52話 太陽と月が結ばれるとき
先に動いたのは覇王。
黒の錫杖がこちらに向けられた瞬間、ユーリの周りのマナが活性化する。まさに今、この一帯の重力が支配されようとしていた。
ユーリは再び事象改変を引き起こそうとするマナを解放する。それに合わせて無数の青白い火花が彼の周りで散った。
だが、この対処をしている間に覇王自身が迫ってきていた。
ユーリは突き出された錫杖を紙一重で躱す。そこから薙ぎ払いがきたが、それは右手で受け止め、彼に働いている魔力を解き放つことで何とか防いだ。
「なるほど。貴様のその魔法は対象を一つに絞ることしかできないようだな」
覇王は距離をとりながらニヤッと笑う。二度目となると、彼は青白い炎に包まれても、慌てることはなかった。
(恐ろしい。この僅かな攻防で、そこに気づくなんて……)
圧倒的な戦闘経験の差。おそらく戦闘技術はシュリやリュートよりも遥か格上。運命の調停者にはまだ隠された特性があるとはいえ、時間を長引かせるだけこちらが不利になることは明確だ。早めに決着をつけるべきだろう。
問題は彼女をどう救うか。
この対抗魔法は、魔法に使用されているマナを解放することで魔法を打ち消している。したがって、身体強化のような持続的な魔法に対しては、一時的にしか効果がない。おそらく覇王を顕現させている術式も同じことになるはずだ。
(やはり術式自体を破壊するしかない)
ユーリはそう思って、右手にはめてある太陽の指輪に意識を向ける。
「何かを企んでいる顔だな。やるなら全力でくることだ。余は貴様を完全復活の上での最大の障害と見なした。例え千年姫を敵に回すことになったとしても、貴様は確実にここで始末する」
覇王は明確な殺気を放ってそう告げると、錫杖を軽く振ってその場から消えた。
正面のマナが急速に変化する。
おそらくこれは転移の兆し。
虚のレガリアはこの街の時空間を司る。となると、当然転移も可能なはずだ。
案の定、正面から突然覇王が現れる。
とてもじゃないが、対抗魔法で転移を打ち消す時間などなかった。
それならばと、ユーリは彼の腕を掴み、拘束することで一時的にすべての魔法の力を奪おうと考えた。
しかし、それを予期していたのか、覇王はもう一度錫杖を振って転移を試みようとする。
(転移なんてさせない)
二度目なので、今度はすぐに周囲のマナに意識を張り巡らせることができた。
だが、マナの変化を感知したユーリは驚く。
転移の対象がユーリ自身になっていたのだ。
虚を突かれたことにより、ユーリの対処は遅れることになる。
転移は成立し、いつの間にか美しい少女が目の間にいた。
そこで待ち受けていたのは錫杖による殴打。
ユーリは咄嗟に左手でガードを試みるが、鈍い音と共に左手は粉砕される。
(っ! 運命の調停者でさらに身体強化しているのに、それでも完全には対応できないのか……)
運命の調停者は人の意思に染まったマナを解放する。だが、それだけではない。その解放したマナを味方につけることができるのだ。
本来、それは単純な身体強化を遥かに凌ぐはずなのだが、相手が魔女となると話が別のようである。
「完全に仕留めたと思ったのだがな」
覇王は使い物にならなくなったユーリの左手を見ながら言う。
左手に深い傷を負わせたとはいえ、やはり魔力を全開放した自身の動きに対応できていることを不審に思っているようだ。
(まだだ。まだこの魔法の本質を知られるわけにはいかない)
味方にしたマナを使って左手を治療することもできたが、ユーリはそう考えて保留する。
「まあ、いい。何の能力を隠しているかわからんが、このまま終わらせた方が良さそうだ。あながち、すべての魔法を無効化するというのも虚栄の類いではないと思えてきたわ」
覇王はそう言って、虚のレガリアを投げ捨てる。
(えっ?)
予期せぬ行動に、ユーリは投げ捨てられた錫杖を目で追ってしまった。
美しい少女から目を離したのは、ほんの僅かな瞬間。しかし、それが致命的な油断となった。
その間に圧倒的な速さで迫った少女の左手が、ユーリの胸を貫いていた。
「今度こそ本当に終わりだ」
覇王は少女の声でそう囁く。
「……そうだね。これで決着をつけよう」
ユーリは右手で自身の胸を貫く少女の手を掴んだ。
燃える。
青白い炎がユーリの右手を通して少女に伝わり、広がっていく。
それは瞬く間に魔女の膨大な魔力にも飛び火した。
そして、滞りなく生み出される魔女の魔力が、次々と無垢の力となって解放されていく。
同時に粉砕されたユーリの左手が見る見るうちに癒やされていった。
「くっ!」
青白い炎に包まれた少女は、その場を離れようとするが、ユーリを突き刺した左手を抜くことができない。
ユーリは完治した左手を加えて両手で少女の左手を掴み、さらに胸の傷を運命の調停者により急速に再生することで、覇王の試みを阻止していた。
意識が飛びそうになる。
本来なら即死するような傷なのだから仕方ない。今はここまで縁がなかった根性というもので我慢するしかない。
(何とかこの指輪をはめるまでは……)
ユーリは虚ろな目で少女の姿をした覇王を睨む。
「くっ、貴様……」
青白い炎の中、少女の姿をした覇王は、右手を額に当て、美しい顔を歪ませる。呼吸も荒くなっていた。
魂の融合、いや、覇王のコピーを顕現させている術式。そこに供給されている魔力が枯渇しはじめたのだろう。
次第に少女の呼吸は落ち着いてくる。すると、彼女は少し籠もった声をあげながら、ゆっくりと目を開けた。その表情はとても和らいだものだった。
「えっ? ユーリ君?」
少女は目の前の惨状を見て困惑した顔をする。目覚めていきなり、こんな状況に遭遇したのなら当然の反応だろう。
そんな戸惑う彼女を見て、ほんの数時間ぶりなのに、何だかとても懐かしく感じた。
(でもまだ。まだ一時的に彼女の意識が表に出ただけ)
ユーリは朦朧とした意識で、彼女の左手を胸から引き抜く。そして、血塗れの薬指に太陽の指輪を通すと、彼女に抱きついてLリンクスの飛行魔法を共有状態にした。
彼は彼女の肩に顎を乗せて耳元で告げる。
「今から間の抜けた天使が君を迎えに行くから待ってて」




