39話 黒銀の悪魔
アランが穢れたマナを吸収した直後、覇王はリズを抱きかかえ、吹き抜けの天井を抜けて遥か上空まで飛んでいた。
このとき、彼は空で佇みながら約八百年ぶりの空の街に目を奪われていた。
相変わらずの美しい街並を街明かりが照らし出している。昔はここまでの光源はなかった。外灯だけでなく当たり前のように民家からも光が漏れ出しているのは生活が向上している証だ。
それに河川が整備され都市運河もできている。そこには所々に見慣れない船が停泊していた。都市運河の作りからして、住人の足として活用されているのだろう。
目覚ましい発展を遂げているわけではないが、それでも八百年あまりの月日を着実に前に向かって歩んできたことが見てとれた。
(皮肉なものだ。当時は余の亡き後、街は衰退する一方だと疑わなかったのだがな。どうやら人が作る社会とやらは、誰が欠けてもうまく代謝するようにできているらしい)
覇王はそんなことを考え、「フッ」と笑ってから視線を真下に向けた。
眼下にあるのはドーム型の建物。天罰への変貌がもたらした一瞬の大嵐で建物の中心部は倒壊し、爆撃に遭ったかのように瓦礫の山となっていた。倒壊を免れた外周部からは生存者が蜘蛛の巣を散らすように逃げているが、瓦礫に埋もれた人々の生存は粉塵に紛れて所々火の手も上がっているので絶望的だろう。
(この娘を置いてこなくて正解だったな)
覇王がそんなことを思って腕の中で眠る少女を見ていると、積み上がっていた瓦礫が吹き飛び、そこから人型の魔物が出てきた。
人型の姿をしているが、髪と顎髭が触手のように動いており、顔はどことなく軟体動物を彷彿とさせた。
色のベースは黒。ただ頭部と両手の鉤爪、それに膝下は銀色で金属のような光沢を放っていた。
体長はおそらく三メートル前後。天罰としては超小型の部類だが、内蔵する魔力の量は覇王が知る天罰の中でも抜けていた。
「お前は結局願いを口にしなかったが、おそらく後始末を頼むということなのだろうな。いいだろう。余の手で送ってやるとしよう。グラビィ来い!」
覇王が精霊の名を呼ぶと、扉の形をした魔法陣が前方に展開して、黒装束に身を包んだ少年がそこから飛び出してきた。
現れた少年は、黒一色の装いからまるで死神のように見えた。また目元を黒い布で覆っており、自ら視覚を封じているなど、異様な雰囲気を漂わせている。何より肌の色が深く渋い青色であり、人ならざる存在であることがそこからも窺えた。
覇王が呼び出したのは、この街の時空間を司る精霊、グラビィ。
生きた戒律と呼ばれる彼らは、神器の持ち主と心を通わせて、物事の正否を決める。ゆえに、時と場合によっては魔女の敵に回る場合もある。実際、それは八百年前に覇王自身が体験したことである。
したがって、覇王はユイカの記憶から【虚のレガリア】の使い手が現在不在であることを確認し、何者の影響も受けていないグラビィを呼び出すことにしたのだ。
「久しいな、グラビィ。息災か?」
覇王が再会を懐かしむように問いかけると、グラビィは軽く頷いて答えた。そして、彼は天罰を指差して片言の言葉で訊ねてくる。
「あれ。しまつ。する?」
「いや、あれはこの身体の試しついでに余が始末することにした。お前を呼んだのは、虚のレガリアを貸して貰いたかったからだ。可能か?」
グラビィは再び頷くと、両の手のひらを上に向けて、そこに黒い錫杖を呼び寄せた。
「もう一つ頼みたいのだが、この娘を宮中の安全な場所に転移させることは可能か?」
覇王が錫杖を受け取る前に確認すると、腕の中にいた少女がスッと消えた。この街の空間を司るグラビィにとって、この程度のことは容易いことなのだろう。
「すまない。では、その錫杖を拝借する」
覇王が礼を言って、グラビィから錫杖を受け取る。
久々に神器を手にしたが、以前よりしっくりくるような気がした。やはり魔女の力は、女性の身体の方が合うようである。
「がんばって」
グラビィはまた片言の言葉でそう告げると、そのままスッと姿を消した。
「フッ。信用の裏返しなのかもしれないが、もう少し主人を心配してほしいものだな」
早々に帰ってしまったグラビィに、覇王は少し呆れて笑ってしまう。だが、すぐに気持ちを切り替えて天罰に目を向けた。
天罰はじっとこちらを見据えていた。普通の天罰ならば破壊衝動に身を任せて、出現した時点で暴れているはずである。人の知性がどこまで影響しているのかわからないが、天罰としての力を完全に引き出せるのならば人間にとって大きな脅威となるだろう。
「まあ、余にしてみれば何ら変わらないがな。来るがよい」
まるで覇王のその言葉に応じるように、天罰は突然咆哮をあげた。
その猛りが合図となって火の粉のような赤いマナが天罰を中心に舞い始める。その範囲は直径一キロにも及んだ。
そして、天罰は生成した大量の魔力を両手に呼び込み天にかざすと、巨大な魔法陣をその前方に展開させた。
やがてその魔法陣もガラスのように砕けて、白い光で形成された火砲のようなものがそこに出現した。
その標的となっているのは、勿論上空にいる覇王。だが、彼は何もせずに天罰が成すことをただ見守っていた。
(ほう。火砲を生成し、それを魔法の起点にするつもりか。まるで人間が編み出したかのような魔法だな。天罰が扱う魔法とはとても思えん)
覇王がそんなことを思いながら悠長に感心していると、火砲から赤い閃光が放射され、天へと昇った。
それは瞬く間に覇王を捉えて上空で大規模な爆発を引き起こす。
爆音とともに生み出された衝撃波で空の街が再び大きく揺れた。
爆風は周囲の木々を薙ぎ倒し、近辺の建物に甚大な被害を与えていく。
第三超越魔法に分類される攻撃魔法と遜色ない威力と規模。仮に街をターゲットにしていたのなら、中央区の半分近くは吹き飛んでいただろう。
そんなものをまともに受けてしまったのならば、普通は一溜りもない。
しかし、今爆心地にいるのは例外中の例外。
楽園の支配者たる魔女の一人だ。
彼、いや、側から見れば美しい少女。
少女は爆炎の中で白い光の衣に包まれ、優雅に微笑んでいた。
あまりに異様なその姿は、戯れる天使ようにも狡猾な悪魔ようにも見えた。




