41話 二つの神器
黒い雨雲の切間から射し込む月明かりが、この街の主人を照らしていた。
金色の髪が夜風でなびいている。魔力を帯びた碧い瞳はサファイアのような輝きを放っていた。凛とした佇まいで月明かりを浴びるその姿は神々しく、相変わらずため息の出るような美しさだった。
外見だけならばリュートがよく知る幼馴染だ。
だが、明らかに雰囲気が違う。隙のない姿勢、相手を圧する威厳のようなもの。それに完璧に近い魔力の制御。これらはユイカ=アスタリア=シラユリにはなかったものだ。
何より恐ろしく静かに感じた。
何が静かと問われるとうまく説明できないが、言葉を交わすにしても、一戦交えたとしても、何をしても相手にいなされる気がする。物音を立てても、すぐに静寂に戻されるような、そんな印象を受けた。
「さて、余はお前に助けて貰った礼を言うべきか、それとも獲物を横取りしたことを叱責すべきか。迷うとこではあるな」
ユイカ、いや、彼女の皮を被った何かは言った。
「どちらも必要ないさ。守ったのはあんたの身体の方だし、叱られるのは頭お花畑の主人からだけで十分だ」
「そうか」
少女の皮を被った何かは、一言そう答えて、フッと笑った。
そんな彼女にリュートは訊ねる。
「なあ、一応確認したいんだが、あんたは伝承で謳われる覇王なのか?」
「いかにも。余がギルガ=アスタリア=リリアスだ。余に仕えたいのならば歓迎するぞ?」
「いや、いい。オレの主人は一人だけだ。それにオレは男に仕える気はないしな」
リュートは覇王相手でも畏まることなく、肩を竦めて答えた。
覇王は彼の無礼な振る舞いにも気分を悪くした様子はなく、むしろその忠義に感心しているようだった。
「そいつを返してくれと言っても無駄か?」
「そうだな。それは余の死を意味するからな。聞けぬ願いだ」
「そうか。じゃあ、奪い返すしかないな」
リュートはそう言って白銀の槍を構えた。
刃を向けられた覇王は、理解できないといった顔をした。
「ふむ。一つ訊ねるが、どうやって奪い返すつもりだ? 余を殺すということは姪を殺すことと同義だぞ」
「魂の融合だっけ? それさえ解除すればいいんだろ?」
「確かにそうだが、お前にそれができるとは思えぬ。余を除いてこれを解除できるとすれば、白の系譜の花冠くらいだろう。それも第三超越魔法を扱えるほど、研磨を積み重ねた者だけだ。リッカの血筋が途絶えかけている今、この街にそんな者おるまい」
「それならいるじゃねえか。あんたの中に」
リュートは自信満々にそう告げたが、覇王は一瞬顔を顰めてから鼻で笑った。
「残念だが姪は意識の深いところで微睡んでいる。内側から何かすることなど決してない」
「じゃあ、外側からぶっ叩いて目覚めさせるしかねぇな!」
リュートはそう叫ぶと同時に間合いを詰めた。
狙いは黒の錫杖。リュートはそれを銀の短槍で弾き飛ばそうとする。
距離をとられた場合、虚のレガリアは非常に厄介だ。何も抵抗することもできずに地面に這いつくばることになる。相手の承諾もなく、先手をとったのは、この初撃でそれを何とかしてしまいたかったからだ。
しかし、その狙いは外れることになる。渾身の力を込めた一撃は、片手で持った杖で難なく受け止められてしまったのだ。
(なっ! そんな細い腕でどうやって!)
想定外のことに驚愕するリュート。
よく見ると、槍と杖は接触していなかった。刃は杖から数センチのところで見えない力で弾かれていた。
(杖の先端部に斥力を作り出しているのか)
リュートは舌打ちをしながら、今度は杖の下の方を強く叩きつけるが、それも同じように瞬間的に作り出した斥力で防がれてしまう。諦めずにそこから何度も形を変えて錫杖を狙うが、すべてうまく捌かれてしまった。
覇王は終始笑みを崩さず、まるでじゃれつく小動物を愛でているようにリュートをあしらっていた。覇王からしたら若者に稽古をつけているようなものなのだろう。
「くそ! これならどうだ!」
リュートは短槍を振りかざし、突風を巻き起こす。覇王が体勢を崩したところを狙うつもりだった。
だが、覇王は風に煽られることなく、むしろその風に乗ってさらに上空へと駆け上っていった。
離れるのはまずい。そう思ったリュートは急いで後を追いかけた。
それを見た覇王の口元が微かに緩む。
彼は左手で雷の槍を作り出して、それを雷撃として放ってきた。
リュートは雷撃を短槍で弾くが、立ち止まってしまったことで相手との距離が開いてしまう。
黒い錫杖がこちらに向けられた。
その瞬間、身体が重くなり、見えない力で上から押しつけられる。
リュートはその力に抗うことができず、そのまま真っ直ぐに落ちて地面に叩きつけられた。
何とか風を利用して衝撃を和らげたが、それでも全身に鈍い痛みが走った。
リュートはすぐに態勢を整えようとする。
だが、すでに重力の支配から解放されていることに気づき、それが逆に彼を不安にさせた。
嫌な予感がした彼は、片膝をついたままキッと空を睨んだ。
すると、無数の光の矢が降り注いできていた。
リュートはそれらを短槍で弾きながら、何とかその攻撃をやり過ごす。
すぐに次の攻撃に備えたが、覇王は何もせずにゆっくりと地表近くまで降りてきた。
「まだまだだな。素質は目を見張るものがあるが、生温い日常のせいか活かしきれてない」
「それは平和な時代をシラユリが作ってきたってことだろ。もうあんたの時代は終わったんだ。新しい世代に譲れよ」
「ずいぶんとシラユリに心酔しているのだな。そこまで姪が大事か?」
「ああ。そいつの母親との約束だからな。そいつを不幸にする奴は誰であろうと必ず排除してみせる」
リュートはもう一度飛び上がって虚のレガリアを狙う。
ユイカを目覚めさせるにしても、これから応援が来て眠らすことになるとしても、あの錫杖だけは無効化しておく必要がある。そう考えるリュートは苦渋の決断をする。
(許せよ。ユイカ)
リュートは錫杖ではなく、それを持つ右手を狙った。彼女を傷つけたくなかったが、もう迷ってる余裕はなかった。
不意をつかれたからか、覇王は動かず何も対応しようとしなかった。ただじっとこちらを見つめていた。
しかし、間合いに入ったと同時に金と銀の光の糸が覇王を包み込みはじめた。
(まさか!)
リュートはそれが自身の知る結界魔法であってほしくないと願ったが、現実は無情だった。
二種の光は白い光の衣となって覇王を覆う。
振り下ろされた刃は、その衣に弾かれた。
この魔法の性質を知るリュートは、絶望が過ぎり一瞬硬直した。
その隙を覇王は見逃さなかった。錫杖で斥力を生み出し、リュートを弾き飛ばす。
体勢を崩したリュートは、何も抵抗できずにもの凄い勢いで大地を転がっていく。
今度は風で衝撃を和らげる余裕もなかった。
何度も地面に打ち付けられては跳ねて、ようやく一キロ近く飛ばされた地点で大きな木に当たって止まった。
全身が悲鳴をあげていた。至る所を骨折しているようで身体が自由に動かなかった。それに内臓にも損傷があるのか、喉から血が込み上げてきた。
(あれでは物理攻撃も魔法も届かない。こんなもんどうすれば……)
薄れる意識の中で、リュートはただただ絶望する。無力な自分に腹が立ち泣きたくもなった。
そんなときだった。「大丈夫?」と心配する声が聞こえたのは。
リュートは重い瞼を開ける。
ぼやけた視界の先には黒髪の少女の姿があった。




