・・・もう私のエッセイの定番ネタ、「チビリ」が発生しましたとさ❤️
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アーノルドの経歴・来歴につきましては、あまりにも有名すぎて、ここでわざわざ私ごときが述べるまでもありませんので、興味のある方は、ウィキペディアなどでお調べ頂きたいな、と思います。
ここで紹介したいのは、そういった、一般の方が誰しも知るような情報・エピソードではなく、彼と同じ、「ボディビルダー」の私の視点から見た、「ビルダー時代」の彼に関する、興味深い「裏話」などです。
すでに、過去の『私のエッセイ~第三十五弾:素晴らしき「ボディビルディング」の世界』におきまして、ここの私の偉大な先輩でおられる「愛猫家 奴隷乙様」への返信にて、彼、アーノルドに関する、ちょっとした裏話を書かせていただいたことがありました。
・・・それと内容がかぶることがございますが、今回のエッセイでも、ふたたび、「あの事件」について、触れたいと思います。
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アーノルドは、若い頃から、ヨーロッパだけでなく、世界のボディビルタイトルを総ナメにしました。
以下は、その主なタイトルであります。
「NABBAアマ・ミスター・ユニバース」
「NABBAプロ・ミスター・ユニバース」
「IFBBミスター・ヨーロッパ」
「IFBBミスター・ユニバース」
「IFBBミスター・ワールド」
「IFBBミスター・オリンピア(6連覇・合計7回優勝)」
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ボディビルダーの彼はですね・・・そのルックス(かなりイケメンだった!)はもとより、大きな体躯、あふれんばかりの「バルク」、誰もがうらやむ、巨大で綺麗なピークを持つ「上腕二頭筋(= 『バイセップス』)」という、いくつもの武器を持っておりました。
顔も小さく、手足も長く、やわらかで伸びのある筋肉の質・形、文句なしの「プロポーション」、左右のバランス・・・どれをとっても、まさに「非の打ち所のない」ビルダーでした。
・・・しかしですね、たった一つだけ「難点」がありましてね。
それが、「前腕の細さ」でした。
他のビルダーに比べれば、まったく見劣りがしないんでありますが、後述します怪物「セルジオ・オリバー」には、この部分では、完全に負けてましたね。
ボディビルの最高峰の大会である、「ミスター・オリンピア」は、1965年から毎年開催されていますが・・・初代のチャンピオンの「ブロンド・ボンバー」こと、ハンサムな「ラリー・スコット」も、前述の「セルジオ・オリバー」も、非常に太い前腕を誇っていました。
この部位が太いとですね・・・腕全体が太く見え、とても迫力ある体に見えるんですヨ。
実は、このサファイアの涙もですね、残念ながら、この部位が非常に弱いので、せっかく、「バイセップス」「トライセップス(= 上腕三頭筋)」が太いのに、全体的に「いまひとつ」といった調子ですね、トレーニング開始から30年経った、今現在でも。
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試合では、「向かうところ敵なし」といった感じのアーノルドでしたが、たった一人だけ、「目の上のタンコブ」がおりました。
それが、「ブラック・ナイト」「The Myth(= 神話)」こと、キューバ出身のビルダー、「セルジオ・オリバー」でした。
このセルジオですがね、非常に特殊な体型をしておりまして・・・もう、あとにも先にも、彼のようなビルダーは現れないんじゃないか・・・そのような、遺伝的に非常に恵まれた、まさに「ボディビルをやるために生まれてきた」といった感じでした。もう・・・故人ですが。
セルジオはですね、あとのエッセイでも取り上げますが、前述の「ミスター・オリンピア」のタイトルを、1967年から1969年までの3年間、独占しました。
実はですね、1969年に、セルジオとアーノルドは「初対決」し、当時破竹の勢いだったアーノルドに、「ストップ・ザ・セルジオ」の期待がかかりましたが・・・結果は準優勝。セルジオに「後塵を拝した」・・・このような残念な結果に終わり、アーノルドには、セルジオという「高い壁」が、初めて立ちはだかったのでした。
翌年の1970年に、「IFBBプロ・ミスター・ワールド」で、アーノルドは、初めてセルジオを破ります。
そして、満を持して臨んだ、「1970年ミスター・オリンピア」。
三度目の対決となった二人のバトルは、がぜんヒートアップし・・・観客の誰もが、「これは・・・最後の最後まで、どちらが勝つか分からんゾ!」と興奮しきりでした。
二人は、渾身の力でもって、ポージングします。
やがて、疲れ果てたセルジオが、アーノルドに近づき、こうささやきました。
「・・・もう、俺は疲れたよ。そろそろ、終わりにしないか。」
すると、アーノルドも答えます。
「そうだな。もう、十分だろう。」
観客の大歓声の中、片手を振りながら、ステージをあとにするセルジオ。
そのあとを追うようにして、ゆっくりとステージを去る「フリ」をするアーノルド。
舞台裏に引っ込んだセルジオの姿を確認したアーノルドは、ステージ中央にとどまり、観客にゼスチャーで「アピール」します。
「いったい、彼はどうしたんだ?」
「なぜ、俺との戦いを放棄して、バックステージに引っ込んだんだ??」
「もう、トシってことか!?」
そして、次々と得意のポージングを披露するアーノルド。
『アーノルド! アーノルド!! アーノルド!!!』
ステージは、もはや、アーノルドの「独り舞台」と化していました・・・。
あわてて戻ってきたセルジオでしたが・・・時すでに遅し。
そして、アーノルドは、念願の「ミスター・オリンピア」のタイトルを、まんまとセルジオからもぎ取ったのでした。
のちに彼は、こう語っています。
「・・・あの試合は、本当に接戦だった。まさに『魂と魂のぶつかり合い』。疲れて意識がもうろうとする中、俺は、何か『対策』を講じる必要に迫られていたのだ。そして、あれが、間違いなく、ジャッジの心象に影響し、『最後のワンポイント』を左右したのだろう・・・。」と。
いわば、「だまし討ち」という形で、貴重なタイトルを持っていかれたセルジオは、翌年の出場は見送り・・・1972年、ドイツはエッセンで開催された「ミスター・オリンピア」で、アーノルドとの4度目にして最後の対決に挑みます。
この試合の両者はですね・・・マジで「超接戦」でしてね、今現在見ても、私は「セルジオの勝ち」と見ておりますが、結果は、アーノルドの「辛勝」でした。
この1972年のセルジオはですね、本当に「生涯最高のコンディション」でして・・・それをここで皆様に紹介してみたいと思います。
『SERGIO OLIVA』→ UP主様は、「Anis Arfaoui」様。
その1972年の「ミスター・オリンピア」でのセルジオのポージングも、8mmフィルムで画質は悪いですが、ございますね。
『Sergio Oliva Posing | Mr.Olympia 1972』
→ UP主様は、「Retro Training」様。
ついでにこれも。
『1972 ミスター オリンピア レビュー : セルジオ オリバ vs アーノルド シュワルツェネッガー』
→ UP主様は、「Marx Max Muscle」様。
『セルジオ・オリバは第72回オリンピアで優勝するべきだった』
→ UP主様は、「John Hansen」様。
『MR. OLYMPİA 1972 - Arnold Schwarzenegger - Sergio Oliva』
→ UP主様は、「BODYBUILDING WORLD」様。~ 貴重な1972年のオリンピア大会。4分22秒あたりから、アーノルドのポージングになります。
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アーノルドの一番デカかったのは、1974年なんですが・・・最も、綺麗な仕上がりだったのは、1975年に、南アフリカの首都プレトリアで開催された「ミスター・オリンピア」での彼でしたね。
それをいくつか紹介します。
まずは、コレ。
個別に順番に取る、ポージング・ルーティーンといったところでしょうか。素晴らしい仕上がりですね!
『Arnold Schwarzenegger mr olympia 1975 Remastered HD』
→ UP主様は、「Overcome Fears」様。
次は、コレ。
『Pumping Iron- Arnold Schwarzenegger vs. Lou Ferrigno ,,HULK´´』
→ UP主様は、「DAVY BRASCO」様。~ バックステージでの、アーノルドとルーの対決。アーノルド・・・すげえ仕上がりとバルク!!
『1975. Mr Olympia. Arnold - Lou - Serge』
→ UP主様は、「BODY PRO GR」様。 ~ これは、アーノルドと、ルー・フェリグノ(「超人ハルク」で有名な方。)、セルジュ・ヌブレ(故人。フランスの元・映画俳優、TVスター。)の対決。制したのは、もちろん、アーノルド。
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次は、1980年の「ミスター・オリンピア」について。
1975年に、一度引退したアーノルドが、この日、実に5年ぶりに、ステージに戻ってまいりました。
ただし・・・この大会はですね、後述しますように、いろいろな意味で、「物議をかもした大会」だったんですヨ。
実はですね、アーノルドは、映画「コナン・ザ・グレート」の撮影のために、5年のブランクの間に衰えた筋肉をふたたびハードに鍛えておりまして、かなり「いいコンディション」を作っていたんですヨ。
それで本人も、「これは・・・もしかしたら、イケルかもしれんぞ!」と考え、急遽、オリンピア大会に出場する決意を固めました。
ところがですね、この大会に出るためには、「条件」が要りまして・・・前年での指定された大会で、それ相応の上位の成績を残すことが必要条件だったんですね。
たとえば、「ミスター・ユニバース優勝者」とか「前年のミスター・オリンピア決勝進出者」とか、そういった条件ですね。
5年もステージを離れていたアーノルドには、当然、そういった条件をクリアすることができませんので、出場のための「クオリファイ(出場権)」というものがありません。
ところが彼はですね、この大会の創設者であり、自身の若き日のトレーニングの指導者権師匠でもあった、「故・ジョー・ウィダー氏」と、大会責任者の「ベン・ウィダーIFBB会長」に泣きつきましてね・・・出場の「密約」まで交わしたんです。
大会のために、飛行機でオーストラリアのシドニーの空港に降り立ったアーノルドを見て、オリンピア大会の出場者たちはみな、彼が、「IFBBの役員」か「大会の観戦」といった、別の用事で空港に降りたものと思い込んでいました。
ところがですね・・・みんな、見事に「だまし討ち」されたわけですね。
当然、出場者から、大クレームがつきましたよ。
自分たちが、一年間、苦労して勝ち取った「クオリファイ」というものを考慮せず、いきなり、ズルイ形で「横入り」で割り込んできて、ヌケヌケと大会に出ようってんですからねぇ・・・誰だって、怒りますって。
最終的には、「過去、何度も優勝した名チャンピオンだから・・・」という、理不尽で不可解なリクツでもって、アーノルドの「飛び入り参加」が、あっさりと認められる運びとなってしまいました。
アーノルドの親友のひとりだった、「フランク・ゼーン(= 1977~1979年の優勝者)」も、さすがにこれには、激怒したそうですね。
しかし・・・話は、これだけにとどまりません。
この大会は、最後に「優勝インタビュー」でアーノルドが語ったように、かつてないくらい、非常に選手のレベルが高かったんです。
実際、アーノルドも、記者に何度も、「出る年を誤ったなぁ・・・。」なんてもらしていたくらいでしたからね。
出場者の顔ぶれもなかなかのものでしてね・・・前述のタイトル・ホルダーのフランク・ゼーンのほかにも、マイク・メンツァー、ボイヤー・コー、クリス・ディカーソン、ロイ・キャレンダー、ロジャー・ウォーカーといった、猛者・強豪が、ひしめいていました。
前年のチャンピオンのフランク・ゼーンは、実はこの大会の前に、練習中に大ケガをしちゃいましてね・・・いつものバキバキの仕上がりではなく、ちょっと彼らしからぬ、甘い仕上がりでした。
そして、前年、ゼーンに続く準優勝だったマイク・メンツァーは、この日、彼の「生涯最高のコンディション」を作ってきました。まさに・・・「ピタリと」、ピークを合わせてきた・・・本当に素晴らしい仕上がりでしたね。もう、誰の目から見ても、「優勝候補」って感じでしたよ。
そんなマイクのコンディションを、バックステージにて、間近で目撃してしまったアーノルド。
ただでさえ、出場者のレベルが高い今大会において、コレでしょ・・・?
当然、マイクの仕上がりに「脅威」を感じた彼は・・・「心理作戦」と称して、記者や関係者のたくさんいる、この部屋で、マイク本人に向かって、わざと口汚くののしり、罵倒し、こきおろします。
おだやかで、まじめな性格だったマイクは、その心ない言葉をまともに受け取ってしまい・・・落ち込み、悩み、苦しみました。
自身のヒーローであり、あこがれの目標だったアーノルドから、手厳しい「冷や水」を浴びせられ、精神的に追い込まれたマイクは・・・結局、無残な「5位」に。
かたや優勝は・・・全盛時代に比べ、明らかに甘い仕上がりのアーノルド。
これには、さすがの観客もあきれ、いわゆる「ブーイング」のゼスチャーをして、首をかしげる客も見られましたね。
私はですね・・・優勝は、クリス・ディカーソン、2位がマイク・メンツァー、3位がボイヤー・コー、4位が、大会前にケガで泣いたフランク・ゼーンでよかったんじゃないかなぁ・・・って思いますけどね、今でも。
いくら心理作戦といったって、何もアーノルドにののしられるような覚えの無いマイク。
納得いかないですよねぇ・・・。
でですね、この事件をきっかけに、アーノルドとマイクは、当然のごとく「犬猿の仲」になり、公の場で顔を合わせることはなくなったそうです。
さらにですね、マイクは、まさに「脂の乗りきった全盛期」だったにも関わらず、IFBBの審査基準というものに、心底失望し、このあとのコンテスト出場をすべて取りやめて、そのまま引退してしまいました・・・。
本当に、かわいそうでした。
ちなみに、そのマイクは・・・2001年6月10日に、病で亡くなっていますね。享年49歳。
さらに、彼の最愛の弟であり、良きトレーニング・パートナーでもあった、レイ・メンツァーも、兄の後を追うように、その数日後に、この世を去っています。
あとで彼、マイク・メンツァーについてのエッセイも考えておりますが、このマイク。あの有名な「ヘビー・デューティー・トレーニング理論」の名伯楽としても、よく知られていますね。「短時間・高強度」の。
・・・私、いまでも彼の大ファンです!
そのマイクが、1978年に優勝した、「ミスター・ユニバース大会」の動画もありました。
『マイク・メンツァーのパーフェクト300の貴重な映像!! MIKE'S 1978 MR UNIVERSE WIN!!』
→ UP主様は、「Golden Era Bookworm」様。
以下は、1980年の「ミスター・オリンピア」の模様ですね。
『ARNOLD SCHWARZENEGGER 1980 COMEBACK TRAINING Bodybuilding Muscle Fitness』
→ UP主様は、「SSD」様。~ これは、映画「COMEBACK(= トータル・リビルト)」からの映像ですね。アーノルド・・・仕上がりが甘いです。1975年時に比べ、あきらかに筋肉がゆるいですよね。優勝はアーノルド。途中登場する、トム・プラッツ・・・予選落ちで悔しい「涙目」で、撮影者を一瞬睨みます。アーノルドのコメントを意訳しますと、こうなります。「ありがとう。非常に興奮し、厳しい戦いの7回目のオリンピア大会でした。正直に言いましょう。私は、いまだかつて、こんなにレベルの高い大会は、経験したことがありませんでした・・・。」
この動画の最後の方のシーン。
予選落ちした「トム・プラッツ」の、自分のジムでのトレーニング・シーンと彼の残した言葉が印象的でしたね。
記者に、「辞めるつもりは・・・?」と訊かれたトムは、悩むことなく答えました。
「辞める・・・? そんなこと、できっこないよ。ここが、俺にとっては『我が家』なんだ。離れても・・・また戻りたくなるさ。」と。
トムは、翌年のオリンピア大会で、念願の決勝進出を果たし・・・見事、3位に輝いています。(優勝者は、アーノルドの盟友フランコ・コロンボ。2位は、クリス・ディカーソン。)
その模様が、以下の動画です。
『Franco Columbu - Winning Mr. Olympia 1981』
→ UP主様は、「World Bodybuilding Archive」様。
ちなみに、この「フランコ・コロンボ」ですが、なぜか、アーノルドが引退した次の年に優勝しておりましてね(1976年と1981年)、そのへんも、なんだかなぁ・・・なんて、考えてしまいますよね。
実はですね・・・この「1981年ミスター・オリンピア」も、前年以上に物議をかもしましてね。
優勝者の「フランコ・コロンボ」にブーイングが飛びまくった、そんな試合でしたね。
こんなレア映像も見つけましたよ。
『1980 MR OLYMPİA - Arnold Schwarzenegger-Chris Dickerson-Frank Zane-Boyer Coe-Mike Mentzer』
→ UP主様は、「BODYBUILDING WORLD」様。
あとですね・・・アーノルドが、1975年のミスター・オリンピアで優勝し、一回目の「引退」をしてブランクを作っていた、ある時期にですね、当時、アーノルドが引退して不在だった時分のタイトルを連覇していた前述のフランク・ゼーンが、彼に質問したことがありました。
「なぜ君は、オリンピア大会に出場してこないんだい? まだまだイケルと思うんだがね。それって、僕との友情のためなのかい・・・?」と。
すると、アーノルドは、こんな意味深な発言を、ゼーンに返したそうです。
「・・・フランク。これは、友情とは関係ないんだ。作戦。 ・・・作戦なんだよ。」と。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
私ですね・・・基本的には、アーノルドが大好きです。
なんたって、彼の主演する、ボディビルダー御用達の古い映画「パンピング・アイアン」が、「ボディビルディング」を始めるきっかけになったんですからね。
でもね、彼にはちょいと「強引」で「傲慢」なところがありまして・・・特に、女性を非常に軽く見ていたフシがありました。
若き日に、インタビュアーに対し、当時の彼の「取り巻きの女性」について質問された際、「彼女たちは、俺の言うことを何でもきくんだ。」などと発言してみたり、フランク・ゼーンが初優勝を果たした、1977年のオリンピア大会に、ケスト解説者として招かれたスーツ姿のアーノルドは、いきなり彼に抱きついてきた見知らぬ美人の女性ファンと、カメラの前で堂々と平気でキスをしてみたり。
その様子が、以下の動画です。
『1977 Mr. Olympia Bodybuilding Competition - Arnold Schwarzenegger behind the scenes』
→ UP主様は、「Chris Guinn」様。~ 例のキス・シーンは、動画開始から、ちょうど1分のところですね。(まぁ・・・「不可抗力」っちゃ、「不可抗力」とも言えますがね。)この大会の主役は・・・完全に、フランク・ゼーンでした。
誰しもが、その才能とカリスマ性を認める「シュワちゃん」ですが・・・目的を達成するためには手段を選ばない人でした。
でも、「勝利」にこだわるあまり、周りの人間に対する配慮に、かなり欠けている人物ともいえましたね。
先に紹介しました、マイク・メンツァーの例もそうですし、宿敵「セルジオ・オリバー」にどうしても勝ちたくて、卑怯な「だまし討ち」をしてみたりね・・・。
あとね、こんなエピソードがございます。
まだアーノルドが、欧州にいた頃の話らしいんですが・・・インタビュアーと彼のやり取りが、映画「パンピング・アイアン」の中に残っておりますね。
以下は、それを活字化してみたものになります。
インタビュアー:「アドバイスを求めに来た人が傲慢だと、悪いアドバイスを与えることもあるとか・・・?」
アーノルド:「8年前に、ジムに来た男がこう言ったんだ。『僕は、ミスター・ミュンヘンになりたい。体は申し分ないから、新しいポージングを考えたい。斬新なポーズを』と。そしてヤツは、服を脱ぎ、ポーズを取ってみせた。 ・・・ところが、カラダもポーズもひどいものだった。そこで、ちょっと、からかってやろうと思ったんだ。『アメリカで新しいポーズを学んだ。』と言った。向こうでは、叫びながらポーズをするのが、大はやりだと教えてやった。ヤツは、『素晴らしいアイデアだ!』と、有頂天だった。当日は、叫びながらステージに出ろ、と言った。大会当日、バックステージで、その練習をさせた。両手を高くあげたときには高く叫び、両手を低く下げたときには、低くうなれ、と指導した。そうして、ヤツは、すっかり【叫び方】をマスターした。ステージに出て、ヤツが叫びだすと、驚いた人々は、ヤツを変人だと思い込んで、会場の外へつまみだしたんだ(笑)。」
次に、映画「パンピング・アイアン」から切り取られた、「ブツ切り動画」をいくつか紹介しますネ。
『Arnold Schwarzenegger - "The Pump" (HD)』
→ UP主様は、「Billy Physique」様。~ ここでは、ボディビルでのトレーニング中に発生する、いわゆる「パンプ」という現象について、アーノルドが語っておりますね。
私がその概略を意訳すると、こうなります。
「ジムでのトレーニングで得られる、すごい感覚が、『パンプ』だ。例えば、『上腕二頭筋』なんかに、血液が急激に走って流れ込み、筋肉が堅くなり、皮膚を突き破って外に向かって破裂するような、空気が入って中から爆発するような感覚になるんだ。 ・・・他では得られないような快感。そうだな、まるで『セックス』のような気持ちよさ。女性が、『イク』ような、そんな快感と言ったらいいかなぁ・・・。まるで、『天国』にいるような感覚なんだよ。」
「ジムでも家でもバックステージでも、パンプする。5000人の観衆の前でも。パンプするとき、僕はサイコーにハッピーになれる。まさに、『天国』さ。」
「優秀なボディビルダーは、『彫刻家』と同じだ。自分のカラダを分析し、『肩』はどうだ、とか、トレーニングを重ねながらも、いろんな角度から常に全体的な『シェイプ』というものを気にし、注意を払う。彫刻なら、必要な部分に、ちょっと粘土を足せば済むんだが・・・人間の体は、『彫刻』のように簡単にはいかず、難しい。」
では、次の「ボディビルダー列伝」は「セルジオ・オリバー」を予定しておりますので、よかったら、ぜひ・・・。
m(_ _)m