28話 思惑②
その部屋は壁の棚に魔法学の専門書が綺麗並べられていた。インテリアのために部下に用意させたものだ。ゆえに、これらが本来の役割を果たすことはないだろう。彼らにとってみればその方が寿命も伸びて幸せなのかもしれない。
そんなくだらないことを考えて、アランは琥珀色の液体を口に含んだ。
場所は研究所の所長室。彼は来客用のソファーに腰をかけ、酒を煽りながら部下から報告を受けていた。
「そうか。奴は失敗したか」
アランはグラスを掲げて呟く。
奴とは飼っていた殺人鬼ジェイのことである。アランは彼に少年の始末と指輪の回収を任せていた。
目的は第一に月の指輪を奪い、星彩のレガリアの効力を弱めること。そのついでに白の魔女の婚約者となった少年を亡き者にすることで、ガラクに恩を売ることだった。
ガラクやザザの見立てでは、少年は魔法士であるが戦闘においては素人に毛が生えた程度という評価だった。しかし、ジェイが仕留め損ねたということは、何か特別な力を隠し持っていたということだろう。ジェイは一対一の近接戦闘において、戦闘訓練を受けた魔法士を凌ぐと聞いていたので、単に運良く生き延びることができたということはないはずだ。
「いかがいたしましょうか?」
白衣を着た若い男が指示を仰いでくる。細身で陽の光を浴びてない白い肌は不健康そうで、いかにも研究者らしい風貌をしていた。
この青年もまた禁忌の秘術にのめり込み、覇王復活を目指す一人だった。アランは彼のように禁断の研究に心酔しそうな人物を数名集め、手駒として活用していた。
「何もする必要はないさ。これでこちらに監視の目は向いて彼らも動きやすくなっただろう。お膳立てには十分なっているはずだ。あとは彼らに任せておけばいいさ」
「わかりました」
「お前たちは、いつ器が届いてもいいように祭壇の準備だけはしておけ」
「はい」
白衣の男は頷くと、一礼して部屋を出ていった。
(そう。あとは彼らが私の下に器を持ってくれば覇王の復活だ)
黎明の覇王、ギルガ=アスタリア=リリアス。
晩年を汚したといわれているが、積み上げた功績を考えると彼はまさに賢王だ。もし彼があのまま長き月日を王として君臨していたのならば、アクア・スフィアにここまで遅れをとることはなかっただろう。
シラユリ家は始祖王リッカの方針を引き継ぎ、街から魔法を極力排除することで街の治安を良くしてきた。確かにそのおかげで他の街に比べて凶悪な犯罪は少ないが、反面魔法士の不足で神与文字の研究は遅れ、魔法技術などは停滞することとなっている。
特にこの街では魔法士という戦力に頼れない分、天罰に対抗する兵器が不可欠となるのだが、それもアクア・スフィアに依存するかたちとなってしまっている。このままでは、アクア・スフィアとの力関係にも影響が出てくるだろう。
現状、神域魔法が限定的な範囲のため六つの街の均衡が保たれているが、もし神域魔法に対抗する力が生み出された場合、その均衡は一気に崩れることになる。
エルグラウンドの技術は、それを引き起こす可能性を秘めている。彼の技術は魔法ではなく基礎科学を根底にしているからだ。
彼にとって魔法は問題を解決する一つの道具に過ぎない。ゆえに、魔法とはまったく関係ない技術から神域魔法に迫ることもありえるかもしれない。
そこまで考えて、アランはふんと鼻を鳴らした。
(まあ、起きても遠い未来のことだろうがな。それに誰が王になろうと私には関係ないことだ)
そう。アランは黎明の覇王が復活し、この街をどう変え、何を成すかには関心がない。彼を復活させる過程に興味があるのだ。
眠り姫の目覚めから約十数年。先代の魔女セイカから魂の融合の解析を命じられ、その研究に没頭してきた。セイカは解除が目的だったのだろうが、禁忌の秘術にのめり込んだアランは、再現することを目標として研究し続けきた。
だが、やはりシラユリが血を広げなかった影響は大きかった。白の系譜を扱える魔法士が少なかったせいで、その神与文字の研究が他の系譜より遅れているのだ。
魔法士はイメージを構築して魔法を行使している。決して神与文字自体を理解して魔法を行使しているわけではない。したがって、神与文字の解読はそのイメージと魔法陣の文字を照らし合わせることでしか進めることができない。それゆえに、白の系譜の魔法士がいないというのは、研究のうえで大きなネックになっていた。
しかし、それでもユイカ=アスタリア=シラユリに施された術式を再び起動させることまでは目星がついた。
伝承によると、魂の融合は一度発動している。彼女の時間が凍らされたのは、完全なる融合を阻止するためだ。その後に覇王が討たれ、今は術式の発動が止まった状態となっている。
したがって、術式をもう一度起動すれば、彼女の中に残留しているであろう覇王の魂が何らかの影響を及ぼすはずだ。本人が死している今、それによってどのような存在になるかは予想できないが、自分が罪人になるか英雄になるかは、その結果次第になるだろう。こればかりは覇王の意識が強く出てくれることを願うしかない。
「まあ、そのときはそのときだ」
アランは不気味な笑みを浮かべて、再び琥珀色の液体を煽った。




