女王の宝物①
澄み渡った空の下、平べったい船舶が赤褐色の屋根と白い壁で統一された建物の間を進んで行く。
甲板には複数の乗客がおり、船尾では親子連れが、都市運河が織りなす美しい街並みを見ながら楽しそうに過ごしていた。
ここは高度三千メートルに浮遊する都市、【アーズル・ガーデン】。
魔女が築き上げた理想郷の一つである。
栗色の髪の少女は、楽園とも呼ばれる街で紡がれている穏やかな日常を河岸にあるカフェテラスから眺めていた。
天使のような可愛らしい娘だ。老若男女問わず、誰もが目を向ける華やかさもある。それに母親譲りの綺麗な顔立ちは、将来絶世の美女になる予感を漂わせていた。
ただ今は、親子連れを見てはそんな可愛いらしい顔を台無しにして仏頂面でため息を吐いていた。
『そんなに羨ましいなら、マナも二人と一緒に来ればよかったのに』
生まれたときからずっと一緒にいる見えない友達が、頭の中で茶化すように言ってくる。
『別に羨ましいわけではありません。微笑ましいと思っただけ』
『えっと、五歳の女の子がそう思うのもちょっと変だと思うけど。拗ねてないで素直になればいいのに……』
『拗ねてません。わたしは素直です。それにお父様とお母様がお忙しいのも理解しています。あともう六歳になりましたからね』
マナはそう答えて、澄まし顔でオレンジジュースをストローで啜る。
『じゃあ、何でお城を抜け出して、こんな所にいるの?』
『誰にでも休息は必要でしょう? 何よりマナー講座はもう飽き飽きです』
『ふーん。でも、お外は危ないよ。マナ可愛いから変な人に誘拐されちゃうかも』
『そうならないように、リリが動いてくれているのでしょう?』
マナは見えない友達のリリに確認する。
リリは別の街ですべての社会インフラを管理している人工知能だ。最近ではアーズル・ガーデンにも進出してきており、王宮のある街の中心部は彼女の管理下に入っていた。おそらく今も監視カメラで周囲を警戒しつつ、警備兵の巡回を調整してマナを守っているはずである。
『それはそうだけど。でも中央区から出てはダメだよ。わたしの目が届くのはまだそこまでだから』
『わかっています。それにそんなに心配しなくても、もう一人護衛はいるだろうし』
マナはそう言って自身の影を見つめる。
「フリュルル、どうせいるのでしょう?」
「……はい。ここに控えております。御身を守ることが私の役目ですので、どうかお許しを」
少し間があったが、影からそう告げる低い声が聞こえてきた。マナは「好きにしなさい」と言って一つため息を吐く。
フリュルルはこの街の環境を司る精霊の一人だ。本来、精霊の主人は魔女である母なのだが、彼とハーディというもう一人の精霊はマナに懐いており、自らマナの警護を買って出るような物好きだった。非常にありがたいことなのだが、二人とも過保護過ぎるところが少し難点である。
マナがこのような厳重な保護下にあるのは、彼女がこの街の女王の娘だからだ。つまり、立場的には王女ということになる。
ゆえに、最近は専ら帝王学やマナーを学ばされているのだが、マナはそれが退屈で仕方なかった。そして、ついに不満が爆発して今に至っていた。
『ねえ、リリ。わたしの捜索はどうなっているの?』
『えっ? してないよ。わたしが定期的に居場所を報告すればいいって』
『そう。呑気なものね。誘拐の偽装でもして、一度驚かせた方がいいかしら』
『それはわたしも怒られそうだからやめてね。そんなことより、女王がマナにお遣いを頼みたいって』
『お母様が?』
『うん。六歳になったのだから、そのくらいできるでしょう?だって』
『当たり前です。お母様、わたしのこと本当にわかっているのかしら』
マナはため息混じりに心でそう呟いて、口を尖らす。本人は気づいていないが、その仕草は母親とそっくりだった。
『それでどこへ行けばいいの?』
『とりあえず、この近くの公園に向かって』
『お遣いなのに公園なの?』
『うん。心の準備ができたら向かってね』
『仕方ないなぁ』
マナは面倒くさそうに立ち上がると、グラスを返却口の近くにいた店員に渡して店を出た。




