恋は涙のあとから
婚礼で初めて顔を合わせた時。
まるで人形のようだと思った。
きちんと笑顔であったけれど、その笑顔が作り物のようで。
緊張しているのかと思ったけれど、そうではなかった。
それからもずっと作り物めいた笑顔だ。
きっと訓練されてきたのだろうと、そう思っていた。
****
ようやく冬の寒さが和らぎ、春の風が暖かくなり始めた頃。
花が綻び始めたその日、小国トリアは大きな問題に直面していた。
「北の結界がもう限界です」
妖獣がひしめく世界で、人は結界を張りながら生活してきた。
基本的にどこの国も東西南北に結界を張り、その4つが交わる一番守りの強い場所に首都を置いている。
「まずいな」
国王であるルクスは悩んでいた。
結界を張り直したいが、間に合うのか。
北は人口が少なく、魔力を持つ人間も限られるため、一番力の強い、王であるルクス自身が行くしかない。
北の結界が破れると、妖獣の活動範囲が広がってしまう。
結界は破れたあと張り直せても、いったん結界の中に入った妖獣は勝手には消えない。討伐が必要だ。
そのため討伐隊の結成が必要だが、いかんせん金がない。
急ぎ住民を東と西の結界内に避難させるよう指示を出しながら、張り直しが間に合わない前提で進めるべきか、それとも急ぎの早馬で駆けつけるべきか迷っていた。
「やはりこれを機に結界石を大きなものに変えましょう」
この国の王妃であるフィオナは言った。
結界石とは、結界を張る時の要となるものである。
小さい結界石だと貯められる魔力の量が少なく、頻繁に魔力を補給しなければならない。
実はそう言った知識は彼女からもたらされたものだった。
彼女は去年の暮に嫁いできたが、この国の結界に関する知識の少なさに衝撃を受けていた。
トリアは小さな国で、他国との取引が少ない。
結界に関して豊富な知識を持っているフィオナの国のようなところと縁付くことはなく、今までの知識で細々とやってきたのだった。
「とりあえず、石はわたくしが持ってきたものを使います。将来的にはもっと大ぶりのものを用意した方がいいでしょうが、当面はこれで何とか凌げるでしょう」
「しかし危険だ」
石の交換は膨大な魔力を持っている者がいれば簡単だという。
逆に言えば、膨大な魔力がないと危険ということになる。
石を変えるということは、その間結界がなくなるということだ。
そのため、石を変える間に結界を張る人間が必要になってくる。
「石を変える時間を考えれば、わたくし一人でもなんとかなるでしょう」
彼女の魔力量は普通だ。
しかし、生国フレシアで魔力を操作する教育を受けている。
そのため一時的な強化結界を広範囲に張れるという。
「どっちみち、将来的には考えなければならなかったことです」
「本当に大丈夫なんだな?」
「フレシアでは必ず実践で行うことです。結界石をわざと砕きでもしない限り大丈夫ですわ」
そこまで言われてしまえば了承せざるを得ない。
だか問題は討伐隊の編成だ。
「そちらもわたくしの持参金を使用すれば問題ないでしょう」
その提案に驚く。
持参金は基本的に花嫁の個人財産だ。
花嫁自身に使うならともかく、国のために使わせることに抵抗がある。
「気になるようでしたらわたくし個人からお貸しするという形でも問題はございませんわ。
今回は結界石の交換が安全だと信じてもらうために無理をお願いするのです。
そのための対価と思って頂いて問題ございません」
ルクス個人は抵抗感があったが、王としては受けざるをえなかった。
なにせ緊急の案件だ。
今回はフィオナの好意に甘えることにし、至急討伐隊を組むことにする。
3日後、討伐隊を率いて結界の張り直しに向かう。
北はそれほど広くはなく、馬で1日ほどの距離だ。
ありがたいことに、結界はまだ持ってくれていた。
「これなら問題なく終わりそうですわね」
フィオナは結界石の確認をし、これからの手順をルクスと、ルクスの側近であるセウェルに説明する。
「まず、結界石を外すために一度結界を解きます。
そのあとわたくしが一帯に結界を張りますので、それを確認してから結界石を外し、新たな結界石を取り付けてください。
台座が小さいため、台座から変える必要がありますが、少し削れば問題なく置けるでしょう。
台座が取り付けられれば、わたくしに合図を下さい。
そうしたら結界を解きますので、ルクス様が結界を張って下さい」
結界を一度解かなければならないのは、何故か結界同士が反撥するためだ。
東西南北の結界は反撥しないのに、それぞれの場所で張る結界は反撥する。
この謎を各国のものたちはこぞって解明したがっているが、未だに謎なままだ。
「分かった。万が一台座の設置が遅れたらどうする?どのくらいの時間ならもつ?」
何事も万全ということはない。
その場合はどうするのか確認しておきたかった。
「大丈夫ですわ。いざとなったらわたくしの命を使います」
一瞬何を言われたのか分からなかった。
命を使う?何を言っているんだ?
「結界は、魔力だけでなく、生命力からも作れるのです。
生命力の結界は強固で、一週間ほどはもつでしょう」
「馬鹿なことを!」
平然とそう言うフィオナに思わず怒鳴っていた。
「すまない」
フィオナは驚いたようだったが、さすがと言うべきかすぐにいつもの人形のような笑みを浮かべる。
「大丈夫です。そうはならないようにして下さるのでしょう?」
先程の言葉の衝撃と、平然としている彼女が理解できなくて返事ができなかった。
困った顔をした彼女に、やっと我に返ったルクスは
「もちろんだ。最善を尽くす」
とようよう答える。
その後、なんとか平静を取り戻し、無事に結界の交換を終えた。
討伐隊も編成していたが、幸いにも妖獣は結界内にはいなかったため次の日には全員揃って首都に戻ることができた。
****
ルクスはずっと考えていた。
「どう思う?」
側近のセウェルに聞く。
「フィオナ様は冗談のように言っていましたが、違和感がありました。…本音は、自分の命などどうでもいいのではないでしょうか」
「やはりそうか。」
彼女の様子をみていると、そう考えているふしがある。
「しかし理由が分からないな。そういう教育をされたのだろうか?」
「侍女どのに聞いてみてはいかがでしょうか?
そういう教育を受けているのなら、彼女が詳しいでしょう」
「そうだな。誰か、彼女を呼んでくれ」
「失礼致します。お呼びと伺いました」
侍女ブリジットはフィオナが国元連れてきた唯一の侍女だ。
幼い頃から彼女に仕えていると聞いている。
「フィオナのフレシア国でのことが知りたいのだ。」
そう言うと、さっと顔色が変わった。
強張った顔をしている。
「こちらの国に来る前のことは関係ないのでは?」
強い口調だった。
これは何かあったと言っているようなものだ。
「…彼女は何か問題を起こしたのか?だからこの国にきたのか?」
「いいえ!違います!!」
間髪をいれずに否定する。
ますます様子がおかしい。
セウェルと顔を合わせ、頷く。
自分より、セウェルからの方が尋問感はなくなるはずだ。
「フィオナ様は先日の結界の張り替えで、万が一の時にはご自身の命を使うとおっしゃられた。
ただ、ご自身の命に関することなのにあまりにも軽く言われたので、フレシア国では魔力を使うことが命より大事なのかと思ったのです」
ブリジットはハッとして、こらえきれないように涙を流し始めた。
ルクスとセウェルは驚き戸惑う。
一体フレシアで何があったのか。
セウェルが理由を問うが、頑として話そうとしない。
仕方なしにルクスが本人に聞くというと、それだけはやめてほしいと懇願された。
フィオナはルクスに聞かれたらどんなに辛くとも必ず答えるだろう。それが王妃としての彼女の義務だと思っているはずだから、と。
ブリジットは迷ったようだったが、話をする気になったようだった。
「…お嬢様は、とても良く笑う方でした」
そう言って、ぽつりぽつりと語りだした。
****
大国フレシア。
そこに一人の令嬢がいた。
彼女は公爵家の娘で、公爵家には姉と妹の姉妹しかいなかった。
そこで父親は父の従兄弟の所の次男を姉の婿にすることに決め、幼少から教育のために引き取った。
二人は同い年で、馬が合ったらしく、たいそう仲が良かった。
仲睦まじく、想い合っているのがひと目で分かるほどだった。
しかし婚儀を一年後に控えたある日、問題が起こった。
末の王女のデビュタント。
そのパーティに姉とその婚約者は出席した。
そこで末の王女が彼に懸想をしたのだ。
結婚するのは彼でないと嫌だと泣きじゃくり、駄々をこねた。
婚約者がいるから無理だと伝えると、ショックが大きかったのか何も食べなくなった。
日に日に痩せていく末の王女に、困り果てた王が公爵に半ば強制のような形で願い、彼は末の王女と結婚することになった。
「フレシア国王はなぜ我儘を許したのだ?」
いくら痩せていったとはいえ、そんなことをすればかなりの反撥をくらうだろうに。
「王女殿下は、歴代でも類をみないほど魔力を持っていましたから」
普通なら10人ほどで張る結界を、彼女は一人で余裕で張れた。
それだけの魔力を国が手離すわけもなく、国内での嫁入り先を探しており、また彼女の希望が最優先にされた。
もちろん最初は令嬢の婚約者も拒否をした。
しかし王命であれば従わざるを得ない。
結局令嬢との婚約を解消し、新たに末の王女と婚約を結んだ。
そこで問題になったのが姉の令嬢だ。
二人が想い合っていたことは周知の事実であり、新しい婿を探そうにも難航した。
同じ年頃の令息にはすでに婚約者がおり、婚約者がいない令息は身分が違う。
今いる婚約を解消しても婿にというものも少数ではあるがいた。
しかし、令嬢自身がそうされたのに、同じことを繰り返しては傷つくだろうと娘の気持ちを慮った父親が断った。
幸い公爵家には妹がおり、妹が婿を取ることになった。
しかしながら、今度は姉の嫁ぎ先も難航した。
同じ年頃の令息には婚約者がいることはもちろん、少し身分が劣る家は彼女を娶ることで王女の不興を買いたくなかったのだ。
さてどうしたものかと王家と公爵家が悩んでいた時、運良く他国から王女をもらえないかと打診があり、姉が養女となって嫁ぐことになった。
急いで準備された婚姻に、まるで国から追い出されるようだと噂になってしまった。
可哀想な公爵令嬢。
「それがフレシアでのわたくしの評判ですわ」
「お嬢様…!」
「ごめんなさいね、戻ってこないから何かあったのかと思ったの」
ブリジットの名誉のために、扉を開けていたのが仇になった。
全部聞かれていたと思った方がいいだろう。
セウェルに合図して、ブリジットを連れ出してもらう。
「私が無理に聞き出したのだ」
二人が部屋がでていき、扉が閉まったことを確認してから話しだす。
ブリジットには可哀想なことをしてしまった。
今頃は主人の醜聞を話してしまったと後悔していることだろう。
「わたくしに聞いてくださればよかったのに」
困ったように笑ったフィオナに、初めて素の彼女を感じた。
自分は、ずっと"フィオナ"と話したかったのだと気づく。
「どうして自分の命を軽視する」
問われた意味が分からなかったのか、不思議そうな顔をしてこちらを見る。
それに苛立ち、思わず強い口調で結界の張り替えの時のことを問い詰めてしまった。
「軽視しているつもりはないのですが…」
少し考えて、彼女は言った。
声が、震えている。
「何をしていいのか分からないのです。
ずっと、公爵家を二人で守っていくのだと信じていました。
二人で領地を運営しながら、子供を育てて。
あの人の隣で笑って、時には喧嘩をして、そうしながら年老いていくのだと思っていた」
そう言った彼女から、涙が溢れた。
たまらず抱きしめる。
この傷ついた少女を、一人で泣かせたくはなかった。
しゃくり上げながら泣く彼女をルクスはずっと抱きしめていた。
気づけば陽が傾く頃になっていた。
ようやく泣き止んだ彼女は、ぼんやりとしていた。
「…会いたいか?」
彼女が望むなら、何としても彼に会わせてやりたかった。
フィオナは少し考えてから首をふる。
「幸せになっていてもそうでなくても、彼を恨んでしまいそうだから」
その答えに、彼女の心はまだ置き去りにされたままなのだと痛感する。
そうか、としか言葉がでない自分が歯痒い。
「それでも、自分のことは大切にするようにします。
…あなたを悲しませたくはないから」
そう言って真剣にこちらを見てくる彼女に苦笑する。
気を使わせてしまったことが申し訳ない。
「ああ、お願いするよ」
今はこれで十分だ。
この時、ルクスはフィオナに惹かれていることを改めて認識した。
「私たちの時間はまだたくさんあるのだから、少しずつ進んでいこう」
そう、時間はたくさんあるのだ。
これから少しずつ気持ちを通わせていくことはできるはずだ。
ルクスはこれから覚悟するように、と心の中で呟いた。