22話 帰還
控え室に戻ったユイカは被害状況の報告を受けていた。
幸いにも軽傷者が数名いるだけで、命にかかわるような怪我をした者はいないということだった。
ただ、未だにユーリは行方不明のままである。シャンデリアが落ちた直後、彼が座っていた周囲に霧のようなものが発生していたという目撃情報があるので、転移の宝玉により強制的にどこか別の場所に転移させられたのではないかという仮説で今は捜索が進んでいる。
「転移の宝玉って、そんなに遠くまでは行けないのよね?」
ユイカは机に広げられた周辺の地図を眺めながらこの場の指揮をとる者に訊ねる。
「はい。一般的なものですと二キロ前後が限界だと思われます」
いかにも武人という雰囲気を持つ大柄の男は地図を睨んだままそう答えた。
彼の名はジーグ=ロンギング。リュートが団長を務める【風の騎士団】の副団長だ。団員からの信頼も厚く、リュートが成人するまでは、団長代理として団の指揮をとることになっている。団長であるリュートがユイカの警護を任されていることより、風の騎士団は現状近衛兵としての活動が主な任務となっていることから、彼とは顔馴染みだった。今回の儀式も、彼らが中心となって警備をしてくれていた。
「人気のない場所に誘導するなら、ここかな?」
ユイカは怪しそうな場所を指差し、ジーグに訊ねる。
「そうですね。あと水路を利用するならば、この辺りの川岸もありえるかもしれません」
「では、とりあえずこの二箇所を重点的に捜索して」
「わかりました」
ジーグが団員に指示を出すのを確認して、ユイカはリュートのいる窓辺に向かう。
彼には風を通して周囲のマナの動きを探らせていた。本当なら今すぐにでも空から捜索してもらいたかったが、月の指輪が離れた今、万が一夜になった場合、ユイカは無防備になってしまうので、そういうわけにはいかなかった。
「どう?」
「特に変化はないな」
ユイカの問いかけに、リュートは遠くを見つめたまま素っ気なく答えた。おそらく風を感じとることに意識を集中させているのだろう。
ユイカは一言「そう」と相槌を打って、邪魔にならないように静かに視線を外に移した。
ユーリが攫われた理由は間違いなく婚約者という立場に置いてしまったからだ。
冷静に考えれば、その座を狙っていた者やそれを不都合と思う者が、このような事態を引き起こす可能性を十分予測できたはずだ。それなのに自分の身勝手な都合で彼を婚約者にしてしまったことは完全に失態である。
彼にもしものことがあったら、アクア・スフィアとの関係に大きな亀裂が入るだろう。それにエルグラウンドである彼を失うことは、アクア・スフィアだけでなくアナザーヘブン全体の大きな損失となる。彼は魔女である自分なんかよりも、きっとこれから多くの人を幸せにできる人物なはずだ。
(無事でいて。この歪な世界を救うのはきっと君のような存在なんだから)
ユイカが祈りに似た願いを抱いたとき、リュートが頭をポンポンと軽く叩いてきた。
「大丈夫だ。あいつ契約者なんだろ? なら、そう簡単にやられねぇって」
そう言うリュートは普段とは違って真面目で優しい表情だった。もしかしたら彼が気を使うくらい今の自分は酷い顔をしているのかもしれない。女王ならば、こんなときこそ気丈に振る舞い皆を鼓舞するべきなのに、本当に情けない限りだ。
ユイカは大きく息を吐いて呼吸を整える。
落ち込んでる暇はない。反省するのは彼が無事に帰ってきてからだ。そう自身に言い聞かせて、ユイカはリュートを見据えてと頷く。それを見た彼は「ふん」と笑うとまた視線を外に向けた。
そんなときだった。月の指輪とのリンクが強まり再構築されたのは。
(えっ? どうして?)
突然のことにユイカは戸惑ってしまう。
(二つの指輪が揃わない限り、フリュルルの加護は完全には戻らないはず……)
彼女が抱いたその疑問はすぐに解決する。突然目の前に現れた光球からユーリが吐き出されたからだ。
彼は受け身をとることもできずにその場に倒れ込んでしまう。よく見ると全身血だらけだった。
「おい!」
呆然とするユイカをよそに、リュートがすぐに彼を仰向けにして傷を確認した。ワンテンポ遅れて我に返った彼女もそれを手伝った。
突然の出来事に室内が森閑としていた。
青ざめた顔で固まる侍女たち。騎士団の団員もこの事態をまだよく飲み込めずに呆けている。皆、時間が止まったようにその場を動かなかった。
その中で、ジーグとリズだけは取り乱すことはなかった。ジーグの「医師の手配を」という言葉にリズが真っ先に反応し、「わたしが」と言って部屋を出て行った。
「ジーグ、念のため一度周囲の警戒を。あと彼女たちを別室に案内してあげて」
ユイカは動揺を隠せない侍女たちを見て、ジーグにそう命じる。彼は「わかりました」と一度深く頷いて、すぐに行動に移った。
ユイカは指示を終えると、もう一度ユーリの全身を確認した。
右肩に刺し傷。左の脇腹に裂傷。他にも細かな切り傷が至る所にあった。まるで拷問を受けたような惨状だった。
「出血がひでぇな。こりゃあ、医者を呼んでも間に合わねぇぞ」
リュートがそう呟くと、真剣な眼差しでこちらの顔を窺ってくる。彼はその目でお前が救えと促しているのだ。
「うん。わかってる」
ユイカは深く頷くと、胸元で指を組んで目を閉じた。
彼女は別に大いなる存在に救いを求めて祈りを捧げようとしているわけではない。彼女にとってその姿勢が最も魔力を制御しやすいのだ。
ユイカは息を止めて意識の底まで潜る。
そこには無尽蔵に湧く魔力の泉ある。
普段は垂れ流しになっているそれに外に繋がる道を作る。
すると、次第に淡い雪のような白い輝きが彼女の全身を覆い始めた。
勿論、それは彼女の魔力。
そこには彼女の想いが込められている。
彼を救いたい。
彼を明るい未来に届けたい。
例え死神だろうとその邪魔はさせない。
そんな強い想いが、魔力を通して周辺のマナを次々と侵食していく。
瞬く間に部屋は粉雪のような光球で満たされいった。
(おいで)
彼女の呼び声に応じて、支配下に入ったマナが彼女を手助けするために集まってくる。
それを肌で感じとった彼女は、願いを伝えるために世界の言葉を構築する。
瞬間、ユーリのを中心に複雑な模様が描かれた魔法陣が展開した。
「白の系譜、第二超越魔法。ヒーリング・フェザー・レイン」
ユイカが魔法名を口にすると、横たわるユーリに無数の白い羽根が降り注いだ。
白い羽根は彼の身体に触れた瞬間に弾け、小さな光の粒となって皮膚の中に消えていく。
そして、彼の身体が輝き始めると全身の傷が塞がり始めた。
同時に幼い顔に生気が戻ってくる。
瞬く間にすべての傷が癒えると、残る白い羽根は小さな光の粒となって拡散してしまった。
ユーリが虚な目でこちらを見てくる。まだ意識ははっきりとしていないようだが、彼は小さく微笑んで口元を動かした。
ユイカは彼が何を伝えたいのかすぐに理解できた。だから、彼女は「うん」と頷いて涙声で囁いた。
「おかえりなさい」




