26話 野ばらの棘②
優雅に名乗り、そして不敵に微笑む少女。
その姿をを見て、ジェイはこれはまずいことになったと焦りを覚えた。
先天的に魔法の力を持って生まれてくる魔女の血族を【花冠】と呼ぶが、魔女の資質を持つ彼女も彼らと何も変わらない。
花冠が扱う魔法は、固有魔法と属性魔法のニ種。固有魔法だけなら契約者とそう変わらないのだが、属性魔法が非常に厄介だ。
属性魔法は、どの魔女の一族も長い月日をかけて研究してきており、攻撃、防御、そして補助など多岐にわたる魔法が生み出されてきた。現代ではそれらは体系化されており、汎用性や魔法の規模、修得難易度などによって基礎魔法、第一超越魔法、第二超越魔法、第三超越魔法の四つのクラスに整理されている。
つまり、属性魔法は固有魔法や使命魔法と異なり、魔女の一族で共有され、洗練されてきた魔法なのだ。魔女の一族の叡智が詰まった魔法と言える。
(怯むな。確か年齢は二十歳にも満たないはず。基礎魔法程度に収まっているなら、まだチャンスはある)
ジェイは自身を奮い立たせて、予備のダガーを取り出す。
この刃を届かせるには魔法と魔法の切れ間を狙う必要がある。そう判断したジェイは、突進と同時に左手の籠手から粘着性の糸を飛ばした。
シュリは右手をかざして、それを瞬時に灰にする。彼はその隙にもう一度少女の首元を狙ってダガーを振り下ろした。
(今度こそ捕らえた!)
ジェイはそう思ったが、切先が彼女の白い肌に触れる寸前に炎を纏った右手でダガーは弾かれてしまった。すぐに彼は狙いを切り換えて、左手で細い首を掴んで折ろうとする。しかし、その前に炎の槍と化した彼女の左手が彼の左肩付近を貫いていた。
「くっ!」
熱を帯びた痛みがジェイを襲う。堪らず、彼は一度後ろに下がって距離をとった。
血肉が焼けた臭いがする。ちらっと傷口を確認すると、見るに耐えないほど爛れていた。だが、そのおかげで出血は少なかった。
ダガーの刃はやはり溶けていた。もしかしたら先ほども同じようにして弾かれていたのかもしれない。
(瞬間的な動作が速過ぎる。これも魔法か?)
ジェイが苦悶の表情を浮かべていると、赤い目の少女は青い液体の入った小瓶を投げてきた。
それは回復薬だった。それもかなり高級な代物である。この複雑な傷も一瞬で治してしまうかもしれないほどの上等な物だった。
「あなたに勝ち目はありません。投降なさることをお勧めします。その首輪も、おそらく彼なら外すことができますよ」
彼というのは昨日の少年のことだろう。戦闘の中、魔法具に干渉して術式を弄るという常軌を逸したことをしていた。確かにあの少年ならば可能なのかもしれない。そう考えたところで、ジェイは気づく。
「ひっひっひ。そうか。あいつはエルグラウンドか」
「ええ。わたしたちの街が誇るかけがえのない存在です。それを奪おうとしたことは本来許されるものではありませんが、背後にいらしゃるお方をお教えして頂けるのならば慈悲を与えて差し上げましょう」
「慈悲? 必要ないさ。ひっひっひ」
ジェイは鞘に結んであった袋から無数の錠剤を取り出して口に放り込む。それらを噛み砕いて飲み込むと、すぐに身体が熱くなって筋肉が膨れ上がった。
目が血走っているのが自身でもわかった。それに口の端からは少し泡を吹いている。明らかに身体が悲鳴をあげていた。限度を超えたマナを取り込んだのだから仕方ない。だが、目の前の少女にはそれだけの価値がある。
獲物は本物の強者。魔女に最も近い存在だ。そんな少女の顔を歪めることができたのならば、どんな快楽を得られるか。それが叶うなら命を賭すことも厭わない。
「可哀想な人。愛し方を知らずに育ってしまったのね」
憐れみの目を向ける少女。それを今すぐ苦痛の表情に塗り変えたい。そう思ったときには、すでに身体は動いていた。
両の腕で細い首を掴もうとする。左手を無理に動かしているせいで、肩の傷口が広がったがそんなことは構わない。今はその細い首が魅力的で仕方なかった。
だが、あと一歩と迫ったとき、その狂気は少女が放った殺気に打ち消されてしまった。
ぞっとする冷たさが全身を走る。
少女の顔を見ると、赤い目からは光が消えていた。代わりに微かに動く赤い唇が、やけに目についた。
そこから発せられた言葉は、第二超越、炎の魔人。
ジェイがその言葉を理解すると同時に、炎の渦が少女の足下から頭上まで駆け巡った。
そして、一瞬彼女の背後に炎を纏った悪魔のような存在が顕現する。
(そうか。これが俺の攻撃が届かなかった理由か……)
魔法薬の過剰摂取により、極限まで研ぎ澄まされた感覚が、少女の恐るべき魔法をジェイに知らしめた。
彼は抵抗しようのない死を悟る。
気づくと赤目の少女は彼の懐にいた。
少女は悲しげにここではないどこかを見つめている。
少女の炎を纏った右手がいつの間にか彼の胸を貫いていた。
「きっと幼少期に歪曲した愛を受けて育ったのね。もし輪廻というものがあるのなら、次は真っ直ぐに愛されることを願うわ」
少女が何かに祈るようにそう言うと、ジェイの全身が炎に包まれた。
気が遠くなる。熱さや痛みなどすでになかった。
途絶えかけた意識の中で、これまでに殺めてきた人々の無念そうな最期の顔が蘇る。彼らはまるで自分たちの気持ちがわかったかと言っているようだった。
ジェイはそんな彼らを鼻で笑うと、一人の女性を見つける。
それは最初に手にかけた人間だった。
彼は歓喜し、すべての命を嘲笑うように口元を緩める。
そして、彼女に告げた。
(そっちでも、もう一度殺してやるから待ってろ)




