35話 狂った研究者②
「思い通りにはさせないですか。残念ですが、もうあなたがそこに転移した時点で我々の勝利は確定しているんですよ」
アランが両手を広げてそう宣言すると、けたたましい機械音とともにオブジェの中にあるマナマテリアルが強い緑色の光を放ちはじめた。
(何これ。嘘。こんな容量のマナマテリアルが存在するなんて。それに何て禍々しいの)
禍々しいマナが祭壇の装置に行き渡っていく。
床に描かれた神与文字が白く輝きはじめていた。
いつの間にか石柱の天辺にある灯籠にも青い炎が灯っている。
地面だけでなく空気も震えていた。
魂の融合を起動させる術式が発動しようとしているのだ。
「ユイカ様……」
リズが心配そうにこちらを見る。
「大丈夫よ。わたしには、取って置きがあるんだから」
ユイカは彼女を安心させるようにそう言うと、胸元で手を組む。そして、そのまま祈りの姿勢をとった。
(体内の魔力がこの術式に共鳴して増幅している。でもちょうどいいや)
イメージ。
月は見えざる力を象徴。
太陽は世界に定着した存在を象徴。
求めるのは、その二つを遮断する堅守の盾。
それは太陽と月の光が守護する障壁のように、あらゆる災いを遠ざける。
ユイカが星彩のレガリアを参考にして作り上げた絶対障壁のイメージ。
それを実現するために世界の言葉が紡がれていく。
「白の系譜、双光の衣」
ユイカが魔法名を口にすると、彼女の身体を金と銀の光の糸が絡み合うようにして覆い始める。やがて、その二つの糸が編み込まれて合わさると眩い白い光が彼女を包み込んだ。
これは星彩のレガリアを手放したときのために、ユイカが幼少の頃から修練を続けて編み出した魔法だ。あらゆる魔法と物理攻撃を遮断する光の衣である。
星彩のレガリアのような万能の防御壁ではないが、それでも第三超越魔法に分類されてもおかしくない結界魔法となっている。
したがって、この大規模な術式もこの衣を纏っている限り、ユイカに干渉することは不可能なはずだ。現に、今のところ魂の融合が発動する気配はなかった。
(あとはリュートの到着を待てばいい。術式に利用されているこの禍々しい巨大なマナを彼が感知できないはずがない)
「そんな隠し球を持っていたとは驚きました」
アランは感心した様子で顎髭を撫でていた。
彼は待ち望んでいた実験が頓挫しかけているはずなのに妙に落ち着いていた。
まだ何か秘策があるのだろうかとユイカは考えたが、今は自分を、そしてこの結界魔法を信じるしかないと自身に言い聞かせて、込み上げてくる不安を振り払う。
アランはそんな彼女を値踏みするように見てニヤリと笑た。
「あなたが祈りの姿勢を保ったままということは、ずいぶんと魔力の制御が難しい魔法なのでしょうね。相当維持が大変なのでは?」
「……そうね。でも、助けを待つ時間くらいなら余裕よ」
「そうですか。では、これならどうでしょう? 優しい優しいあなたが彼女を見捨てることなどできますかね」
そう言って、アランは取っ手の付いた筒のような物を白衣から取り出した。
筒といっても一方の端はとても細かった。もう一方の端にはマナマテリアルが取り付けられている。
(あれは魔晄銃)
魔晄銃はマナを動力として弾丸を打ち出す魔法具だ。対天罰用の魔法具であり、発砲の際にマナの輝きを放つことから、そう名がつけられている。
アランはその銃口をユイカではなくリズに向けた。
「やめなさい! 彼女は何も関係ないでしょ!」
ユイカは慌てて叫ぶが、アランは躊躇することなく引き金に指をかける。
(ほんの少し動けばリズの盾になることができる。でも、この魔法を維持できるか……)
ユイカは背後で震えているリズを見ながら歯を噛みしめる。
そんな彼女を嘲笑うように銃声が鳴り響いた。
耳元で風を切る音がする。
気づいたらリズが蹲っている側の床が抉れていて、跳弾が彼女の右腕を掠めていた。
(迷っている暇はない!)
ユイカは意を決して背中を向き、リズの盾になるように両手を広げて身を屈めた。
再び銃声が鳴り響く。
今度は、リズを狙ったその銃弾は光の衣に当たり砕け散った。
しかし、やはり咄嗟に動いたせいで魔力の制御が不安定になる。
僅かに光の衣が揺らぎはじめた。
(まだ間に合う。コントロールを!)
ユイカは必死に魔力を安定させようとする。
そんなところに三度目の銃声が鳴った。
銃弾は揺らぐ光に当たり弾かれる。
二発目のように銃弾が砕けなかったのは、光の衣が弱まっている証拠だった。
(ダメ! 保てない!)
そう思ったとき四発目の銃声が鳴った。
狂気がこもった銃弾は、徐々に小さくなっていく光を掠めてリズの胸部を貫いた
(しまっ!)
リズの胸元で赤い花が咲いたように見えた。
目の前で飛び散る赤い雫は、風に舞う花弁のようで彼女は美しいと思った。
しかし、それは幻想。
今、一つの命が終わろうとしていることから逃避するために自身が見せた一瞬の幻。
ごほっと吐血するリズを見て現実に引き戻される。
(いや……)
彼女が現実を受け入れたとき、光の衣が弾けて完全に消えた。
「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
祭壇で展開していた術式が起動した。




