23話 目覚め
仄かな甘い香りに誘われて目が覚めた。
視界に真っ先に入ってきた天井は、細かい箇所まで装飾が施されていた。まるで住人の格の高さを感じさせるそれは、少なくともユーリがいつも暮らす部屋のものではなかった。
(そっか。ここは彼女の部屋か……)
ここでユーリは自身に起きたことを思い出した。すぐに彼は上半身を起こして傷を確認しようとしたが、それは左腕に絡みつく何かに阻止される。
何だろうと思って顔を横に向けると、思わず息を飲み込むほどの美しい横顔がそこにあった。
金色の髪の少女がユーリの左腕に抱きついて眠っている。
(えっ? 何この状況)
『ユーリの怪我を治してくれたんだよ』
困惑するユーリの頭の中にリリの声が響く。リンクを切る前に意識を失ってしまったので、彼女がリンクの管理を引き継ぎそのまま繋げていたのだろう。
リリはシュリがアクア・スフィアに送った報告書をもとに、ユーリが気を失ってからのことを説明してくれた。
どうやら礼拝堂に戻ったあと、ユイカが重傷だったユーリを魔法を使って治療してくれたらしい。ただそれでも夕方になっても目覚めることがなかったので、定期的に治療魔法で体力の回復を試みていたようだ。彼女がこのような状況なのは、疲れてそのまま寝てしまったということなのだろう。
おそらく常時発動している未来視が体力の回復を遅らせていただけなのだろうが、それでも懸命に治療をしてくれた彼女には感謝しかない。
『レイナは今回のことを問題にするつもりはないみたい。ユーリも無事だったし、何より親身になって治療してくれたしね。あと、あんな無茶な褒美を願ったんだから自業自得だって』
『うわっ。これはあとでネチネチ説教されるやつだ……』
『わたしからのお説教は今にする? それとも戻ってからにする?』
リリはLリンクスの画面の中で可愛らしく首を傾げて訊いてくる。
怒気をまったく感じられないことが逆に怖かった。先日、説明なしに通信を遮断したことも含めて、彼女もまた相当お怒りのようである。
『も、戻ってからでお願い……』
『そう。でも、その前にちゃんと生きて帰ってきてね。噂によると、シュリちゃん機嫌めちゃくちゃ悪いみたいだから』
『あっ、それはもう詰んでるかも……』
そう言って頭を抱えながらも、こうして生きているのはシュリのおかげであるとユーリは思っている。
シュリは時間が空く度に護身術のお稽古という名の拷問に自分を連れ出していた。何度も逃亡を試みたあの地獄のような時間は、決して無意味ではなかったと今なら思える。彼女には感謝の気持ちで一杯だ。
だが、問題なのはそんな気持ちなど彼女の前では無意味だということだ。彼女の機嫌が悪いのは、自分があまりに不甲斐なかったからだろう。おそらく帰ったら、これまで以上のメニューで鍛え直そうと考えているはずである。それだけは絶対に避けなければならない。今度こそ本当に死んでしまう。
ユーリはどうにか回避する方法はないかと考えたが、到底無理そうだったので一先ず保留することにした。嫌な宿題を先送りしたことで少し憂鬱になったが、隣で心地よく眠る少女が目に入ると何だか笑えてきてそれも吹き飛んでしまった。
そして、十四歳の男子である彼は、甘い蜜に誘われる蜂のように自然と彼女の頬に手が伸びる。しかし、意識の共有によりその意思がリリに伝わってしまい、すぐに咎められた。
『こら! 寝てる女の子に手を出さないの!』
『頬に触れるくらいいいじゃん』
『ダメに決まってるでしょ。ほら、もう十分寝たでしょ。起きなさい』
ユーリは「ちぇ」と言いながら彼女が目を覚さないように、そっと絡みつく腕を解いて起き上がる。そのままふらつく足取りでバルコニーに出ると、近くにあった椅子に腰掛けた。
朝焼け色に染まった空が寝坊した波長の短い光を待っていた。どうやら夜が明けて間もないようだ。
それを知らせているのか、中庭の方から鳥の囀りが聞こえてくる。アクア・スフィアでは聞いたことのない鳴き声だった。きっとこの街の固有種なのだろう。
(見られてるなぁ)
どこからかわからないが視線を感じた。敵意はないのでおそらく彼女の警護をしている者なのだろう。簡単に気配を探らせていることから、こちらは陽動で別にもう一人いるのかもしれない。
『僕が狙われた理由はやっぱり仮とはいえ彼女の婚約者になったからかな?』
『多分ね。エルグラウンドの知識がほしいなら殺そうとはしないだろうし。それにユーリがエルグラウンドであることはアーズル・ガーデンの上層部しか知らせていないはず』
『となると黒幕は彼女目当てで来ている戴冠式の出席者の誰かかな?』
『もしくはその後援者。少なくともアーズル・ガーデンに協力者はいるはず。そうでないと、昨日の今日で礼拝堂に仕掛けなんてできないと思うよ』
確かになとユーリは思う。天罰の件もあり、安易に青の魔女の関係者を連想したが、彼らの知らないとこで別の勢力が動いていても不思議ではない。
『それで僕はどうすればいいの? 帰ったほうがいいの?』
『レイナは好きにしなさいだって。アーズル・ガーデン側は戴冠式が終わるまで白の魔女と同レベルの警護を用意すると言ってるけどね』
『ああ、ここで僕が帰ったら彼女の面子が潰れることになるのか』
『あちら側の失態だし、ユーリが気にすることないと思うけど。どうする? 戻ってくる? 戻ってきなよ』
『うーん。もう少し様子見て決めようかな。厳重な警護が窮屈に感じたら帰るかも』
『えー、つまんない』
遊び相手がいなくて退屈なのだろう。リリはすぐに戻ってきてほしいようだが、理由はどうであれ怪我を治して貰った以上、彼女に恩を返したい気持ちもあった。
『とりあえず一度共有切るよ。ずっと繋がってたのなら頭を休ませたほうが良さそうだし。リンクの管理はリリがしていいから何か用があったらまた連絡して』
『了解。でも、寝てるあの娘に悪戯しちゃダメだよ』
『はい、はい。そんな恐れ多いことはしないよ』
そう言って、ユーリがマジックディバイスの起動スイッチを切るとリリは頭の中からいなくなった。
そして、まるでそのタイミングを見計らったように屋根を伝ってこちらにやって来る者がいた。
それはリュート=カザキリだった。




