5話 六花の楽園
「気持ち悪い……」
ユイカはせっかくの美人が台無しになるくらいの酷い顔で呻く。
街の住人も公園のベンチに寝そべるこの人物がまさか自分たちの主人だとは誰も思わないだろう。
ユーリはそんな彼女を横目にアイスコーヒーを紙ストローで啜っていた。彼は呆れ顔で言う。
「まあ、あれだけ食べればそうなるよね」
「何よ。他人事みたいに。君がもっと協力してくれれば、こんなことにならなかったのにさぁ」
「だってお城で食べたばかりだったし」
大通りのカフェでピザとパスタに山盛りポテト。続けて公園の広場で売られていたクレープ。普通の女性ならば気が滅入るほどのカロリーを彼女はこの短時間で摂取していた。つまり、自業自得ということである。
あれから二人は宮中にある非常時用のゲートを利用して街に出ていた。王族と一部の人間にしかそれは起動できないらしく、今のところまだ彼女を迎えに来る気配はなかった。
(まさか、彼女の世話を押し付けられたわけじゃないよね……)
そんな不吉なことを考えながら、ユーリは周囲の様子を窺う。
目抜き通り沿いにある公園は、正午を過ぎていても閑散としていた。街中も人通りが少なかったことを踏まえると、それだけ多くの住人が夜遅くまで祭りを楽しんでいたということだろう。王宮がある中央区とはいえ、六つある楽園の中で最も治安がよいと言われるのも納得である。
「水」
突然、ユイカはそう呟いてスッと体を起こす。そして、ユーリのアイスコーヒーに目を向けると可愛らしく微笑んだ。まるで魔女である自分に施しをすることは当然の義務だと主張しているようである。
(これだから魔女は……)
ユーリは一つため息を吐くと、無言で紙コップを手渡す。ユイカは「ありがと」ともう一度微笑んでからストローを口に含んだ。
「ねえ、いつもこんなことしているの?」
「ううん。たまにだよ。入念に下調べして計画立てないとすぐ捕まるんだから。そう言う意味では、君はいいタイミングであそこにいたよね」
(なるほど。運が悪かったのか……)
ユーリは心の中でそう嘆くと、また大きくため息を吐く。
「何というか、君の世話をする人たちには同情するよ」
「サズが定期的に休みをくれれば大人しくしてるもん」
そう言って、ユイカは何の罪のないストローを忌々しげに噛む。
「でも休みがあっても街には出れないでしょ? 君は結局城を抜け出して、みんなに迷惑かけるわけだ」
「何かトゲがあるなぁ。まあ、でも、それも新鮮かな。わたしに言い寄ってくる人は大抵言葉を取り繕ってる人ばかりだし」
それは当然だろうとユーリは思う。
彼女はこの街の次期女王であり、【アナザーヘブン】を統べる六人の魔女の一人なのだから。
約束された六花の楽園、アナザーヘブン。それはこの浮遊都市を含めた六つの街のことをいう。
六つの街はこの街と同様に外界から孤立した場所にあり、ゲートで繋がれたこれら六つの街しか行き来はできない。すなわち、六つの街で世界が閉じているような状態となっている。そして、この小さな世界を統べているのが、彼女を含む六人の魔女なのだ。
六人の魔女は、各々赤、青、緑、紫、金、白の色を冠しており、ファミリーネームはその色をイメージした花となっている。そのことから彼女たちは古くから【六花の魔女】と呼ばれ、その色と花は彼女たちの象徴となっている。
隣に座る少女は、街中で平然とユリの髪飾りを身に着けているが、見る人が見れば何と大それたことをと思っているに違いないだろう。(本人なので何の問題もないが……)
そんな注意力不足の少女が問いかけてくる。
「ねえ、レイナ様はこんなふうにお忍びで街に出かけたりしないの?」
少女は興味津々に目を輝かせていた。やはり同じ魔女であるレイナの暮らしが気になるのだろうかとユーリは思う。
レイナ=アスタリア=ローザ。
彼女は、【海底都市アクア・スフィア】を治める赤の魔女だ。ユーリの保護者でもある。
ユーリは彼女のことを思い浮かべて答える。
「常に一緒にいるわけではないからわからないけど、多分街に出ることなんてないんじゃないかな。もう俗世には興味ないんだと思うよ。似たようなこと訊いたことあるけど、自立した子供に親ができることは見守ることだけなのって言ってたし」
「自立した子供に親ができること? もう街の発展にするべきことはないってことかな? うーん。わたしにはよくわからないや」
「君も千年生きればわかってくるんじゃない?」
「それは気が遠いなぁ」
ユイカは肩を竦めて苦笑いする。
レイナは今いる六人の魔女の中で最も古き魔女だ。正確な年齢は本人以外誰も知らない。少なくとも【千年姫】と呼ばれるくらいの年月は生きているらしいが。
逆にユイカは最も若い魔女になる。おそらく十六歳というのは歴代の魔女の中でも異例の若さだろう。
魔女を含め魔法を扱う者の老化はとても緩やかだ。特に先天的に魔法の力を持つ魔女の一族は、その特性から三百年以上の寿命を持つ者が多い。ゆえに世代交代が行われるとき、新たな魔女は若くても五十過ぎになること多いのだ。
「次はどこに行こうか? どこか行きたい場所ある?」
ユイカは紙コップをすぐ近くのゴミ箱に捨てると、こちらの顔を窺ってきた。
「お城かな。君は知らないかもしれなけど、あそこは安全でとても優雅に過ごせる場所なんだよ」
「却下。君は知らないかもしれないけど、あそこはとても窮屈で息が詰まりそうな場所なんだから」
「うーん。どうも君とは相性が悪いみたい」
「そうね。この価値観の不一致は致命的ね。君とはお付き合いできないかも。残念」
ユイカはそんな冗談を言ってクスクス笑い出した。
天真爛漫。
彼女の第一印象はまさにそれだ。
自身で宮中を息が詰まる場所と言うのだから、幼少から王族として自由のない縛られた生活をしてきたはずだ。それでも彼女がこんな彼女になったのは、きっと身近な人々にたくさんの愛情を注ぎ込まれて育ったからなのだろう。それはある意味、地位や財を持って生まれたことよりも幸運だったといえる。
そんな恵まれた少女が問いかけてくる。
「君の好きなものって何? そこからどこへ行くか考えていきましょ」
「好きなもの? 甘い物かな」
「それも却下。わたしのお腹にはもうそんな余裕はありません。それに君もさっきクレープ食べてたでしょ。他のもの」
「うーん。可愛いくて僕に優しい女の子?」
「何で疑問形なの? というか、君の望む女の子は目の前にいるでしょ」
ユイカはユーリの瞳を覗き込むように顔を近づけてアピールしてくる。
「優しい?」
ユーリは訝しげに首を傾げる。
「優しいでしょう? こんなにも君の無礼に寛大なんだから」
「それは君が畏まらなくていいって言ったからだし」
「もう! 女の子との会話で揚げ足とらないの」
そう言って、ユイカはユーリの頬を軽くつねってきた。
実に理不尽だが、魔女は理不尽の塊みたいな存在なので反論しても無駄だ。自然の摂理と同じように魔女とはそういうものだと割り切るのが肝心なのである。
こんなくだらないやりとりを数回繰り返したあと、結局目抜き通りに並ぶ店を適当に見て歩こうということになった。