21話 強襲③
逃亡に失敗してから約一分ほど何もできずに男の攻撃を躱し続けた。
未来視で致命的な傷は避けているとはいえ、次第に小さな傷と疲れが蓄積されてきていた。
それにマナによる身体強化もあと少しで切れてしまう。
手持ちのマテリアルダーツはあと一本だが身体強化を維持すべきか、それとも他の活用方法を見出すべきか迷うところである。
先のことを考えれば考えるほど徐々に焦りが増してきていた。
そんなときだった。足元に転がる青い石が目に入ったのは。
(これ、使えるかも)
僅かに見えた光明。
それは意識が戦闘から離れた瞬間でもあった。
ユーリの動きが一瞬硬直したその隙を仮面の男は見逃さなかった。
狂気を孕んだ刃がユーリの脇腹を切り裂く。
「くっ!」
焼けるような痛みに一瞬意識が飛びそうになったが、ユーリは何とか身体を動かして男から距離をとった。
しかし、それでも痛みを我慢できずにその場に蹲ってしまう。
当然死を覚悟したが、仮面の男が追い討ちをしてくることはなかった。
やはり簡単には殺さないということだろう。
「ひっひっひ。どうした? もう終わりか? もっと足掻いてくれよ!」
仮面の男は歯を食いしばりながら立ち上がるユーリを見て嘲笑う。
悔しくも何とも思わなかった。むしろ、止めを刺さなかったことに感謝したいくらいだった。
一つ策は思いついた。
それは転移の宝玉の再利用。
だが、問題もある。
本来、転移先に打つはずの楔をどうするか。
座標を定めることができないと転移など到底実現できない。
何か方法はないかと思考を巡らせていると、意外にもそのヒントは目の前の殺人鬼が与えてくれた。
「お前を白の魔女から引き剥がすために面倒な仕掛けを色々としたんだ。頼むから簡単に壊れてくれるなよ」
その言葉にユーリはハッとして左手の指輪を見る。
太陽の指輪と月の指輪は互いを補い、白の魔女を守護している。だから太陽の指輪の力が弱まる夜の間、月の指輪を持つ者は魔女の傍にいる必要がある。その力は離れれば離れるほど弱くなるが、決してリンク自体が切れるわけではない。このリンクを辿ればいい。
「望み通り足掻いてあげるよ……」
ユーリは声を絞り出してそう言うと、左手で神与文字を書き始めた。
一部とはいえ即席で転移の術式を書き換えるのは困難だ。だから、二十一行の文でちょっと間の抜けた天使を降臨させて手伝って貰うことにした。
「何だそれは?」
仮面の男は訝しげに次々と書き出されていく神与文字を眺めていた。
「それは書き終わってからのお楽しみ。もし怖いなら完成する前に僕を殺すといいよ」
「ふん。見えついた挑発だな。いいぜ。乗ってやるから精々足掻いてみろよ。ひっひっひ」
(弱者を痛ぶるその癖が君の敗因だ)
ユーリは最後の文字を書き終えると、人差し指を振って完成した文を弾いて魔法を展開させる。
その瞬間、Lリンクスを通してリリと意識が繋がった。
『えっ? 何この状況?』
リリの驚いた声が頭に届く。意識の共有により、ユーリの焦燥や怪我の痛みが伝わったのだろう。
『ごめん。今は説明している暇はない。とりあえず昨夜見せた神与文字から二つの指輪の位相に関するものを抽出して、転移の座標として組み立て直して』
『理由がよくわからないけど了解』
あとは出たとこ勝負だ。
まともに動けるのはおそらく数秒。その僅かな時間にすべてを懸ける。
ユーリはそう覚悟を決めて構える。
「もういいのか?」
「うん。期待通り楽しませてあげるよ」
仮面の男の問いかけにユーリは微笑んでみせる。挑発することで少しでも攻撃が単調になることを願った。
「待ってやったんだ。その期待裏切るなよぉ!」
仮面の男は言い終わる前に突進してきた。
それに合わせてユーリは空のマテリアルダーツを投げつける。
相手が避ける隙にすぐ傍に落ちている転移の宝玉を拾うつもりだった。
しかし、仮面の男は避けずに左手の籠手で弾いて、そのままダガーでユーリの首元を狙ってきた。
(そうくるなら)
ユーリは左手を相手にかざして握りしめる。
瞬間、仮面の男の体勢はガクッと崩れた。
周囲のマナが、弾かれ宙に舞っていた空のマテリアルダーツに奪われたのだ。男の身体を強化していた表面上のマナも一時的に失ったかたちだ。
(今だ!)
ユーリは転移の宝玉を拾いあげると、マジックディバイスによってそこに施されている術式を展開させた。
複雑な文字が描かれた魔法陣がユーリの周りに広がる。過去にこの術式を見たことがあったので座標に関する部分はすぐに見つかった。
『リリ!』
『わかってる』
ユーリの呼び声に応え、リリがマジックディバイスを通して術式に干渉する。
リリが書き換えている間、ユーリは消費するマナをできるだけ少なくするために、培った知識を最大限に使って術式を最適化していく。マテリアルダーツ一本分のマナで何とか転移を成立させるためだ。
「くっ! させるか!」
ユーリの意図を理解したのか、仮面の男がなりふり構わず突っ込んでくる。
『リリ』
『うん。オッケー』
ユーリは残る一本のマテリアルダーツからマナを放出させた。
術式の完成と同時に放出されたマナが綴られた世界の言葉を実行に移す糧となる。
その瞬間、展開されていた魔法陣が弾けて眩い光がユーリを包み込んだ。
すぐ近くまで狂気を孕んだ刃が迫ってきていた。
しかし、それが届かないことを彼は知っている。
膨張する光に飲み込まれる前に、彼は掠れた声で呟いた。
「願わくば君と二度と出会わないことを祈るよ」




