36話 今ある想い
空の街が何かに怯えるように震えたのは、ちょうどサズからユイカの出生の秘密を聞き終わったときだった。
肌を刺すような空気の振動。建物は小刻みに揺れている。窓が軋むその嫌な音はなかなか止まらない。まるで何かの凶兆を示しているようで、焦燥を駆り立てるようなそんな怖さがあった。
窓の外に目をやると、遠方に天まで昇る白い光の柱が見えた。あれほどの膨大な魔力を解放できるのは魔女以外ありえない。この振動といい、彼女に何かが起きたとみて間違いないだろう。
「これは至急全騎士を召集しなければなりませんね」
サズは険しい表情でそう呟いた。そんな彼にユーリはこれからの方針を訊ねる。
「どうするつもりなの?」
「まず現状確認と戴冠式に招待したお客様の安全を確保するつもりです。そのあとに、もし最悪の状況ならば住人を避難させつつ姫を再び眠らすための作戦を決行します」
「眠らすというのは氷の砂時計を使うってことでいいのかな?」
「ご存じでしたか。いや、エルグラウンドの名を引き継いでいるのですから、当然でしょうか」
氷の砂時計とは対象者の時間を凍らせる魔法具の名前だ。アーティファクトの一つである。人の時間を凍らせるなど、青の魔女かそのアーティファクトでなければ不可能だ。ここがアーズル・ガーデンということを考慮すると、選択肢は後者しかない。
「彼女の時間を止めたとして、精霊は機能し続けるの?」
「それは問題ないでしょう。あれは自律型の魔法ですから、姫が死なない限り発動し続けます」
「そっか。彼女は最悪の状況に対して手段を残していたからこそ、決着をつけにいったんだね」
「個人的には何とか助けてあげたいのですが、街の存続を最優先に動くしかありません。ユーリ様も安全な場所へ避難をお願いします。案内させますので」
ユーリはサズの申し出に頷きつつも、光の柱を見つめながら考える。
自分はどうすべきか?
自分が今この場所にいるのが偶然か必然か?
この騒動が彼女に与えられた使命に関係しているのか?
ユイカ=アスタリア=シラユリが彼女に辿り着く未来に必要なのか?
『ユーリはどうしたいの?』
ユーリが自問を繰り返していると、突然リリが問いかけてきた。どうやら、こちらに気づかれないように術式を改良して密かにリンクさせていたようだ。そんな抜け目ないリリは、続けて言う。
『結局、未来なんて誰にもわからないでしょ。その時、その瞬間にある想いが人々を動かして未来を紡いでいくんじゃないの?』
『それは綺麗事。社会はもっと複雑な思念が交錯していて、時に突然変異のような情報が混じって今という時間を作っている』
『でも、そんな思惑も突然変異も紐解いてみれば想いのサブセットだったりして』
『突然変異も?』
『現状から逃げ出したい、もしくは打開したいという世界の嘆きや願いなのかも』
『何それ。てか、言ってることが詩的で人工知能ぽくない……』
『だって、遠い未来、わたしは魔女になるんでしょ? それなら、できるだけ人間に近づかないと』
『まだそういう未来もあるってだけだよ。まあ、いいや。ここはリリのアドバイスに従ってみるかな』
『行くのね。余計なことしたかなぁ。でも、妬けるという感情を学べたからいっか』
リリはそう言ってクスクスと笑い出した。何となくその姿を連想したら、この街の魔女の姿と重なった。
「迎えに行ってくるよ」
ユーリは振り向き、笑ってサズに告げる。彼は急に発せられた言葉に驚いていた。
「迎えって、姫をですか?」
「うん。あと数日は僕のフィアンセだしね。女の子の身体を乗っ取ろうとする変態にはあげない」
「ですが……」
サズは言い淀む。宰相の立場と彼個人の立場で揺れているのだろう。彼なら彼女を救える可能性があるのは、エルグラウンドの名を持つ自分だけだと気づいているはずだ。
「大丈夫。僕にもしものことがあっても、レイナが問題にすることはないよ。彼女は必ず僕の決断を尊重する」
「しかし……」
「彼女を助けたいんでしょ? 多分、魂の融合とやらを解除できるとしたら僕だけだよ」
「そうかもしれませんが、あなたを失うことはアナザーヘブンにおいて損失が大き過ぎます」
「それは彼女も同じだよ。きっと彼女は覇王なんかよりもよい王になる。この街に新しい風を吹き込み、大きな変革をもたらすはずだ」
ユーリはそこまで言って部屋の出口に向かう。そして、扉の取っ手を掴んだところで、もう一度振り返って言葉を付け足す。
「何より僕がね。彼女が作る未来を見たいんだ」
その言葉を聞いたサズは目を見開くと、姿勢を正して深々と頭を下げた。彼は声を震わせて言う。
「ユーリ様。姫を、いえ、女王をよろしくお願いします」




