4話 白の魔女
夢で見た少女は、こちらに気づくと一度ニコッと笑って近づいて来る。
「こんにちは」
少女は目の前まで来ると小さく首を傾げてそう言った。
人見知りのユーリは、何とか軽く会釈をして返した。常日頃、挨拶はしっかりとしなさいと言われているが、どうも初対面だと慣れない。
「もしかして、ユーリ君?」
ユーリが頷くと少女は「そう」と微笑んで向かい側の席に腰をかけた。
「はじめまして。わたしはユイカ=アスタリア=シラユリ。一応、この街の主人です」
やはりなとユーリは思う。
幼い頃から叩き込まれたであろう品の良さが、細かい仕草にまで滲み出ている。それが高貴な身分の者が持つ特有の雰囲気として表れていた。
ただ威圧感や底知れぬ怖さは感じられなかった。魔女というよりは聖女という言葉が似合いそうな少女だと彼は思う。
「王女様が勝手に出歩いてていいの?」
宮中とはいえ無用心に思ったユーリは訊ねる。
「いいの。ご心配なく。それより、君はわたしが名乗っても畏まらないのね」
「その方がいい?」
「いいえ。気軽に話してくれた方がわたしも自然体でいられていいかも」
ユイカは嬉しそうにうんうんと何度も頷く。
「それで王女様が僕に何の用? 赤の魔女の名代はシュリだよ。難しい話は彼女としてね」
「うん。知ってる。今は君と普通に話をしてみたいだけ」
「僕と?」
ユイカは眉を寄せるユーリを見てクスッと笑った。
「昨夜、君がサボった夜会は、ちょっとしたお見合いの場でもあるのよ。招いた方の多くは、わたしとコネクションを持つためにうちの男性は魅力的ですよ、お婿さんにどうですか? といった感じで夜会に送り出しているの」
ユイカの話を聞いたユーリは、うーんと唸る。夜会にそういった趣旨が含まれているのは理解していたが、ただの付き添いである自分が対象に含まれているとは考えもしなかったからだ。
「僕はシュリの付き添いで来ただけだし、レイナもそんな意図を持って送り出してないと思うよ。それに自分で言うのもなんだけど不良債権みたいなものだし、時間の無駄になるだけだよ」
「そんなことないわ。君が必要かどうか決めるのはわたしだもの。それに君はわたしに興味ない?」
ユイカは両腕を広げると、上目使いでこちらを見て少し顔を傾けて戯けてみせた。
そんなあざとい仕草をする彼女をユーリは品定めするように上から下へと眺める。
彼女に興味を持たない男がいるだろうか? 控え目に表現しても絶世の美女だ。勿論、若干物足りない部分もあるが、それも成長すれば将来的に改善されるかもしれない。
「それは遺伝的に希望薄かな」
ユーリの心を見透かしたように、突然、ユイカはため息混じりにそう呟いた。
当然、心を読まれたと思ったユーリは驚いた。
何らかの魔法だろうか? しかし、そんな兆候はまったくなかった。となると表情から読み取ったというのだろうか?
狐につままれたような顔するユーリを見て、ユイカはまたクスッと笑った。彼女は人指し指を立て子供にしつけするように言う。
「君の視線がわたしの胸元まで下がったとき、一瞬だけど表情が曇ったよ。女の子は自分に向けられる視線に敏感なんだから気をつけなさい」
つまり、コンプレックスゆえに働いた直感ということか。ユーリはそう解釈して思わず吹き出した。
「あっ! 笑ったね! 酷いんだから!」
ユイカは拗ねた子供のように口を尖らせた。
ユーリは慌てて苦笑いで誤魔化そうとする。それが余計にお気に召さなかったのか、彼女はさらにプンスカと怒りながら説教をし始めた。目が笑っていたのでふざけ半分なのがすぐにわかった。
それから彼女は途切れることなくしゃべり続けた。話題は彼女の趣味や普段の生活についての愚痴など、次々と移り変わっていった。
こういう場合の女性は、話の主導権を預けてこちらは黙って話を聞いていた方が無難だと、ユーリは身近な女性たちから学んでいる。だから彼女が話している間、彼はデザートを食べながら静かに耳を傾けていた。
しかし、彼女が今凝っている美容について語り始めたときだった。騒ぎ声が聞こえたのか、先程のメイド服の女性が奥から出てきた。彼女はユイカの存在を確認すると、少し驚いた表情を浮かべていた。
「ユイカ様?」
「あっ、まずい」
ユイカはバツが悪そうな顔をする。そして、急に立ち上がると、こちらに手を差し伸べてきた。
「行こう!」
「えっ?」
「いいから!」
ユイカの勢いに負けてユーリは左手を差し出す。彼女はその手を掴むと一目散に出口に向かって駆け出した。
最上階のホールから出る間際、「またお勉強から逃げ出したんですか!」という悲鳴に似た叫びが後ろから聞こえてきた。それに対し、ユイカは後ろを振り向き手を振って「ちょっと街で社会勉強してくるね!」と返していた。
面倒なことに巻き込まれたと感じたユーリは、螺旋階段を下りながら恐る恐る訊ねる。
「ねえ、本当に街に行くの? それって大丈夫なの?」
「えっ? 勿論、あとで叱られるよ。でも、ひと時とはいえ自由の代償としては安いものでしょ?」
リズミカルに階段を下っていたユイカは一度立ち止まると、肩を竦めてそう言った。まったく悪気のなさそうな彼女にユーリは余計に不安になる。
「でも、護衛とかつけないと」
「大丈夫、大丈夫。わたしには光の加護があるから」
「光の加護?」
「そうそう。わたしは白の魔女だよ。光がある限り、この街の【マナ】がわたしを守るんだから」
ユイカは胸元から首飾りを引っ張り出して見せた。
チェーンに金と銀の二つの指輪を通してあるシンプルな首飾りだ。おそらく身に付ける者を守護するような魔法具なのだろう。もしかしたら騎士に与えるという神器に似たようなものなのかもしれない。
「それにボディガードもいるしね」
ユイカは首飾りを服の中に戻すと、こちらを指差し言った。
「僕をあてにしないでよ。シュリの護衛というのは名目で、実際はシュリの方がずっと強いから」
「じゃあ、何かあったら、わたしが守ってあげるから。ほらほら、行くよ」
ユイカは強引にユーリの背中を押して促す。
(これは説得しようとしても無駄かな……)
よく知る世話焼きで強引な角の生えた女の子を思い浮かべて、ユーリは早々に抵抗することを諦めた。それにこんなに綺麗な娘からのデートのお誘いを断るのも勿体ない気がした。
「仕方ないなぁ。でも、あとで僕は何も悪くないって説明してよね。特にシュリに」
「うん。勿論。悪いようにはしないから安心して」
そう言って微笑むと、ユイカは再び階段を駆け下りて行く。
「運が悪いのか良いのか……」
ユーリは複雑な気持ちを独り吐露しながら彼女の後を追う。
これが後に彼の運命を大きく変える蒼穹の魔女との出逢いだった。