31話 決意
泣きそうな顔をしたリズが部屋を訪ねてきたのは、ユーリが寝る準備をしているときだった。
「どうしたの? リズ。忘れ物?」
一度挨拶をして帰宅したはずのリズを見て、ユイカは不思議そうに訊ねる。
リズは何も答えずに唇を噛んで両手を握り締めていた。何故か彼女はそのまま一礼して部屋を去ろうとする。
「ちょっとリズ!」
ユイカは慌てて彼女の右手を掴んで止めた。
リズの目元には涙が溜まっていた。それに小刻みに震えている。この数時間の間に何かあったことは明白だった。
「本当にどうしたの?」
ユイカが心配そうに訊ねても彼女は目を逸らして何も答えない。この時点で彼女が抱える問題の深刻さが窺えた。
「ねえ、左手に持っている紙は何?」
ユーリはリズの左手に握りしめられた手紙らしき物を見つける。リズはすぐにそれを服に隠そうとしたが、その前にユイカに奪われた。
「ユイカ様!」
リズは慌てて取り戻そうとするが、彼女に触れる前に星彩のレガリアによって弾かれた。
「これって……」
手紙を見たユイカの表情が険しくなる。彼女は手紙から視線をはずし、リズの首元を確認すると、さらに厳しい表情になった。
よく見ると、リズは黒いチョーカーを身につけていた。
それは罪人になどに使用される束縛の首輪。与えられた制約を破ると首が締め付けられ、場合によっては切断されるというものだ。
人権を重んじるアクア・スフィアでは、使用だけでなく製造も輸入も禁止されている代物である。アーズル・ガーデンも同じはずだが、仮面の男にも使用されていたと聞いたので、どうやら裏では取引されているようだ。
「ちょっと見せて」
「ダメ」
ユーリの伸ばした手を制して、ユイカは拒否した。その意味を彼はすぐに理解する。
「そっか。それが制約の一つなんだね……」
手紙の内容はユイカ以外に知らせるなというのが、束縛の首輪に課せられた制約の一つなのだろう。となると、残りの制約はおおよその予想はつく。
当然、一つは束縛の首輪への干渉不可。もう一つは彼女に出された何らかの指示の達成のはずだ。
首輪に込められる制約は、どんなにうまく改良しても三つがいいとこなので、これでほぼ間違いはないだろう。
「ユイカ様……あの」
「リズ、白の魔女として命じます。今からわたしの許可なく言葉を発することを禁じます」
何か言いかけたリズを、ユイカは魔女の名で制した。
ユイカ個人としてではなく白の魔女として命じられた以上、リズはそれに従うしかないだろう。それほどアナザーヘブンにおいては魔女の名は重い。
ユイカがそうしたのは、おそらく迷惑をかけまいとするリズの行動を制御するためだ。リズが部屋に入ってユイカの顔を見るやいなや立ち去ろうとしたのは、主人を目の前にしてやはり迷惑をかけるわけにはいかないと思ったからに違いない。ユイカはそれを感じとって、彼女が自己犠牲に走らないようにそうしたのだろう。
「時間があるなら何とかその首輪外せると思うけど」
ユーリは一応ユイカに提案してみる。
あらかじめ条件を書き換える術式を作って、組み込まれた術式を上書きしてしまえば難なく外せるはずだ。それにはある程度の設備と時間が必要となるが。
「そんな時間はないよ……」
ユイカは思い詰めた表情で左手の指輪を見つめる。
星彩のレガリアを気にしているということは、リズに出されている指示は彼女に関係することなのだろう。
「何を考えているのかわからないけど、君の命が最優先だよ」
「わかってる。でも、何か女神様にすべてを清算してから王位に就きなさいって言われてる気がして。タイミングがあまりにも……」
「清算?」
「ううん。何でもない。忘れて」
ユイカは何かを誤魔化すように微笑んで言葉を切った。
数日前、彼女は本当なら女王になる資格は自分にないと言っていた。あの時は資質について話しているのだと思ったが、今の清算という言葉といい、彼女は何らかの問題を抱えているとみて間違いなさそうだ。それだけにここは慎重になるべきだろう。
「とりあえずサズさんに相談すべきだと思うよ」
ユーリは一先ず事情を知る者の指示を仰ぐべきだと思ったが、ユイカは首を横に振った。
「そうすべきなんだろうけど、それでは多分リズが助からない……」
ユイカが消えそうな声でそう答えたとき、ユーリの脳裏に嫌な未来が過ぎる。
それはリズが紙切りナイフで自決を試みる未来。
彼は慌てて棚からナイフを取り出そうとするリズを取り押さえた。
「放してください!」
「早まってはダメだよ。まだ解決策がないと決まったわけじゃない」
二人の会話で何が起きようとしたのか理解したユイカは、暴れるリズに近寄って彼女の右手を握る。そして、まるで子供をあやす母親のように丁寧にゆっくりと話しかけた。
「大丈夫。わたしが必ず助けてあげるから信じて」
「それでは……」
「自分と向き合う時が来ただけよ。それに女王になるなら叔父様の器なんかじゃないことを示さないとね。それともリズはわたしが負けると思っているのかしら?」
リズはユイカを見つめたまま小さく首を横に振る。
「うん。それでいいの。リズはわたしを信じてくれるだけでいいのよ」
ユイカはそのままリズを抱き寄せると、彼女が泣き止むまで優しく頭を撫でた。
それから落ち着いたリズを一度ソファーに座らせると、ユイカはクローゼットに向かって儀式で着ていた魔女の正装を取り出した。彼女はそれに着替えると今度はこちらにやって来る。
「ちょっと行ってくるね。だから、これをお願い」
ユイカは太陽の指輪を手渡してくる。彼女が身を守るうえで、決して手放してはならないものだ。
当然、ユーリは手のひらの指輪を見て渋い顔をする。女王になる者が、相手の要求に従い無防備な状態で赴こうとしていることが、とても正気の沙汰とは思えなかった。
「そんな顔しないで。大丈夫。相手の目的は、わたしの命じゃなくて身体だから」
「身体って……」
「あっ、今変なこと想像したでしょ? そういう意味じゃないから安心して」
ユイカは首を傾げて戯けてみせる。
こんな状況でも周りを心配させないように明るく振る舞うその姿は実に彼女らしいと思ったが、余計に心に過る不安が大きくなった。
「やっぱり君を行かせるわけにはいかないよ」
ユーリはユイカの右手を掴む。彼女はそれに少し驚いたようだった。
「何か天罰に遭遇したときとは立場が真逆だね。あのとき、君は自分のするべきことをしたのでしょう? 今のわたしも同じ。この状況では詳しくは話せないけど、こうなったときのために準備もしてきたの。決して無謀ってわけじゃないよ」
そう告げる魔女の瞳は、覚悟の決まった者のものだった。
それを見て、ユーリは直感する。出会って一週間程度の自分では、到底止めれるものではないと。だからか、彼女の右手を握っている指の力が自然と緩んでしまった。
ユイカは儚げに微笑んで「ありがとう」と言うと、そっと右手を引っ込めた。
「僕に何かできることある?」
このまま何もせずに行かせてしまうのはあまりに気が引けるので、ユーリはそう問いかけた。
「大丈夫。君はここにいて。ここにはわたしが許可した者しか入れない特別な結界を張ってあるから安全だし」
「でも……」
「じゃあ、サズに言伝をお願いしていい? ここにいる者に頼んで呼んで貰えばいいから」
「言伝って?」
「叔父様の影は必ず消してみせる。だから、あとはよろしくって」
「ねえ、そのおじ様って誰? さっきも言ってたよね?」
「ギルガ=アスタリア=リリアス。わたしの叔父なの」
「それって確か八百年以上前の魔王だよね。君は一体……」
「詳しい話はサズに聞いて」
ユイカは「あとはお願い」と付け足して、リズの下まで戻った。
「じゃあ、行こっか」
ユイカはまるで買い物にでも誘うようにリズに向かって左手を差し出す。
リズは一瞬躊躇うような素振りを見せたが、大丈夫だからとユイカに促されると渋々上着から青い球を取り出して彼女に手渡した。
最近、見たばかりのそれは転移の宝玉だ。転移できる範囲は狭いが、おそらく転移を繰り返すことにより目的地まで行くことになるのだろう。
「導け」
ユイカが宝玉に向かってそう告げると、霧のようなものが発生し二人を覆いはじめた。そして、そこに呑み込まれる直前、彼女はこちらを見てにっこりと笑い何かを告げようとする
「ねえ、無事に戻って来たら――」




