18話 大地と豊穣を司る精霊
ステンドグラスから射し込む光が、神秘的なベールのようになって礼拝堂の内部を優しく包み込んでいた。
奥の祭壇には、その光を受け取るかのように手のひらを天に翳している女性の彫像がある。母性を感じさせるその彫像は、この街の大地と豊穣を司る精霊を模して作られたものだ。その姿はとても女性的で慈愛に満ち溢れていた。
(この娘がハーディか)
ユイカは少しの不安と大きな期待を胸に秘めてハーディの彫像を見上げていた。これからまさに祈りを捧げるところだった。
祈りが届けば彫像の両端にある炬火台に炎が灯るはずだ。彼女が白の魔女である限り失敗することのない儀式だが、それでも緊張していた。
ユイカは深呼吸すると、振り返って静寂に包まれた礼拝堂内を見た。
入口から祭壇へと続く通路の両側にはベンチが並んでいる。最前列の右側には彼女の関係者、左側には南エリアの長と彼を補佐する数人の役人が座っていた。二列目から真ん中は空席になっており、後方には約五十人の参列者が固唾を飲んで炬火台に火が灯るのを待っていた。
ユイカは参列者に微笑むと、意識的に女王らしく悠然と歩いて供物が並ぶ台座の前まで進んだ。そこで彼女は胸元で指を組んで瞳を閉じる。
祈りの姿勢をとった彼女は体内の魔力に意識を傾けると、それが膨張して周囲のマナと同調していくイメージを作り上げていく。
やがてそのイメージは現実となり、周囲のマナは彼女の意思に染まり雪のように白く発光し始めた。
彼女は魔力の共鳴に想いを乗せて問いかける。
ねえ、感じてる?
シラユリの血を引くわたしの魔力を。
わたしはここにいるよ。
会いに来てくれないかな?
わたしは貴女に会ってお礼を言いたいの。
だって、わたしも貴女のもたらす恵みで生きている一人なんだから。
ありがとう。
偽りのないユイカの想い。それに呼応するように周囲のマナの輝きが増していく。そして、うふふという笑い声が心の底で聞こえてきた。
『変わった主人。下僕であるわたしにお礼なんて』
母を思わせるようなどこか懐かしい声だった。まるで演奏家が奏でる優しい音色を聴いているようで心が安らぐ感じがした。
『そうかな。感謝するのに立場の差なんて関係ないと思うけど』
『そう? わたしは与えられた役目をこなしているだけ。そのために生み出された存在よ』
『それでもだよ。あなたがもたらす恩恵で生きてることに変わりはないもの』
『そう。では、ありがたくその想いは受け取っておくことにしましょう』
ハーディは戯けるような口調で言葉を返してきたので、ユイカも真似するように『うん。そうして』と戯けてみせた。
これまでフリュルルを除いた四体の精霊と話したが、このハーディが最も人間に近い気がした。他の精霊は少し人の感情が欠けているような印象があったが、ハーディは人と話しているのとほとんど変わらない感じだ。ユイカはそのことについて訊ねてみる。
『何かハーディとは人と話しているみたい。人の感情が理解できるの?』
『人の感情が理解できるか否か、それは人でないわたしでは判断できないことよ。ただ精霊の中では最も多くリッカの血筋と関わってきたから、人間と話しているようだというのなら、その影響はあるかもしれないわね』
『なるほどね。どうりで話しやすいと思った』
リッカというのはアーズル・ガーデンを創生した白の魔女の始祖の名だ。すなわち、精霊たちの生みの親であり、ユイカにとっては遠いご先祖様ということになる。
始祖様の血筋、つまり歴代の白の魔女と多く関わってきたのならば、他の精霊より人間を理解していてもおかしくない。納得である。
『さて、新たな女王はわたしに何を望むのかしら? さらなる恵み? それとも飢饉による民の間引きかしら?』
ハーディからこちらを試すような質問がくる。さらりと民の間引きとか怖いことを言うのは、ちょっとした意地悪なのだろう。
『どちらも必要ないよ。さらなる繁栄は民の努力で掴み取るべきだし、天災という罰を与えるほど彼らは大きな罪を犯していない。だから、現状維持で十分』
『大罪を犯せば天災による罰も致し方ないと?』
『そうね。わたしもアナザーヘブンを管理する一人だから、いずれその決断が必要となることもあるのかもしれない。まあ、でも、その前にみんなが人の道をはずれないように導くけどね』
『あなたにできるかしら?』
『できるできないじゃなくてやるのよ』
『そう。ずいぶんと傲慢な娘。でもそれが王というものかしら』
ハーディはまたうふふと笑った。そして、彼女はどこか懐かしそうに言う。
『あなはどこかリッカを思わせる』
『始祖様を?』
『ええ』
『リッカとまったく性格は違うけど、所々で似た雰囲気を感じる。心の有り様がにているのかしらね』
『そう言えば、シルラも同じようなことを言ってたかも』
『そう。もしかしたら、わたしたち五人があなたの傍に並ぶ日が来るかもしれないわね』
『そのときは、みんなでお話ししましょう』
『ええ、楽しみにしている』
ハーディの期待に満ちたその言葉が心に響いたとき、一瞬だが彫像とそっくりな女性が微笑む姿が瞼の裏に映った。
ユイカはハッとして目を開けると、周囲を漂うマナが突然強い光を放って、炬火台に火を灯した。同時に参列者からは響めきが起こった。
『名残惜しいけど時間ね。最後にあなたの名前を聞かせて』
『ユイカ。ユイカ=アスタリア=シラユリ』
『花を紡ぐ者。素敵な名前ね。ぜひ次はあなたの傍でその名を呼ばせて』
「うん。必ず」
ユイカが頷き、小さくそう呟くと彼女を包んでいた眩い光は四方に散らばり弾けて消えた。
無事にハーディと繋がることができて安心したユイカは、ふうと大きく息を吐く。堂内はまだざわついていたが、彼女が振り向くと一斉に静まった。
「ハーディは大地と豊穣を司る精霊といわれています。彼女が機嫌を損ねないように、どうか自然を慈しむ心を忘れないでくださいね」
ユイカはその短い言葉を挨拶として退席するつもりだった。サズから民衆の前であまりしゃべらないようにと言われているからだ。どうやら自分が何か余計なことを話すことで、魔女の威厳と神秘性が失われるのを心配しているらしい。
(失言なんてしないのに)
ユイカは心の中で愚痴りながら出口に向かおうと一歩を踏み出す。それに合わせて、祭壇の端で待機していたリュートが彼女を先導するために近づいてきた。
彼の瞼はとても重そうで、実に退屈そうな顔をしていた。
その姿を見て、ユイカはやれやれ仕方ないなと苦笑いする。彼女は頬でも抓ってやろうと思ったが、突然彼の気の抜けたその表情が一変した。
眉間にしわが寄り、眠そうだった目が鋭くなって一気に険しくなる。
彼はすぐさま槍を構えて天井を見上げた。
ユイカも彼につられるように顔を上に向ける。すると、部屋の中央にある大きなシャンデリアがまさに今落下しているところだった。
「えっ?」と困惑したのも一瞬、シャンデリアは真下にあったベンチを巻き込んで床に激突した。
硝子が割れる高い音が堂内に響き渡る。
立ち登る粉塵に紛れて、無数のシャンデリアの破片が飛んできたが、リュートが素早くユイカの前に立ち、それらをすべて槍で弾き壊した。
ここでようやく事態を飲み込んだ参列者から次々と悲鳴があがる。
幸いにもシャンデリアが落ちた場所は、参列者が座るベンチの十列くらい前だったので直接巻き込まれた者はいなかった。
それでも破片で怪我をした者がいるかもしれないので、ユイカは近くにいた護衛たちにすぐ指示を出した。
「わたしは大丈夫だからリュートも行って」
「いや、ダメだ。一瞬だが落下のあと近くで何かの力が働いた。これはただの事故なんかじゃあねぇよ」
「別に目的があったってこと?」
ユイカは周りを見回す。最前列では、付き添いの侍女二人が心配そうにこちらを見ていた。そして、彼女はやっと異変に気がついた。
「あれ? 彼は?」




