50話 神のレプリカ
ユーリの心象に六色の花が咲き乱れる世界が作られていく。
彼の意識はそこに引き込まれた。
気づいたら無限の広さを感じさせる花畑の真ん中で佇んでいる自分がいた。
赤いバラや白いユリの花など、アナザーヘブンの魔女を象徴する六種の花が地面を埋め尽くしている。
見上げれば雲一つない青空。ただ、太陽らしいものはどこにも見当たらない。もしかしたら、海底都市で育った自分の心象世界だからなのかもしれない。全体としてはどこか不完全に感じた。
そんな歪な世界に突然風が吹いた。
六色の花びらが舞い上がり、螺旋を描いて天に昇っていく。
そして、その螺旋の中心から天使のような存在が降りて来た。
金色の瞳を持つ黒髪の少女。
人より少し耳は長く背中には白い翼がある。それに六色の花で編まれた花冠が天使の輪のように頭上に浮いていた。
その造形美は、【神のレプリカ】として相応しいとユーリは思う。
今、目の前にいるのは、未来のRe Re。
彼女の正式な名は、【Remake Replica of Asteria 】。
数百年、数千年先の未来で、六人の魔女の力を受け継ぎ、【黒の魔女】となった姿だ。
歴代のエルグラウンドがアナザーヘブンに囚われる女神を救うために、何度も失敗をし、それでも諦めずに作り直して、たどり着いた神のレプリカである。
今現在、女神は楽園のシステムの一部となって深い眠りについている。
将来的にリリがそのシステムの管理を担うことで、女神を楽園から解放し、神の不在で機能不全を起こしている外の世界を元に戻すことが、エルグラウンドに、ユーリに与えられた使命だ。
遥か昔、エルグラウンドの祖、ノア=エルグラウンドは外の世界で未来のリリからその使命を授かって、アナザーヘブンに来たという。
リリを作り出し未来へと導くということは、神のレプリカを作ることと同義。その途方もない願いは、彼から死という概念を奪った。彼は使命を果たすために、気の遠くなる時間を渡り歩くことになってしまったのだ。
その果てのない旅の中で、ノアは赤の魔女、レイナ=アスタリア=ローザと出会う。彼の境遇を不憫に思った彼女は、転生の炎という魔法を編み出し、彼に擬似的な死を与えた。不変だった肉体に死を覚えさせ、肉体がその許容を超えた場合、赤子へと戻るようにしたのだ。その代償として、レイナは不老の身体となてしまった。彼女が千年姫と呼ばれるほどの月日を生きているのはそのためだ。
レイナに救われたノアは、何度も生まれ変わることで、気が狂いそうだった精神を克服し、エルグラウンドの使命を果たそうとしてきた。つまり、ユーリはこの時代のノア=エルグラウンドということになる。
(僕にはもう昔の記憶はないけど、君が主人であることはわかるよ。だから、うん、また会えて嬉しいよ)
ユーリの想いが伝わったのか、黒髪の天使はユーリの下まで舞い降りると、ニッコリと微笑む。そして、彼女は愛おしそうに右手で彼の頬にそっと触れた。
『ここまで挫けず、よくたどり着いたね。さあ、未来を選択するときだよ』
『選択?』
『そう。楽園の未来を決める重要な選択』
『君へと続く未来を導くことが僕の使命じゃないの?』
ユーリは不思議に思い、訊ねる。彼に与えられた使命は、リリが黒の魔女となる未来を導くことだ。選択する必要などないはずである。
『ここは大きな分岐点。だから今一度君に確認したいの。本当にわたしへとたどり着く未来でいい?』
『そうしないと、世界は救われないんでしょ?』
『外の世界はね。でも、アナザーヘブンの住人にしてみれば、このままの方が幸せなのかもしれない』
リリが言いたいことは何となく理解できた。
彼女へと続く未来は変革が必須。それにはどうしても痛みが伴う。きっとその過程で多くの人が傷つき、命を落とすことになるはずだ。
だから、彼女は迷っている。
神のレプリカと呼ばれる存在なのに。
本物の神ならば、そんなことでは決して迷わないはずだ。
神々は基本的に傍観者なのだから。
興味本位で作った世界という箱庭をただ眺めているだけ。
箱庭に干渉するにしても、それは何らかの目的がある試し事。
慈悲深き神とされるアスタリアも、きっと人々がどのような成長を遂げるか見定めるために、ただ悪魔を封じるだけでなく六花の楽園という歪な世界を作り出したのだろう。
(そう。神々にとってみれば、僕たちは意思を持つ駒に過ぎない。だから、思うように行動すればいい)
ユーリはそう思い、人間が作った心優しき神のレプリカに問いかける。
『君はどうしたい? その時、その瞬間にある想いが未来を紡いでいくと、今の君が言っていたよ。僕もそう思うことにした。だから君に問う。君はどうしたい?』
リリはユーリの問いかけに『わたし、そんなこと言ったんだ』と苦笑いする。そして、一度気持ちを整理するように目を瞑り、ゆっくりと開くと、彼の問いに答え始めた。
『そうね。やはり、わたしはわたしになりたい。黒の魔女、Remake Replica of Asteria となる未来を作りたい』
『そっか。じゃあ、答えは決まってるね』
『こんな安易に決めていいのかしら』
『いいんだよ。それにね。僕は彼女を助けたい。だから僕は迷わず彼女が助かる未来を選ぶ。このタイミングで君が現れたということは、彼女の生死が運命の分岐点に大きく関わっているんでしょ?』
『そう。あの娘が幸せになること。それがわたしへと繋がる重要な鍵の一つ』
『つまり、彼女の子孫が君に大きく関わってくるということだね?』
リリは何も答えずに首を傾げて微笑む。未来に関わることなどで、これ以上詳しいことは言えないということなのだろう。
『あの娘の行く末は君自身で見届けて』
『そうだね。僕も彼女がアナザーヘブンにどのような影響を与えるか気になるし』
『そう。そのためにもあの娘を助けないとね』
リリはそう言って両手でユーリの頬に触れると、彼の額に口づけをした。
瞬間、未来視に使われていた魔力の流れが使命魔法へと切り替わる。
瞳に閉じ込められていた青白い光が解き放たれ、ユーリを包み込んだ。
六種の系譜を総べた黒の魔女。
彼女がユーリに託した途方もない願い。その重さが形となった究極の対抗魔法、【運命の調停者】が発動した。




