32話 時計台にて①
セレスティアル宮殿の正門へと繋がる目抜き通り。その通り沿いにある時計台の屋上にユイカとリズはいた。
正門から南に約一キロの地点。おそらく後宮からだと二キロ弱になるはずだ。ユーリが攫われたときはその倍飛ばされたらしいが、今回使用されたのは一般的な転移の宝玉のようだ。
となると、ここは目的地までの中経地点とみて間違いないだろう。おそらくもう一度どこかに移動することになるはずだ。
ユイカはそう推測しながら前方を見据えた。
目の前には階級の高い兵服を着た男が立っている。三十歳前後の精悍な顔つきをした男だ。それはよく見知った顔だった。
まず、その男が口を開いた。
「お待ちしておりました」
「あなただったのね。こんな愚かなことをしたのは」
ユイカは軽蔑の混じった眼差しで言う。
そこにいたのは、風の騎士団副団長、ジーグ=ロンギングだった。
先日、ユーリが攫われた際に指揮をとっていた人物だ。確か儀式の際の警備も彼が責任者として任されていたはずだ。
礼拝堂の事件についてサズから調査報告を受けたとき、もしかしたら礼拝堂に仕掛けをした者が、騎士団に紛れ混んでいるかもしれないと言っていたが、まさかそれが人望も厚く騎士候補によく名を連ねるジーグとは思いもしなかった。
(動揺してはダメ。リズの命がかかってる)
ユイカは揺れる心を自身で戒める。
リズに与えられた条件は手紙に書かれていた。
一つは束縛の首輪への干渉不可。もう一つが手紙の内容をユイカ以外に知らせないこと。最後は星彩のレガリアをはずした状態で、ユイカを指定された場所に連れてくることだ。
さらに日付が変わる前までに達成できなかった場合、リズの家族の命はないとも書いてあった。二重に人質をとったこのやりかたは、まさに外道といえる。
「目的は達成したでしょ。リズを解放しなさい」
ユイカは強い口調で言う。感情の高まりで身体から白い魔力が漏れ出していた。
「まだです。これであなたを目的地に届けてからです」
ジーグは右手に持った青い球をこちらに見せてくる。やはりここは中経地点に過ぎないようだ。
「では、せめてリズに仕掛けた首輪をはずしなさい。転移するだけなのだから、それでも構わないでしょう?」
「この状況でまだ命令口調ですか。立場をわかっているのですか?」
ジーグは鼻を鳴らし、小馬鹿にするように言う。
「あなたこそわかっているの? あなたの目の前にいるのは、アナザーヘブンの魔女の一人なのよ? 何故、あなたのような矮小な人間に下手に出ないといけないの?」
ユイカが怒気を含んだ言葉をジーグに浴びせると、それに合わせて漏れ出した白い魔力がまるで冬の嵐のように周囲を呑み込んだ。その様子を見たジーグは一瞬怯むような表情を見せた。
魔女であるユイカが扱える魔法は三種。
固有魔法と属性魔法、そして神域魔法だ。
現状、この中でユイカに扱えるのは、属性魔法の一部だけである。
神域魔法である生きた戒律は、精霊の召喚というかたちで扱うことができるが、魔女になったばかりのユイカはまだ精霊との結びつきが弱く、とても召喚できるレベルに至っていない。
固有魔法においては、そもそもまだ発現していない状態だ。専門家の話によると、その生い立ちのせいで自己否定が強いため、種となる願いを心にを蒔いていないからだろうということだった。
したがって、星彩のレガリアを持たない今、身を守る術は属性魔法しかない。その属性魔法もユイカが危うい存在ということで、攻撃系統の魔法を学ぶことを禁じられてきた。白の系譜、すなわち光の属性が補助や防御に優れているとはいえ、敵を排除できないのであれば、この状況を打開することは困難だ。
ただ、それでも魔女であるユイカの魔力は圧倒的な量だ。それを扱う技量は未熟かもしれないが、存在を誇示し相手を威圧するには十分な効果を持っていた。
「ま……まあ、そのくらいはいいでしょう」
ジーグはそう言って小さな鍵をユイカの足下に投げてくる。彼は平静を装っていたが、その表情にはまだ強張りが残っていた。
ユイカは鍵を拾うと、リズを一瞥する。彼女は頷いて恐る恐る後ろ髪を持ち上げると、そのまま背中を向いた。
少し心配だったが、何事もなく首輪は取り外すことができた。リズからも安堵の息が漏れていた。
「一応確認したいのだけど、あなたの目的は何? 星彩のレガリアを外させて、わたしを連れ出したということは、叔父様の復活が目的なんでしょう? でも、それであなたに何の利益があるのかしら?」
ユイカは念のため相手の目的を確認する。背後に控えている組織は、大方予想がつくが彼自身の目的がよくわからかった。
「利益? 面白いことを言いますね。あなたのような私利私欲で動く無能な魔女を排除することに、利益以外何があると言うんですか?」
「私利私欲? わたしが?」
ユイカには身に覚えがまったくなかった。内政も外交もまだ学んでいる段階なので、街の運営には何も関与していない状態だ。現状、母の方針を汲んでサズが動いているので、今の政策にはユイカの意思が入り込んでいないはずだが……。
「わかりませんか!? 騎士の選定ですよ。セイカ様を唆して、あんな若造を選ばさせるなんて!」
ジーグは困惑しているユイカに声を荒らげて言った。心に燻る憎悪が、魔女に対する恐怖を上回ったようだ。
「何を言ってるの? わたしがお母様を唆した?」
「そうでしょう? でなければ、もっと優秀な人材が選ばれていたはずです。そう。わたしのようなね。だからこそ、力を重んじた覇王の復活が必要なんですよぉ!」
「あなた、何を言っているの……」
ユイカは悦に浸り支離滅裂な発言をするジーグに戸惑う。だが、おおよその動機は理解できた。
根本にあるのはただの嫉妬だ。それがうまくいかない現実を捻じ曲げ、心を深い霧で覆って、自己肯定だけの世界に逃げ込んでいるような状態なのだろう。
ユイカは憐れみを抱くと同時にリュートを侮辱された怒りが込み上げてくる。
騎士の選定で不正などありえない。
選定は単純で神器に触れられるかどうか。すなわち、精霊に認められるかどうかだ。
彼はシルラにその内面と実力を認められたからこそ、風のレガリアの使い手になったのだ。彼は天才だからと言い張っているが、そこに至るまでの努力は生半可ではなかったはずである。騎士を目指したジーグならばわかりそうなことだが、そんなことを考える余裕もなくなっているのだろう。
「とても残念よ。騎士団の副隊長まで上り詰めたのだから、実力は申し分なかったでしょうに。でも、心が未熟では精霊は振り向いてくれないわ。きっとそこだけが足りなかった」
「黙れ! 器如きが何を言う!」
図星だったのか、ジーグは怒鳴り声をあげてこちらを睨んでくる。だが、その視線を遮るように、突然目の前に人影が割り込んできた。
「お前さぁ。この状況で相手を逆撫でして、どーするんだよ」
気怠そうな声でそう言うのは、赤髪の少年リュートだった。




